3 木符について知る2
頭を使うのは苦手である。座学など特にといっていい。
ただ、目の前の少女は何故か教鞭を振るうことに乗り気になっており、逃げたあとにも追いかけられそうなので甘んじて受けることになった。
「さて、それではコードの話ですが。さきほど申しましたように『木符』にはコードと呼ばれる方程式が存在します。コードを作り上げるのはこの村にいらした学者の方々で、別名をレコーダーと称しております。この方々がコードを作っているのですわ」
川辺に落ちていた木の枝を手に、教鞭をふるう真似事である。セシリアは説明したがりの性格なのか、話を聞くカノンを気にする素振りもなく、話を進めた。
「まず『木符』が発動すると、アルマを介して近くの『巫女の木』へとコードが伝わります。『巫女の木』もまた大元となる木――『御大樹』と呼ばれる木へと繋がります。『御大樹』には全てのコードが記録されていまして、『木符』から届いたコードが正確に形を成しますと、そのコードに刻まれた行動を自然界にあるアルマへと働きかける、指向性を持たせることができるわけですわ。これにより、水の流れを自在に操り洗濯をしたりすることができるわけですわ」
「ごめん。何言ってるか、わかんない」
「…………」
口に出されても長々と話されたら何が何やら、と率直な思いを口にした。
それまで気持ちよさげに説明していたセシリアは少し固まると悩ましそうに頭を抱えて苦悶する。もしや人に教えることが好きな性格であったのかもしれない。好きなことに向いているとは限らない、という現実を突きつけられたゆえの苦悩であろうか。
「しょうがないですわ。もう簡単にいいますと。『木符』を使う際には近くに『巫女の木』と呼ばれる木がなければ効力がまったく出ないということですわ。『巫女の木』は周囲のアルマを安定させると同時に、『木符』からのコードを送受信する継ぎ目の役割をもっているということです! だからこの村での『木符』を恒久的に使えるようにするために、レコーダーの方々が『巫女の木』を調べに来たのですわ」
「ああ、うん。なんとなくわかった」
なんとなく。ちょっとだけ。気持ち程度に理解した。
「あとはもう、実践あるのみ、ですわね。貴方さきほど武術をやっていたということですし、今度はこの『木符』でどこまでできるのかを試してみましょう」
渡された木符には『波』という意味を持つ言葉が記されていた。
「これは?」
「体術を極めた人なら、エネルギーの塊を放てる木符ですわ」
「うっそ! かっこいい!」
「……貴方の笑顔はじめてみましたわ」
言われてスッと表情を戻す。冷静にならねば。まだ出会って初日の相手に、本性をさらけ出せるほどの器量はない。……気を許すなどまだ早いのだ。
「アルマでの身体強化は木符がなくても可能なことですが、木符によるコードを利用することで、大気中のアルマを集めることが可能になります。この木符には『集める』と『放出』するというコードの指向性が刻まれています。ただ、まずは実践ですわね」
頷いて、ライブラと呼ばれる腕輪に木符を埋め込んだ。
続いて、身体の気――アルマを、腕輪をはめた左腕へと集中させる。すると青白い光が木符を包んだ。これが起動の合図となるのは、さきほどの川での練習で始めて知ったことだった。
「えー……、で。あとは大気中のアルマを集めるイメージで、か」
…………ん? これ、なんというか。
「あれ? 難しくない?」
周囲のアルマは、一向に集まる気配すらない。両手を広げ、引き込むような動作をしても、文字通り手は空を切るばかりである。
「それはそうでしょう。始めての木符の操作で上手くなんていったら、それこそ天才以上ですわよ。だから言ったでしょう? どこまでできるのか、って」
ここにきて底意地の悪さを露見させたようで、セシリアはニマニマとした笑顔を浮かている。どうやらさきほどの教鞭の真似事の途中放棄がお気に召さなかったらしい。
「アルマが集まったらそのまま飛ばすイメージを作って押し出せばできますわよ」
「ま、溜めて撃てばいいわけでしょ。そのくらいちょっと集中すりゃ……」
そう言って。話すのをやめる。
眼を閉じ、静かに息を吐く。両手をゆっくりと広げ、手のひらを中心に大気中のアルマを引き寄せる、吸収するような感覚を作る。
「……集中、吸収。………固める」
両手には平常時よりもずっしりとした重さを感じる。息を吐きながら、この重さを繋げるようにゆっくりと両の手を近づけ、合わせ、握り合う。
「……弾けず。弾けず」
少し霧散したか?
気にせずに溜まったアルマを圧縮させるように、小さく、質を高める。ここまでくれば普段の武術稽古のようなものだ。
呼吸を体全体に染み込ませるように、足の先から頭のてっぺん、指の先へと力を流すように。
眼を開けると、粒ほどだったアルマの輝きが光のモヤとなって両手を包んでいた。
「よし、できた。これであとは撃つだけだね」
「………な、なかなかやるじゃありませんの」
少しだけ悔しそうなセシリアの声色に気をよくして、
「一発デカイのかますからね」
意気揚々と、川に照準を向ける。
「川岸に向かって撃てば安全か。よし。これで……。ふぅー……………」
息を整え、力を溜める。握り合わせた両手は胸の前へ。
溜めて、溜めて、溜めて。
そして、力強く押し出した。
「―――――――ハッ!!!!」
両手に集まったアルマの輝きがより一層に光を放つ。
瞬間、音がした。
ぷっ!
炭酸が抜けたような。屁をこいたような音である。
「……あ?」
押し出した光は大部分が拡散し、一部がひょろひょろーと、前に飛び出す。
川岸を超えることも何かを破壊することもない。
ただ、風前の灯火となり、空虚に消えた。
「………うふっ」
セシリアが口元を押さえる。堪えきれずに笑いだした。
「…………ぷくくくっ! お腹が痛いっ! お腹が痛いですわぁっ!」
後ろではひとり取り乱したかのように笑うセシリアの姿が。お腹を抱えて、地面を叩いている。拳の痛さで必死に笑いを止めようとでもしているのか。
まさか―――――何か悪戯や苛めの餌食になったのでは。
学者一行とは仮の姿! しかしてその実態は、都の貴族。善良な村人を嘲笑うための陰湿なる計画が実行され、都の最先端の道具で釣り出して餌に食いついた獲物を一斉に指をさし笑う悪夢のような光景が―――。
「………ない」
人は、いない。真っ赤な顔で辺りを見渡しても、見物人はおろか、人影もない。いるのは鳥ばかり。というかひとりを笑うためにそんな大行列でくるかっていう。
ならば、個人的な嫌がらせか! ぐるんと体を反転させて、お腹を抱えて笑うセシリアをみる。しかし、
「ごめん、なさっ……。でもっ、ひーっ! お腹が、いたっ……! ぷくくくっ! 一発デカイのって!周りに被害って! そんな威力もなかったのにっ! まるでお尻からでるようなっ! なんの音でしたのあれはっ! おならですか!? ひーっ!」
一応は謝罪を述べているので悪意はないらしい。ただムカつくことに変わりはない。
人の笑いのツボとはわからないものだが、これだけ笑われるとむしろ冷静さがよりもどる。
―――コイツ。もしも親しくなることがあれば、いつの日か倍返しにしてやろう。
顔に上った血が引いていくのを感じながら、いまだに笑い転げるセシリアをみてため息をついた。