第1話:新兵の淡い夢
コルネイユ王国・町のはずれ―――。
すべてをやわらかく包み込む太陽が真上を通り過ぎたころ、町の大通りから少しはずれた丘に、コルネイユ王国・第2騎士団団長ローレンス・エドワードはいた。オリーブ色の分厚い団長服にグレー色のズボン、濃い茶色のブーツを履き、腰に剣を差して、ウェーブのかかったライトブラウンの髪の毛をなびかせて歩いている。キリッとした眉に、きれいに通った鼻筋。鍛え抜かれたバランスのいいからだが、団長服の上から浮かび上がる。隣には、同じ色の毛並をつややかに光らせ、凛としたオーラを放つ馬を連れていた。立て髪としっぽ、足首の毛色が濃く、美しいボディを際立たせている。
深い森の湖に光が差し込むようなグリーンが混じったヘーゼルの瞳の近くで、途中で摘んだ、一本のオレンジがかったピンク色の花が揺れていた。それは、まるで、恋人同士のように親しく会話をしているかのように見える。深緑になった小さな森の陰から、冷んやりとした風がやさしく肌に触れた。そして、ゆったり揺れる木々の枝葉の中で奏でる鳥たちの声が、荒く削がれた心に安らぎをもたらすのだった。
しばらくして「エイミー・ヒューバート」と書かれた墓標の前で、ひざを折り曲げ、身をかがめた。持っていた花を、なごり惜しみながら、そっと添える。すると、ふわっと下から風が舞い上がり、降り注いでいた木漏れ日が一斉に踊りはじめた。ローレンスは、その風にしばらく身をゆだねながら、目を細めて揺れる花びらを見つめていた。ローレンスの瞳は、花と同じ色のワンピースを着たエイミーが、黒色に近い髪と、クリっとした瞳で、こちらを見て笑っている姿を映していた。
「エドワード騎士様?」
うしろの方から男性の声がした。ローレンスは振り返って立ち上がる。
「ヒューバート先生。こんにちは、お久しぶりです」
そう言ってローレンスは、指先をまっすぐ伸ばしてズボンの縫い目に添える。
「お怪我の方は、もういいんですか?」
町医者のヒューバートは、いつもローレンスのからだを気にかける。白髪まじりの短髪に、ハの字になった眉毛。小さな丸メガネからはみ出ている目尻のシワから、温厚な雰囲気がにじみ出ていた。
「はい、ようやく、任務に復帰できるくらいに回復しました」
ローレンスは、言葉遣いに気を配り、丁寧に返事をする。
「復帰早々、ご活躍だったようですね。町でうわさになっていましたよ」
ヒューバートは、眉毛を下げたまま、口元をゆるませて言った。
「いえ、いつもどおり、仕事をしたまでです」
ローレンスのぽっかり空いた胸の穴に、冷たい風が吹き抜ける。ヒューバートは、その穴からのぞくようにして、墓石の上の花に目を移した。
「娘に会いにきてくれたのですね」
ヒューバートは、目尻のシワを増やし、おだやかに言った。
「はい、やっと花を添えることができました」
ローレンスは、やさしい瞳をして、揺れる花を見つめながら言った。隣で、ローレンスの馬はムシャムシャと草をほおばる。
「彼女も喜んでいますよ」
ヒューバートは、エイミーの太陽のような笑顔が脳裏に浮かんだ。
「ヒューバート先生・・・」
ローレンスは、のどにしこりを感じながら声を出す。
「わたしがついていながら、エイミーを守ることができず、申し訳ありませんでした」
そう言ってローレンスは、深々と頭を下げた。
ローレンスの周りの木々が、重たい風でザワッと揺れる―――。
「幸せに生きてくれたら、それでいい」
ヒューバートは、にっこりした顔で言った。
「へ?」
ローレンスは、湖の真ん中に放り出されたように、目を丸くして顔を上げた。
「エイミーなら、そう言います。彼女にとって、それが一番嬉しいことですから」
ヒューバートは、突き抜ける晴天のように、澄み渡った言葉を投げた。
「・・・幸せに生きる・・・ですか?」
ローレンスの胸がパリッと音を立てた。まるで、ヒビの入ったうすいガラスを素手でつかむような心地の悪さを覚える。
「今日は、まだお仕事が残っているのですか?」
ヒューバートは、ローレンスの服装を見て話題を変えた。
「あ、はい。夕刻から陛下を交えての会議があります」
ローレンスは、風が吹いて、目にかかる前髪を押さえながら言った。
「ほっほっほっ。騎士団長ともなると、いろいろ大変でしょう。あまり、無理なさらずに」
ヒューバートは、ローレンスが大人の振りをしながら、会議に出席する姿が滑稽に映った。
「ははは・・・。ありがとうございます」
ローレンスは、なんでも見透かすヒューバートを前に、いさぎよく大人の仮面をはずして返事をした。
ヒューバートと別れて、乗ってきた馬にまたがった。ふくらはぎの内側が、立派なお腹に触れてあたたかい。その馬は、尖った片方の耳をこちらに向け、主人の様子を気にかけながら、互いの波長を合わしていた。ローレンスは、ひづめから上がってくる大地とつながった振動を体幹に響かせながら、朱色のレンガ造りの町を横目に、王宮まで遠回りをして帰っていく。
(幸せに生きる・・・か)
ふと、ヒューバートの言葉が、ローレンスの頭に螺旋を描くようにして、存在感を現してきた。
(エイミー、君がいれば・・・)
だだっ広い草原で、ローレンスの足元から、土と草が混じった風が吹き上がる。思わず息を止め、風がおさまるまで腕で目をおおった。
(・・・エイミーは、なんで殺されなきゃならなかった?)
渦巻く風に混じって、矢が飛んで来たように、いままで考えもしなかった疑問が、ローレンスに刺さった。
(そもそも、なんでエイミーは巻き込まれた?)
吹き上がる土ぼこりが、視界を遮り、出口のない迷路に引きずり込んでくる。
(もし、おれが剣を持ってたら、こんなことには、ならなかったんじゃないのか?)
すると、ローレンスの意識に、半年前のコールマン団長の命令が、割り込むように入ってきた。
『1ヶ月ほど、町でのんびりしてくるように。剣を持っていくことは許可しない』
心臓がドクッと音を立て、その振動がからだに広がる。同時に、黙ってこちらを向いてたたずんでいる、もうひとりの自分と目が合った。
騎士団屋舎・稽古場―――。
カンカンカンと、いつもの木刀の音が聞こえる。
その音は、さっきまでの濁った風を一掃するように、ローレンスの気持ちを軽やかにさせる。ローレンスを乗せた馬は、王宮の西門をくぐり、稽古場の前を通り過ぎた。
「おーい、ローレンス!」
ロイド団長が、ローレンスを見つけて呼び止めた。ローレンスは、兵の輪の中から、横に流した赤い髪と、ひとつ岩のような体格をしたロイド団長をすぐに見つける。西の大国・ガーネット王国の貴族出身。優秀な騎士を輩出させるコールマン家の学舎で育成を受け、第3騎士団団長着任時から、新兵たちの指導を担当している。
そのロイド団長が、ローレンスの名を口にすると同時に、その場にいる約50本の木刀の動きがピタッと止まった。そして、馬上のローレンスに視線の矛先が向く。
「あの方がエドワード騎士だ」
「本物だ。この国で一番強いんだよな?」
「見た目は・・・他の兵と変わらないな」
「最近、怪我から復帰されたんだろ?」
「つい昨日だ。山賊を一掃して帰ってきたらしい」
ローレンスは馬から降り、輪の中から出てくるロイド団長のそばまで歩いて行った。そのうしろから、ホセがひょっこり顔を出し、手を振っている。
「ロイド団長、この兵たちは?」
そう言いながら、ローレンスは、ホセにニコッとした笑顔を見せて、小さく手を振り返す。
「ああ、最近入団した新兵だ」
ローレンスが現場から離れていた間に、山賊・バーリンの討伐で乱れた騎士団の編成が、急ピッチで進められていた。
「へえ・・・」
ローレンスは、少年のような顔でつま先立ちをして、ロイド団長の肩越しに、新兵たちを眺める。その姿は、まるで岩の影から風でひょこひょこ揺れるつくしのようで、新兵が描いていた『最強騎士』のイメージから、かけ離れたものだった。
「エドワード団長!」
すると、ホセが、目を輝かせて駆け寄ってきた。
「ホセは、稽古の手伝いか?」
ローレンスは、小さな笑みを見せて、ロイド団長の横に並んだホセに言った。
「はい。お役に立てているかどうかは別ですが」
ホセは、頭に手を当てて、控えめに答えた。発した言葉の中身よりも、ローレンスと話ができて嬉しい。まるで、澄んだ湖に気持ちよく浮かぶ木の葉ような波動が、ホセのからだに広がる。
「ローレンス、こいつらに、一振り見せてやってくれないか?」
ロイド団長は、大きく口角を上げて、自分が使っていた木刀の柄をローレンスに差し出した。
「おお!」
ホセは、一気に花開くように、ひとり盛り上がった。
「あ、はい」
ロイド団長の長いまつ毛の下で光る灰色の瞳が、ローレンスの血を静かに騒がせる。ローレンスは木刀を受け取り、腰に差していた自分の剣をホセに預けた。ホセは、それを胸に寄せて握り締める。
「よーし! いまから、我らが第2騎士団団長ローレンス・エドワードに素振りを披露してもらう。おまえらが目指すべき騎士の姿として、よく目に焼きつけておくように!」
ロイド団長は、新兵に向かって叫ぶ。彼らは、王宮から騎士団兵の求人があるなり、すぐ、地方の村から出てきている者がほとんどだった。平民という身分でも騎士団長に抜擢されたローレンスに夢を抱く。みな、あごのつけ根から、じわっと出てくる唾をゴクリとのみ込み、目の前の人物の動きを1ミリも逃さないように身構える。ホセは、胸を弾ませて、新兵の反応を心待ちにしていた。
ローレンスは、ゆっくり新兵たちの方へ歩いていく。両手で木刀の柄と先端付近をつかみ、おおいかぶさってくるねっとりした視線をはがすように、ぐ〜っと腕を頭上に上げて伸びをした。
新兵の輪の中心に立ったローレンスは、少しひざを曲げながら左足を10センチ後ろに下げた。顔の前に先端を合わせて、両手で持った木刀と一体になる。
空気が、ガラリと変わった―――。
ローレンスの眼光に新兵たちのエネルギーが吸い込まれていく。足元から髪の毛の一本一本まで、うねり上がってくる彼のオーラに後退りする者もいた。ローレンスの瞳孔が小さくなり、静かに吐いていた息に巨大なエネルギーが乗った瞬間、なにもないところから突風が起こるような圧が一帯に広がった。一歩踏み込むと同時に右上から左下に大きく振り下ろされた木刀。それは、空気を伝って皮膚にビリビリと電気が走るような衝撃を放つ。凝縮されたパワーで表面が吹き飛んだ地面から一寸離れて止まった切っ先は、その後、微動だにしなかった。ローレンスの団長服からバランスのいい筋肉が浮かび上がる。
真空状態となる稽古場―――。
「おい、見えたか?」
「い、いや、一瞬すぎてよくわからなかった・・・」
新兵たちは、腹の底から突き上がるような恐怖を感じて、血の気が引く。ロイド団長は、皮膚のしびれの余韻を感じながら、異様な笑みを浮かべ、ホセは、第2騎士団団長の真髄を肌で感じ、酔いしれている。
ローレンスは、ふうっと息を吐いて体勢を元に戻す。固まった視線の間をすり抜けて、ロイド団長の方へ戻っていった。
「どうやら、すっかり回復したみたいだな」
ロイド団長は、ローレンスから木刀を受け取りながら言った。
「やっぱり、少しなまってます。なるべく早く元に戻します」
ローレンスは、からだに残る細胞の目覚め具合を感じながら言った。新兵たちは、開いた口がふさがらない。ホセは、ここぞとばかりに、新兵たちの表情を満喫した。
「ところでおまえ、新兵のころ、どれくらい訓練してた?」
ロイド団長は大きめの声で聞いた。新兵たちの耳がピクッと反応する。
「毎日、課せられたメニューの3倍の量をやってました」
ローレンスは、表情を変えず、淡々と答える。そして、笑顔のホセから、自分の剣を受け取った。
「な・・・っ!」
「マジかよ・・・」
「おれ、やっていけるかな・・・」
「おれも・・・」
新兵の固まっていた空気は、ねんどのように重くなり、淡い夢を歪ませる。
稽古場の斜め上、窓が開いた騎士団屋舎の3階の一角に、流氷に浮かぶ蒼いダイアモンドの瞳があった。腕を組み、窓枠にもたれながら、いまにも吹き出しそうになるのをこらえている。白いカーテンを揺らすやわらかな風に、鎖骨まで伸びた白銀の髪が心地よさそうになびく。第1騎士団団長クリス・コールマン。ロイド団長と幼馴染の彼は、コールマン家の次男として生まれ、申し分ない知性と教養、剣の腕を持ち合わせる。そして、23歳という若さでコルネイユ王国の全4騎士団を統率する立場を任されていた。
「コールマン団長、下でなにかありましたか?」
使者のウィリアムが、いつものように、コールマン団長の微々たる感情の動きを見逃さず聞いた。彼は2年前、コールマン団長から指名されて使者になった。かつては騎士団兵として作戦にも参加していたが、鋭い観察力と身体能力に目をつけられ、「使者」としての本格的な訓練を受ける。短いストレートの黒髪で、銅線のようなシャープな目に、茶色の瞳を持っている。小柄で引き締まったからだは、どんな任務でも対応できるようになっていた。
「いや、わたしの周りには、おもしろい者がそろっていると思ってな」
コールマン団長は、くすくす笑いながら言った。
「・・・って、あなたがすべてそろえたのでしょう?」
ウィリアムは、肩を下げて仕方なさそうに返した。
ローレンスは、しばらくの間、ロイド団長に頼まれて新兵の訓練に付き合った。内側をのぞいてくるようなねっとりとした新兵の視線は、超越的な存在を崇拝する、きらびやかなものに変わっている。
「この腕をこの角度にすると、重心がもっとしっかりする」
「はい!」
「この剣の軌道の方が、最短で相手に届く」
「なるほど! ありがとうございます!」
ローレンスは、ひとりひとり、端的に言葉をかけてまわる。個々の特徴と才能を、一瞬で見抜く天性で、核をついた指導を実現させていた。
「エドワード団長! 次はわたしもお願いします!」
「わたしも!」
気がつけば、ローレンスは、新兵から引っ張りだこになっていた。
「エドワード団長が順番にまわってくれるから待ってろ!」
ホセは、ローレンスが指導しやすいように、場を仕切る。
いつの間にか、ローレンスは、新兵の一員になったように、その場に溶け込んでいた。話しかけられると、少年のように無邪気に剣の話をする。たくさんの型を披露しながら、技術やコツを惜しむことなく伝えていた。そして、瞬く間に新兵の崇拝の視線は、親愛のものに変わる。ホセは、少し胸を焼きながら、ローレンスを独り占めしたかった感情を手放した。
「ローレンス、そろそろ会議に行くぞー」
その様子を、物思いにふけながら傍観していたロイド団長が幕を下ろした。
「えーっ! もう行ってしまわれるんですか⁉︎」
「もっとお願いします!」
新兵たちは、ローレンスの足をつかんで、引きずられるようになごり惜しむ。
「今日は、あと素振りを100回した者から終わるように! じゃあ、ホセ、あとは任せたぞ!」
そう言って、ロイド団長は、その場を去っていく。
「はい、わかりました!」
ホセは、キリッと先輩の顔に戻る。新兵は、興奮が冷めやらぬ中、すぐさま素振りに取りかかった。
「ありがとな、ローレンス! また機会があったら頼む」
ロイド団長は、豪快な笑顔でローレンスの背中を叩いて言った。
「はっ・・・い!」
ローレンスは、咳をするように返事をした。ロイド団長の大きな手形がしばらく背中に刻まれ、心地よい夢から覚めて馬にまたがる。
なびく白銀が、白いカーテンに透ける。
「やはりエドワード騎士は、すぐにみんなの心をつかみますね」
ウィリアムは、コールマン団長のかすかに見える上がった口角と、小刻みに震える肩に向かって言った
「まあ、そんなことは、本人が一番わかってないだろうがな」
そう言ってコールマン団長は、目を細めて、馬に揺られるローレンスを見つめる。
「そうやって、あなたも彼に心をつかまれたおひとりですか?」
今日のウィリアムは踏み込んで会話をする。すると、心地よく吹いていた風がピタッと止み、白いカーテンがストンと下に落ちた。コールマン団長は、視線を、からだごと稽古場からウィリアムに移す。ウィリアムの胸がキュッと締まり緊張が走った。
「もっ、申し訳ありません、つい・・・」
そう言ってウィリアムは、あごを引き姿勢を正す。
「ウィル、わたしは、おもしろいものが好きで、しつこいやつなんだ」
窓から注がれる太陽の光に包まれたコールマンのからだが浮いて見えた。
「え・・・っ?」
ウィリアムの銅線の目が銅貨になったように丸くなる。
「ふっ、どうした? わたしたちもそろそろ行くか」
そう言って、コールマン団長は椅子にかけていた団長服をはおった。身なりを整えながら、毛穴が開いたままのウィリアムの横を通り過ぎる。
コールマン団長の脳裏には、ローレンスとはじめて出会ったころの映像が流れていた。