47話 幻影の手
敵、エスタルの動きはなかなかに速かった。ローエンは走ってエスタルを追いかけていたが、なかなか追いつかない。相手は逃げることに徹している。
シノは急いでローエンを追いかけていた。
ローエンはエスタルが地面に潜れることを知らない。シノは知っている。目で見たからだ。この情報を共有しなければならない。
エスタルは微笑みながら逃げている。視線はエリック達の方を向いている。
「ローエン!深追いするな!」
もう少しでローエンに追いつきそうなシノが叫んだ。戦いの求められるのは慎重さだ。敵は一人なのだから焦る必要はない。
そこでシノは思った。敵は地面に潜れる。では何故地面の中に逃げないのか?
囮?
その時、上空から石の天井を突き破り人間が高速で降りてきた。ローエンの真上からだ。
天井の崩れる音に反応しローエンとシノは思わず上を見上げた。
その隙が痛かった。降りてきた人間はローエンの腹に槍を突き刺した。
鎧を貫通している。ローエンは血を流しながらその場に倒れ込んだ。
「ローエン!」
シノはローエンに駆け寄った。逃げていた敵、エスタルに構っている余裕はない。
槍を刺されたのを目視したシノは無我夢中でローエンに近づいていた。しかし、空中から降りてきた長い金髪の人間がそれを邪魔する。金髪の赤い瞳はシノを捉えている。
ローエンに近づこうとするシノに対して槍での突きを放ってきた。
シノは素早く斜め後ろに飛び回避。早くローエンを治療しないといけないのに、それを金髪が許さない。
手遅れになる前に治療しなければいけない。シノはそう思っていた。その心に隙があり、槍の攻撃に後手に回っていた。槍とナイフでは射程も違う。
シノは必死に考えた。エリック達が動ければいいのだ。そうすればエリック達がローエンを治療出来る。そのための障害は最初の敵、エスタルだ。エスタルは襲いかかってくるでもなく、地面に潜るでもなく、シノから距離を取っている。シノに攻撃してくる気配はない。
わかっているのだ。後衛が弱点であることをわかっている。
エリックも焦っていたが、ラウエスとクアミルの側を離れるわけにはいかなかった。すぐにでもローエンを助けに行きたかったがもう一人の敵がこちらを睨んでいる以上動けない。
一つの勝機をシノは槍を回避しながら思っていた。金髪は上空から石を打ち破り落下してきた。外から光が差し込んでいるのだ。つまり、影渡りが使える。相手の影に移動出来る。一撃で仕留めれば戦いを終わらせることができる。
だが、仕留められなかった場合は窮地に陥る。相手の金髪はかなり大柄の風貌だ。首を狙うには背が高すぎる。
影渡りをいつ使うか。今にも使いたい気持ちだったが状況を冷静に分析しているシノ。
失敗すればローエンは助からない。それがシノを躊躇させていた。
ローエンが一撃を食らったのは壁際の岩の側だった。そこには光が当たっていない。痛みに耐えながら、地面に倒れながら周りの様子を見るローエン。
シノが大柄な男と戦っている。上から光が差している。だがシノは影渡りを使っていない。
使えないのだ。一度接近すれば距離を離すのは難しい。そして影渡りは人間の影にしか移動出来ない。
ローエンは這いながら身体を動かそうとした。だが身体が動かない。
「(シノが影渡りで戻ってこれる影を作らなければ……)」
ローエンが光の当たる位置まで行けばシノは影渡りでローエンの影に戻ってこれる。しかし身体が動かない。
「(動け……)」
ローエンが地についた手に力を込める。シノは懸命に戦っている。
「(動け……)」
動かないローエンの身体。
「(動いてくれ……!)」
ローエンが歯を食いしばる。
そして幻が見えた。
死んでいった奴隷の仲間達が何十人も、ローエンの手を引いている。ローエンが立てるように。
「ローエン、俺たちの街を作ってくれよ」
「母ちゃんに一度会いたかった」
「お前なら街を作れるよ」
「死にたくなかった」
「立てよローエン。仲間が必要としているんだぞ」
奴隷たちの幻影に手を引かれるようにローエンは力強く立ち上がった。血は腹から流れ出ている。
一歩。二歩。光のある方に動いた。そして光の差す場所まで辿り着き、その場に倒れ込んだ。
ローエンの倒れる音にシノは反応した。心配と共にシノはローエンの思考を理解した。影渡りをしろということだ。ローエンが戻ってこれる影を作ってくれた。
「覚悟しろよこのクソ野郎……!」
シノは怒りに任せて金髪の男の影に移動した。そしてナイフで一撃を胴に食らわした。
そして即座にローエンの影に移動。一瞬で距離を取れる。
相手の金髪が戸惑っている間に再び相手の影に移動。ナイフで再び胴を斬る。
移動。攻撃。移動。攻撃。シノの一撃の威力は高くはなかったが、金髪の男は確実にダメージを受けていた。
「ローエン、今助けるからな」
シノは一生懸命だった。ローエンに情が移っていた。絶対に死なせたくなかった。
時間がない。シノは影渡りの連打で敵を圧倒している。
影渡りのスピードについてこれない敵。確実に身体のダメージは増えつつあった。動きが鈍っている。
シノは何度も敵をナイフで刺した。早く倒れてくれと願った。一瞬ローエンの方を見たが、ローエンは動いていない。
そして次の影渡り。
「終わりだ!!邪魔するな!!」
シノは敵の背中にナイフを突き刺し引き抜いた。敵の身体の傷はもう50箇所はあるだろうか。
一撃を受けて敵はうめき声を上げて地面に倒れ込んだ。大きな音を立てて。
シノは影渡りで敵の側から離脱。ローエンの影へと戻った。最初の敵はエリックが牽制してくれているはずだとシノは判断していた。
うつ伏せに倒れているローエン。背中からは血が滲んでいる。鎧が壊れている。
「ローエン!もう大丈夫だ!助けるからな!痛いけど我慢してくれ」
シノはクアミルから貰った自然治癒力を爆発的に増やす薬を服の裏から取り出した。そしてローエンを仰向けにさせた。ローエンは何も言わない。
「これを飲めば治るぞローエン!早く飲むんだ!」
シノは瓶の蓋を開けて薬を手にしている。
しかし仰向けになったローエンは目を閉じたまま返事をしない。
「ローエン?」
シノは呼びかける。しかし返事がない。
寒気を感じたシノ。
「ローエン!!起きろ!!薬を飲むんだ!!」
ローエンは返事をしない。口も開いていない。
シノはローエンの傷口を見た。背中まで貫かれている傷。
薬の瓶の蓋を勢いよく開けた。そしてそれをローエンの口へ。
「飲んで!!お願いだ!!飲んでくれ!!街を作るんじゃなかったのか!!仲間の希望はどうした!!起きろ!!起きてよ!!起きて!!」
シノは涙目になっていた。
助からない。そう思った。
祈るように薬を口に含ませた。
致命傷だとはわかっていた。
自分がもっと早く敵を倒していれば間に合ったかもしれない。
ごめんなさい。ごめんなさい。
だがその後奇跡は起こる。クアミルが天才と呼ばれる理由が明らかとなる。薬を口に含んだローエンの血が止まり始めたのだ。傷口も少しだが修復されてきている。
そしてローエンが咳をした。確かに咳をしたのだ。
シノはその様子を見て涙してしまった。助かる。やった。助かる。
ローエンがうっすらと瞳を開けた。
「シノ?」
「喋るなよ。重症なんだ」
シノは涙を流しながら微笑んだ。
「敵は?」
「エリックが見張ってる。一人は倒した」
「もう一人の元へ向かってください。私は大丈夫」
「大丈夫じゃないだろ」
「そうかもしれません。しかしもう一人を倒しにいってください」
「もう無理するなよ」
シノはローエンの指摘は正しいと思い、敵の姿を探した。まったくローエンはいつだって冷静なヤツだ。
敵の姿はすぐに見つかった。敵はまた逃げている。しかし先程までの逃げ方とは違い、アトラクシア方面に逃げている。本当に撤退する気のようだ。
エリックはローエンとシノの加勢に行きたい気持ちで戦局を見ていた。しかしラウエスとクアミルを狙う敵の存在故に、シノに全てを任せるしかなかった。
逃げていく敵の姿を確認。接近してくる様子はない。
そう見るとエリックは即座にローエンの方へと向かった。額に汗をかいているエリック。ラウエスとクアミルもその後を追った。
「シノ!ローエンは!?」
「薬を飲ませた。重症だ。クアミルに見てもらわないと……頼むクアミル」
シノはまだ周りを警戒している。クアミルは鞄を手にローエンの元に駆け寄った。しゃがみ込んで、仰向けになっているローエンの傷を見るクアミル。真剣に傷口を見ている。
「薬は飲ませたのですね?」
「飲ませた。治る?」
シノの口調は懇願するかのようだった。
「治ります。しかし、しばらくは動けないでしょう。それでも治る。安心してください」
クアミルは茶色い鞄から包帯と二つの薬を取り出した。包帯に二つの薬を塗り込み、ローエンの傷口を包んだ。ローエンは一瞬痛そうな顔をした。みんな見守っている。
「すみません、不覚を取りました」
ローエンは小さな声でいった。
「喋るな!お前は本当の戦士だ。喋らずに休んでくれ」
エリックはしゃがみこんでローエンの手を握った。戦えなかったことを申し訳なく思うリック。
ローエンは視線をシノに向けた。
「シノ、人前で涙は見せてはいけませんよ。泣いていいのは一人のときだけです」
「お前のせいだよ!まったく、お前のせいなんだから……」
シノは緊張が解けて微笑んでいた。若干怒りの色も見える。
「エリック、少し離れてください」
地面に座り込みながら治療を続けているクアミルがいった。エリックは言われた通りにローエンの側を離れた。
クアミルは鞄から薬を取り出したり、薬草を取り出したりしている。そして考え込みながらも手だけは動かし続けていた。




