悪役令嬢と七人のヒロイン(仮)たち
マジかよ。
シャルロッテは内心呟いた。生まれてこのかた、一度も使ったことのないような言葉遣いで。混乱しながら頭を押さえる。周りの目なんて気にしている余裕はなかった。
「シャルロッテ?どうしたの」
心配よりは叱責するような女の声。母親の声だ。今世の、とつくけれど。
いや、今世がこれだなんて受け入れがたい。
――これが、乙女ゲームの舞台なんて。そして自分が確実に若くして死ぬ運命だなんて。
目の前が真っ暗になって、シャルロッテはその場にふらりと倒れた。誰も支えてはくれなかった。
目覚めたときは多少はマシな気分になっていた。頭の中をぐちゃぐちゃにした二つの記憶に整理がついたのだ。
結果、現代日本に生きた一般市民の人格と、剣と魔法の封建社会に生きた貴族令嬢の人格が魔合体し、気位が高くて自分勝手で内心口の悪い気さくな少女が爆誕していた。矛盾している気がする。
「なんてこと……」
マジかよ、が勝手にお嬢様変換されてシャルロッテの口から言葉がこぼれる。鈴の鳴るような愛らしい声だ。悲壮感に満ち満ちているが仕方ないだろう、自分の運命の悲惨さに嘆かざるを得ない。
シャルロッテは侯爵令嬢だ。父親はすこし辺境だがやたらとデカくて資源の豊富な土地を治めている。めちゃくちゃ地位と発言権のある貴族で、その強力な貴族の後ろ盾を求めた第一王子とシャルロッテは婚約させられていた。
ちなみに第一王子は正妃の子供ではないが、まあまあ力のある側妃の息子であり、正妃の息子であるいくらか年下の第二王子もいる。後継者争いを起こしてくださいと言わんばかりの最悪すぎるシチュエーションだ。この国の王をシャルロッテは詰った。
それはともかく。目下の問題はシャルロッテが王子の婚約者をさせられていることだ。
現在七歳のシャルロッテは十年後、王都の学園に通うことになる。そこで繰り広げられる恋愛劇の結果、シャルロッテは死ぬのだ。乙女ゲームのヒロインをいじめたりとかしたせいで。
ところどころおぼろげな前世の記憶を掘り返しながらシャルロッテは唸る。表では物憂げなため息が出ただけだが。
ヒロインをいじめなければいいというだけの話なら単純だ。しかし中には実はシャルロッテは無実だったオチのエンディングとかもあった気がする。シャルロッテにいったいどんな恨みがあるのか、製作者を問い詰めたくなった。
なので、死亡エンドを回避する方法は今思い浮かぶ限りでは二つしかない。
一つ。王子と婚約しない。
これはもう無理だ。一度結んでしまった婚約は早々に破棄できないし。どちらかに致命的な瑕疵がない限りはどうにもならなくて、シャルロッテは婚約破棄をするために自分に致命的な瑕疵を作るつもりはなかった。
だってそんなの本末転倒だ。死ぬか、死ぬのと同じ目に遭うか。どっちもどっちだ。シャルロッテは貴族の地位を持ったまま悠々と楽しく生きたいのだ。わがままである。
一つ。ヒロインを入学させない。
破滅させられる前に破滅させ、追放される前に追放する。物騒だがそれが一番手っ取り早い。シャルロッテは自分の身がかわいいので、平民まがいの女の人生をどうにかすることにためらいはなかった。そこのところ、貴族にありがちな選民思想が残りまくっているのだった。
よし、とシャルロッテは気合を入れる。絶対にヒロインを見つけ出してやる。そして死亡エンドを回避し、輝かしい人生――でなくっても、そこそこ楽しく暮らしてみせる。グッと拳を握った。
そんなわけで、シャルロッテはまずは国内の男爵をリストアップするところから始めた。件の乙女ゲームはいわゆるデフォルト名がなかったので家名から特定ができなかったのだ。
そこからさらに男爵の女性関係を探る。そうしていくと、自分より年齢が一つ下の女児を妾との間に設けていて、かつ今は別々に暮らしている家は七つあった。ヒロインはシャルロッテより学年が一つ下なので年も一歳下だ。
つまりヒロイン候補は七人いることになる。
「思ったよりも多いわね」
シャルロッテはため息を吐く。そもそも貴族が妾はともかく庶子を持つなんてほめられたものではないのだ。しかしくじけてはいられない。ひとまずは七人の娘たちの見極めが必要だ。
まずは手始めに、一番近くにいる少女の様子を見てみよう。
*
ヒロイン候補の一人――アリス・カータレットが住んでいるのはシャルロッテが現在滞在している領地の屋敷の近辺だった。わがままお嬢様のシャルロッテは腕の立つ使用人を連れて街に遊びに行ったことが何度かある。市民から見ると貴族のお嬢様のお忍びだとバレバレではあるが、そっちのほうが安全だからだと今は理解できていた。
シャルロッテは街歩き用のワンピースを身に着けて使用人を呼びつけた。着替えを自分ですると最初は驚かれたものだが、ぶっちゃけ人に着替えを手伝ってもらうと時間がかかってかなわない。少し様子がおかしくなったシャルロッテにも忠実な使用人が何か言うことはない。
意気揚々と屋敷の門へ向かおうとすると、シャルロッテは庭の木陰でコソコソする人影に気がついた。不審者ではないが、挙動が不審だ。ずんずんと近寄るとその人影――シャルロッテの弟であるデイヴィッドはびくりと肩を揺らした。
「ごきげんよう、デイヴィッド。こんなところでなにをしているの?」
デイヴィッドはシャルロッテの父と母の間に生まれた子どもではない。娘一人しかいない侯爵家でシャルロッテが嫁ぐとなれば跡継ぎが必要ということで養子にとられた遠い親戚だ。これまでは特に興味の対象ではなかったが、よく見るとかわいらしい顔立ちをしていた。美ショタだ。長じれば美男になるだろう。だって乙女ゲームの攻略対象だったし。
「ご、ごきげんよう、シャルロッテさま……」
「なにをしているの?」
「あの……悪いことはしていません……」
「悪いことをしているの、なんて訊いていなくてよ。まあいいわ、今時間はあるかしら」
シャルロッテが尋ねるとびくびくしながらデイヴィッドは頷いた。恐れられているらしいが、これはきっとデイヴィッドの生家が侯爵家よりもずっと下の位だからだろう。それにシャルロッテは気位の高い性格でとっつきにくい。義理とはいえ姉を「シャルロッテさま」なんて呼ぶのもそのせいだと納得した。
納得したところで何かしようと思わないのがシャルロッテが距離を置かれる原因だ。そういうところである。
「わたくし、これから街に行くの。あなたもついてきなさいな」
「えっ、外にいくんですか」
「そうよ。あなただって育ったのはこのあたりでしょう。詳しいのではなくって?」
デイヴィッドの育った屋敷は街中にあったはずだ。ぱちくりと瞬いたデイヴィッドはまた一つ頷いた。それを肯定と取ってさっさと歩きだすシャルロッテに、デイヴィッドは数歩遅れてついてきた。
シャルロッテがデイヴィッドを連れていくと決めたのは彼が街に詳しいからではない。もしヒロインに出会ったら、デイヴィッドが何らかの反応を示す可能性があるからだ。つまりヒロインかどうかを計るためにデイヴィッドを使おうとしていた。ヒロイン探知機である。
さて、ヒロイン候補の住まいは分かっているが、どうやって接触しようか。シャルロッテが考えていると、向かいから明るい声が聞こえてきた。喧騒に紛れることなく、まっすぐにこっちに向かって呼びかけていると分かる声だ。
「ディー!」
「あ、アリス……?!」
デイヴィッドが答えたので、シャルロッテは目を丸くした。そう、呼びかけてくる少女こそがヒロイン候補の一人、アリスだったのだ。
「会いたかった、ディー!元気だった?」
「えっ、あの、アリス、ぼく……」
シャルロッテなんてアウトオブ眼中な様子のヒロイン候補がデイヴィッドの腕の中に飛び込む。一方デイヴィッドはおろおろしながらシャルロッテを気にかけているようだったが、アリスの突撃ハグ自体はまんざらでもないようだった。
どこからどう見てもお忍びな貴族の片割れに飛び込むとは、なかなかいい根性である。シャルロッテは脳内のノートに赤線を引いた。要注意。ヒロイン適性アリ。
「って、あなた誰?」
いけしゃあしゃあと言い放って睨んでくるあたりも常識を持ち合わせていなさそうな少女だった。シャルロッテはじっとりとアリスを見つめて、それからふと思い出した。
そうだ、デイヴィッドは侯爵家に引き取られる前に仲のいい平民の少女がいたのだった。味方のいない侯爵家で育つ中、彼の心の支えになっていたのがその少女だ。学園で男爵令嬢となった彼女と再会して恋を育むというのがデイヴィッドルートの筋書きだった。
完全にアタリだ。シャルロッテはにやりとほくそ笑む。表面上はしとやかに笑っただけだったが。
「デイヴィッド、この娘と仲がいいのね」
「す、すみません、シャルロッテさま」
「なによ。あたしとディーが仲良くて嫉妬してるの?」
「アリス!シャルロッテさまに失礼だよ」
心の支えにするには強かで口の悪い少女だなとシャルロッテは思った。こういうタイプが好きなのか、弟よ。
「ってディー、怪我してるじゃない!」
シャルロッテを親の仇のように睨んでいたアリスはぱっとデイヴィッドの手を取った。そしてまじないを唱える。
「痛いの痛いのとんでけ~!」
「えっ」
デイヴィッドの手の甲にあったのはかすり傷だったが、それがみるみるうちに消えていくのを目の当たりにしてシャルロッテも驚きを禁じ得なかった。聖属性の魔法を使える人間はレアだ。しかしヒロインもデフォルトでパラメータを振られている属性だったので、この少女がヒロインというのならおかしくない。
シャルロッテは考え込んだ。この少女を侯爵家の力でどうにかするのは簡単だが、どうにかしたことがデイヴィッドにバレたらこじれそうだ。子どものうちはいいけれど、デイヴィッドは将来侯爵家を継ぐのだからいつかバレる可能性は高い。バッドエンドを回避したところで忘れた頃に報復されるのも嫌だ。
だったらこのヒロインともうくっつけちゃえばいいんじゃない?だってレアな聖属性の持ち主だし、曲がりなりにも男爵家の娘だし。
シャルロッテを王家に嫁入りさせて王妃にしようと企む父が、デイヴィッドの婚姻についてはそこそこのところで手を打とうとしているのをシャルロッテは知っている。いくらめっちゃ強い侯爵家でも、あれもこれもと欲張ると周りに叩かれてしまうからだ。
「あんたがディーに怪我させたの!?」
シャルロッテが考え込んでいるうちに、アリスも飛躍した結論に至ったらしくシャルロッテを詰ってきた。デイヴィッドが止めようとしているが、シャルロッテは何を言われているかは興味がなく全然聞いていなかった。
「あなた、聖属性の持ち主なのね」
「あっ……こ、これは」
隠すようにでも言われていたのか、アリスは急にどもった。シャルロッテは構わず続ける。
「デイヴィッド。あなた、この娘と結婚したい?」
「シャルロッテさま!?きゅ、急にどうしたんですか!?も、もしかして、ぼくが、次期侯爵にふさわしくないから……」
「何を言っているの。あなた、養子に来たばかりでしょう。そんなすぐに判断できることではなくってよ」
ついでに言うとシャルロッテに決める権利はない。父に言えば判断材料になるかもしれないが、無用に引っ掻き回すつもりもなかった。
「いいこと、この娘は貴族の庶子なのよ。だから手を回せばあなたのお嫁さんにできるけど、どうする?」
「ディーと結婚!?したい、したい!」
アリスは間髪入れず答えるが、デイヴィッドは目を丸くして戸惑っていた。そりゃそうだ、普通はこの娘のように能天気に決められることではない。
「ぼくが……アリスと……」
「どう?」
けれど、デイヴィッドが望まないとこの計画はうまく行かないのだ。
したいと言ってくれと思いながら微笑むと、やがてデイヴィッドは頷いた。よっしゃ。シャルロッテは内心ガッツポーズをする。これでヒロインは処理できる。
ヒロインがヒロインたる所以は、彼女が学園に入るまでほとんど貴族の教育を受けておらず、婚約者もいないという点だ。現時点で侯爵家に嫁入りすることが決まっているならふさわしい教育を受けるだろうし、デイヴィッドに惚れているなら他の男に手を出すこともないだろう。
「分かったわ。ではそこの娘、後ほど使いを遣るので心しておくように」
「……ていうかあなた、結局誰なの?」
「あら。名乗りもせず人の名前を訊くのが平民のマナーなのかしら?」
ぐ、とアリスは言葉に詰まった。そして顎を引いてシャルロッテを見やる。そうするとちょっとは見られるようになった。
「あたしはアリス。ディーの将来のお嫁さんよ」
「そう。せいぜい頑張ることね、未来の侯爵夫人」
シャルロッテはそれだけ言って踵を返す。「ちょっとー!名乗りなさいよ!」と叫ぶのをデイヴィッドが止めるのが振り返らなくたってわかった。シャルロッテは使用人から扇を受け取ると、貴族令嬢らしく口元を隠した。
「身の程を弁えさせなくてはならないわね」
だってシャルロッテは彼女を取り立てた恩人なのだ。躾の厳しい家庭教師を用意して上下関係を分からせてやろうと親切なシャルロッテは微笑んだ。
これでヒロインがヒロインになる道はなくなった。シャルロッテはそう思い込んでいた。しかし、現実は非情である。
*
シャルロッテがそのことに気がついたのは、八歳になった年だった。その頃にはアリスはきちんと男爵家に引き取られ、教育を受け、デイヴィッドの婚約者の座に収まっていた。シャルロッテのことも「シャルロッテ様」と呼んで顔を青くして小鹿のようにプルプルと震えてかわいらしかった。生意気な娘がしおらしくなるのはいいな、とシャルロッテは満足した。結構趣味が悪いのだった。
事件が起きたのは王都に滞在している間だった。王子の婚約者であるシャルロッテは年に数か月王都に滞在して王子の話し相手になったり教育を受けたりしなくてはならない。めちゃくちゃ厳しいし王子は冷たいしでつまらない日々を過ごしているなか、シャルロッテは嫌になってちょっと息抜きに王都をぶらついていた。そして目撃してしまったのだ、ヒロイン候補として名前を挙げていた一人――イリア・ザイデルを。
問題は、そのヒロイン候補が攻略対象と共にいたことである。
その攻略対象とは騎士団の副団長の息子だ。副団長は元平民ながらも圧倒的な実力でその地位に上り詰めた有名人だ。そしてその息子も将来を期待され王子の遊び相手になっている。ゆくゆくは護衛に、ということなのだろう。そんなわけでシャルロッテはその少年と面識があった。名前をブラッドという。
様子をうかがってみると、ブラッドはイリアを庇っているようだった。相対しているのは何人かの少年たち。ブラッドより少し年上に見える。
「貴族もどきが、生意気なんだよ!」
少年たちのうちの一人が放った魔術に、ブラッドは腰の剣を抜いた。といっても、七歳の少年が帯びているのは流石に真剣ではない。木刀だ。そんなもので向かってくる火の弾をどうすることもできまいとせせら笑うような少年たちに対して、ひどく真剣な顔をしてブラッドは剣で薙ぎ払った。
おお。シャルロッテはつい感心して声を上げそうになった。ブラッドは火の弾を斬り裂いて霧散させたのだ。これは結構スゴい。木刀に魔力を纏わせたのだろうとシャルロッテは推測する。ブラッドは見かけによらず器用なようだ。
驚いたのは少年たちも同じで、しかしすぐにキレながら魔術を連発させたのでブラッドはイリアの手を引いて逃げ出した。正解だ。だってこんなめちゃくちゃな魔術を使う馬鹿はすぐに魔力切れを起こしてぶっ倒れるに決まっている。まともに相手をしなくたって自滅するんだから放っておけばいい。
走るのがだるいので、使用人に先に追わせたシャルロッテはゆっくり追いかけた。使用人の魔術で生み出された黒い鳥の後をついていくと、ブラッドとイリアが王都の数ある公園の隅で顔を突き合わせているのが見えた。
「ありがとう!あなた、すごいんだね!」
「俺なんて……。魔術もろくにつかえないし、結局逃げるしかできなかった」
「そんなことないよ!だってあんな、火の弾をスパーって!あなたの剣は魔術なんかよりずっとずっとすごかったよ!」
そういえばブラッドは魔力が多いわりに魔術を使うのが下手らしいと聞いたことがある。彼の父親はもともと一代限りの騎士爵を拝命していて、副団長まで上り詰めたその強さに惚れた侯爵家の姫と結婚して子爵にランクアップしたのだ。魔力量は母方の血なのだろう。
「魔術より、すごい……」
「そうだよ!すっごいかっこよかった!ありがとうね、えっと……」
「ブラッドだ」
「わたしはイリア。ふふ、よろしくね」
微笑む少女はアリスよりはまともな性格をしているっぽい。だが、シャルロッテは頭を抱えた。
これ、あったわ。イベントで。
母親譲りの魔力を魔術に変換する形でうまく扱えなかったブラッドはコンプレックスを抱いていたが、ある日街で出会った少女を助けたことで自分の剣に自信を得るのだ。
しかししばらくして騎士団の訓練に参加するようになり、少女とは会えなくなってしまう。その少女はじつは男爵家の庶子で、学園で再会するのだ。
マジか。この娘がヒロインになる可能性もある。ヤバいな。シャルロッテは少し考えたが、やることは前と一緒だった。この二人をくっつけてしまえばいい。そう物陰から二人のそばに近寄ろうとしたところで、イリアがブラッドの手を取った。
「ブラッドくん、火傷になっちゃってるよ!」
「え?こんなの大したことないだろ」
「ダメダメ、放っておいたら穢れが入って悪くなっちゃうよ。ちょっと待ってね、――癒しの光よ」
イリアが唱えるとブラッドの腕の火傷がすうっと消えていく。二回目だ。シャルロッテは天を仰いだ。この娘も聖属性の持ち主か。うーん、やはり放っておけない。
ブラッドが驚いた口を開く前に、シャルロッテは声をかけた。
「ベインズ様。こんなところでどうなさったの?」
「っ!キャンベル様!」
シャルロッテを見て驚いた様子のブラッドはすぐに礼の姿勢を取った。しっかりイリアを守るように前に立っている。一方でイリアは目を丸くして急に現れた見知らぬ少女を見つめるだけだった。
「ここは王城ではありませんわ。そうかしこまらなくてもよくってよ」
「はい、キャンベル様。あなたこそどうしてこんな場所に」
「散歩よ。ところで」
イリアに視線をやると彼女は緊張した様子だった。それはそうだ、シャルロッテは明らかに貴族の少女だ。アリスとは違う反応にシャルロッテは満足した。
……いや、この平凡な感じこそヒロインっぽくない?油断はできない。
「そこの娘、珍しい髪と目の色をしているわね」
「は、はい。あの、何か」
「親と同じ色なのかしら」
「えっと、お母さんは、わたしの目と髪の色はお父さんと同じだと、言ってました」
「そう。父親の職業は?」
「キャンベル様、そこまでに……」
ズバズバと訊いていくシャルロッテをブラッドが咎めるように呼んだが、そんな程度で止まるわけがない。持っていた扇をぴしゃんと閉じてブラッドに突きつけた。
「わたくしがこの娘に訊いているのです。黙っていなさいな」
「ですが」
「わたしは気にしてない、です。あの、ごめんなさい。お父さんのことはちょっとわからなくて。でも、お母さんは……えっと……」
「はっきり言いなさい」
「はっ、はい。お母さんは、お父さんが貴族だと、言っていたんですけど……。ごめんなさい、失礼ですよね」
「なぜ謝るの?まあいいわ、父親が貴族なら納得ね。その目と髪の色はザイデル家のものだもの」
これは事実だ。ザイデル家は異国の血が混じっていて珍しい色をしている。主人公の家名どころか外見も自由度が高いゲームだったせいでこんなことになっているのだろうとシャルロッテはため息をつきたくなった。まあ、そのおかげで彼女が貴族であると自然に結び付けられたのだが。
「イリア、貴族なのか!?」
ブラッドがデカい声で叫ぶ。驚くのはいいが、そんなに大きな声を出さないでほしいとシャルロッテは思った。耳がちょっとキーンとした。
「だから聖属性を使えるのでしょう」
「見ていたんですか……!」
「そうよ。聖属性が使える男爵家の娘、ね。じきに迎えが来るでしょうから支度をしておくことね」
シャルロッテはそれだけ言ってさっさと退散することにした。
ここからはシャルロッテが王都で使っている屋敷を管理している叔母に報告して、叔母から社交界に広まって、ザイデル男爵に伝わって、イリアが男爵家に迎えられるというルートだ。聖属性の持ち主ならありがたがられるし、シャルロッテが見つけたとなれば男爵も侯爵家とつながりを持てるかもしれないという下心を持つだろうし。
そしてブラッドがポンコツでなければ彼女を婚約者にしたいと言い出すはずだ。言わなかったらこれまたシャルロッテが叔母に吹き込めばいい。イリアを見つけたときのことを脚色して。持つべきは顔が広くてうわさが好きな親戚だな、とシャルロッテは思った。
しかし、ブラッドはシャルロッテが思っているよりちょっぴり勇敢だった。
「キャンベル様。少しよろしいでしょうか」
王城で再度顔を合わせたとき、そんなふうにイリアのことを切り出してきたのだ。
「どうしてイリアを男爵が迎えるように仕向けられたのですか」
「おかしなことを言うわね。あの娘は魔術を使える貴族よ。相応の立場を持つべきだわ」
「ですが……平民から貴族になったところで……幸せになるとは限りません」
それはもしかするとブラッドの実体験なのかもしれなかった。父親が平民上がりのために貴族まがいと馬鹿にされていたのだ。急に環境の変わったイリアのことが心配なのだろう。
でも、そんなことシャルロッテにはどうでもよかった。イリアがヒロインにならなきゃいいだけなのだから。
「でしたらあなたが支えてさしあげてはいかが?」
「お、俺が、ですか」
「幸せにしたいのでしょう」
尋ねるとブラッドはあっけにとられたようだったが、すぐに顔を真っ赤にした。そしてむにゃむにゃと呟いてからさっと立ち去ってしまう。
これでブラッドが何もしなかったらどうしようかとちょっと考えたが、そこまでポンコツではなかったらしい。後できちんと婚約をしたときいてシャルロッテは安心した。
*
それからシャルロッテは頑張った。そう、件の乙女ゲームではヒロインたちは学園に入学する前にほとんどの攻略対象と出会っているのだ。まさかルートごとにヒロインが別人だなんて思わなかったが、よく考えてみれば当たり前だった。
だって攻略対象たちが学園に入学するまでに住んでいる場所はバラバラで、一人のヒロインが全員と過去の関係を持つことは実質不可能なのだ。それを各ルートのヒロインが別人とすることで解決しないでほしいとシャルロッテは愚痴りたくなったが、とにかく頑張った。
あらゆる手を尽くしてヒロイン候補と攻略対象たちが婚約するように仕向けた。時に女好きの魔法伯の息子を、時にツンデレの次期宰相を、時にトラウマ持ちの若き王弟を、時に自分を持たない王家の影を、個性豊かなヒロインたちとくっつけまくった。
だが、一人だけうまく行かなかった。――七人目の攻略対象、シャルロッテの婚約相手であるアレクシスは、ヒロインと入学前に出会うことがないからである!
「詰みましたわ」
シャルロッテはうなだれた。半年後にはヒロインが学園にやってくる。もう時間がない。シャルロッテが大活躍している間に、最後のヒロイン候補は男爵家に引き取られてしまった。消すにも消せないのだ。不慮の事故に見せかけて殺すか……。ちょっと考えたが、リスクがある。これまで追放したり殺したりせずに穏便に済んでしまっていたせいで、シャルロッテの思考もそのリスクをとれないくらい甘くなっていた。
「お嬢様、どうされたのです」
使用人が心配そうに声をかけてくる。シャルロッテは憂鬱なまなざしで彼を見上げた。この使用人にもだいぶ迷惑をかけてしまったな、と思う。まあ、シャルロッテのわがままを聞くのが彼の仕事なのだけど。
「わたくし、学園に行きたくありませんの」
そこそこの付き合いで、そこそこ油断があったので疲れていたシャルロッテはつい本心を吐露してしまった。使用人はしばらく黙ったあと、ゆっくりと口を開いた。
「では、留学されてはいかがでしょう」
「……留学?」
「ええ。お嬢様はいずれ王妃になられるお方。今のうちから他国と交流を持っておいてもおかしくはありませんよ」
使用人が微笑む。シャルロッテは彼を見たまま瞬きをした。彼の色は、そうだ、異国の色だった。
どうして、異国の男がこの屋敷にいるのだろう。そしてシャルロッテの専属使用人なんかをしているのだろう。シャルロッテは今更疑問に思ったが、それよりも留学という提案に心を惹かれていた。
異国に行ってしまえば学園でのいざこざに巻き込まれることはない。それは死を避ける第三の道だ。
「あなたも……ついてきてくださる?」
「おおせのままに。お嬢様」
使用人は綺麗に一礼する。そうと決まればとシャルロッテはすぐさま行動を開始した。
ヒロインはシャルロッテより一学年下だが、学園に入学するのは他より半年遅れになる。その間にシャルロッテは準備を整えて異国への留学を父親に説き伏せた。去年から続けている学園での人脈作りも怠らない。自分がいない間になにか起こる可能性はあるからだ。
予想外に役に立ったのは、ヒロイン候補だった六人の令嬢たちだった。彼女たちはしっかり貴族の女性として教育を受けており、それぞれの婚約者と睦まじい。それにシャルロッテに借りがあるのだ。シャルロッテが学園にいない間の情報網として機能するだろう。
そうしてシャルロッテは異国に旅立った。使用人を連れて。
入れ違いになったヒロインのことは、もうどうにでもなれだ。自分に害が及ばなければ王子とくっついたところでシャルロッテ本人は痛くもかゆくもない。王子とは義務以上の付き合いをしてこなかったし、王妃になりたいという野望も微塵も持っていない。そこそこ楽しく暮らせればよかった。
「ところで、お嬢様」
ガタガタと馬車に揺られている間、使用人がそう口を開いた。シャルロッテは彼に視線を向ける。
「七人目の聖乙女は処分しておきましたので、ご心配なく」
「……七人目の聖乙女?」
シャルロッテは彼の言葉を繰り返すしかなかった。何を言っているのだろう。
「ええ、お嬢様が気にしていらしたキャロル・マレットです。彼女は学園に向かう途中で魔獣に襲われ命を落としました」
その言葉にシャルロッテは理解せざるを得ない。彼が言っているのはシャルロッテを悩ませていた七人目のヒロイン候補のことなのだ。なぜか「聖乙女」と呼んでいるが、それはヒロイン候補たちが全員聖属性を持っていたからなのだろう。
――頭が痛い。何か別の理由が、あったのではなかったか。そう考えたが首を横に振った。思い出そうとするとさらに頭が痛くなるから。嫌な予感がする。
シャルロッテは馬車の座席にゆっくり体を沈めた。最後のヒロインが死んだということは、シャルロッテが乙女ゲームのバッドエンドで死ぬことはきっとない。
けれど。この目の前の男は。黒髪黒目の、異国――今向かっている先である、魔国――の色を持つ男は、はたしてシャルロッテの味方だろうか。
「お嬢様が聖乙女すべてを処分されたことで我が王もお喜びです」
「……他の娘は殺してはいないけれど?」
「純潔ではなくなりましたでしょう」
ふーん。シャルロッテは半分現実逃避をしながら頷いた。婚約したのをいいことに、ヤることヤっているらしい。結婚するまではしっかり避妊しようね。
とはいえ、一応は婚前交渉は推奨されない貴族たちなのだ。全員が事に及んでいるというのは普通に考えるとあり得ない。もしかしたらこの男がそこまで手を回したのかもしれないとシャルロッテは思った。
「これで我が国に迫る危機は穏便に排除されました。お嬢様、望みがあればおっしゃってください。我が王はお嬢様に褒美をくださるとおっしゃっています」
シャルロッテは「そう」と呟いた。男の言う「我が王」がシャルロッテが暮らしていた国の王でないこととか、そもそもどうして彼がキャンベル侯爵家で使用人をやっていたのかとか、いろいろツッコみたいことはある。
シャルロッテの頭痛はすっかり消えていた。代わりに脳裏に浮かんだのは、ずっともやがかかったように思い出せなかったゲームのラストだった。
魔国の王が代替わりし、悪しき魔王となり世界征服を目論む。聖乙女となったヒロインは結ばれた攻略対象と協力して国を侵略しようとしてきた魔王を下す。それが乙女ゲームの筋書きだった。道理で聖属性とかパラメーターなどのRPG要素があったはずだ。
そしてシャルロッテがすべてのエンディングで死ぬことになったのは、彼女が魔王とつながっていた証拠があったからである。
目の前の男を通して。
死亡フラグがずっとそばにいたことを知って、シャルロッテはショックを受けた。そして「留学」なんてしてしまった今――もう国に戻ることはできないと悟った。つながりがあっただけで殺されるような未来だ、国境を越えてしまったシャルロッテはもうおしまいである。
「では、あなた。わたくしのことを守りなさい」
「……それは、あなたの騎士になれと?」
「なんでもよくてよ。これまで通り使用人でも、騎士でも、夫でも。わたくし、楽しく暮らしたいの。あなたがその生活を守ってちょうだい」
聖乙女は魔王の唯一の天敵で、そのほとんどを騒ぎ立てられる事なく水面下でスムーズに排除したシャルロッテは魔王にとっては世界征服の最大の功労者とも言える。ちなみに、ゲームではヒロイン以外の六人が不自然に殺されていたせいで魔王の目論見はバレつつあったのである。
シャルロッテが望むのなら、魔王は言葉通りなんでも与えるつもりだった。今まで彼女が暮らしていた国をそのままくれてやってもいいとさえ言っていた。もともとシャルロッテは王妃になる予定なのだから、魔王が手を貸せばスムーズかつ比較的平和に国を掌握できる。
けれどシャルロッテは暗に王妃になるつもりはないとさえ言った。というか実際あまりなかった。シャルロッテにとって王子はつまらない男で、王妃はつまらない職業で、そこそこ楽しく暮らすのは難しそうだったので。
「あなたが権力を望まない方とは知っていました。ですが、なぜ私なのです?」
「だってあなた、わたくしの望みを叶えるのは得意じゃない」
シャルロッテが言うと男はすこし困ったように眉を下げた。シャルロッテがどんな無茶ぶりをしても淡々とこなしていた彼のその表情は、シャルロッテの目には好ましく映った。
「まいったな。馬車の中では何を言っても恰好がつきませんね」
シャルロッテは「下りたら楽しみにしているわ」と微笑んだ。
そんなわけで、シャルロッテは魔王による世界征服を特等席で見ながら楽しく暮らす権利を得たのだった。