弟
生まれ落ちたときから覇権争いのただ中にあって、保護者で在る両親を亡くすところから物語は始まります。
不甲斐ない兄で在る主人公が、支えてくれた弟を救いたいと奮闘します。
私と弟のアウルが6歳の時、私の中では唐突に起こった事故で、両親が1度に亡くなった。事故と言われて疑問も持たなかったような子供子供していた私は、その実、いわゆる、無理心中だったのだと、随分年月が経ってから思い至った。
ものごころ着く前から、両親は親としての体を成していなかったのだと、子を持つ身になって、漸く気付く事が出来た。
幼い頃から、感性と性格の違いは有ったものの、一卵性の双子として誕生して、そっくりな外見を持っていた私とアウルとを、供に暮らしては居なかった母はともかく、度々訪れていた父は、明らかに区別していた。
自分の子供はお前だけだと私に言い、言葉として言いはしないものの、アウルの事は意識の外へ追い遣っていた。
並んでいても私しか見ない。私にしか向けられない言葉に気付いたときには、小さく溜め息を付いて、そっとその場を離れるアウルの姿を度々目にした。
「どうして私だけなの?!父様はあの子を嫌いなの?!」
思い余ってそう聞いた私は、父と私が一緒に居る所に遭遇したアウルが、直ぐ傍の書架の影に身を隠していたのに気づか無かった。ハッキリと口に出して聞かれて、あの子がどんなにか悲嘆に暮れたか…今思い返しても涙が出る。
弟夫婦の突然の死に、前例を数々破って病室の私達を見舞って下さった先王に驚き、父母に代わって後見をしようと言うお言葉に安堵し、7歳になる頃には、私を世継ぎにと遺言なさった事実に驚いた。
病室で初めてお見上げした陛下は、私の記憶の中の父が私に対するように、アウルに対して居たからだった。
優しいお声、慈しみを込めた眼差しに見詰められて、アウルはどんなにか嬉しいのだろうと、少しホッとして見た私は、まるで、敵に遭遇したかのような険しい眼差しに出会って、思わずぎくりとさせられたのを忘れない。
きっと…アウルには、陛下が、自分の境遇を創り出した根源だと思える理由が有ったのに違いない。
慈しんでくれたはずの両親を、自分から奪った憎い対象にだった。
アウルからすれば私自身も、憎むべき対象に成り得た。私が居なければ父がアウルを区別する必要は無かったからだったが、私の予測は裏切られた。
アウルは私を、唯一無二のツインとしてしか扱わなかった。
泣いてばかりで、と、言うと、そのままで良いと言い。
私のせいで父母が亡くなったと泣けば、自分のせいだと言う。
「マーヴが良いと言うまで傍に居るよ」
そう言って微笑を向けてくれた弟は、その時から私の全てになった。だから、8歳になった頃、王太子として伺候することが決まった折も、あの子が望むならばと、少し荷が重いと思いはしたが、王宮へ上がった。
僅か8歳での立太子が異例で有ったことから、王太子としての私に仕える者達を、慣れ親しんだ公家から半分、王宮で新に召し抱えられた者達の中から半分という形で構成する事となった。
実際の人選や役職の割り振りなどは、両親の逝去以来、アウルと供に公家を支えてくれた、公家唯一の上級者である執事のケインが取り仕切ってくれた。
最初は、私達の守り役として仕えてくれていたケインは、たった6歳で、公爵家の差配をしなくては成らなくなったアウルを支え、私達兄弟を全身全霊で慈しんでくれる唯一の人に成って居た。
夜半、もう床に就く頃に成って、明日には公家に戻る事に成っていたケインが、寝室を訪れた。
今夜の内に急ぎ公家に戻ろうと思うと言う。王太子と成っても、やはりアウルに比べれば…等と、捻くれて想った自分に、罰が当たったのだと、その夜起こった事件に長く思い知らされることと成った。
深夜にも関わらず屋敷に戻る事を急いだケインの予感は不幸にも的中した。私の立太子の準備に人手を割いた、無人に近い公家で惨事は起こった。
立太子後に私の王家でのスタッフとするために、公家から連れて来ていた使用人達と引き換えに、王家から、オルデンブルク公爵に仕えるべく新参していた。
その中の1人がアウルを襲ったのだ。
明け方、突然、アウルに呼ばれた気がして目覚めた。
少し動悸がするほどの恐怖に駆られて、ベッドの上に身を起こしたところへ声が掛かった。
「お休みの所を、失礼を申し上げます。カーライツでございます。マルグレーヴ様…おお、お目覚めでございましたか」
「伯爵。何事です?!」
寝室の淡い光の中でも、彼の表情が曇るのが解り、口に出すことを躊躇う様に言いよどんだ。
訝しげな私の視線に、息を呑み、意を決して、この明け方に急ぎ病院へ向かわねばならぬと言う。
血の気が引くのが解り、危うく気を失うところだった。
古めかしい石造りの表門を潜ると、静まり返っているはずの深夜の医局を、職員が慌ただしく右往左往していた。照明の落とされた待合を抜け、招き入れられた救急棟のICUの硝子の向こうに、アウルは横たわっていた。
見詰めたまま身動きも成らない私の傍で、怒りを含んだ伯爵の声が言う。
「…お命は取り留めましてございます。この様な折に申し訳なき事なれど、弟君は私共にお任せ有って、殿下は王宮へお戻りを」
「…今少し、カーライツ伯爵」
「では、今暫く。ですが、殿下にまで何事か御座いますれば、この国が立ちゆきませぬぞ」
「重々承知している!」
思わず怒鳴った私に目を見張り、カーライツ伯爵は叩頭した後席を外した。
彼が計らってくれたものだろう、程なくICUの中に招き入れられた。蒼白な面には体温すら既に無いかに見えた。
震える指先が伝えるひやりと微かな温度に涙が止まらなかった。
「…アウル…アウル!ごめん…ごめんよ…」
触れられて意識が浮上したのか、眉が寄せられ、悪夢に魘される様に唇が微かに震えた。居たたまれなくて、助けを求めてまろび出た廊下で、医師らしい声と伯爵が潜めた声で話すのが聞こえた。
「…酷く陵辱されておいでで…お胸の刺し傷は、ご自害されよう果てと存じます」
「…何と酷い!人の仕業とも思えぬ!!」
絞り出すような伯の声は、私の心の叫びと同じだった。
国家権力の前には、人の正義など何の歯止めにも成ら無いものかと、その後、更に加えられた暴力に震撼させられることと成った。
心臓を掠めた傷のために、ICUの中から出るまでに10日近くも掛かったと言うのに、一般病棟に移り、漸く好物を口に出来るまでに回復したと胸を撫で下ろした。
それも束の間、私へ報告の為に王宮を訪れていたケインの留守を突いて、アウルは何れかへ拉致されて終ったのだ。
あろう事か、事件を私に伝えたのは、策謀の張本人、リント伯爵だった。
アウルを玉座に着け、王妃と成した孫娘を介して操ろうと策謀した彼は、拒絶したアウルと、監視下に置いた私とを質に置いて、ケインに脅しをかけた。
アウルの行方を懸命に捜索していた彼を呼び出させ、私に告げさせたのだ。
「ケイン。アウルはリント伯爵のお計らいで療養所へ移らせて頂いたのだそうだ」
はたと顔を上げるケインに、何も言うなと目で止めた。
相対しているのは、力を持たぬ子供等、己が駒として扱うのが常道と、国を支える自負を理由に、執政者に有るまじき俗物なのだ!
「は。行き届きませぬ事で、お手数をお掛け致し申し訳なきことでございます」
歯嚙みをする思いでケインが返した言も、痴れ者の心を正す事は出来なかった。
「良い良い。公爵に在られては王太子殿下には大切な弟君ゆえ、この国の行く末にも大事をとらねばならぬと思うての。じゃが、ちと急いだ故、その方には心痛を掛けた。許せよ」
かくも凄まじき権力への執着。
高笑いを引きながら老人は暇を告げた。
老獪は去っても、彼の言の通り、私の身辺には手先が潜んでいよう。ケインを手招いて寄せると、駄々を捏ねる子供を模して
告げてみる。
「ケイン。今日はイチゴを忘れたの?!」
怪訝な表情は直ちに改められ、彼がわたしの意図を受け取ったことを知らせた。
「そうか。温室のイチゴは季節が終わったろうな。お祖母様のお庭の夏イチゴが懐かしい」
ケイン。
アウルを探しに行け。
何としても連れ戻れ。
「内緒で取りに行ってくれないか?!」
「は。御意のままに」
私にはこれ位しか出来ない。
この者の求めに応じ、助力を賜るように、と、したためた手紙を託し、見送り、祈ることしか…
果たして、アウルは戻り、再び見えることが叶った。
お読み頂き有り難うございました!
またまた、続きを書き始めてしまいました。今暫くお付き合い頂ければ幸いです!