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第7話:ローレンスの迷走

『コールマン団長・・・っ! エイミーが・・・っ!』


『あきらめろ、ローレンス。わたしは、おまえの救出を優先する』


『離して・・・ください!』


『エイミーは、もう助からない!』


『そ、そんな・・・っ!』


『いいか、よく聞け。王国のために命をかけて戦うのは勝手だがな、魂まで捧げてしまったら、本当に大切にしたいものは守れないんだよ!』


『・・・っ!』




『ケイト、君を愛してる。結婚しよう』


『ふふふっ。わかりやすくていいな』


『わたしは、君のそばにいるためなら、なんだってやる』




『・・・クリス・・・さん』




「はっ・・・!」


 ローレンスは、また、べっとりした汗にまみれて目が覚めた。


「・・・もう、いいって・・・」


 そう言ってローレンスは、ゆっくりベッドから起き上がり、窓から薄暗い外を眺める。すると、黙ってこちらを向いている、窓に映ったもうひとりの自分と目が合った。そして、また、外が明るくなるまで、枯れた井戸のように空っぽになっていたのだった。




 サミットまで約1ヶ月―――。


 その日、ローレンスは、騎士団屋舎2階の自分の部屋で、書類に目を通していた。下の稽古場から聞こえる木刀の音と、活気に満ちた新兵の声が気になる。むずむずするからだを押さえて、自ら首輪をつけるようにして机に向かっていた。


 コンコン―――。


 ローレンスの部屋の扉がノックされる。


「ローレンス、入るぞ」


 ローレンスは、手元の書類から、開いた扉に目を移す。団長服を着て、腰に剣を差したコールマン団長の姿があった。


「急ですまないが、ケイトが3人で話したいそうだ。いまからいいか?」


 コールマン団長は、片足を通路に残したまま言った。


「ケイト・・・団長ですか。はい、大丈夫です」


 書類を持つ手から、引き潮のように血の気が引いていった。そして、胸がバリッと音を立てる。


 ローレンスは椅子を引いて立ち上がり、机に立てかけていた剣を腰に差して、身なりを確認する。そして、扉を押さえているコールマン団長の前を横切って、目を合わさず部屋から出た。


「顔色が悪いようだが?」


 そう言ってコールマン団長は、化石のように白くなったローレンスの顔を、目で追いながら扉を閉めた。


「大丈夫です」


 ローレンスは、そのまま先に進みながら答えた。


 ふたりは、中庭を通って警備団屋舎に向かう。まぶたに矢が降ってくるような強い太陽の日差しが照りつける。四方を囲む王宮のアイボリーの外壁は、その光を余すことなく取り込み、白く輝いていた。植木の緑がそれに反射してキラキラ笑う。やわらかい風が枝葉を踊らせ、歩く者をやさしくなでるように包んだ。うすいグレーの石畳を歩くふたりのブーツが、小鳥の鳴き声と音を奏でる。噴水は太陽に向かって輝きながらまっすぐ上り、その周りを色鮮やかな蝶が舞っていた。


「ローレンス、念のため、サミットまでおまえの第2に西側の監視、および強化を頼みたい」


 コールマン団長は、やわらかい紫の花と目を合わせながら、先々進むローレンスに向かって言った。ローレンスの全身の細胞は、それを聞くやいなや、悲鳴をあげて逃げるように騒ぎはじめる。また、胸がバリッと音を立てた。


「・・・いやだ」


 ローレンスは、自分にだけ聞こえる声で言った。

(あれ? おれ、なに言ってるんだ?)


「明日からはじめてくれるか?」


 コールマン団長は、顔の近くでひらひらと舞う蝶に、視線を送りながら続ける。


「・・・なんで、いつもそんな平気な顔をしてられるんだ」


 ローレンスは、歩くスピードをゆるめず、すぐ空気に消え入るような声で言った。

(いや、違うだろ。返事をしないと・・・)


「ローレンス。西側の強化を、明日からはじめるように。命令だ」


 コールマン団長は、立ち止まり、数メートル先を歩くローレンスの背中に向けて、はっきり言った。太い矢で心臓を内側から突き上げるような声。ローレンスの胸がバリバリッと音を立てた。


 ローレンスは、立ち止まり、いつもより白くなった外壁と真っ黒になった通路を眺める。中庭から通路に続く境界線のきらびやかなアーチは、まるで暗闇を楽園のように錯覚させ、引きずり込むように手招きしていた。


「・・・コールマン団長、質問があります」


 ローレンスは、微笑んでいないコールマン団長に、静かに横顔を向けて言った。

(もう・・・どうでもいいや)


 コールマン団長は、ローレンスの鈍く光る瞳を見て、無意識に腰の鞘に手を添える。


「それは、わたしがいま下した命令と関係あるか? 関係ないのなら―――」


「おれを町に出したとき、どうして、剣を持たせてくれなかったんですか?」


 ローレンスは、コールマン団長の言葉を遮って言った。彼の手元を見て、ローレンスも、さりげなく鞘に手を置く。



 ピンと湖に氷が張り詰めるような緊張が走る―――。



「ふっ。その質問は、命令の内容と関係ないんじゃないか?」


 コールマン団長は、いつもの話ぶりで微笑を浮かべて言った。


「その顔だ・・・っ!」


 ローレンスは、からだを正面に向ける。同時に、胸の中で、ずっと素手で持っていた、ヒビの入った薄いガラスを落として踏みつけた。


「どうして、エイミーは殺されなければならなかったんですか?」


 そう言ったローレンスの白目は、細かいガラスの破片が刺さったように、血走ってくる。


「ローレンス、その話なら、わたしの部屋でしないか?」


 白銀の髪がゆるやかに逆立ち、流氷が鞘に添えた手の中でうごめく。


 ちょうどそのとき、中庭に面した部屋の扉が開いた。ユトとウィリアムが、騎士団、警備団、救護団との定例会議を終え、通路に出てくる。


 ウィリアムに、コールマン団長の姿が目に入った。瞬間的に違和感を抱く。


「ユト騎士、あれを・・・っ!」


 ウィリアムは通路から身を乗り出し、じっと観察する。


「ん? ああ、クリスさんと・・・ローレンスじゃねーか」


 ユトは、遠目でひとりずつ確認して言った。そして、そのまま騎士団屋舎の方に歩きはじめる。


「いや・・・なにか違う!」


 ウィリアムの全身の血液が、騒ぎながら首筋に上がり、これ以上にない緊張が襲う。


「だから、なんか話してんだろ?」


 ユトは、立ち止まって、もう一度ウィリアムのピントに合わせるようにふたりを見た。




「はっきり言ったらどうだ! 丸腰で町に出したのは、おれをおとりにして、モリス卿とバーリンを捕まえるためだったって! エイミーが巻き込まれることも、わかっててやったんだろ!」




 ローレンスの荒くむき出しになった声が、ユトとウィリアムの鼓膜を破る―――。



 その振動は中庭全体に広がり、小鳥が一斉に飛び立った。



「だから、わたしの部屋でゆっくり話そうと言っている」


 コールマン団長の瞳孔が小さくなり、蒼いダイアモンドは、上のまぶたに半分隠れる。


 ユトは、コールマン団長の口調と、鞘においた左手を見て、全身の毛穴が一気に開いた。


「・・・っ! ローレンスのバカ! あいつなにやってんだ、こんなとこで!」


 真っ昼間の王宮。ユトは、にじみ出る脂汗と共に、中庭周辺を見渡す。四方すべての通路に貴族や召使、団兵の姿があった。みな、足を止め、中心にいるふたりに視線を送っている。さらに、先ほどまでいた部屋から、団兵たちの足が大波のように押し寄せてきた。


「ウィル! ロイドさんを、いますぐ呼んでこい!」


「はい!」


 ウィリアムは、返事をすると同時に、騎士団屋舎の方へ駆け出す。ユトは、さっきまでいた部屋の前に素早く戻り、団兵の視界を遮るように両手をひろげ、明るく話しかける。


「あの! そういえば、もうひとつ報告しないといけないことがありました! ちょっと中で待っててもらっていいっすか? いま、その資料を取りに行かせてます!」


 ユトは、テカッと光る汗と、カラッとした笑顔を同時に見せながら、団兵たちを無理やり部屋に押し戻し、バタンと扉を閉めた。


「ウィル、急げ・・・っ!」


 ユトは、騎士団トップのふたりを交互に見ながら、部屋の扉の前でただ立ち尽くす。



「おれが剣さえ持っていれば、エイミーは死なずに済んだんじゃないのか! あんたにとって、おれやエイミー・・・いや、だれの命だってどうだっていいんだ!」


 ローレンスは、のどがちぎれるような声で叫ぶ。


 マグマのように煮えたぎるローレンスが、蝶を焼けるように舞い散らせ、氷河のようにどこまでも静かにたたずむコールマン団長が、植木の枝葉を凍てつくように尖らせる。興味深く一部始終を逃さず見届けようとする貴族に、恐怖でおののく召使が通路にあふれる。2階からも、普段は柱の一部となっている警備団兵が、窓から身を乗り出し慌ただしくなっていた。



「頼むから剣だけは抜くなよローレンス! いくらおまえが最強って言ってもクリスさんには敵わねーぞ!」


 ユトの滝のように流れる汗が、震えるあごからボタボタ落ちる。くいしばった歯の間から、呼吸が苦しそうに音を立てていた。



「なんでおれに、あんたの兄さんを殺させようとしたんだ! そんなこと・・・おれが喜んでやるとでも思ったのか⁉︎」


 そう言い切ったローレンスは、全力疾走をしたあとのように息を切らす。


 コールマン団長の手にかけた剣が微動し、キラリと太陽に反射した。



「クリスさん・・・っ! ロイドさんが来るから、まだ動かないでください!」


 ユトの届かない声は、張り裂ける胸の中で消えていく。



「言えよ! おれがバカだから、ただ楽しんで、笑いながら殺すと思ったって! そんなおれを、ずっといいように使ってたって! どうせ、すべては、国や陛下のことより、ケイト団長と―――!」



 ついに、コールマン団長は、右手で剣の柄を握って踏み出した―――。



 ローレンスも、瞬時に柄を握って身構える―――。



 すると、いきなり目の前で火花が散り、青銅で殴られるような衝撃が頭に響き渡った。力の入れ方を忘れたかのように、からだが微動だにしない。そして、植木の肥料の匂いが混じった石ぼこりでむせ返り、分厚い団長服から、太陽であたためられた石畳の熱が皮膚まで到達した。


「いいかげんにしろ、ローレンス。これ以上、罪を増やすな」


 耳元でロイド団長の声がした。彼は、ローレンスの鞘にかかっていた左手首を背中にまわし上げ、ありったけの力でローレンスを肩から石畳に落とし押さえ付けていた。



「クリスさん! 止まってくれーっ!」


 ユトは、すべての内臓を震わせ、腹の底から叫んだ。



 コールマン団長の目に、赤い髪が飛び込む。その瞬間、有無を言わず発動したからだに命令を下す。低い体勢のまま、ブーツの底と石畳に摩擦を生みながら、ふたりの一寸手前で踏みとどまった。



「・・・・・・っ! はぁ、はぁっ!」


 ユトの押し殺されていた息が吹き返す。そして、魂が抜けたようになって、その場で尻もちをつき、天を仰いだ。通路の柱越しに、見届けるウィリアムと目が合う。ふたりは、胸が張り裂けたまま、まるで子供が親のケンカを見るように、不安にさいなまれながら事の行く末を見届ける。



 ローレンスは、からだをねじり動かし、声をひねり出す。


「はっ、離せ! なにが罪だ! 本当の悪魔はあいつ―――」


 ロイド団長の全体重が、ローレンスの背中にグッと食い込み、彼の腕であごの動きを封じられる。


「黙るんだ」


 ロイド団長の差水のような言葉は、無惨にも熱を帯びる石畳で蒸発する。ローレンスは、人の皮を脱いだ獣のようになって牙を向け、唯一、視界に入るロイド団長をにらみ続けた。


 コールマン団長は、足元で捕獲されたローレンスを黙って見下ろす。


「ぎぎぎっ・・・! はっ・・・な・・ぜっ・・・!」


 ローレンスは、ロイド団長の重力にあらがい続ける。


 ロイド団長は、ローレンスの瞳を見つめながら、軽くため息をついた。そして、瞬時にローレンスを起こし、みぞおちに、こぶしで大砲を撃つような衝撃を与えた。ローレンスは吹き飛び、石畳に全身を削られたあと、呼吸困難と内臓が吹き飛んだような痛みで転がりまわる。さらに、ロイド団長は、無表情でローレンスの脇腹を足で踏みつけ、剣を腰から抜き取った。


「か・・・返せっ・・・!」


 そう言ってローレンスは、ぼやける剣に手を伸ばすが、意識がもうろうとし、そのまま気を失った。


 コールマン団長は、肺に空気を送り込み、四方に向かって叫ぶ。


「みんな、騒がせてしまってすまない! このように、こちらですべて片をつけるので、心配はいらない! 安心して仕事に戻ってくれ!」


 コールマン団長の声で、凍っていた時間と空間が溶かされた。徐々に、植木の枝葉が風になびきはじめる。噴水が通路からのざわめきを中和し、小鳥たちが舞い戻ってきた。


 ロイド団長は、だれにも目を合わせることなく、ぐったりしたローレンスを肩に担ぎ、その場を去っていった。


 ロイド団長がアーチの奥の暗闇に消えていく。コールマン団長は、その暗闇から小さな手が伸びてきて、足をつかまれ、引きずり込まれる感覚に陥った。すると、ふわりと美しい蝶が目の前を横切る。



 甘い香りがした―――。



「クリス、なにがあった⁉︎」


 騒ぎを聞きつけたケイト団長が駆け寄ってきた。


 無限に広がる暗黒の世界に、草原の澄んだグリーンの瞳が、かすかに見えた。コールマン団長は、ふぅっと息を吐いて、あらゆる感情の幕を下ろす。


「ケイト、すまない。今日の話し合いはキャンセルになってしまった」


 そう言って、コールマン団長は軽く微笑み、騎士団屋舎へ戻って行く。


「ちょっと待て! クリス!」


 そう言ってケイト団長は、駆け足でコールマン団長を追い、ふたりは中庭から姿を消した。



「ユト騎士」


 そう言ってウィリアムは、魂が抜けたようになって座り込んでいるユトに、手を差し伸べた。


 ユトは、その手をつかみ、腹筋に力を入れて立ち上がる。


 同時に、うしろの扉が開いて頭を打った。


「いっ・・・て。 あ! すいません! お待たせしてました!」


 ユトは、部屋から出てきた警備団兵に、パカっといい顔をした。


「おい、追加の報告があるんだろ? まだか?」


 ひとりの警備団兵が言った。


「あ、申し訳ないです! わたしの勘違いだったみたいで、解散で大丈夫です!」


 ユトは、隣にいたウィリアムの頭をわしづかみにして、いっしょに頭を下げた。


「そうか。おーい、解散でいいそうだぁ」


 部屋の中の警備団兵たちは、その声を聞いて退出していった。



 ユトとウィリアムは、しばらくその場で棒立ちになる―――。



「ウィル、おれたち、よくやったな」


 ユトは、胸を張って、自分をなぐさめるように言った。


「わたしは、ある意味、あなたが最強だと思いますよ」


 そう言いながら、ウィリアムは、眉を下げ、片方の口角だけ上げる。




 騎士団屋舎・3階―――。


 コールマン団長は、自分の部屋に戻るなり、椅子を大きく引いて、寝転ぶように背中で座った。首をもがれた人形のように、背もたれから頭が落ちるほど、はみ出して天を仰ぐ。両腕は椅子の後脚に沿って垂れ下がり、長い足は座面の際からぶっきらぼうに投げ出されていた。


「クリス・・・」


 部屋に入ってきたケイト団長が、静かに声をかけた。ケイト団長は、コールマン団長の両足の間に立った。左手で、顔の半分を隠す彼の前髪の隙間を縫ってほおを包み、親指でやさしくすべらせる。そして、もう片方の手を後頭部に添えて、背もたれからはみ出た頭をゆっくり持ち上げた。コールマン団長が倒れるようにして、ケイト団長のお腹にうずまる。ケイト団長は、白銀の髪がくしゃくしゃになるほど、ギュッと両腕で抱きしめた。


「大丈夫。いっしょに考えればいい。もう、あのときみたいに、ひとりで立ち上がろうとしないでくれ」


 そう言ってケイト団長は、コールマン団長が顔を上げるまで、ずっと抱きしめていた。

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