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第5話:マリー王国の襲撃

 2年前―――。


 国王が不在の王宮は、いつもより静かな時間が流れていた。


 この日、国王が東の大国・トルタニアで行われるサミットに出席するため、警備団団長のケイトと半数の警備団兵および、当時の第1騎士団団長と一部の騎士団兵が同行して出払っていた。



「西の地平線に武装集団?」


 王宮中央にいた第2騎士団団長の元へ、ひとりの兵が滑り込むように報告した。


 当時、第2騎士団団長を務めるルビーは、眉間にシワを寄せながら見張り台へ向かう。やや白髪が混じった短い黒髪、伸び放題の眉毛がまつ毛にかかる。ミミズが走るようなおでこのシワから、髪の毛の生え際に距離があった。


 ルビー団長は、目視で、2頭の馬を先頭に、鎧をまとった集団が、地平線を埋め尽くしているのを確認した。


「なんだ、あの数は⁉︎」


 ルビー団長は、見張り台から身を乗り出す。王宮に残る団兵の数を頭によぎらせ、頭皮にじっとりした脂汗をにじませる。心臓の鼓動が全身に響き渡り、細かく震える足を押し殺した。


「すべての騎士団兵は戦闘の準備をして西門に集合! 警備団兵は王宮に残り、何人たりとも侵入を許さないように!」


 ルビー団長の命令で、王宮内に緊張が走る。騎士団屋舎にいた第1騎士団兵にも伝達がまわり、コールマンたちも鎧を身につけ西門に走った。



いまにも泣き出しそうな重い灰色の雲が出迎える―――。



「すみやかに前進せよ! 王宮からなるべく離れたところで迎え撃つ! それぞれの持ち場を確認し、そこできっちり役目を果たすように!」



 ルビー団長は、馬にまたがり先頭を切った。そのうしろから、第1、第2騎士団兵が、だだっぴろい草原の中に身を投げ出していく。



「おい、クリス。どう思う」


 ロイドは、半分まぶたが閉じた状態で前進しながら、右隣にいるコールマンに話しかけた。


「陛下と、主要部隊の不在を知った上で来ているのなら、ただの山賊ではなさそうだ」


 コールマンは、うごめく地平線を見つめて答える。


「ロイドさん、あの数・・・半端じゃないっすよ」


 ユトが生唾をのみ込みながら、隣にいるロイドに話しかけた。


「ああ。正面の敵3人を相手にして、うしろからバッサリ斬られるパターンだな」


 ロイドは、感情を持たない能面のような顔をして、具体的にわかりやすく説明した。


「くっそ! やっぱりか〜っ!」


 ユトは、とどめを刺されたように、がっくり肩を落とす。


「なるべく、背中合わせになって同時に攻撃するんだ。ユトは、バイロンさんの動きをよく見ながら戦え。ローレンス、おまえは、いつもロイドがうしろにいると思って、ただ正面の敵を斬ればいい」


 コールマンは、横並びになって前進するメンバーに言った。


「はい。わかりました」


 ローレンスは、左隣にいるコールマンを見上げて返事をした。蒼いダイアモンドが、コールマンの長い前髪の陰になってよく見えない。進行方向に視線を切り替え、鼻から小さなため息を出す。


 バイロンは、横でローレンスのため息を聞きながら、表情ひとつ変えず歩を進める。



 少し窪んだ平地を挟んで、双方の進行が止まった。王宮の建物が、ローレンスの背後に小さく見える。真上の空に、黒い鉛のような雲が現れ、ゆっくり地上に接近し、窪地に入り込む湿った風が、雑草を根元から折り曲げ、土の表面を削りながら枯れ草を飛ばしていた。



 ルビー団長は、窪地まで出て叫ぶ。


「わたしは、コルネイユ王国・第2騎士団団長アレックス・ルビーだ! 貴様らの訪問の目的を教えてもらおう!」


 その瞬間、矢がルビー団長のほおをかすった。そして、地平線の曲線に沿って静止していた鈍く光る鉄が、群れをなして攻めてくる。


「ぜ、全兵、ただちに前進せよ!」


 ルビー団長の指示は、鳴り響く敵のおたけびにかき消されながら、風に乗って後方の団兵たちに届く。



 コールマンたちが出陣する―――。



 ユトは、ピタリとバイロンについていく。バイロンは、そばにいるユトとコールマンの息に合わせ、冷静に持ち場を確保した。一方、ロイドは、自由に動き回るローレンスの斜めうしろにつき、感覚を研ぎ澄ませながら援護する。



 鉛のような重い灰色の雲は、ドス黒い溶岩石のように変わり、内側でエネルギーを溜め込むように増殖していく。いつの間にか、王宮の方まで侵食し、押し潰すようにして広がっていた。



「バイロンさん! クリスさん! これ・・・っ! もうヤバいんじゃないんですか⁉︎」


 ユトは、浸水する部屋に取り残されるように、バイロンとコールマンの背後で叫んだ。叩いても湧いてくるアリのように、斬り裂いても順番待ちをしている次の敵兵に囲まれる。


「ふん、全滅まっしぐらだな」


 バイロンは、まるで気に入らないワインを注がれたような顔をして、鼻で返事をした。


「バイロンさん、少しの間、持ち場を離れます」


 コールマンは、バイロンの後方から、敵に注意を払いながら言った。


「好きにしろ」


 バイロンは、据わった目をして、ぶっきらぼうに答えた。


「ちょっと、クリスさん⁉︎ どこ行くんですか!」


 ユトは、おぼれているところから手を伸ばす。いよいよ、ユトの毛穴が開き、水かさが一気に上がったように、息ができなくなった。


「ユト、おまえなら大丈夫だ!」


 そう言ってコールマンは、敵兵の包囲網から脱出することに全神経を集中させる。そして、動かなくなっているルビー団長の方へ向かって大地を蹴った。敵兵は、瞬時に変貌したコールマンの形相におののき、自ら斬られに行くかのように、あやつられ倒れていく。


「クリスさん! おれ大丈夫じゃないです!」


 ユトの伸ばした手が、むなしく空を切り、胸の穴に冷たい風が吹き抜ける。



 第一線から離れたコールマンは、湿った匂いのする兵士が重なり合った山を超える。敵兵の姿はなく、そこは、まるで孤島に来たような静けさが漂っていた。

 コールマンは、山から突き出す手足をかきわけ、仰向けで横たわるルビー団長を見つける。地面には、べっとりした血だまりができていた。小麦粉をふりかけられたように血の気が引いた顔に、開いた頭皮から、黒光りする髪の毛があちこちに散らかる。


「ルビー団長」


 そう言ってコールマンは、ルビー団長の顔に手を添えながら角度を調整して、彼の視界に自分を入れた。


「・・・クリスか。なにを・・・している」


 コールマンは、ルビー団長の生存を確認し、黙ってうしろの襟元をつかむ。そして、引きずりながら屍の山のふもとにあった岩陰に身を置いた。


「・・・持ち場に・・・戻れ」


 ルビー団長は、ギリギリのところで声を出した。コールマンは、彼の上半身を起こし、岩を背に座らせる。糸が切れたあやつり人形のようになった彼は、おでこがベルトにくっつくぐらい首が落ちていた。


「このままでは全滅します。なにか策は? 命令を」


 コールマンは、ルビー団長の肩を岩に押し付け、顔を下からのぞき込むようにして言った。


「・・・持ち場に戻れ」


 ルビー団長は、しおれる花のように、消え入りそうな声で言った。


「相手は山賊ではありません。訓練を積んだ一国の兵士の可能性が高い。状況を把握し、体制を立て直す必要があります」


 コールマンの言葉は、光を失っていくルビー団長の瞳を前にして、無情にも散っていく。


 孤島に、生きながらえる団兵の叫び声と、断末魔の波が交互に押し寄せる。コールマンは、花の根元をプチッと切断するように剣を鞘におさめ、ルビー団長をまたぐようにして岩の上に立った。戦場の隅から隅まで走査するように目をこらし、頭に血を巡らせる。片手で簡単に握り潰されるような圧倒的な兵数と兵力の違い。こちらの統制は見事に崩壊し、ただ、壊滅するまで時間をやり過ごしている。ローレンスの剣は、敵兵を斬るが、己とつながらず、ロイドの剛腕は、敵兵を蹴散らすが、味方をまとめられない。コールマンは、戦場から目を切り、視線を正面2500フィート(約750メートル)先の統率者に移した。そして、戦場を眺めるふたりの人物をとらえた。



 コールマンが異様な笑みを浮かべる―――。



 コールマンは、すぐさま岩から飛び降りた。そして、虫の息となりつつあるルビー団長を横顔で見下ろす。


「ルビー団長、申し訳ありません。わたしの持ち場は、他にあるようです」


 そう言ってコールマンは、ローレンスとロイドの元に向かって姿を消した。



「ローレンス! ロイド!」


 コールマンは、ふたりを囲む何重にもなった敵兵の中心に入っていった。そして、素早く背中合わせになり、一触即発の状態で剣を構える。


「クリス⁉︎ なんでここに⁉︎ 持ち場はどうした⁉︎」


 ロイドは、空からひょうが降ってきたように現れたコールマンに向かって叫んだ。


「ユトとバイロンさんが、なんとかやってるさ。ところでローレンス、ダメージは?」


 ローレンスの背中に、コールマンの心地よい声の振動が伝わる。


「無傷です」


 そう言ったローレンスの額に、一筋の血が流れていた。


「ふっ。ロイド、おまえは?」


 コールマンは、いつものように微笑して言った。


「おれは本当に無傷だ。クソみたいな気分だがな」


 ロイドは、生きた屍のような顔をして、正面の敵の動きに集中しながら言った。


「よし。いまからこの無意味な戦を終わらせる」


 そう言ったコールマンの言葉に、ローレンスとロイドの耳がピクっと反応し、一瞬だけ敵から目が外れた。


 その途端、正面の敵が襲いかかってくる―――。


 3人は、散り散りになりながら、それぞれの敵を瞬殺し、ピタッと背中合わせの体制に戻った。


「それには、おまえたちの力を借りたい。この戦況だからできることだが、騎士団の規律を破ることになる。それでもいいか?」


「どうしてほしい。早く言え」


 ロイドは、間髪入れずに言った。同時に、顔に血の気が戻ってくる。


「おれは、クリスさんの言うことをやりたい」


 ローレンスは胸をゾクッとさせて言った。剣を握る手がしびれ、瞳の輝きがよみがえる。


 コールマンは、口角を上げた。


「ふたりとも、その場所から小高い丘が見えるか? ちょうどわたしのうしろだ」


 ローレンスとロイドは、目の前の敵を通り越した向こうの丘に目をやった。かろうじて、大小ふたりの人物が確認できた。


 また、目の前の敵が襲ってくる―――。


 3人は、先ほどと同じように応戦し、瞬く間に集合した。


「わたしを、そこいる人物のところまで送り届けてほしい」


 コールマンは、淡々と話の続きをする。ロイドは、もう一度、丘の上の人物に目をこらした。灰色の瞳が、シルエットをはっきりとらえる。じわっと額に汗をにじませ、異様な笑みを浮かべた。


「なるほど。で、どうする」


 ロイドは、心臓の鼓動を抑えながら言った。


「ローレンス。おまえは『自分は、この国の最強騎士だ』と言って、背の高い方を全力で殺れ。それまでは、だれとも剣を交えるな」


 コールマンは、これ以上になく端的に言った。


「はい。わかりました」


 ローレンスは、それを聞くなり、剣を鞘におさめた。そして、足首をまわし、ひざを曲げ伸ばしながら、中腰で丘を見据える。


「ローレンス! 剣はおさめなくていいだろ!」


 ロイドが叫んだ。



 敵が一斉にローレンスに攻撃を仕かける―――。



「じゃあ、いってきます!」


 そう言って、ローレンスは瞬発力を爆発させ、敵の攻撃が到達する前に、包囲網を突破した。


「ロイド、続け!」


 コールマンは、ローレンスが乱した敵の隙間を縫うようにしてあとに続く。


「おまえら、もう少しスマートに始動できないのかよ!」


 そう言ってロイドは、一気にコールマンの前に出た。


「・・・っ!」


 コールマンは、胃酸をのみ込むような苦い顔をして、ロイドのうしろにつく。


「わかってるよ! 本当は、もうひとり必要なことくらい!」


 ロイドは、眉間にシワを寄せ、コールマンの代わりに叫ぶ。


 ローレンスは、稲妻のようなフットワークで、敵兵の間をかいくぐって進む。弧を描いて降りかかってくる矢や刃は、まるで意思を持ったようにローレンスを避けて地に落ちる。丘の人物に照準が合った鋭い眼光は、そこまでの道すじを滑走路のように光で照らし、からだはその上を突き進む。一方、応戦をしながら進むロイドとコールマンに、繊維のような細かい傷が増えてきた。半分ほど進んだ地点で、スピードを上げたローレンスの姿が見えなくなる。


「ぐっ・・・!」


 コールマンの右上腕に矢がめり込んだ。体勢を崩し、地面に片ひざをつく。コールマンは痛みに引っ張られ、呼吸が浅くなった。


「・・・っ! クリス!」


 ロイドは、敵を斬りながら、振り返って叫んだ。うずくまるコールマンの元へ向かい、背後からの攻撃を跳ねのける。


「はぁ・・・っ! 問題・・・ないっ!」


 そう言って、コールマンは、息を止めながら、刺さった矢を自ら抜き、噴き出した血と共に立ち上がる。


「ロイド! 止まるな!」


 帯のような汗がコールマンの額に広がり、上腕から伝う血が、剣を握る手を赤く染める。


「ああ! わかってるよ!」


 そう言ってロイドは、再び丘へ向かって駆け出し、コールマンを援護する。



 丘―――。


「レナード、どうだ? わたしの兵の活躍ぶりは」


 その声の主は、出てきたばかりののどぼとけを動かしながら、戦場を見渡していた。赤みがかったブロンドの短い髪は、少年から青年への成長を懇求するように真上に向かって立っている。細い腕を小さな背中にまわし、大きな高揚感と充足感を胸で味わいながら、横にいる人物に話しかけていた。


「ディーン王子、本当によろしかったのですか? 陛下に黙ってこのようなことを。戦の目的は?」


 レナードと呼ばれた側近は、灰色が混じった紫色の水晶のような瞳で、戦場を見渡しながら言った。丘に吹き込む正面からの風が、斜めにわけた前髪と、ミディアムに伸ばした無造作の白銀の髪をなびかせる。上半身をまとった、鈍くつやのある濃いグレーの鎧に、赤いブロンドの髪が反射して炎のように映っていた。腰に剣を差し、足を肩幅に広げ、王子の横でまっすぐ立っている。


「そんなこと決まっている。ぼくの実績をつくるためさ。こんな小さな国でも、制圧して領土を土産にすれば、父上や兄上たちは、ぼくを評価するだろ?」


 王子は、戦場の後方に見える、小さな王宮を眺めながら言った。


「なるほど。では、この領土が我が国にどんな価値をもたらすのか、あらかじめ、お調べになられたのですね?」


 レナードは、王子の赤いブロンドに視線を落として言った。

 

「領土の価値よりも、支配しているという事実に価値がある。ぼくは、それに一役買うんだ」


 王子は、満悦の笑みを浮かべて言った。


「そうですか。では、制圧された場合の想定は?」


 レナードは、戦場から不自然な動きをするものを、目で追いながら言った。


「制圧される? そんなことが起こるとは思えない。相手の主要部隊はサミットで留守なんだ。大した訓練にもならないさ。ほら、すでに敵の数が大幅に減っている。このタイミングを選んだぼくの機転も評価してもらわないと」


「ディーン王子、そろそろお下がりください。異物が飛んできます」


 そう言って、レナードはゆっくり剣を抜きながら、王子の前に出る。


「なっ、なにが⁉︎ どこからだ⁉︎」


 王子は、レナードが戦闘体制に入り、むき出しになった剣を見て足がすくんだ。声変わりしはじめた不安定な声が裏返る。


「正面ですよ」


 その瞬間、丘の際から上下逆さになった人の影が飛び出してきた。それは、レナードの頭上をゆうに超え、一回転しながら、三日月のようにキラリと光る刃と共に降下してくる。


「・・・・・・っ!」


 王子は顔の穴という穴を大きく開けたまま硬直し、影を見上げた体勢で、ときが止まる。



 落雷のごとく振り落とされた刃を、レナードの剣が受け止めた―――。



 王子は、腰がくだけ、凄まじい風圧でうしろに吹き飛び、勢いよく尻もちをついた。


「ふっ。最初から、わたしだけを狙ってきたな・・・っ!」


 互いの顔の前で十字を描くように交差した点から、レナードにすべての衝撃が送られる。それは、筋繊維を焼きながら大地に流れ、足元の地表をめくりながら砂ぼこりを舞い上がらせた。


「おれは、この国の最強騎士だ」


 そう言ったローレンスは、刃が離れ、地に足が着くと同時に、レナードの懐に飛び込んだ。豪雨のような手数でレナードの急所を次々と狙っていく。レナードは、ひとつひとつの攻撃に対応しながら王子から離れていった。


「ふっ・・・。そうか」


 レナードは、王子から十分距離を取ったのを確認し、攻撃体制に移る。レナードの上半身から、巨大なエネルギーが発されローレンスを包んだ。


「・・・・・・っ!」


 ローレンスは、一瞬で丸のみされるような威圧を感じ、跳ね退くようにして距離をとった。


(こいつ・・・強い)


 そう言いながら、ローレンスの全身の細胞が、黄色い悲鳴をあげるように騒ぎ出し、首筋に血液が集まる。髪の毛の先端は躍るように立ち上がった。


「おまえ、笑っているのか?」


 レナードは、ローレンスの異様な笑みを見て言った。


「へ?」


 その瞬間、レナードが目の前に迫った。互いの剣は火花を散らしながら、鼓膜を切り裂くような甲高い音を立てる。ローレンスは、下半身からうねり上がってくるパワーを、引き締まった腰を介して爆発力に変える。そして、腕の筋肉をしならせ、獲物をとらえる大蛇のように剣をあやつった。しばらく、途切れる間もなく攻防戦は繰り広げられる。


 ディーン王子は、ふたりがぶつかり合うたびに生まれる強大な空気の振動で、手足の震えが止まらない。お腹の底に恐怖の波が押し寄せる。尻もちをついたまま、かかとで地面を蹴りながら後退りした。



「ずいぶん、鍛錬を重ねたみたいだな。だれに教えてもらった?」


 そう言ってレナードは、深く踏み込んで、ローレンスの脇腹から肩に向けて斬り上げる。ローレンスは、からだをひねりながら紙一重でかわした。


「うるさい! さっきから! そんなこと、おまえに関係ないだろ!」


 ローレンスは、地面に手をついて低姿勢のまま突進する。レナードは、それに向かってからだを浮かし、空中で真下を通過するローレンスの背中に、鋭い角度で一太刀入れた。


「ぐぁ・・・はっ!」


 ローレンスの鎧が見事に砕け散る。頭から地面に突っ込み、土をえぐりながら転がった。すぐ四つん這いになり、立ちあがろうとするが、全身が暴れ馬のように言うことを聞かない。


「ごほっ! ごほっ! はぁ、はぁ・・・っ!」


 べとつく顔の皮膚に細かい石が噛みつき、ねばっとした汗が噴き出す。あごの先端に向かって流れる血反吐は、汗と泥が合流して錆びた雨水のようになり、むき出しになった兵団服の襟元にボタボタ落ちた。


「その程度では、わたしを殺せないぞ。どうする?」


 レナードは、ゆっくりローレンスに向かって歩きはじめた。


(たった一撃でっ! くそっ! 立たないと・・・っ!)


 ローレンスは、片ひざをついて、剣にもたれかかりながら、痛みを散らしていく。袖で口まわりをぬぐいながら、まるで切り立つ崖を背にして追い詰められた状態で、次の一手を頭に巡らせる。一振りに込められる殺傷力と、一突きに注がれる破壊力は、いままで出会った者とはケタ違いだった。意識と離れたところで、ガタガタ乱れる足を頭で制御し、迫ってくるレナードに備える。


(なにが違う・・・。あいつとおれは、なにが・・・っ!)


 ローレンスは、手数を少なくしてレナードの動きを観察しながら打ち合った。彼の凛とした川の流れのような静かな呼吸、からだの中心を貫くブレない一本の光の筋、そして、筋肉の伸縮を最大限に引き出す緩急に富んだ動き。ローレンスは、レナードの戦法と剣術のデータを自分の細胞に写し取っていく。次第に、先ほどくらった一撃も、自分が置かれている状況さえも忘れたように、ただ夢中になってレナードを研究していた。いつの間にか、血反吐まみれになった顔の皮膚も、つややかになるほど細胞が活性化している。


(そうか・・・。こうすれば・・・)


 ローレンスは、線をまたいで、違う世界に移行したように、まるで別人の動きをした。



 切っ先がレナードのほおをかすり、一片の血が跳ねる―――。



(届いた・・・っ!)


 ローレンスの胸がゾクッとした。体内を流れる血液が躍り、からだにしびれを感じる。


「ほぉ・・・」


 レナードは、少しうしろに引いて、親指で傷口をなぞりながら言った。そして、ローレンスの顔をじっと見つめて続ける。


「ふっ。また、笑っているのか」


「へ?」


 ローレンスは、はっと我に返ったように反応した。


「少し、話をしよう。名はなんという?」


 レナードは、剣を下ろし、構えをといて言った。


「・・・ローレンス・エドワード」


 ローレンスは、身構えたまま、レナードを警戒して答えた。


「貴族の間では聞かない名だな。出身は?」


 レナードは、リラックスしながら、片足重心の姿勢で続ける。


「・・・・・・南のダリー村だ」


 ローレンスは、じっと灰紫の水晶を見て、レナードの言動の意図を読み取ろうとした。


「ふっ。どうやら、あいつは、またおもしろいやつに出会ったみたいだな」


 レナードは、笑みを見せて言った。


「あいつ・・・?」


 ローレンスの頭の回路がショート寸前になる。


「さて、楽しんでいるところすまないが、そろそろ仕事に戻らないといけないようだ」


 そう言ってレナードは、剣を自分の前で斜めに振り下ろし、会話を絶った。そして、いままでにないスピードでローレンスに接近する。正面にいたはずのレナードの姿が消え、ローレンスは、うしろから喰われるような凄みのあるオーラに押し潰される。


「え・・・っ!」


 ローレンスが振り返る間もなく、右肩に刃が振り落とされた。ローレンスは、反射的に剣でガードする。


 レナードの剣は、ローレンスの右肩に乗る剣を粉砕しながら左腰に抜けていく―――。


 右肩甲骨がはがれるような衝撃と、火を吹くような熱が背中を襲った。右腕が切り落とされたかのように、柄が手から離れ、しびれて感覚がなくなる。ローレンスのからだは、空中で弓のように反り上がり、地面にうつ伏せになった。



「レナード! よくやった! 早くとどめを刺せ!」


 一部始終見ていたディーン王子は、遠いところから叫ぶ。レナードは、ディーン王子までの距離を確認した。その間、ローレンスは、王子の方に地面を這ってレナードから離れる。


「レナード、なにをしている! 早く!」


 ディーン王子は、泥と血にまみれた姿で近づいてくるローレンスに、おののきながら叫んだ。ローレンスは、動かなくなった右腕を左手で押さえながら、なんとか上半身だけ起こす。鋭い眼光をレナードに向け、両ひざを地面についたまま、丸腰でじりじりと攻撃に備えた。


(くっ・・・! どうする・・・っ!)


 背中のシャツの繊維は絶たれ、切り口から流れる血は、ベルトを乗り上げるようにしてズボンに染み込んでいく。一方、レナードは、背後に位置する戦場からの違和感を追跡していた。すでに、ローレンスから目を切り、全神経を尖らせる。



「ディーン王子、もうすぐ、新たな異物が来ますのでお静かに」



 そのとき、コールマンが丘の横手から矢のようなスピードで、王子の背後に切り込んで来た。


 レナードは、王子に向かって弾丸のように飛んでいく―――。


「クッ、クリスさん!」


 ローレンスは、レナードが向かう先を見て言った。


(ダメだ! あいつの方が早い! ロイドさんは⁉︎)


 ローレンスは、下の戦場で敵兵に囲まれるロイドが見えた。同時に、ローレンスのからだは、レナードの視線の先へ無意識に踏み込む。


 ディーン王子は、今度は正面から刃を光らせて接近してくるレナードに、頭が熱を帯びて混乱し、座り込んだまま背筋が凍りついて固まる。



 そして、コールマンの伸びる手が、ディーン王子の首をうしろから巻きつけた―――。



「ひぃぃーっ!」


 ディーン王子の叫び声と共に、むき出しの小さなのどぼとけにコールマンの刃がピタッと止まる。そして、レナードの剣は、血しぶきを上げた。



 レナードは、目の前に立ちはだかる男に目を疑う―――。



「おまえの相手は、まだ、おれだ! はぁ・・・はぁ・・・! クリスさんじゃない!」


 ローレンスは、髪の毛を逆立たせ、自分の左胸の前で、レナードの剣を指と手のひらで挟むようにして制止させていた。ポタポタとねっとりした血が、レナードの刃先からしたたり落ちる。ローレンスは、使いものにならない右腕を放ったらかして、左手を小刻みに震わせながら、レナードににらみをきかした。


「レッ・・・レナード・・・? これはどういう・・・っ!」


 ディーン王子の瞳には、レナードの首の皮に、真横から押し付けられている3本目の刃の切っ先が映っていた。その刃に沿って目玉を動かすと、獰猛なタイガーのように鋭く黄金色の瞳をギラつかせ、コールマンに話しかける男がいる。


「勘違いするなよ、クリス。わたしは、持ち場を離れすぎたおまえを、連れ戻しに来ただけだ」


「はい、それで十分です。バイロンさん」


 コールマンは、ディーン王子ののどに刃をくい込ませて答える。


「はやくしろ。ロイドとユトがもたない」


 バイロンは、レナードの首に噛みついたまま言った。コールマンは、視線を王子に移す。


「さて、ディーン王子。我が国にご用があるのなら、後日、陛下を交えてテーブルでお話ししましょう。今日のところは、お引き取りください」


 コールマンは、冷たい息を吹きかけながら、王子の耳元でささやく。


「なっ、なにをバカなことを! そんなかっこう悪いことができるか! レナード、なんとかしろ!」


 ディーン王子は、目の前の背中から血を流す男にはばまれて、姿の見えないレナードに、あごをガタガタさせながら叫んだ。


「ディーン王子。わたしはいま、少しでも動けば首が飛ぶでしょう。そのあとは、あなたの番だ。いや、それよりも・・・この目の前の男が、いつ、なにをしでかすかわかりません。どうですか? ここは、いったん引くのも立派な統率者の選択かと」


 レナードは、ローレンスとバイロンに意識を流しながら言った。


「そっ・・・そんな! こんなことが・・・っ!」


 コールマンは、ディーン王子の動き続けるのどをグッと刃で押さえる。丘に吹き込んでくる風が、やわらかい白銀の髪をなびかせ、尖った赤いブロンドの髪を侵食していった。同時に、コールマンの袖口に染みた、生々しい血の匂いが鼻をつき、王子の全身の細胞を縮こませる。


「わっ・・・わかった! 言うとおりにする! レナード! 兵たちを呼び戻せ!」


 王子は、白目になりそうなくらい、うしろのコールマンに視線を送り、空に向かって叫ぶように言った。


「わかりました」


 そう言ってレナードは、ローレンスの手から剣を引いた。そして、バイロンの切っ先を手の甲で払い、戦場に指示を出しに行った。


 コールマンの刃が、ゆっくりとのどぼとけから離れるころには、黒い雲が我慢できなくなったように泣きはじめていた。瞬く間に窪地に赤い川が出現し、屍の山の間をすり抜けるように、カーブを描きながら流れていく。それは、起こったことを、すべて埋めてしまうかのように、みるみる水かさを増やしていった。




 西の地平線に浮かぶ鉄の人影が、線香花火のように消えていく―――。




 丘に残って、それを見届けるコールマンとローレンスの姿があった。土砂降りの雨に打たれる白銀の髪は、ウェーブを描きながら、繊細な皮膚にしっとりと張り付き、ライトブラウンの無造作な髪は、うねった毛先から好き放題に水を跳ね上げる。


「クリスさん。あいつ、強かったです。殺せませんでした」


 ローレンスは、真っ赤に染まった左手で右肩を押さえながら言った。去っていくレナードのうしろ姿が、まぶたの奥から離れない。それは、サトウキビの甘い香りの中で、コールマンと枝を交えたときと同じようなしびれを、からだに残していた。


「・・・・・・」


 コールマンは、しばらく黙って、地平線を見つめたまま口を開く。


「ローレンス。今回の、その左手の傷が不要だったことは、わかるか?」


 ローレンスは、パチっと瞬きをしてコールマンの顔を見た。


「クリスさん?」


 そう言ってローレンスは、微笑していないコールマンをのぞき込むように見る。


「今日のような、自分の命を顧みない戦い方は許さない。二度とするな」


 コールマンは、腕で顔を隠すように、濡れた髪の毛をかき上げた。そして、ローレンスの返事を聞かないまま、王宮の方に戻っていった。


「・・・・・・?」


 ローレンスは、無言で眉間にシワを寄せる。それは、はじめて聞いた言語かのように、頭の中を通過していった。

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