17 血
よく逃げた方だと思う。
足は血に染まり、背中は服ごと切り裂かれ、かろうじて致命傷は避けてはいても、痛みから足が止まった。
名家ラインズベルトを背負う者として、一般の村人に犠牲者を出してはならない。ましてや、自らの判断の過ちでなど以ての外だ。それならば自らが犠牲となり、栄誉をもって死の淵へ。
白い杖を握る手に力が入らなくなった。
全身全霊、最後の力を振り絞って発動させた二度目の五芒星も消えていく。
初期変動による副作用が消えたことで木符を再び発動し、割れかけた木符が壊れないことを願いながら能力を使用した。
賭けには勝った。
木符が壊れることはなかった。けれど肉体の限界が先だった。
杖を持つことすらできなくなり、カランと音をたてて大事な杖は転がった。
拘束を解かれたケイロン・カルマが近寄ってくる。遅いのか、早いのかすらもうわからない。
逃げる最中に負った傷は思いのほか深かったのか、血が足りていないのかも。
だってこんなにも体が熱いのだから。
そういえば、あのときもひとりで森の中にいたのだ。
走馬灯。
大切な思い出を振り返る。
7年前、療養のために訪れたこの地で、森で迷い、足を痛めた。
そこで出会った黒髪の少年。
ぶっきらぼうだが優しく、森の奥地で見つけた自分を背負ってくれた人。
覚えているのは朧げな記憶。確か首筋にアザのある人。
結局、出会うことはなかった。カノンの話では村の住人かも怪しい、記憶の人。
そうだ。まだ再会していない。
会いたい。もしあの記憶が夢でなければ、夢幻でないのなら、会って話をしてみたい。ありがとう、と。言えなかった言葉を伝えたい。
まだ、死ぬわけには。
死にたくない。
生きていたいと心に火が灯る。
栄誉の死より、生きていたい。
が、目の前には自らを殺す化物のみ。
槍の先端が深い森のなかで怪しく輝いている。
それが届けば、絶命。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌イヤイヤイヤイヤ!
痛みと出血、体は燃えるように熱い。
せめて視覚だけでも恐怖から逃れようと、赤い霧を纏うケイロン・カルマから目を離し、殻にこもるように蹲った。
耳を塞ぐ。音が消えた。
歯はカチカチと震える。震えは止まらない。
手も震える。止められない。
いつのまにか、寒気で全身の毛が逆立つよう。
暗闇の中で、既に死んでいるのではとすら思える時のなか、
「邪魔だあああああああああああああ!!」
確かに、その声が届いた。
声がして、音がした。
そして風が吹き抜けたように感じた。
眼を開けると、黒い髪の人が。
思い出の人――――――――――――――――ではなく、カノンがそこにいた。
「これでいいわけ!?」
『ああ! 兎に角、時間切れしたら終わりだからな! 5分の猶予なんて考えずに次の一撃で確実に仕留めろよ!』
カノンの声に、誰かの声が響く。知らない、男の声だ。
人影は、他にいないのに。
「ほんとに当てるだけで、胴体に当てるだけで倒せるのんっですか!?」
慣れていない敬語で、男の声に質問をしている。
『ああ、安心しな! その如意棒なら間違いなく倒せる! [神様]が言うんだから信じなさいって!』
「わかりましたよ! ………セシリアはそこで休んでて。あとは、ボクが片付ける」
一度セシリアの方へと視線を送り、再びケイロン・カルマへと焦点を向ける。
その顔はどこか怒りに満ちているように思えた。
こちらから声をかけることすらできずに、セシリアは佇んでいた。




