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第10話:氷の悪魔と最強騎士

 目の前が、ぼんやりと明るい。ゆっくり、まぶたを上下に動かすと、まつ毛に乗った砂利がボロボロと落ち、視界を遮ってきた。口の中が干からびた湖の底のように乾いている。全身が鉛のように重い。もうろうとする意識の中、薄い青空と白い雲が見えた。それは、か細いシルクの糸が、小さな束になって浮遊するような、どこかもの悲しい雲だった。



「はっ・・・!」


 ローレンスの細胞が一斉に瞬きをした。


「まだ動くな、ローレンス。やられたフリをしてるんだ」


「・・・クリス・・・さん・・・?」


 ローレンスは、どこからともなく聞こえてきたコールマン団長の声を、唯一、動く眼球で探す。同時に、集団で地面を踏み締める音が、すぐ耳の近くで聞こえてきた。




 ローレンスの細胞は、また眠りにつくように、静かに意識を遠ざけていく―――。




「はっ・・・!」


 今度は、勢いよく上半身を起こした。


「・・・うぐっ」


 耳の管が奥に引っ張られるような痛みに襲われ、甲高い音が頭に響く。しばらく、右手で、頭をわしづかみにするようにしてやり過ごした。



「・・・っ! そうだ・・・っ! クリスさん!」


 ローレンスは、あたりを見渡す。草花が根こそぎはがされ、地表は、濃い茶色の土がむき出しになっていた。おぞましく変わり果てた姿の団兵は、皮膚から飛び出した骨が絡まり合うように重なって転がる。チリチリと焦げた人肉の匂いが鼻をついた。徐々に、ローレンスは、自分の左半身に、ずっしりとした重みを感じる。


「・・・⁉︎」


 ローレンスがからだをひねると、なにかがどさっと地面に滑り落ちた。



 コールマン団長が、ぐったりと横たわる―――。



「クリスさん⁉︎」


 ローレンスは、そのままゆっくりコールマン団長の全身に目をやった。


「・・・っ!」



 ローレンスは、言葉を失う―――。



 コールマン団長の額が、帯のようなドス黒い血と煤に染まっている。大量の吐血のあとに、亀裂の入った鎧の隙間から、おさまり切れなくなった血が、容赦なくしたたり落ちる。いくつもの鉄の破片が背中に刺さり、左の脇腹からは、折れた刃物のようなものが突き出していた。


「ローレンス・・・無事か・・・?」


 コールマン団長が、横たわったまま、小さな声で言った。


「ク・・・クリスさん! あっ・・・足っ・・・足が・・・っ!」


 コールマン団長の左足が、付け根から失われていた。ローレンスは、からだが硬直し、その場で動けなくなる。


「まさか・・・おれを・・・かばったんですか?」


 ローレンスは、声を震わせて言った。


「ふっ・・・前に・・・言ったろ? おまえは・・・絶対に死なせない・・・って」


 コールマン団長は、小さく微笑みながら言った。


「そんな・・・っ! なんでおれなんかを・・・」


 ローレンスの心臓が、破裂しそうなほど鼓動を速める。


「ローレンス・・・もう・・・これ以上・・・自分を傷つけないでくれ」


 コールマン団長は、顔を曇らせて言った。


「へ?」


「おれなんか・・・って、言うんじゃない」


 コールマン団長は、目を閉じて、かすれる呼吸を整える。


「クリスさん! しっかりしてくれ!」


 ローレンスは、まるで雪崩の中で消えていくコールマン団長を、必死につかもうとする。


「辛い思いを・・・させて・・・悪かった・・・っ! ごほっ! ごほっ!」


 コールマン団長のからだは、残された時間を伝えるように攻め立ててきた。


「・・・っ! クリスさん! クリスさん!」


 ローレンスは、ただ、ただ、苦しむコールマン団長の名を叫び続ける。


「さっ・・・最期にいいか? これは、命令ではない・・・。もし、おまえが・・・やってもいいと思うなら・・・で構わない」


 そう言ってコールマン団長は、ゆっくり左手をローレンスに伸ばす。


「やっ、やめてくれ! いやだ! 最期なんて言うな!」


 ローレンスは、すぐにその手を両手で握り締める。


「王宮の・・・隠し通路は知ってるな? 陛下のことだ・・・おそらく、王の間に・・・とどまっているだろう。そこに・・・ケイトもいる」


 ローレンスは、話を続けるコールマン団長の瞳を、まるで腸がえぐられるような苦しい顔をして見つめる。


「ケイトを連れて、逃げ切れるまで・・・逃げろ・・・」


「にっ・・・逃げるって・・・どこへ・・・?」


 ローレンスは、予想外の言葉に混乱する。


「西へ・・・。あとは・・・好きにしていい」


 コールマン団長の、一欠片の氷が溶けて消えていくような声は、ローレンスの心を焼くように痛めつけた。


「いやだ! そんなこと言わないでくれ! おれはクリスさんと―――」


「ローレンス・・・おまえなら・・・大丈夫だ」


 コールマン団長の呼吸が、やせ細っていく。ローレンスは、つなぎ留めるように、コールマン団長の手を握り直した。


「クリスさん! もういい! しゃべらないでくれ!」


 ローレンスの胸が張り裂け、のどにヒビが入ったように、声が割れた。



「ケイトと・・・お腹の子を・・・たの・・・む」



「・・・っ! そんな・・・っ! なにを言って―――」


 コールマン団長の声が、まるで、溶け切った氷が蒸発するように消えていく。蒼いダイアモンドは、力ないまぶたに半分おおわれ、ゆっくり、石膏のように白く濁って光を失った。


「・・・っ! ・・・っ!」


 ローレンスは、肩を大きく動かして息を吸う。そして、ゆっくり、空っぽになったコールマン団長の手を、びしょ濡れになったほおに当てた。




 ローレンスは、のどから血が出るほどの叫び声を上げる―――。




 こめかみに血管が破裂しそうなほど浮かび上がり、眉間に稲妻が走るように、シワが集まる。からだは重力に押しつぶされるように折り曲がり、止めどなく流れる涙が鼻水と混じって、むき出しになった地表を濡らす。そして、その絶叫は、遠い遠いコルネイユの丘を越えて、尾を引きながら消えていく。



 か細いシルクの糸状の雲は、裾が広がった川のように姿を変えていた―――。



 ローレンスは、コールマン団長に刺さった無数の鉄くずを、ひとつひとつ取り除きながら、ほおの涙をぬぐう。大きな木の枝が折れるように首を落とし、心がどこか遠いところにさまよって、戻ってくる気配がない。


 最後に、息を止めて、コールマン団長の脇腹に刺さった折れた刃を引き抜いた。


「・・・っ! はぁ・・・はぁ・・・はぁ・・・」


 ローレンスは、座り込んで天を仰ぐ。


「・・・・・・」


 大きな鳥が翼をひろげ、優雅に弧を描いていた。上から舞い降りてくる風が、あちこちに跳ねた髪の毛を揺らし、濡れたほおをゆっくり乾かす。


「・・・クリスさん、この前は・・・ごめん」


 ローレンスは、天を仰いだまま、薄い青空の一部になったように、ぼんやりと言った。


「ほんとは、クリスさんを悪魔だなんて思ってない。でも・・・そう思ってしまった方が楽だったんだ」


 乾いたはずの目の際に、また水が溜まりはじめ、雲と空の境界線がぼやける。


「エイミーを守れなかった、どうしようもない自分を・・・悪魔のせいにしてしまえば、許せるんじゃないかって・・・っ!」


 涙が、氾濫した川のように、一気に耳の穴へ向かって流れる。



『ケイトと・・・お腹の子を・・・たの・・・む』



 同時に、コールマン団長の声も、意識に流れ込んできた。


「なんで・・・そんな大事なことを・・・おれに・・・」



『クリスさんは、おまえのことが好きで、大事に思ってて、どこまでも信頼してるんだ』



 今度は、ユトの言葉が、頭を殴るようにして入ってくる。



「・・・おれは、そんなことに、いまごろ気づくのか?」



 浮遊していた魂が、元の器を見つけたように、からだの感覚が戻ってくる。同時に、腹の底で、怒りに似たエネルギーが増殖し、熱くなってきた。



 その熱は、ゆっくりローレンスの血液に浸透していく―――。



「おれは、無力で、無様で、不器用だ。でも・・・それが、おれだ。とどめを刺せない、やさしすぎる騎士でなにが悪い。それを悪くしてたのはおれ自身だ・・・。ごめんな」



 すると、ずっと黙ってこちらを向いてたたずんでいた、もうひとりの自分が微笑んだ。その瞬間、ローレンスは目を見開き、熱せられた血液が手先まで一気に運ばれる。



「クリスさん、どんなおれでも、好きでいてくれてありがとう」



 胸に力強い炎が宿り、あたたかくなる。そして、前頭部に電気が流れるように、頭が冴え渡った。



「ケイト団長のことは、おれに任せろ」




 澄み切ったヘーゼルの瞳は、王宮に向けられ、剣と共に力強く大地を蹴った―――。




 ローレンスは、隠し通路につながる扉から、王宮中央・王の間へ侵入した。高い天井から差し込む太陽の光が、空間を漂う細かいほこりを照らす。松明は消され、2階なのに地下にいるように薄暗かった。大きな柱が連なり、ダークグレーの大理石が敷き詰められている。ケイト団長を筆頭に、数十名の警備団兵が血走った目をして、正面の出入り口に向かって剣を抜いて身構えていた。下の階から、敵兵と交戦する第4騎士団と警備団兵の声が、まるで大波が岩に叩きつけられるようにとどろいて聞こえてくる。王の間の中心に敷かれた厳かな深紅の絨毯は、警備団兵の足で乱暴に踏みつけられていた。その奥に、玉座に座る国王の姿が見える。そばにロイド団長が剣を抜いて立っていた。



 ローレンスは、出入り口に近い柱の陰から、剣を抜いて静かに姿を現す―――。



「ローレンス⁉︎ おまえどうやってここに⁉︎」


 一番近くにいたケイト団長が、剣を鞘におさめ、ローレンスに駆け寄った。女性のからだをかたどった鎧を上半身にまとい、うしろでひとつにまとめた髪が、しなりのある背中をおおう。警備団兵は、ケイト団長の様子を見ながら、いつでも踏み込める体制に入っていた。ロイド団長は、玉座に座る国王の横で、警備団兵の隙間からローレンスの姿をとらえる。


「おまえ、その血・・・なんてひどい怪我をしてるんだ・・・っ!」


 ケイト団長は立ち止まって、ローレンスの真っ赤に染まったシャツを見て言った。


「これはすべて・・・クリスさんの血です」


 ローレンスは、目の前のケイト団長に答えながら、鉛のような視線を送ってくる警備団兵の立ち位置を確認する。


「え・・・クリスの・・・?」


 ケイト団長のからだが、冷たい鉄の鎧と同化したように固まった。


 ロイド団長は、眉間にシワを寄せながら、遠目でふたりの様子を見つめていた。


「ロイド団長! 陛下とケイト団長を連れて早く避難して下さい! 前線の騎士団は全滅しました! 下のバイロン団長たちが突破されるのも時間の問題です!」


 そう叫びながらローレンスは、次の行動を頭の中で巡らせる。


「陛下のご意向だ! 我々は、この場に残り、この国と運命を共にする!」


 ロイド団長は、厳しい顔をして、全員に聞こえるように言った。


「ローレンス、クリスは・・・?」


 そう言ってケイト団長は、ゆっくり足を引きずるように、ローレンスの目の前まで近づく。そして、小さな息を吐きながら、身を折り込むようにして、ローレンスの赤いシャツに手を当てた。


「クリスさんは、砲撃からおれを守って・・・息を引き取りました」


 ローレンスは、静かに答える。


 国王は、ゆっくり玉座から立ち上がり、ロイド団長の肩に、うしろから手を置いた。


「陛下・・・」


 そう言ってロイド団長は、深紅の絨毯を歩きはじめる国王のすぐ斜めうしろをついていく。警備団兵は、近づいてくる国王に、こぞって道をあけた。


 ローレンスは、接近する国王を見ながら、ケイト団長の手を自分のシャツからそっと離した。そして、亡霊のように青ざめるケイト団長を左半身で感じながら、一歩前に出て、部屋の中央で立ち止まった国王を直視する。


「第2騎士団団長・ローレンス・エドワード。まだ、お主の処分を申してなかったな」


 国王の声は、下の階から聞こえてくるおびただしい数の叫び声を、堂々と通り越してくる。


「・・・・・・」


 ローレンスは、剣を下ろしたまま、黙って国王の言葉に耳を傾ける。ロイド団長の鋭い灰色の瞳が、あたり一帯に緊張感を漂わせ、ふたりだけの空間を約束する。


「ただいまをもって、貴様をコルネイユ王国・第2騎士団団長の座より解任する。よって、ただちに、この王宮から立ち退くことを命ずる」


 国王の声は、王の間全体に響き渡った。


「・・・・・・」


 ローレンスは、ひとり、吹きさらしになった草原の中で、立ち尽くすようにして黙り込んだ。 


「早くしろ、ローレンス。命令だ」


 ロイド団長は、ピンと張った糸を切るように言った。


 ローレンスは、流れ落ちる前髪が、ヘーゼルの瞳をおおい隠すまで下を向く。そして、右手で剣を握っている感覚を確かめ、ゆっくり口を開いた。


「わかりました。では・・・」


 そう言ってローレンスは、そばにいたケイト団長の首筋に、勢いよく腕をまわし、動きを封じて剣の刃を細い首に当てた。


「ケイト団長もいっしょに来てもらいます」


 そう言ってローレンスは、国王とロイド団長に突き刺すような視線を送る。


「ローレンス! どういうつもりだっ!」


 ロイド団長は、反射的に国王をうしろに下げて叫んだ。まわりの警備団兵は、一斉に剣の切っ先をローレンスに向ける。


 ケイト団長は、気道を確保しながら、ローレンスを見上げる。ローレンスの額から、じわっとにじみ出る汗と、澄んだまっすぐな瞳が、ケイト団長のからだをゆだねさせる。


 ローレンスは、ケイト団長を、向けられた無数の刃の先端から外すように、自分の右肩を前に出す。そして、ロイド団長と警備団兵から目を離さず、ケイト団長の耳元でささやいた。


「申し訳ありません。この方法しか思いつきませんでした。わたしは、いまからあなたをここから連れ去ります。でも、その前に、あなたの意志を聞いておきたい。もし、いやなら強要はしません」


「ローレンス、おまえ・・・」


 ケイト団長は、ローレンスの妙に落ち着いた声に吸い込まれる。


「教えてください。ケイト団長は・・・いや、『ケイト』はどうしたいですか?」


 ローレンスは、自分の剣に映り込む、ひとりの女性に向かって言った。


 国王は、微動だにせず、ふたりの姿を見つめ、ロイド団長は剣をローレンスに向けながら、片手のひらを警備団兵の方にやって、静止の命令を下していた。



 ケイト団長の脳裏に、白いベランダの風が流れ込む―――。



『なあ、クリス。もし、な〜んでも好きなことをしていいって言われたら、なにをしたい?』



 ケイト団長は、ギュッと目を閉じて、白いベランダに広がる光の草原を断ち切った。


「やめろローレンス。わたしは、この国の第3王女だ。こんな形では―――」


「第3王女? おれは『ケイト』に聞いてるんだ」


 ローレンスは、間髪入れずに言った。ローレンスは、向けられる切っ先を正面から浴びながら、下の階から聞こえてくる荒々しい声の接近に注意を向ける。


「わかっているのか? わたしといたら、ずっと追われる身になるんだぞ。もし、クリスの言いなりになっているのなら・・・やめておけ」


 ケイト団長は、咲きかけたつぼみを茎から折るようにして、心を閉ざして言った。


「・・・確かに。おれは、どこまでもクリスさんの言うことをしたい。でも、言いなりじゃない。あの人はおれに、あなたを連れて“逃げろ”と言った。きっとその先に続きがあるからだ。あるんでしょ⁉︎ あなたとクリスさんが目指した場所が! おれが見てみたいと思ったんだ! 行きたいと思ったんだ! これは、おれの意志だ! クリスさんと出会った日から、ずっと変わらない、おれの意志だ! だから・・・」


 そう言いながらローレンスは、ケイト団長の耳元に、吐息が感じられるほど唇を近づけた。



「あなたは『ケイト』でいることに心配しなくていい」



 ケイト団長は、全身のうろこが一気にはがれるように目を見開いた。



 そして、心に、白いベランダで溶かした氷の声が響く―――。




『ケイトの行ってみたい場所、おもしろそうだな』




「ローレンス、もう、バカなことは終わりにしよう」


「へ?」


 ローレンスは、警備団兵から一気に目を切るように、ケイト団長を見下ろした。


「わたしは、ここで捕まるわけにはいかなかった。こんな形で国を終わらせられない。力を貸してくれないか? わたしを守ってくれ」


 そこに、霧が晴れて、光り輝く草原の瞳があった。ローレンスは、口角を上げて小さくうなずく。



 直後、ロイド団長が、勢いよく踏み込んできた―――。



「・・・っ! ロイドさん!」


 ローレンスは、すぐさまケイト団長をほどき、両手で剣を握って構えた。


「行け、ローレンス。ケイトさんのことは任せた」


「へ?」


 ロイド団長の凪のような声が、すれ違う瞬間に耳をかすめる。ロイド団長は、王の間に侵入してきた敵兵を斬り、警備団兵は、そのあとに続いて一斉に突進する。


「・・・っ!」


 ローレンスは、すべてから目を切ると同時に、ケイト団長の手をつかみ、隠し通路の扉に向かって走った。ケイト団長は、ローレンスに引っ張られながら、中央にたたずむ国王が視界に入る。



 唇をほころばせ、やわらかい瞳でこちらを見ていた―――。



 瞬く間に、束になった警備団兵の進攻が、舞台の幕を引くように、父の姿を消した。ケイト団長は、大粒の涙を落として、ローレンスの背中に視線を移す。濡れたままの瞳は、狭い入りくんだレンガというレンガの中に入り込み、ただ、ひたすらローレンスのあとを追いかける。


「ケイト団長、こっちです!」


 両手を伸ばせるくらいのひろい通路にさしかかったところで、ローレンスがこちらを向いて待っていた。


「ローレンス、さっきみたいに『ケイト』と呼べ。堅苦しい話し方もなしだ。おまえは、団長でも王女でもない、女を連れてるんだろ?」


 ケイト団長は、立ち止まらず、ローレンスを追い越して言った。


「へ?」


 ローレンスは、冷水をかぶったように、ケイト団長のうしろ姿を見た。思いのままにしゃべった記憶がよみがえり、ゴクっと唾をのみ込んだ。


 ふたりは、あちこちに散らばる分岐を通過していく。ローレンスは鳥のように螺旋階段へ舞い降り、ケイトは、壁に手を添えながら、一段飛ばしで駆け降りる。そのまま、ローレンスに続いて、最後の3段をジャンプして着地した。うしろでひとつにまとめた髪の毛も、ふわっと時間をおいて背中に降りる。


「じゃあ・・・ケイト。ここからしばらく一本道で、おれたちは、西に向かってる。このままいけば、日没までには地上に出られるから・・・」


 ローレンスは、少し気詰まりを感じながら、ケイトの言われたとおり、口調を切り替えて話した。同時に、聞こえてくる追っ手の足音に耳を澄ます。


「・・・このスピードでいける? 大丈夫?」


 ローレンスは、ケイトと並走して、興味本位で聞いた。


「大丈夫だ。問題ない」


 そう言ってケイトは、駆ける足と呼吸のバランスを整えることに集中する。


 その反応を見たローレンスは、また口角が上がる。


「それにしても詳しいな。こんな通路、わたしでも知らないのに」


 ケイトは、乱雑でむき出しになったレンガを見渡しながら言った。


「うん、団長になったとき、クリスさんに教えてもらったんだ」


 そう答えながら、ローレンスの神経は、後方に研ぎ澄まされていた。


(さて・・・足音からして、追っ手は10人ほど。どうする、このまま撒いてしまうか?)


 ローレンスは、左手を剣の鞘に当てて、頭を巡らせる。


「よし、決めた! ケイト、先に行っててくれ。おれは、ここで追っ手を仕留める。すぐに追いつくから!」


 そう言って、ローレンスは後方を向いて剣を抜いた。


「いや、ローレンス、そうもいかない」


 ケイトも、すぐ先で止まり、前方を向いたまま剣を抜く。


「へ?」


 ローレンスは、ケイトが視線を送る先を見て、全身を突き刺されるような恐怖が襲った。毛穴という毛穴が全開し、剣を握る手から大量の汗が吹き出す。


 そこには、頭のてっぺんからつま先まで、甲冑に身をまとった者が通路をふさいでいた。鈍い光を放ちながら、矢の切っ先のようなシャープな三角形の配列で整列している。


「・・・っ! おまえら、なに者だ!」


 ローレンスは、すぐさまケイトの前に出て言った。脈拍が一気に速まり、凍てつく血が足をすくませる。



「久しぶりだな、ローレンス・エドワード。あいかわらず、威勢だけはいい」



 先頭にいた甲冑の中から、聞き覚えのある声が聞こえた。ローレンスの心臓が飛び跳ねる。


「レナード!」


 ケイトは、切り込むようにローレンスのうしろから叫び、甲冑の集団に駆け寄っていった。


「ちょ、ちょっと! ケイト!」


 ローレンスは、一度跳ねた心臓の処理が追いつかないまま、ケイトのあとに続く。


 三角形の頂点にいた兜は、ケイトを前にしてはがれた。


「・・・っ!」


 ローレンスは、一瞬のどを締めつけられる。微笑する口元に、きれいに通った鼻筋、つやのある白銀の髪と、灰紫の水晶の瞳は、コールマン団長の残像を、ローレンスの胸に容赦なく流し込んできた。


「レナード、どうしてここに⁉︎」


 ケイトは、レナードを近くで見上げながら言った。


「これを」


 レナードは、三つ折りにされた紙を、ケイトに手渡した。ローレンスは、ふたりの様子を見ながら、追っ手に肩ひじを張る。


「これは・・・通行手形?」


 ケイトは、渡された紙を広げて言った。


「ディーン王子からだ。これがあれば、不自由なく国境を越えられるだろう」


 レナードは、落ち着いた口調で話す。


「なんで・・・どういうことだ?」


 ケイトは、混乱の渦中から顔を上げて言った。


「今朝早く、我々の元に血相を変えた者が乗り込んできてな。そいつは、まるで、こちらの王宮のつくりから、警備体制、行動パターンまですべて知り尽くしたかのように、難なくディーン王子の部屋にたどり着いた」


 レナードは、揺れる草原の瞳を見ながら、静かに続ける。


「そして、今日、おまえたちが必ずこの場所に現れるから、力を貸して欲しいと懇願してきた。それが、クリスから受けた最後の命令だったそうだ」


 ローレンスの心臓がドクンと反応した。


(ウィル・・・?)


 レナードの話を聞きながら、ローレンスの頭にウィリアムの姿がよぎる。ケイトは、意思に反して絶え間なくこぼれ落ちる涙を、手の甲でぬぐって聞いていた。


「公に、この国の戦に手を貸すことはできないが、名もない数名の騎士が、たまたま迷い込んだ地下道で、兵士に襲われている民を助けることならできる」


 レナードは、花瓶の花をさくっと整えるように言った。ローレンスは、頭の理解を必死に進める。


「それと、もうひとつ。マリー王国内の、ディーン王子が管轄する土地に、国を失った民を受け入れる準備を進めている」


「え?」


 ケイトは、雨がピタッと止んだように、レナードを見上げた。


「これは、国が一方的に侵略され、且つ、王が落命しないと成立しない。だから、クリスは最前線に行き、君の父上は王宮に残られたのだろ?」


 レナードは、ケイトにやわらかい微笑みを見せて言った。ケイトは、したたり落ちる涙をほったらかして、その場に立ち尽くす。


「さあ、これでもう、おまえたちを引き留めるものはないはずだ。おまえたちが生きている限り、コルネイユは滅びない。行きたい場所があるのなら、いまに集中しろ!」


 そう言ってレナードは、兜をかぶり直し、近づいてくる追っ手に向けて戦闘体制に入った。


「行こう、ケイト」


 そう言ってローレンスは、そっとケイトの手をとり、レナードを横目に歩き始めた。レナードのうしろにいた甲冑たちも、ふたりに道をあける。


「レナード・・・!」


 ケイトは、胸がはち切れそうになりながら言った。


「弟に出会ってくれたこと、感謝する」


 そう言って、レナードは目にも見えない速さで突貫していった。


「・・・っ!」


 ローレンスは、唇を噛み締め、振り返らず全力で走り出す。


「レナード!」


 ケイトは、うしろ髪を引かれるように叫んだ。ローレンスは、その声を断ち切って結び直すように、ケイトの手をギュッと握りしめ、自分の方に引き寄せた。




 空は、流れる川のような雲を消滅させ、堕ちた王宮を見下ろす―――。




 王宮の通路という通路に、動かなくなった兵士が足の踏み場をなくしていた。彼らが不揃いにもたれかかる壁には、大きな筆で殴り書きをしたような血痕を残す。青空から赤い稲妻が落ちたように砕け散った窓ガラスを越えると、小鳥や蝶が消えた中庭があった。荒れた赤緑の海にやわらかな花々は沈み、枝葉の代わりに人の手足が突き出す。天に昇るピンク色の噴水に、孤高のタイガーが仰向けに浮かんでいた。




 数時間後―――。


 地上に出たローレンスは、夕日を背にした細長い影を踏んだ。ローレンスは、目を細めて影の主を見つめる。


「エドワード騎士、ケイト様」


 そう言った影は、ローレンスとケイトに向かって、ゆっくり近づいてきた。


「ウィル⁉︎」


 そう言ってローレンスは、走ってウィリアムのところまで駆け寄る。


「やっぱり、おまえが・・・」


 ローレンスは、ウィリアムの姿を目の前にして、すべての点がつながったように落ち着いた。

 

「こちらを」


 ウィリアムは、2頭の馬のうち、1頭をローレンスに差し出した。


「おれの馬・・・?」


「はい。野宿に必要なものと、着替え、食料を積んでおきました」


 ウィリアムは、静かに言った。ローレンスは、馬の立て髪をなでて、ご機嫌をうかがう。ケイトは、ローレンスの背後から、胸を詰まらせてウィリアムを見つめていた。


「・・・ウィル、いっしょに来ないか?」


 ケイトは、思い切って天に身をゆだねるように言った。


「お気持ちは嬉しいですが、ケイト様。わたしには、まだ仕事が残っています。ユト騎士と合流して、マリー王国との手続きを進めないと」


 ウィリアムは、まっすぐな瞳で、ケイトを見つめて言った。


「・・・そうか。わかった」


 ケイトは、目を閉じて、自分を納得させるように答えた。


「エドワード騎士、国境を越えるときは、剣も鎧もなしでお願いしますよ」


 ウィルアムは、声のトーンを上げて、馬にまたがりながら言った。

 

「わかってる。ありがとう、ウィル」


 ローレンスは、ウィリアムを見上げ、微笑んで言った。



 ウィリアムの馬は、沈む夕日を横から浴び、ローレンスの馬は、それに正面から飛び込んでいくように姿を消していった。

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