消える思い
7月も中旬も過ぎ、暑い中の授業も終わり、帰りのホームルームも終わる。暫くすると汗を流し部活に励む生徒達の賑やかな声が敷地内に響き渡る。金属バットの音やグラウンドを駆け回る音が響く中、軽やかな音色が放課後を彩る。それは、吹奏楽部の音色だった。
済南高校の吹奏楽部は部員数の減少を理由に、今から8年前に大編成部門から小編成部門に変更した。今は地区大会を金賞で突破し、全日本吹奏楽コンクール県大会突破を目指していた。部員皆が一丸となってやっているかと思うのは大間違い。中には不真面目な人もいる訳で。
「ねぇ〜疲れたよ〜。ちょっと休もうよ」
そう言って机にダラけるのは私と同じ3年・クラリネットの友海だ。そんな友海のダラけた姿を見て私は盛大に溜息を吐いた。
「もう………10分前にも休憩してたじゃん。全体合奏まであと1時間しかないんだからせめて基礎練は終わらせて」
「梓は真面目だね〜。今頃になって基礎練やったって成長はしないのよ」
そう言って窓の外を眺め、行き交う車に視線をやる。後輩に示しがつかないと思いつつ、今の友海に言っても無駄な事は中学からの付き合いでよく分かってるので何も言わない。その代わり、もう1つ大きな溜息を吐いておいた。
私と友海を含めて3年生は7人。
フルートの佳織、サックスの茜、トランペットの優里、トロンボーンの紗季、ユーフォニアムの里菜。少ない人数だからこそ、何かあると7人で相談したりして今まで過ごしてきた。だが、皆が一蓮托生という訳にもいかず。友海を始め練習をサボる人もチラホラいる。
「7人揃って出られる最後の大会なんだから、もう少し真面目にやってほしい」
帰りながら茜に愚痴る私に、茜は「まぁまぁ」と宥める。
「あまり気を張ってもイライラするだけだよ。練習しない人はしないでほっとこうよ」
「でもその分合わなくなるのよ。ただ楽譜通り吹くなら誰にでも出来る。表現方法とか運指のスピードとか揃えないと勝てないよ」
「んー……梓の言いたい事も分かるけどさ」
茜がはっきり言わないのも分かってる。皆が上の賞を狙ってる訳じゃない。所詮、団体戦だ。1人の技量がずば抜けていても、それに皆がついて来れなければバランスが崩れる。集中力を切らして1音出すのが遅れでもすれば致命的だ。
「……私がどうこう言っても解決しないのは分かるけどさ。なんかこう……スッキリしない」
「まぁ皆コンクールよりは定演に集中したいよね」
定演とは毎年夏に行われる定期演奏会の事だ。コンクールの県大会と同時期なので、夏は同時進行で練習しなければならない。定演の方はお祭りみたいなものなので皆が楽しんでやる。コンクールのように真面目な曲ではなく、皆が知ってるアニメやアイドルの曲も演奏するので、皆はやっぱり好きな曲の方がやる気が出る。
「梓は真面目な曲のが好きだもんね」
「うん。なんか、ストーリー性あって好きなんだよね」
「壮大な曲が好きなイメージ……」
「そう??………確かに言われればそうかもね」
自分が好きな曲を思い出しながら話をしていると、茜が立ち止まる。
「梓は、どうしてそこまで本気になれるの??」
「………え??」
立ち止まった茜を振り返りながら、質問を聞き返すが茜は俯いていた。
「だってさ、たかが高校の大会だよ??皆がプロ目指してやってる訳じゃないし。去年より結果が良ければいいやってくらいでしょ??」
「………茜、それなら今までと同じ練習じゃ結果が良くなる訳ないってなるでしょ」
「どうして??去年とメンバーも入れ替わってるよ」
「抜けた先輩と入ったばっかりの1年が同じ実力だって言うの??経験値が明らかに違うでしょ」
話しててだんだんイライラしてくる。本気でやって何が悪いんだろう。
茜は俯いていた顔を上げて、少し怒ったような表情をしていた。
「いいよね、ソロで大会に出て賞取った人は自信たっぷりで」
「………えっ」
さっきまで私の愚痴に付き合ってくれていた茜とは思えなかった。どうしていきなりそんな事を言い出すのか分からなかったし、まさかそんな風に思われていたなんて思いもしなかった。
確かに、私は去年行われたソロコンテストで関東で2位になった。今年も出場するので既に並行して練習している。大会に出るか出ないかは個人の自由だし、それで部員に悪影響を及ぼす事でもない。
「皆さ、梓みたいに「上を目指したい!!」ってやっているんじゃないのよ。梓だって知ってるでしょ??楽しく部活が出来ればいいの。1人だけそんな真面目にやられると合わせるこっちも大変だし、気を遣うのよ」
「皆が皆、金賞を狙っている訳じゃないのは知ってるの。けど……去年よりいい結果を、さっきそう言ったのは茜だよ。それだって上を目指してる事じゃないの??」
「いい結果なんて、銅賞が銀賞になればいいくらいよ。佳織だって、紗季も言ってる。里菜なんて「去年より上は無理」って言ってたよ」
「銀賞なんて……去年と同じじゃない」
私はショックだった。今年の4月には「今年こそ県で金賞取って関東大会に行こう」って7人で思いを新たにしたのに。それを聞いた後輩達だって頑張ってる。それなのに、肝心の3年生がこんな調子では取れる賞も取れない。それは茜だって分かっているはずなのに。
皆の中では、県大会の翌日に行われる定演の方が重要なのだ。コンクールと同じ曲を1部では演奏するが、コンクールの時間制限に合わせてカットした部分もある。そこも定演では演奏しなければならない。尚更、練習時間が必要なのに焦っているのは私だけのようだ。私は両方やるならどっちも手を抜きたくないだけなのに。
「梓はさ、卒業しても続けるの??」
「………うん。そのつもり」
「じゃあ尚更結果出さないと、って焦るよね」
私が焦っているのを見抜いたのか、茜は憫笑う。何故、茜にそんな事を言われなければならないのか。部活を頑張る尺度が違うだけで、そんな態度を取られなければならない事が悲しかった。
「……もう、あの頃と同じ思いで演奏出来ないんだね」
「え??」
私の言った事が理解できないのか、茜は聞き返すが私は静かに首を振った。ここで言い争っても茜の気持ちを変える事は出来ないし、完全に読み取る事も出来ない。
「ううん、なんでもない。……私だけ真面目にやって皆の和を乱してごめんね」
私はそれだけ言うと茜に背を向けて歩き出した。茜は何かを言いかけたが、私の後を追って来る事は無かった。
翌日の部活から私は友海が基礎練をサボろうが、里菜達が練習中に話してても注意する事はしなかった。何時もなら「時間勿体ないよ」とか声を掛けるが、何も言ってこない私に里菜達は不思議そうにしていた。そして、私から他の3年生に話し掛けるのもやめた。私の言う事はきっとウザがられるだろうと思い皆を避けた。優里は「どうしたの??」と心配そうに訊いてくるが私は「何でもないよ」と力無く笑って返すのが精一杯だった。
1年生の頃は地区大会止まりだった済南高校を県大会突破を目指そうと7人で決めたのに。先輩達が出来なかった事を成し遂げようとしていたのに。もうその思いを持ち続けているのは私だけのようだ。
やり切れない悲しみを持ちつつ演奏した最後のコンクール。結果は総合評価が後1点足らずに金賞を逃した。皆は去年よりいい結果に喜んでいたが、私は喜べなかった。
もっと練習していれば、もっと合奏をこなして齟齬を無くしていれば……。
そんな思いは定演が終わっても決して消える事は無かった。
高校を卒業してから6人と会う事は無かった。と言うのも進路はバラバラなのはもちろん、私が会うのを意図的に避けていた。以前の関係にはもう戻れないと思いつつ大学生活を過ごしていた。
今思えば、あの帰り道。茜は私と自分を比べて嫉妬していたのかもしれない。私だけソロで大会に出て、良い賞を取ったから。確か茜も出ようとしていたはずだと思い出す。頑固で負けず嫌いの茜だ。素直に私に「一緒に練習しよう」とは言えなかったのでは無いだろうか。足りない技術を教え合えればもっといい関係を築けたかなと思ってももう遅かった。
今後、プロのクラリネット奏者として活動を目指す私と彼女達と会う事は無いだろう。会ったとしても、高校の頃の話は私はしないと思う。いつからか違った志で縁が切れるのは悲しいが、仕方ない。今の私には過去より未来だ。
夢への一歩を踏み出すために、私は楽団の面接会場の扉を開けた。