裏切り者の盗賊は
物心ついたときにはもう人を殺した経験があったし、人を殺すことが悪いことだなんて思ってもいなかった。育ててくれる人が殺せと言ったから殺しただけ。そんな狭い世界で俺は生きていた。
『お前は可哀想だな』
育ての親が捕らえたエルフの女。幼い見た目とは裏腹に生意気で、無くなったはずの感情が動かされる気がした。
『自分では何も考えられない、可哀想な人形』
女は飯を運ぶ度に俺を憐れんだ。最初は無視していた。それなのに毎日チリのように積もった怒りは女と出会って3年目、ついに爆発した。
『それ以上くだらないことを言えば殺す』
首にナイフを当てる。女は動けば傷つくというのに肩を揺らして笑った。
『怒るのに3年もかかるのか、お前は』
女の反応に驚いた俺は思わず固まる。そして固まったことによりナイフの刃が女の首に傷をつけた。
『ふむ、痛いな』
自分の血に触れた女はそんな感想を漏らした。そのときの俺は恐怖で頭が真っ白だった。
俺の育ての親はゼロという暗殺者だ。ゼロについて俺の知ることは少ない。
俺のような孤児を気紛れに拾い暗殺者として育てる。ゼロが拾った孤児に与える選択肢は2つだけ。自分の役に立つか、今ここで死ぬか。
暗殺者として生きることを選んだとしてもゼロの役に立たなければ殺される。任務に失敗したら殺されるし、任務で生活に支障をきたす怪我を負った兄弟は帰ってきてすぐに殺された。
拾われた俺たちはゼロに恩を感じ情を持つが、ゼロが俺たちに情を持つことはない。それでも俺は、俺たちにはゼロしかいないからそんな生活に文句なんてなかった。
女の世話を任せる際にゼロが俺に言ったことは2つ。
『逃がすな、傷をつけるな』
傷をつけるつもりなど無かった。ナイフを首に当てたのは脅すためだった。
『おい、大丈夫か?』
女に揺すられた俺はナイフをしまい、ゼロの元へ行くことにする。おそらく殺されるだろうが、それはもう仕方ないことなのだ。役に立てなかった自分が悪い。
牢屋の扉を開けようと鍵に手をかける。
『ま、待て!!』
女に呼び止められ動きを止めたのは気紛れだった。死ぬのが少し惜しかったのかもしれない。
『ゼロの元へ行けば死ぬぞ?』
『……知っている』
『分かってて行くのか』
『そうだ』
俺の答えに何を思ったのか女が立ち上がる。
『ならばその命、わらわに寄越せ』
血のついた女の指が魔方陣を描く。俺は女の魔力に圧倒され、言葉も出なかった。
呆然と女の紡ぐ魔法を眺める。
『自分では傷もつけられなかったからな、助かったぞ』
女をここに縛り付けていた呪いが解かれる。女の足枷もパキンと音をたてて崩れ落ちた。
信じられない光景だった。ゼロの魔法は並大抵の魔法使いでは解けないほど強力だ。しかもこの女は魔力を封じられていたはず。
『ふむ、ちと魔力不足だが問題は無さそうだ』
いくぞ、と言って女は驚きに固まる俺の手を取り牢から外へ出る。止めなければと思うのに、俺はなぜか黙って女に付いていった。
『お前の名はなんという?』
建物から抜け出し、森をしばらくの間走っていた。ここがどこかわからないはずなのに、女の足取りに迷いは無かったように思う。
『……ハチ』
休憩しようと切り株に腰を下ろした女が名前を問いかけた。答えるべきか迷ったが、ここまで着いてきてしまったのだからと自分の名前を言う。
俺たち兄弟は増えても10人までしかいなかった。だからゼロは兄弟たちにイチからジュウまでの名前を割り振るのだ。俺はそのとき居なかったハチの代わりに拾われたからハチ。
『ふむ、ハチか。わらわの名はレーツィア。これからよろしくな、ハチ』
『……』
突っ立ったままの俺に痺れを切らしたレーツィアが手を取り握手を交わす。不思議な気分だった。死ぬはずだったのに、ゼロの元へ行かずレーツィアとともに逃げていることが。
それと同時に恐ろしくも思えた。生きたいと、そんな風に考えてしまう自分が。感情を持つことは弱さを持つことなのに。
外の世界は当然だが広い。俺は任務以外で拠点から出たことは無かったため、任務でもないのに外の世界にいるのは新鮮だった。
それはレーツィアも同じようだったらしく、どこにいっても楽しそうにはしゃいでいた。だがそれも長くは続かない。レーツィアが体調を崩したのだ。おそらく昼に食べた木の実に毒があったのだと思う。
『わらわとしたことが……はぁはぁ、気を抜いてしまったな』
同じものを食べた俺が体調を崩していなかったのは毒に耐性があるからだ。ゼロに拾われ最初にやらされるのが、感情を表に出さない訓練と毒の耐性をつける訓練だった。
『……少し待っていろ』
レーツィアを見捨てても良かった。弱っているレーツィアをゼロの元に連れていくというのもアリだったかもしれない。
だが俺は解毒剤を作り、レーツィアを助けてしまった。今の生活を少しだけ楽しいと思ってしまっていたのだ。
『…………ハチ、お前はわらわが何者か聞かないのか?』
逃亡生活が1ヶ月ほど続いたある日、レーツィアがそんなことを尋ねてきた。俺はそんな真剣な表情をするレーツィアに思わず笑ってしまいそうになった。昔に捨てたはずの感情が、レーツィアによって甦らせられる。暗殺者としてはあるまじきことなのに、その時の俺は嬉しいと思えるようになっていた。
『お前が誰であろうと関係ない』
俺の言葉にレーツィアは至極嬉しそうに目を細めた。目尻にはうっすらと涙が滲んでいて、俺は居心地が悪くなった。
ゼロに見つかったのは逃亡生活が3ヶ月経った頃のことだった。計画もなく逃げていたにしては頑張った方だと思う。
『レーツィア、さよならだ』
ゼロと戦うことは選ばなかった。レーツィアのことは俺が勝手に連れ出したことにして、俺だけが殺されれば良いと思ったらからだ。
『ハチ、生きることを諦めるな……!』
ゼロに捕まり、レーツィアとは離ればなれになった。拷問されても考えるのはレーツィアのことばかり。痛みなんてとっくに麻痺していた。
『ふーん、変わったなハチ。前ならこうやれば痛みは感じなくても怯えてたっていうのにさぁ!』
面白くない、とゼロが俺の腹を蹴りつける。口の中に血の味が広がった。
『……きーめた。あのエルフの女を鳴かせよ』
『っ』
『良い声で鳴いてくれそうだよなー。生意気なあの目が絶望に染まってさ、クハッ、最高だと思わねぇか?』
『や、やめろ』
『あ?』
伸ばした右手がゼロに踏みつけられる。骨の折れる音がしたが、それでもなんとか左手でゼロの足を掴んだ。
『そーんなに大事なんだぁ?』
右手の上にある足で何度も踏みつけられる。ゼロの怒りを買っているとわかっても、レーツィアを傷つけられるのは嫌だった。
『つまんね』
ゼロがため息を吐いて俺の髪を捕み無理やり顔を上げさせられる。
『あの女が大事ならなんでも出来るよなぁ?』
『はい……』
『そ、んじゃ勇者殺してこい』
なぜ勇者を? という疑問より先に体を動かす。
ゼロの気が変わらぬうちにと、俺はなんとか立ち上がり初級の回復魔法を使う。初級の回復魔法はほぼ無意味だったが、それでも使わないよりはマシだった。
俺は今、ゼロに試されている。
ゼロの役に立てると証明しなくてはいけない。
げほげほと咳が止まらない。ふらつく体を壁にもたれさせ深呼吸をする。ゼロの気配はいつの間にか消えていた。
レーツィアの所へ向かったのだろうか。もしそうならレーツィアが痛い思いをしていなければいいなと思った。
勇者、それは魔を打ち払う者。
ゼロがどういう意図でこの任務を与えたのかは分からなかったが、俺はこのチャンスに賭けるしかなかった。
レーツィア、素性のわからないエルフの女。
たった3ヶ月の逃亡生活は大変だったが、今までの人生で一番楽しかった。レーツィアは俺に生きることを諦めるなと言ったが、どうせ生きるのなら生きる希望を教えてくれたレーツィアのために生きたい。
レーツィアをゼロの元から逃がすため、今は時間が必要だ。勇者を殺しながら時間を稼ぎ、計画を練らなくては。そうやって、なんとか今の今まで時間を稼いできたのだ。だがそれももう終わりだ。
「レーツィアを、助けて欲しい」
俺を仲間だと言ってくれた勇者なら、きっとレーツィアを助けてくれる。レーツィアさえ助かれば俺はどうなっても構わないから。
泣き出しそうな勇者に、俺はすがることしか出来ないのだ。
口は悪いし一匹狼だけど、本当は心優しい盗賊。
短剣と弓がメイン。攻撃魔法が少し使える。
黒髪、赤色の目。髪型はマッシュ。
黒っぽい服ばかり着ている。