序章
『エイ・・・ミー・・・!』
『動くな、ローレンス。左の太ももを撃ち抜かれている。出血がひどい』
『エイミーも・・・撃たれたんだ! はっ・・・早く・・・助けないと』
『おとなしくしろ。おまえの救出が先だ』
『ク・・・クリスさん、待って・・・ください。エイミーにも・・・止血を・・・っ!』
『エイミーはもう助からない! すでに息をしていない!』
『そ・・・そんな・・・っ! 離して・・・ください! エイミーを・・・!』
『言うことを聞いてくれ、ローレンス』
『エイミーは・・・まだ助かる・・・っ! 助けるんだ・・・っ!』
『あきらめろ。わたしは、おまえを絶対に死なせない』
『離して・・・ください!』
『いいかげんにしろ、ローレンス! これでよくわかっただろ!』
『ク・・・クリスさん・・・?』
『おまえは最強騎士かもしれないが・・・っ! 陛下や国は守れても、心に想う人ひとり守れないんだよ!』
『・・・・・・っ! エイミー! エイミーーー・・・・・・』
「はっ・・・!」
ローレンスは、からだ中が水に濡れたようになり、王宮にある自室のベッドで目を覚ました。薄暗い天井に向かって伸ばす右手が、ぼやけて見える。
「はぁ、はぁ、はぁ・・・」
疾走したあとのように心臓の鼓動が速い。ゆっくりからだを起こすと、べっとりした汗が首筋を伝い、背骨の溝に沿って流れていった。
「くそ・・・またこの夢・・・っ!」
内臓が荒波にのまれるような気持ち悪さに敵意を向け、前髪をむしるようにして額に手を当てる。しばらく奥歯を噛み締め、かだらを震わせながら呼吸を整えた。
「・・・・・・」
ローレンスは、投げ出すようにそのままドサッと仰向けになる。そして、またいつものように、外が明るくなるまで、枯れた井戸のように空っぽになっていた。
コルネイユ王国―――。
その王国は、いくつもの黄緑の丘という丘が重なり合って広がる。空は突き抜けるように澄み渡り、生命に満ちた深い森林に、太陽の恵みがふんだんに注がれていた。冷んやりとした滝壷に魚が集まり、そこからとめどなくあふれる清らかな水は、木々や岩の間をすり抜けて大地をうるおす。放牧された白黒まだら、茶色の牛や羊たちは、その水辺に口をつけ、木陰に集まったと思ったら、あごを左右に動かして草をほおばっている。そして、細長いしっぽでハエを払い、おだやかで、なにもない一日を繰り返すのだった。
一方、ポツポツと見える村や集落は、まるで黄緑の草原に、オレンジ色の麻布を敷き詰めた畑と隣り合わせになっていた。人の手でゴロゴロと芋が収穫され、腰を上げると、思わず深呼吸したくなるような心地よい風が、かすむ丘から絶えず流れ込んでいる。
そのひとつの丘に、吸い込まれるように美しい王宮がたたずむ。気品のあるアイボリー色を基調とした外壁は、繊細な装飾と共に権力を象徴する。そして、ブルーグレイの屋根は、コルネイユの壮大な自然と見事に調和し、まるで、翼を広げた大きな鳥が、丘の上を優雅に飛んでいるような芸術がそこにあった。
広大な王宮の敷地の塀を挟んで、色あせた朱色のかわら屋根の家々が窮屈そうに並ぶ。レンガ造りの軒先に、黄金色に輝く鶏が吊られ、豆や根菜が大胆に棚に盛られていた。その町には、王国中の村や集落から特産物が集まり、素朴な洋服から、きらびやかなアクセサリーまで、色とりどりのお店が所狭しと連ねていた。
「エドワード騎士様が、怪我から復帰されたって⁉︎」
「早々に遠征に出られて、山賊を討伐されたらしい!」
その日、大通りの一角で人だかりができていた。老若男女が熱い視線を注ぐ先に、青白いねんどのような男の生首がさらされている。
「半年ぶりの任務でも、第2騎士団長様の実力は健在だな」
そう言って働き盛りの男は、毛深い腕を組み、しっかりした安心感を噛み締める。
「そりゃあ、彼は、この国の『最強騎士』だもの。負けやしないわよ」
隣にいたふくよかでハツラツとした女が、自分の息子を自慢するように、口を顔いっぱいにして言った。
「ほっほっほっ。これでまた、しばらく安泰じゃのう」
真っ白なヒゲを生やした老爺が、曲がった腰をゆっくり伸ばして満足気に笑った。
そうして民は、今日もなにも変わらない、いつもの生活に戻っていくのだった。
王宮・騎士団屋舎―――。
「みんな! エドワード団長が完全復活したぞ!」
第2騎士団兵のホセは、王宮左翼に位置する騎士団屋舎の食堂に、勢いよく乗り込んできた。昼食どきともあり、通常任務の合間を縫って食事をしにきた団兵たちで、ごった返している。ひとり一枚ずつ与えられた皿には、大人のこぶしサイズの乾いたパンと、黄土色の豆を煮ただけの汁状のものが、ベタッと広がっていた。
「遠征から無事に帰ってきたのはいいけど、うるせーよ。メシくらい静かに食わせろ」
近くにいた第1騎士団兵のユトが水を差す。同じテーブルに座っている団兵たちも、いつもの光景を見るかのように、黙々とパンをかじっていた。
「いや、でもすごかったんですよ! 山賊の親玉の首をはねた瞬間、だれにも剣の軌道が見えなかったんですから!」
ホセは、ユトの横の席に着き、茶色い目をひとまわり大きく開け、ピッチを上げて話す。短い髪の毛も、天にまっすぐ向かって逆立ち、興奮していた。
「そりゃー、コールマン団長の特別メニューをこなせるやつだからな。あいつはバケモンだ。おれは、もう少し人間でいる」
ユトは、ここぞとばかり、自分をなぐさめるようにして、通常メニューで十分なことを主張する。
「でも、あんなことがあったのに・・・やっぱ、団長ともなると、さすがだな」
すると、ふたりの目の前に座っていた、ユトと同期のジュドが口を挟んだ。それを境に、ホセは、眉間にシワを刻んで、風船の空気が抜けたように、急に大人しくなる。
「おまえら、そのとき、そばにいたんだろ? おれら第4は、作戦に参加しなかったけど」
ジュドは、ちぎったパンで皿に乗った豆を絡めながら、構うことなく続けた。
「ああ。すぐそばで見てた。目の前で恋人が撃たれて即死。そのあとすぐ、自分も撃たれていっしょに血の海を泳いだ。コールマン団長は、その場でもがくローレンスを、無理やり恋人から引き離すようにして救出した」
そう言ったユトの目が、一瞬、鋭くなった。
「ひどいな・・・。そんなの、いくら団長だろうが、最強騎士だろうが、耐えられたもんじゃない」
ジュドは、豆を絡めていた手を止めて、顔を上げる。
「・・・ユトさん、やっぱり、おれ、モリス卿が許せません。エドワード団長の暗殺を目論んだ上に、恋人まで巻き込むなんて・・・っ!」
ホセは、苦虫を噛み潰したような顔をして、胸を詰まらせながら言った。
「バーカ。おまえが許しても許さなくても、なにも変わんねーの」
ユトは、口に放り込んだパンで、ほっぺをリスのように膨らませて言った。
「ユトさんは、腹立たないんですか⁉︎ モリス卿のやつ、あの卑劣な山賊・バーリンと手を組んで、自分は高みの見物だったんですよ⁉︎」
ホセは、テーブルを叩き、腸に溜まった鬱憤を溶岩のようにばらまいて声を荒げる。
「だから、静かにしろっての。モリス卿の悪事は、コールマン団長がちゃんとあばいて、処分されてただろ。バーリンの首も討ち取った」
そう言ってユトは、ホセの噴火を鎮めるように、冷静に言った。
「そうですけどっ! エドワード団長の怪我の療養中だったところを狙ったのも汚い!」
ホセは、もう、走り出した馬車のように止まらない。
「おお、その怪我って、団長になる直前の戦で、コールマン団長の身代わりになって一撃くらったやつだろ?」
ジュドが、当時、騎士団の中で盛り上がった話を思い出して食いついた。
「はい! あばらが折れる重症でした!」
ホセは、テーブルから身を乗り出し、自分ごとのように、誇りながら言った。
「でもよー、そもそも、なんでローレンスは狙われたんだ? なんか、モリス卿に嫌われるようなことでもやったのか?」
ジュドは、ホセを払いのけるようにして、ユトの方を見て言った。
「さあな。どうせ、貴族しかなれない団長の座を、村出身のやつが特例で就いたからとかじゃねーの? しかも、推せんしたのは、貴族側のコールマン団長だったし」
ユトは、皿の冷めた豆と同じ温度で、淡々と答える。
「なんか・・・複雑だな」
そう言ってジュドは、残りの豆を最後のパンのかけらでさらえる。
「おれから言わせりゃ単純だ。辛いのも、苦しいのも、最後は、てめーでなんとかするしかねーんだよ」
ユトは、大きな口を開けて、皿ごと胃袋に入れるように、ふやけたパンを流し込んだ。
「ユトさんは、冷たいです!」
ホセは、自分の正義の剣を、振り回すように声を上げる。
「・・・っ! おまえが暑苦しいんだよ!」
ユトは、勢いよく口から豆と唾が混じった汁を、ホセの顔に飛ばしながら言った。ホセは、すぐさま袖で豆をぬぐう。
「ま、同情するとしたら、その療養で、剣を持たせてもらえず、町に出されたことだな」
ジュドが、とうとう、ホセの味方をするように言った。
「なんで、コールマン団長は、エドワード団長に剣を持たせなかったんでしょうか」
そう言ってホセは、一点を見つめ、ゆっくり席につきながら言った。
「だから、そんなこと知ってどーなる。もう好きにしゃべってろ。おれは任務に戻る」
そう言ってユトは、食べ終わった食器を持って、その場を去って行った。
「もう! ユトさん!」
ホセは、また席を立ち上がり、ユトの背中に向かって叫んだ。
「まあ、コールマン団長が『氷の悪魔』って呼ばれてる理由があるとすれば、その辺なんだろうな。で? その、おまえの崇めるエドワード様は、いまどこにいるんだ?」
そう言ってジュドは、ホセを見上げて言った。
「ああ、それなら、夕刻の会議まで時間があるからって、外に出かけられました」
「そうか」
そうして騎士団も、今日もなにも変わらない、いつもの業務に戻っていくのだった。