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第12話:崩壊のあとの再生

 それから7年後―――。


 深い森で、蝉が、大量の小さな鈴を木々にくくりつけたように爽快に鳴り響く。清流が大小の岩をすり抜けながら、心地よい水音を響かせ、のぞき込むようにして、水際で生える緑の野草が、気持ちよさそうに泳いでいる。水面からぽっかり顔を出す小さな岩の上で、密集しながらおしゃべりしている苔たちが、降り注ぐ陽の光でスポットライトを浴び、はずかしそうに蒸気を上げていた。


 漆黒のからだから浮かぶ、まばゆい青の蛍光色の羽を持った一匹の蝶が、腕まくりをしたベージュのシャツにくつろいでいた。


「おまえ、クリスさんとアルの瞳の色に似てるな」


 木の根っこを避けながら歩くローレンスは、ほおをゆるませて言った。襟足が肩まで伸びた無造作の髪の毛に、やわらかい木漏れ日が降り注ぎ、ライドブラウンが一層明るく見える。分厚い布でできた筒形のカバンを肩から斜めにかけ、ラフな黒の長ズボンに、短い焦茶色のブーツを履いている。


「ローラン!」


「ローランが来た!」


「はやく行こ!」


 ローレンスが森を抜けると同時に、明るく弾んだ声に囲まれた。そして、彫刻のような2本の腕が、小さな6つの手に引かれ、年季の入った白いレンガ壁の町並みに入っていく。急な下り坂と入り組んだ狭い石畳の歩道に面して、2階建ての家屋が連続して建ち並ぶ。アーチのかかった木の扉たちが静かにたたずみ、濃いグレーの屋根から壁に伝う雨水の筋に沿って、若い緑の植物が、レンガの隙間から元気に顔を出していた。腰の高さの子供たちは、しばらくその坂で臆することなくスピードを上げる。そして、人や馬車の往来で入り乱れる、ひらかれた中心地を横切ってすぐの酒場に、ローレンスを入れた。


 2階まで突き抜ける天井。木の梁がむき出しになり、外壁と同じ調子の床が広がる。材木をラフに突き合わせた、6人から10人が囲める長テーブルと椅子が中央に列をなす。その上に、手をつなぐようにして輪になったろうそくたちが、錆びた鎖のペンダントのように吊られていた。夕暮れになると、明かりを灯し、何層にも重なって染み込んだ酒と食べ物、皮脂をテカらせる。そして、奥の壁から突き出したカウンターの背後で、大男のはち切れる腹のような酒樽が、仕事を終えた者たちとの勝負の時間まで、大人しく陳列されていた。

 子供たちは、その酒場の真ん中を走り抜け、裏手にローレンスを引っ張っていった。隣の民家の外壁からのぞく四角い青空の下、山のように薪や調理器具、根菜類が積まれている。すると、厨房の裏口から、開店の準備をしているひとりの女性が顔を出す。


「いらっしゃい、ローランさん。みんな待ってたわよ」


 その女性は、白いボタンのついたダボっとしたシャツの上から、黄緑のエプロンをまとい、足首まである長い茶色のスカートを履いている。丸々と発酵させたパン生地のような元気な肌に、跳ねる赤茶色の短い髪の毛が、子育てまっ盛りのパワーをかもし出していた。


「こんにちは、ドナさん」


 そう言ってローレンスは、10人ほどの同じような背丈の子供たちが、ひざを突き合って座るテーブルにつく。


「じゃあ、まずは、自分と家族の名前からな。書けたら持ってこい」


 ローレンスは、カバンを下ろしながら言った。


「はーい」


 子供たちは、木炭を持ち、薄い板に、その先を滑らせる。


「ローランさん、今日もこのまま、子供たちと晩ごはん、食べていくでしょ?」


 ドナが、歯をたくさん見せてローレンスに声をかける。


「はい、いただきます。ありがとう、ドナさん」


 ローレンスは、少年のような笑顔で返事をした。


「お礼を言うのはこっちだよ。近所のみんなも感謝してるんだ。わたしたちが働いてる間、いっしょに遊んでくれるだけじゃなくて、文字や計算まで教えてくれるなんてさ」


 ドナは、木炭の先を追いかける、小さな瞳たちを見つめて言った。


 ローレンスは、すでに子供たちから放たれるエネルギーと合わさっていた。


「そういえば、今日もひとりかい? 最近、ケイティさんと、アルベルトを見ないけど、どうした? あれだけいつもいっしょだったのに」


 ドナは、鍋の中の作りすぎた料理を頭によぎらせて言った。


「彼らは、数日前、母国に帰りました」


 ローレンスは、子供たちが書いた文字のチェックをしながら言った。


「え? 数日前に母国って・・・。もしかして、東西の戦が終わったのと関係あるのかい?」


「はい」


 ローレンスは、流れるように答え、子供たちに次の課題を与える。


「え・・・ローランさんは、いっしょに行かなくてよかったのかい?」


 ドナは、眉をひそめて、胸に詰まりを感じて言った。


「おれは、国や王宮より、こいつらといっしょにいる方が楽しいから」


 そう言ってローレンスは、また子供たちに溶け込み、ドナに背中を向けた。


「・・・国や王宮?」


 ローレンスからの聞き慣れない言葉が、ドナの耳を通過する。




 数日前―――。


『おれは騎士になりたい! どうやったらなれる⁉︎』


『なんで、騎士になりたいんだ?』


『う〜ん・・・。楽しそうだから!』


『ふっ・・・。よし! ついて来い!』



『はぁ・・・もっとやりたい。どうやったらこの続きができる?』


『では、王宮で待つ。そこで続きを―――』



『久しぶりだな、ローレンス。本当に、騎士になりに来たのか?』


『えっと、クリスさんが、ここにいるから来ました』


『ふっ。そうか』




『ああ見えてクリスは、おまえがほんとに王宮に来たとき、すっごくうれしかったんだ』




『おまえは絶対に死なせない』




『クリスさん・・・』




「ローレンス! お客様が来てるよ!」



 底抜けるように明るく澄んだ声―――。



「・・・へ?」


 ぼやける視界に、蒼いダイアモンドが逆さで入ってきた。


 森の草むらの草になって寝転んでいたローレンスは、ゆっくり上半身を起こす。


「・・・アルか」


 そう言ってローレンスは、あぐらをかいて座りなおし、目の前の、つやのあるシルバーブラウンの髪の毛にポンと手を置いた。


「アル、また背、伸びた? 歳、いくつだっけ?」


 ローレンスは、じぃっとアルベルトの顔を見つめて言った。繊細な白い肌に、整った顔立ちをしている。麻でできたシャツの襟の開きから、細い首と鎖骨が見えた。ローレンスのこぶしよりも小さい肩の骨は、母のぬくもりにすっぽり包まれるためにあるかのように見える。


「・・・えっと、6歳になったよ」


 そう言ってアルベルトは、いつまでも腰を上げないローレンスを、不思議そうに見る。


「そうか」


「あの・・・母上とお客様が待ってるよ」


 アルベルトは、不安になって、もう一度言った。


「ああ、いま行く。その前に、おまえに伝えておきたいことがあるんだけど、いいか?」


「なに?」


 アルベルトは、ローレンスの切り替わった雰囲気を敏感にキャッチし、姿勢を正す。


「ふっ。おまえは賢いな」


 ローレンスは、その様子を見て思わず口にした。


「アルは、これからどんどん大きくなって、もっともっと幸せになる。そして、おまえがいるだけで、周りのたくさんの人も幸せになっていく。思うことは、なんでもできて、叶っていくんだ」


「うん」


 アルベルトは、ヘーゼルの瞳を見て、真剣に耳をかたむける。


「でも、ひとつだけ、アルがどうやっても変えられないことがある」


「・・・?」


 アルベルトは、目をパチっとさせて、ローレンスの次の言葉に注意を向けた。


「それは、おれが、おまえを心から愛してるってこと。たとえ、この先、周りがおまえを悪魔にしても、英雄にしても、それだけは変わらない。いいな?」


 そう言ってローレンスは、アルベルトの返事を聞かないまま腰を上げた。そして、ぐ〜っと伸びをして、鼻からありったけの空気を肺に送り込み、内臓を全部出し切るように、口から吐き出した。


「さあ、行くか」


 ローレンスは、森の空気のような澄んだ笑顔を見せて、アルベルトに手を伸ばした。


「うん!」


 そう言ってアルベルトは、いつもよりローレンスの手をしっかり握り、家の方へ引っ張った。


「ローレンス、あとで騎士ごっこの続きをしたい!」


 アルベルトは、瞳をひとまわり大きく、輝かせて言った。


「ああ、いいぞ。今度も、おれが騎士で、おまえが山賊な」


 ローレンスは、ニヤッとして、からかうような顔を見せて言った。


「まあ、それでもいいよ」


 アルベルトは、素直に聞き入れた。


「ひひひ」


 ローレンスは、少年のような笑顔で森を出る。

 

 大空を斜めに割ったような急斜面の丘が目の前に現れた。岩肌がむき出しになって切立つ崖が向かい合わせになって、どこまでも連なっている。まるで、赤や黄、緑や青の絵具が、透明な水と見事に調和された、美しい水彩画のような風景が広がっていた。ふたりは、その中腹を横切るようにして、ぽつんと見えるオレンジ色の屋根に向かって、まっすぐ歩いていく。それは、不揃いの石を積んだ灰色の外壁に、木枠の小さな窓が埋められ、真正面からさんさんと太陽の光を浴びていた。ローレンスが、斜面の下の方に目をやると、昆虫のような馬車と、蟻のような、腰に剣を刺した数名の兵士が見えた。丘の裾に沿った蛇行する砂利道から、周囲に注意を払っている。


 アルベルトは、斜面に突き出したデッキに座るケイトの姿を見るやいなや、ローレンスから手を離して飛び込んでいく。


「母上、ローレンスを見つけたよ」


 そう言ってアルベルトは、ケイトを見上げ、ふわっとした薄いピンク色のスカートと、あたたかい腕に包まれる。


「ふふふっ。よくやった、アル」


 ケイトは目を細めながら、アルベルトをひざに乗せ、ほっぺにキスをした。



「久しぶりだな、ウィル」


 ローレンスは、フード付きのダークグレーの外套をまとうウィリアムに言った。


「お元気そうですね、エドワード騎士」


 ウィリアムは、いつものように、落ち着いた口調で答える。銅線のような鋭い目と、小柄で無駄な脂肪が一切ないからだは、以前よりも洗練されていた。


「ウィル、おれは、もう騎士じゃない」


 ローレンスは、肩でため息をつくように言った。


「そのわりには、なにも衰えていないようですが」


 ウィリアムは、ローレンスの肌と背景の境界線を見つめながら言った。


「そんなの、あたりまえだろ? なんで、剣の腕を落とさなきゃならないんだ?」


 ローレンスは、真顔で答える。


「あ・・・ああ、そうでしたね」


 ウィリアムは、ローレンスの感覚が懐かしくなり、口角をゆるめた。


「じゃあウィル、すぐ支度をする。待っていてくれ」


 そう言ってケイトは、アルベルトの手を引いて、家の中へ入っていった。


「はい、ケイト様」


 ウィリアムは、ケイトとアルベルトのうしろ姿を見て返事をした。



 急な斜面の草が風に踊り、真上の太陽に反射してキラキラ光る―――。



「結局、国境は2つしか越えませんでしたか。いいところですね。この家は?」


 ウィリアムは、心地よい風を感じながら静かに言った。


「ドナさんが酒場をやるようになって、全然使わなくなったからって貸してくれた。よくここがわかったな」


 ローレンスは、デッキに軽く腰かけ、少し、からかうような顔で言った。


「その酒場の町で、2、3人に聞き込みをしたら、すぐに教えてくれましたよ。相変わらず、どこでも人気者になってしまうのですね、ローランさん。いままで無事だったのが信じられません」


 ウィリアムは、眉を下げて、仕方なさそうに答えた。


「おまえが来たってことは、終わったんだな」


 ローレンスは、腕を組んで、落ち着いた声で言った。


「はい。3ヶ月前に、ガーネット王国が勝利し、トルタニアから不当に支配されていた国が、すべて返還されました。マリー王国に避難していたコルネイユの民の生活も、元通りになりつつあります。そして、王宮は、ケイト女王と、アルベルト王子を迎え入れる準備を、迅速に進めているところです」


 ウィリアムは、顔色ひとつ変えず、淡々と話す。


「アルは、王子として戻れるんだな?」


 ローレンスは、キッと鋭い目を飛ばして言った。


「はい。陛下が生前に、ケイト王女とコールマン団長のご成婚を公式に認められ、それを証明する書類を残しておかれました。コールマン家からも正式な署名をいただいていますので、アルベルト様は王子として認められています」


「ならいい」


 ローレンスは、目を閉じて、剣を鞘におさめるように言った。


「また、レナード騎士が、我が国に派遣され、ロイド団長と共に、国防の整備に当たってくれています」


「ユトさんは、どうしてる?」


 ローレンスは、ウィリアムの引き出しを選んで聞く。


「あの人は、騎士を辞めました」


「へ?」


 いきなり水をかけられたように、皮膚が飛び上がり、組んでいた腕がほどかれる。


「彼は、ダリー村のラム酒を筆頭に、各村々の特産物を引っ下げて、他国へ事業を展開する準備をされています。ケイト様が戻られたら、すぐにでもはじめられるような状態になっていますよ。ちなみに、ホセ騎士が、それに巻き込まれています」


「ははっ。あの人らしいな」


 ローレンスは、お腹を抱えて、吹き出して言った。


「忙しくなるから、早く帰って来いと、あなたに伝えるように言われ―――」


「ホセも無事だったんだな。よかった」


 ローレンスは、聞きたい話だけ耳に入れ、ほおをゆるませて言った。


「はい。あの日、前線で右目と左腕を失いましたが、後方にいたため、すぐに救護団の治療を受けられて助かりました。ユト騎士にこき使われながらも、元気でやっています。あなたを、とても恋しがっていますよ」


「・・・そうか」


 すると、頭の片隅にずっと沈んでいたものが浮き上がってきた。ローレンスは、のどの締めつけを感じながら、ふぅっと息を吐いて口を開く。


「なあ・・・ウィル。あの日、おれの牢屋の鍵を開けたのはおまえだろ? なんで、おれを起こさず、黙って行ってしまったんだ?」


 ローレンスの心臓が、静かに鼓動を速める。


「もし仮に・・・わたしがあなたを起こし、ケイト様を連れて逃げてくださいと言ったら、あなたは素直に聞いていましたか?」


 ウィリアムは、また眉毛を下げて、仕方なさそうに言った。


「・・・いや、聞いてないな」


 ローレンスは、フッと笑い、からだの力が抜ける。ウィリアムは、家の中から出てきたアルベルトに意識を向けた。


「おぉ、アル、かっこいいな」


 ローレンスは、アルベルトの首が詰まったフリル付きのシャツに、つやのある濃い青色のベスト、シワひとつない長ズボン姿に、目を行ったり来たりさせる。ピカっと光る革靴が、彼の気品を格段に上げていた。


「ローレンス、母上が、中に来て手伝ってほしいって。ぼくは、ここで待つように言われたから座ってるね」


 そう言ってアルベルトは、ちょこんとデッキに座った。ウィリアムは、銅線から目玉をのぞかせて、その立ち振る舞いをじっと見る。遠くの景色を眺める蒼いダイアモンドが、自然にウィリアムの背筋を持ち上げた。


「ウィル、こいつは、すっごく話を聞くんだ」


 ローレンスは、おもしろい生物を紹介するように、アルベルトを指さしながら家の中に入っていった。


「・・・そのようですね」


 ウィリアムは、フッと笑い、まぶたを落として言った。



「ケイト、なにを手伝えばいい?」


 ローレンスは、部屋の暗さに目が慣れないまま、ケイトの甘い香りと曲線美を頼りにして近づいていく。


「ウィルのやつ、ひとりでは着られないドレスを持ってきた。うしろの留め具を上に滑らせてくれるか?」


 そう言ってケイトは、腰まである長い髪の毛を耳の横で束ね、うなじから大きく開いた背中をローレンスに向けた。


「わかった」


 ローレンスは、しなりのある腰元の小さな金具を見つけ、上に移動させながら、繊細な金色の刺繍が施された厚手の生地を合わせていく。



 ローレンスのあたたかい指が、直接ケイトの肌に触れる―――。



「その様子じゃ、わたしたちといっしょに来る気はなさそうだな」


 ケイトは、一点を見つめ、胸の前で髪の毛を押さえたまま、静かに言った。


「うん・・・行かない」


 そう言ったローレンスの手元が途中で引っかかる。ケイトは、グッと揺さぶられ、胸が締めつけられた。


「ごめん」


 そう言ってローレンスは、やさしく金具を下げて、もう一度ゆっくり上に滑らせる。ケイトは、上の小窓から差し込む光の筋を見つめながら続ける。


「おまえと、アルといっしょにいてさ・・・今日は、なんの続きをしようかって、毎日、ワクワクしながら起きた」


 ローレンスは、一度金具から手を離し、両端の生地を引っ張って中央に寄せる。ケイトは、お腹を引っ込めて背筋を起こした。


「不思議だけど、ずっと雨が降り続いても、雨粒が葉っぱに弾いているのを見るだけで、いっしょに心が踊った」


 金具がスムーズに流れはじめ、左右の生地が合わさっていく。


「身を隠しているはずなのに、町の人と仲良くなって、仕事を頼まれたり、子供たちに読み書きを教えたりして、一日中、楽しいことをした。なにも気取らず、構えることも、背負うこともしてないのに、みんな喜んでくれて笑顔だった。すごく心があったかかった」



 差し込む光に部屋のほこりが反射して、ふたりは白銀の世界に包まれる―――。



「もし、それが幸せだって言うんなら、わたしは、身分や立場に関係なく、『ケイト』でそれを感じることができた。ずっと、クリスとおまえが、わたしに言ってくれてたこと、わかった気がするよ」


 ピタッと胸がドレスにおさまり、左右に別れていたものがひとつになった。そして、ローレンスの手が背中から離れる。ケイトは、束ねていた髪の毛をうしろに投げ、ローレンスを正面から見上げた。


「そんな『ケイト』が、これから女王や母をやるんだ。わたしも、みんなも、どんどん幸せになっていく。この先、なにが起こって、どうなるかなんて、だれにもわからない。でも、どこまでもやさしくて、思いやりがあって、愛にあふれている『ケイト』が決めていくなら、最後は絶対うまくいく。だから、なにも心配いらない」


 そう言ってケイトは、ローレンスの胸ぐらをつかんで、グイッと引っ張った。


「ケイ・・・っ!」



 ふたりの唇が重なる―――。



「ふふふっ。ありがとう、ローレンス」


 そう言ってケイトは、ローレンスを手放し、ウィリアムとアルベルトの方へ向かっていった。


「ケイト・・・」


 扉が開いた光の中に、大きく羽を広げたケイトが消えていく。それは、ローレンスの瞳に、すべてをあたたかく包み込む、美しい女神のように見えたのだった。




「え? ジュドさん⁉︎」


 ローレンスは、ケイトを待つ警備団兵の中にいた、ジュドを見つけて目を丸くした。


「よう、ローレンス。元気そうだな」


 ジュドは、斜面を下りてくるローレンスを、馬上から見上げる。ほおから首にかけて、大きな刀の傷跡があった。


「ジュドさん、無事だったんですね!」


 そう言ってローレンスは、砂利道にジャンプし、天真爛漫な顔をジュドに投げた。


「ははっ。おまえ、そんな顔もできたんだな。どおりで、ユトの調子が狂うわけだ」


 ジュドは、産まれたてのようなローレンスを両手で受け止め、穴が空くほど見つめて言った。


「警備団・・・になったんですか?」


 ローレンスは、ジュドの見慣れない服装を見て言った。


「まあな。バイロン団長もいなくなったことだし、警備団を希望した」


「へ? バイロン団長が?」


 ローレンスは、小石につまずくように反応する。


「ま、今日は、おまえのその顔、見れてよかったよ。やっぱ、さすがだ」


 そう言ってジュドは、気持ちよく会話を切り上げ、ローレンスに背を向けた。


「あ、ジュドさん、おれも会えてよかったです!」


 ローレンスは、バイロン団長から、ジュドの背中に意識を切り替え、しっかり聞こえるように言った。


「おっ、おう・・・」


 そう言ってジュドは、熱を帯びる耳の始末に困りながら、仕事に戻っていった。



 ウィリアムは、馬車のステップの横で周囲を警戒しながら、ケイトが乗り込むところを見届ける。そして、警備団兵は、馬車を囲うようにして配置につき、出発の準備をした。


「アル、元気でな」


 そう言ってローレンスは、身をかがめてアルベルトを抱きしめた。か細い首から、赤ん坊のような匂いがする。アルベルトは、いつもと違う雰囲気を感じ取りながら、短い腕をローレンスの大きな背中にまわす。


「・・・うん」


 そして、ただ、素直に返事をした。ウィリアムは、アルベルトを馬車に乗せ、そのあとに続いて自分も乗り込んだ。


「いつか、また遊びに行く」


 ローレンスは、馬車の小窓からのぞくケイトに向かって言った。


「ふふふっ。そのときは、国賓級の扱いをしてやるから、覚悟しとけ」


 そう言ってケイトは、最後まで、ローレンスを手のひらに転がせて楽しんだ。


「わ、わかった」


 ローレンスは、思わずあごを引いて返事をした。



 馬車がゆっくり動き出す―――。



 ローレンスは、風景と一体になって、風に揺られながら右手を大きく振る。



「・・・っ! ローレンス! そのときは、騎士ごっこの続き、しようね!」



 アルベルトは、たまらず窓から顔を出して、小さくなっていくローレンスに向かって叫んだ。蒼いダイアモンドから、あふれる大粒の涙が風に乗って横に流れる。



「おう! それまでに、ちょっとは腕を上げとけよー!」



 ローレンスは、少年のように明るく元気な声を出して言った。



 アルベルトは、そのまま母の胸に飛び込んだ。ケイトは、小さく震えるアルベルトをやさしく抱きしめ、胸からあふれ出すあたたかい光りで包み込む。



 そうして馬車は、折り重なる美しい自然の一部となり、ゆっくり消えていった―――。

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