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第11話:ケイトとローレンス

 コルネイユの丘は黄昏に染まり、空から一番星の光が地上に届く―――。



 ローレンスは、胸元の開いたラフなベージュのシャツに着替え、ケイトのうしろから手綱を握る。馬の敏感な感性と呼吸を全身で受け止めながら、速足のスピードを一定にあやつる。ケイトは鎧を脱ぎ捨て、ローレンスの体温を背中で感じながら、鞍の縁を握っていた。うしろでまとめた髪の毛が、首筋にかかり、肌が透けて見える白いシャツに入り込む。


「ケイト、念のため、もう少し走らせようと思うけど大丈夫?」


 ローレンスは、耳元でピューピューと鳴り続ける風の音をかきわけながら、ケイトに声を届ける。


「ああ。大丈夫だ」


 ケイトは、顔を斜め上にして、風に乗せて返事をした。



 上弦の月がふたりの背後で存在感を現し、大地を大海原にして、感情を揺らしはじめる。



「・・・西の最果てから船に乗って、なん日も航海してたどり着く、小さな島」


 ケイトは、月明かりで並走する、自分たちの背の低い影を見ながらつぶやいた。


「・・・そこに行きたいの?」


 ローレンスは、風に乗って聞こえてくる声に、手綱を握る手に力を入れて反応した。


「・・・いや、そんな島はない」


 そう言ってケイトは、無数の星が降り注ぐ空を見上げる。


「へ?」


 ローレンスは、いつの間にか首にまかれていた縄で引っ張られるように、進んだ意識を制止させられる。


「身分や立場に関係なく、毎日ワクワクしながら起きて、周りで起こることすべてを、美しいと感じながら、日が沈むまで楽しいことをする。それでいて、みんなが幸せに暮らせる島・・・」


「いいな、それ。ないのか?」


 ローレンスは、反射的に言った。


「ない。だから、コルネイユをそんな国にしたかった。まったく・・・実行力のない王女だ。なのに、皮肉だな。こんな形で、どれだけみんなから守られて、大事にされていたかに気づくなんて」


「ケイト・・・?」


 ローレンスは、少し身構える。


「王女なのに国を見捨て、団長なのに責務を放棄して、娘なのに父上を置き去りにしたわたしを・・・」


 ケイトの話す調子が、半音ずつ下がりながら詰まっていく。


「ケイト」


 ローレンスは、光が届かない真っ暗な森の中に入っていくケイトを、呼び止めるように言った。


「なんで・・・っ!」


 ケイトは、背中を折りたたみ、ひび割れるような声を出した。


「ケイト」


 そう言ってローレンスは、静かに馬を止めた。そして、手綱から手を離し、ゆっくり馬から降りる。


「ケイトも降りて」


「・・・・・・?」


 ケイトは、ローレンスが差し出した手を握り、地上に足をつける。



「少しの間、抱きしめていい?」


 

 甘く、透き通った声―――。



 そう言ってローレンスは、ゆっくり両腕でケイトを包んでいく。ケイトは、いままでのローレンスとは違った声に吸い込まれ、気がついたら彼の腕の中にいた。



 また、ローレンスの吐息が耳に触れる―――。



「もう、うそをつくのは、やめよう」


「うそ・・・?」


 ケイトの心臓が、ドクンと動いた。


「どうして、国や責務や親のことが出てくるんだ」


 ローレンスは、顔を曇らせながら言った。


「どういうことだ・・・? そんなの、あたりまえじゃないか。わたしは―――」


「君は、『ケイト』だろ? いま、君が本当に感じていることは、なに?」


 ローレンスは、ピッタリからだが合わさるように抱きしめ続ける。


「・・・・・・」


 ケイトの肩が、小さく震えはじめ、呼吸が荒くなってきた。


「もし、それを感じて、立ち止まることが、弱いことだと思ってるなら大間違いだ」


 ローレンスは、ケイトを落ち着かせるように、やさしく耳元でささやく。


 ケイトの視界がぼやけ、長いまつ毛が濡れて、大粒の涙がほおを伝う。


「その涙は、なに?」


「この涙は・・・」


 のどが熱い。ケイトの胸が張り裂ける。いままで取り繕っていたものが、大きな音を立てて崩れ落ちていく。


「クリスが・・・もう、いない・・・っ! ずっと、そばにいるって・・・言ったのに・・・っ!」



 そして、ケイトは、幼ない子供のようになって、大声で泣き叫んだ―――。



 ローレンスは、ケイトのすべてを包み込むように、ギュウっと抱きしめる。ケイトの、耐えがたい、のどを焼くような声が、果てしなく広がる夜空の星にばらまかれ、小さく小さく消えていった。



 いつの間にか、月に照らされた大海原の大地は、ふたりをおだやかな波に乗せていた。



「それでさ、ケイト」


 ローレンスは、ケイトが落ち着いてきたところで声をかけた。ケイトは、ほおを濡らしたまま、とかれた腕から、ローレンスの顔をまっすぐ見る。


「本当は、ケイトが、君自身を抱きしめてほしい」


 ローレンスは、ケイトの細い肩に手を置き、少し背中を曲げるようにして、目線を同じ高さにして言った。


「君だけが知ってるんだ。王女として、団長として、どれだけ国のためを思って、どれだけがんばったか」


 その声が、あたたかみを帯びながら、ケイトの胸に染み込んでいく。


「君だけがずっと見てたんだ。うまくいかなくて、たっくさん辛い思いをして、悔やんで・・・それなのに、どれだけ平気なフリをして強がっていたか」


 ローレンスは、おだやかに、ケイトの胸の奥に向かって声を届ける。ケイトは、魂が吸い込まれていくかのように、じっとローレンスを見つめる。


「もし、いま、もっとできたんじゃないかって、自分を責めてるんだったら・・・それは、君が、どこまでもやさしくて、思いやりがあって、愛にあふれているからだ」


「へ・・・?」


 ケイトは、天地がひっくり返るほどの衝撃を覚える。


「じゃないと、そんな風に思わないだろ? それって、すごく美しいし・・・かわいい。クリスさんが君を愛した理由がよくわかる」


 ローレンスは、胸のあたたかい灯で、『ケイト』を照らす。その明かりは、ケイトの胸の内側に入り込み、光が膨れ上がるように、ふたりの間で輝いていく。


「大丈夫。陛下やロイドさん、バイロンさんも、だれひとり、君を責めてなんかいないし、犠牲にもなってない・・・ってなるわけないじゃないか。あれほど、自分でどう生きるか決めてきた人たちが」


 思わず顔ぶれを並べたローレンスは、会議に出席するような気分になってしまった。


 ケイトに、その波動が伝わる。


「ぷっ・・・! まさか、こんな風に、おまえになぐさめられるとはな」


 ケイトは、思わず吹き出した。そして、両手のひらを自分のほおに当て、途切れた涙を一気に吹き飛ばした。


 ローレンスは、月の光に照らされた明るいケイトの笑顔を確認し、口元をゆるませて、馬に足をかける。



「待て、ローレンス。おまえは大丈夫か?」



 ケイトは、ローレンスにつけた縄を引っ張るように言った。


「おれ?」


 ローレンスは、不意打ちをくらったように、目を丸くして振り返る。


「大好きなクリスは、おまえをかばって逝ったんだろ?」


 ケイトは、やさしい顔をして、自分の心に現実を落とし込むようにして言った。


「・・・・・・」


 ローレンスは黙った。そして、足を地上に下ろし、馬にもたれかかって腕を組む。ケイトは、そのローレンスの横顔をじっと見つめる。


「クリスさんは・・・勝手な人だ。命を顧みない戦い方は許さないとか、おれを絶対に死なせないとか言っておきながら、自分はいいんだ。すごく腹が立った」


 ローレンスは、小さく口を尖らせて言った。


「へ・・・?」


 ケイトは、予想外の反応に、瞬きを忘れてローレンスを二度見した。


 ローレンスは、小さくため息をつく。


「おれは、バカなことをした。クリスさんと君の関係を知ったとき、どうしていいかわからなくなった。ちゃんと大切な人を守って、幸せを手にするクリスさんに嫉妬して、エイミーを守れなかった無力な自分に、もう、耐えられなくなった。それで、クリスさんを勝手に悪魔にして、どうしようもない怒りをぶちまけた。それが最期になるとも知らずに・・・」


「ローレンス・・・」


 ケイトの胸がじわっと熱くなり、胸の内を包み隠さず話すローレンスに心が引き込まれていく。


「でも、ほんとは・・・」


 ローレンスは、真上で流れる星をぼ〜っと眺める。


「ほんとは?」


 ケイトは、次の言葉に身構えるように言った。


「寂しかったんだ。あの人、君のことを、おれに話してくれなかった。おれは、もう相手にされず、いっしょにいられなくなるんじゃないかって・・・不安になった。だぶん、これが、ほんとの気持ち」


「おまえ・・・かわいいやつだな」


 ケイトの胸がきらめいて、そのまま飛び出しそうになった。ローレンスは、降り注ぐ星を、全身で受け止めながら続ける。


「騎士団は、いまを生きる精鋭部隊。クリスさんは、どんなときも、いま、自分が本当に大切にしたいと思ったことを選んでやってきた。だから、きっと、おれを守ったのも、そのひとつだった」


 そう言ってローレンスは、視線を地上に下ろし、雑念のない、すっきりした顔をケイトに向けた。


「どれだけあらがっても、クリスさんが決めてきたことは、おれには変えられない。だったら、おれは、クリスさんからもらった、たくさんのやさしさや愛情を、全部感じて、全部受け止めようと思う」


 そして、月の明かりと、取り込んだ無数の星で、澄んだヘーゼルの瞳を光り輝かせる。


「クリスさんと過ごした時間は、本当に、本っ当に楽しかった。あの人と出会って、いっしょにいるって決めてきたおれは最高だ。だからさ、おれは大丈夫・・・って、ケイト、怒ってる?」


 湿気る海のような顔になったケイトを見て、ローレンスは、光る湖で気持ちよく泳いでいたところから、岸に上がった。


「・・・なんだよ、せっかく今度はわたしがなぐさめてやろうと思ったのに」


 ケイトは、ツンとして目をそらした。


「へ?」


 ローレンスは、経験のない会話の調子で思考回路が停止する。


「ふふふっ。冗談だよ」


 ケイトは、大事な宝物を包み込むように、背中を丸め、お腹に手を当てて言った。


「へ?」


 ローレンスは、どさっと肩が落ちるように力が抜ける。


「言っておくが、ローレンス。クリスはな、おまえを守りたいから、おまえを最強騎士にして、団長にしたんだぞ」


「へ?」


 今度は、ケイトの突拍子の言葉で、混乱の糸がからだ全体に絡まって動けなくなった。


「クリスは、言葉にはしなかったけど、何度も自分をかばって、おまえが怪我をしていく姿を、もう見たくなかったんだ。だから、なんとかして、自分と任務が重ならないような場所に、おまえを置こうとした」


 ケイトは、手の届かないかゆい部分に爪を当てるように、はっきりと言った。


「・・・・・・」


 ローレンスは、ときが止まったように、その場で立ち尽くす。


「でも、団長になったらなったで、おまえは素直だから・・・任務遂行が最優先になってしまった。なにが楽しくて、なにが悲しいのかも、わからなくなってるって、めずらしくぼやいてたのを覚えてる」


「ケイト、もしかして・・・」


 そう言ってローレンスは、ゆるやかにほどけていく糸と共に、開かずの扉に手を伸ばす。


「ああ。だからクリスは、おまえに剣を持たせず町に出したんだ。ただ、思い出してほしかったんだよ。おまえの大切な感情を。クリスも、ああ見えて、おまえがほんとに王宮に来たとき、すっごくうれしかったんだ。そして、そういうのを、おまえが感じられなくなって、忘れていくのを見たくなかった」


 そう言ってケイトは、やさしい笑みを見せた。


「クリスさん・・・」


 ローレンスは、からだの力が抜けて、なんとも言えない安心感に包まれた。


「でも、ほんとに大丈夫みたいだな。あいつの想いは、おまえに十分伝わってるみたいだ。ということで、はやく乗ってくれ。もう少し進むんだろ?」


「へ?」


 ローレンスが慌てて顔を上げると、ケイトは、いつの間にか馬にまたがっていた。


「う、うん。わかった」


 そう言ってローレンスは、調教された馬のように従うのだった。

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