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第6話:氷の悪魔/英雄

 マリー王国襲撃から3日後―――。


 そこは、昼間もかがり火が灯る。


 警備団兵の管轄である獄舎は、王宮の右翼に位置する警備団屋舎の地下にあった。1階の一番奥の小部屋から、すぐ下に伸びる階段を下る。一段下りるごとに、沼の深みにはまっていくような、ジメジメした湿気に襲われる。気を抜くと、採掘しただけの表面の荒い石畳の通路に、足の筋をねじ切られ、窮屈に並ぶ錆びた鉄格子に、手の皮膚が裂かれる。肺がカビまみれになるような空気が充満し、警備兵は小部屋にも入らず、扉の外から監視していた。



「おい、クリス。生きてるか?」


 ロイドは、石畳に一体化するように仰向けになり、壁を隔てた隣のコールマンに向かって言った。腕と胴体に包帯が巻かれ、シャツのボタンをすべて外している。


「・・・ああ、生きてるよ。なぜか、気分は最高だ」


 コールマンも、長い両手両足を放り投げて、かがり火で薄暗い天井に揺れる格子の影を見つめながら答えた。シャツの右袖が、肩の縫い目から切られ、上腕に包帯が巻かれている。


「くっくっくっ。まさか高貴なコールマン家の人間が、檻の中に入ってるなんてな」


 ロイドは、ここぞとばかりにコールマンをからかう。


「ふっ。代々、王に仕えてきた華族・オーベルライトナー家の人間がなにを言う」


 コールマンは、久しぶりにロイドの苗字を口にした。


「まったくだ。ローレンス、おまえはどうだ? 生きてるか?」


 ロイドは、天井を見つめたまま、向かい側の柵に呼びかけるように言った。


「おれは・・・っ、死んでます・・・っ! もう・・・っ! 3日も剣を持ってない・・・っ!」


 ローレンスは、左手に包帯をグルグル巻きにして、腕立て伏せをしながら答えた。シャツの代わりに上半身におおわれたガーゼや包帯から、沼でひと泳ぎしたかのように、汗が水滴のようになって石畳を濡らす。


「やめろ。腹が減るだろ。傷もひらく。救護団に怒られてーのか」


 ロイドは、重い頭を上げて言った。


「はっはっはっ」


 コールマンは、声を上げて笑った。


「あいつ・・・っ! クリスさんと同じくらい・・・っ! 強かった・・・っ! そんなやつ・・・っ! いたんだな・・・っ! はぁ!」


 ローレンスは、ビシャッと地面に伏せて、しばらく石畳でからだを冷やした。


(でも、あいつ、なんでとどめを刺さなかった? チャンスはいくらでもあったのに。それに、傷も浅い。なんだろ・・・もっと、戦っていたかったな)


 ローレンスは、そのまま目を閉じて休憩した。



「・・・なあ、クリス。レナードさん、元気そうだったな」


 ロイドは、小高い丘のシルエットを脳裏に浮かべながら言った。


「ああ、そうだな」


 コールマンは、レナードと最後にした会話を思い出しながら言った。




 9年前・コールマン家―――。


「失礼いたします、兄上。エリオットから言われて来ました」


 当時14歳のクリスは、扉をノックして、レナードの部屋に入った。妙に静かなレナードの部屋を見渡す。


「・・・兄上、人払いまでして、どうしたのですか?」


 レナードは、窓際に置かれた長い優雅なソファから、薄いベールでなにかを隠すような曇り空を眺めている。ソファの隅に少し斜めに腰かけ、やわらかいクッションに背中を座らせていた。すらっと長く美しい足を組み、背もたれにひじをかけている。


「クリス。わたしはガーネット王国の傘下にある、マリー王国に仕えることになった。明日、ここを出る」


 レナードは、正面で直立するクリスの瞳を見て言った。


「そう・・・ですか」


 クリスは、それがなにを意味するのか瞬時に察し、自動的に心を氷の壁で囲む。


「おまえは、コルネイユ王国がご希望なんだろ?」


 レナードは、口角を上げて言った。


「・・・はい」


 クリスは、身構えながらレナードの話を聞く。


「わたしたちは血をわけた兄弟だが、仕える国が違うと、次は敵同士になっているかもしれない。そうなったとき、わたしのからだは有無を言わず、おまえを斬るだろう」


 レナードは、幼さが残る蒼いダイアモンドを見つめ、一片の曇りなく言った。


「はい。承知しています」


 クリスは、察した通りの言葉に、微動だにせず答えた。


「ふっ。そこでだ。もし、おまえに失いたくない大切なものがあって、助けが必要なときは、『わたしは、この国の最強騎士だ』と言って、わたしを全力で殺しに来い」


 レナードは、灰紫の水晶を研ぎ澄ませ、強い眼差しを送って言った。


「・・・どういうことですか?」


 クリスは、固く凍らせたはずの壁にヒビが入り、静かに混乱する。


「ちょっとした大人への反抗・・・いや、運命と言った方がいいか」


 そう言ってレナードは、窓の方に目を移し、連なる貴族の屋敷を見下ろした。


「え?」


「まあ、だれにも魂まで捧げるつもりはないってことだよ。どこまでも、あらがってみようじゃないか。いっしょにどうだ?」


 そう言った兄の笑顔が、雲の割れ目から差し込む陽光に浮かび上がる。そして、弟の氷の壁は見事に溶かされた。


「・・・ふふっ。はい、わかりました。覚えておきます」


 クリスは、思わず吹き出し、笑顔で返事をした。




 王宮地下・獄舎―――。


「いつ・・・っ! 剣の稽古に戻れますか・・・っ?」


 ローレンスは、腕立て伏せを再開し、石畳のカビに水をやるように、汗を鼻のてっぺんからしたたらせる。


「はぁ・・・。それを、いま陛下が決めてんだよ。だから、それやめろ。おれたちまで救護団に怒られるだろ」


 そう言ってロイドは、そのまま石畳に沈んでいく。コールマンは、くすくす笑いながら、かがり火で揺れる鉄格子の影を見続けていた。




 王宮中央・王の御殿―――。


「陛下、正気ですか⁉︎ すべて不問にすると⁉︎ コールマン騎士においては、第1騎士団団長に任命するなどと! あの騎士は、ルビー団長を見殺しにした上に、命令にそむいた! 挙げ句の果てに敵の首を討たず、拘束することもなく、やすやすと撤退させたのですよ⁉︎ 我が国が大国になるチャンスをみすみす逃したんだ!」


 窓ガラスが割れるような声が、王の御殿で弾け飛ぶ。その貴族は、3人の処分の決定を耳にするやいなや、蒼白な顔を、腐った赤いりんごのようにして乗り込んでいた。刀傷が入ったかのように刻まれた眉間のシワに、光の届かない深海の底に、何人も引きずり込んたであろう窪んだ瞳。オールバックにしたダークブラウンの髪は、脂を塗って固めたように頭皮に張り付いていた。そして、首にフリルのある白いシャツの上に、深みのある赤のワイン色のスーツを着ていた。


 たまたま、先に国王と話していたケイト団長が割って入る。


「モリス卿。もし、コールマン騎士がディーン王子を殺していれば、相手の体裁上、報復はまぬがれなかっただろう。そして、我々は一瞬でマリー王国の支配下になっていた。それに、彼がルビー団長を見殺しにした証拠はない。口には気をつけてください」

 

「ケイト団長、あなたはコールマン騎士に肩入れしているだけでしょう。騎士の学舎で、少し仲良くなったからって、私情を持ち込むのは、ご遠慮願おう」


 モリス卿は、ケイト団長に静かに牙を向けた。


「はぁ?」


 ケイト団長は、こめかみに血管を浮き立たせ、部屋を焼き尽くすような怒りの形相で、モリス卿をにらむ。


「・・・っ!」


 モリス卿が思わずのけ反った。


「コールマン騎士は、実の兄に刃を向けてでも、この国の存続を優先したんだ!」


 ケイト団長は、からだをモリス卿に向けて言い放った。


「ふん。彼は、ルビー団長のみならず、仲間を見捨てて持ち場を離れ、兄の実力を知りながら、なにも知らない入団1年目の兵を送り込んで戦わせた」


「なにが言いたい⁉︎」


 ケイト団長の語気が、荒れ狂う大波が岩に叩きつけられるように激しくなる。


「結局、負けるとわかっていて、のちのち自分が有利な立場になるよう、大国に恩を売ったのではないでしょうか。それはもう、氷のように冷徹な悪魔にしかできないことだ」


「はぁぁぁぁ⁉︎」


 ケイト団長の怒りが頂点に達し、モリス卿を足で踏み潰すかのように威嚇した。


「・・・っ!」


 モリス卿は、瞬時にケイト団長から目をそらし、一歩離れる。


「おっほん」


 国王は、ふたりの間合いに入った。


「実は、マリー王国から謝罪があり、3人の処分の免除を希望したのだ。そして、今後、友好関係を築くため、最大限の努力を惜しまない代わりに、今回の件は内密にしてほしいと申し出があった」


 国王は、机を挟んで、目の前に直立するふたりの間を見つめながら言った。


「それをやすやすと信用して承諾したのですか⁉︎ それに、現職の第1騎士団長殿のお気持ちはどうなるのです⁉︎」


 モリス卿は、こぶしを振り上げて意見した。


「任命については、第1騎士団長が直々にコールマン騎士を推せんした。入団当初からずっとそばで見てきたからこその決断だそうだ。団長本人は、すでに引退を希望している」


 国王は、モリス卿をまっすぐ見て言った。


「な・・・っ!」


 モリス卿は、開いた口がふさがらない。


「モリス卿よ。確かに、コールマン騎士は『氷の悪魔』かもしれない」


 国王は、静かに目を閉じて言った。


「はぁ?」


 ケイト団長は、威嚇の先を国王に移す。


「同時に、この国の窮地を救った『英雄』かもしれない」


 モリス卿とケイト団長は、凪のように静かになる。国王は、顔の前で手を組んだ。


「今回のコールマン騎士の行動と、マリー王国の提案の真相は、だれにもわからない。本人たちに聞いても、真実を口にするかどうかわからない上に、本人たちにすら、わかっていないかもしれない」


 国王は、薄く目を開けて、ふたりの境界線をぼかしながら続ける。


「では、なにを信じる?」


 モリス卿とケイト団長の意識は、一点を見つめる国王に吸い込まれていく。


「わたしは、わたしの心が、いま、どう感じているかを信頼し、その方向へ舵を切る。もし、それに逆らわなければならない理由があるとすればなんだ? なにを恐れ、心配し、不安を抱いている?」


 ふたりは、ギュッと胸が締めつけられ、背筋が伸びる。


「モリス卿よ。そなたは、コールマン騎士が英雄になると都合の悪いことがある。なにに恐れている?」


 モリス卿は、真っ裸にされたように、心がわさわさと逃げ出す。


「ケイトよ。なぜ、コールマン騎士が悪魔だとダメなのだ? なにを心配している?」


 ケイト団長は、心がブラックホールに吸い込まれるような不安定さを覚える。


「よって、今回の決断は、わたしの中のそれらのすべてを取り除き、心とピタリと重なるものにした。異論はあるか?」


 国王は、顔を正面に向け、鋭い目でふたりを見て言った。


「・・・ありません。しっ・・・失礼いたします」


 そう言ってモリス卿は、すみやかに一礼し、蒼白な顔に戻って退出した。ケイト団長は、無重力の中にいるように、地に足がつかないまま、その場に立ち尽くす。


「ケイト、3人をここに呼んでくれ」


 国王は、椅子にもたれながら言った。ケイト団長は、国王から凛と広がる水面の輪に触れて、起こされるように我に返った。


「かしこまりました」


 そう言ってケイト団長も、一礼して退出した。

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