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小空卓都は昼夜とこずえと小学六年生の時同じクラスだった同い年の、どことなく不思議な空気を醸し出す少年だった。容姿は小学六年生当時を振り返ってみれば眼鏡に坊ちゃん刈りといった大人しさの権化と言ってもいい程にマジメを象徴化させたような少年で、傍らには常に何かしらの辞典を持っていたと、そんな印象を数年経った後でも思わせるガリ勉タイプの少年だった。当然他人の意見を無視して我を通すような事もなく、いつも穏やかなその口調と質問をすれば何でも応えてくれるそのキャラクターから『博士』と呼ばれていたのは当然というか、お決まりのニックネームだった。
博士に聞けば何でも分かるよ
博士に相談しとけば大丈夫だって
博士なら絶対誰にもばらさないから
だって博士は真面目だもんな
ガリ勉等と言うマイナス的なイメージをカテゴライズされているにも関わらず中々の人気者だった卓都が昼夜とこずえとどのような関係だったのかと言われれば、それはそこまで深い関係だったとか、或いは浅い関係だった訳ではない。つかず離れず、群れる事もなく個別でいる事もない。言うなればただのクラスメイトだった訳だが、昼夜、こずえ、卓都はその学力の高さから周りからはこう呼ばれていた。
四教の四天王。
四天王というからにはもう一人、昼夜達と共にその学力を買われたそこそこの実力者がいた訳なのではあるがここでは関係ないので割愛する。
四教の四天王とは簡単にいえばこういう事である。
国語の王 物部昼夜
算数の王 千駄木こずえ
理科の王 小空卓都
要するに各教科それぞれで成績の良い者達をなぞらえて四教の四天王などと称していた訳だが実際はその四教科、全てにおいてこずえが他の三人を圧倒していた訳ではあるのだがなんとなく小学生だからだろう。当時流行っていたゲームからなぞらえて四天王なんていう言葉が使われ、そして昼夜達は持て囃されていた。もっとも持て囃されていたのは小学生の夏休みを過ぎたあたりから、中学受験等をする生徒が出始め勉強へと向けそれぞれの意欲が掻き立てられるようになってからなので六年生の後半からなのではあるが、そんな浅からぬ関係と言っていいのか、昼夜にしてみればどう表現していいのか分からない小空卓都が、今、目の前にいた。
「久々じゃん昼夜」
それも髪の毛を金髪にし耳にピアスを開け、ズボンに取り付けたチェーンをジャラジャラさせながら、彼は某ファミリーレストランにて昼夜と会うなり、軽い感じで挨拶をしてきた。
「どうよ? 最近っつーかここんところ調子どうなのよ?」
対面に座りながら早速たばこをふかし始めた卓都を見て、昼夜は時の流れの偉大さを改めて痛感する事になっていた。
卓都は中学受験を行い見事に、地元ではない私立の中学校をへと入学していた。だから昼夜にとってみれば小学校を卒業してから会う卓都は初めてであり新鮮でもあった。
風のうわさによれば卓都が中学選択を誤り非行に走ったとか、学校の勉強について行けず学年でも最下位クラスのどん底にまで落っこちたとか、そんな話しをチラホラと元同小で同中だった友人達から聞いていた。その頃昼夜は既に卓都とは連絡を取っておらず噂など話し半分でしか聞いていなかった訳だが、どうやら噂はそれなりに正確な情報をしっかりと孕み風となって周囲に伝播されるのだなと、改めて人の口に戸が立てられない現実と思いの外正確なその建てられた戸口に感心をしたのだった。
「つーか何年ぶりだ? もしかして卒業以来か?」
卓都は店員にイチゴパフェを頼みながら煙草を吹かしていた。まるで十年来の付き合いを思わせるかのようなその吸いっぷりにどこまでその肺が黒ずんでいるのか予想すらできない昼夜ではあったが、それでも気後れしないように、自分がこれから行うウソの代行に気を張り巡らせていた。
「多分小学校卒業以来だと思うけど」
昼夜は先についていたので既に注文し持って来られているアイスコーヒーを一口すすりながらとりあえずどうしたものかと様子を伺いつつ、世間話から繰り広げる事にした。
「っていうかお前変わったな」
三年のブランクがある、言ってみれば幼馴染みたいな関係の友人に受けた衝撃は正直な物だった。思った以上に噂って正確なんだな、なんて感概に耽る暇もないのは昼夜の今の心境がそこまでの余裕を有していないからなのだろうが、それでも思わざるを得なかったし、第一見過ごして世間話が出来るレベルの変化でもなかった。
「なんか随分と派手になったといか、全力で世の中の流れに逆行していると言うか、アウトロー一直線って感じだな」
実際アウトローと言ってもただの痛い中途半端なヤンキーにしか見えなのだが、こんな東京の片田舎で、そんな中途半端アウトローを全力でやっている所が既にアウトローな気もしなかった。
「イメチェンだよ」
卓都は吹かした煙草の灰を人差し指で叩き落としながら言う。
「とりあえず博士なんて呼ばれている俺はもういない訳だ。中学を機に学内で俺の支配体制を築こうとした訳だが上には上がいて俺はそんな中での味噌っかすだ。おまけに辞書を片手に行動してんだから背中からどつかれたっておかしくないだろ? だから中学二年を機に華々しく中二デビューを飾ってやろうかと思った訳だけどそれもあえなく失敗。つーか失敗するに決まってるつうの。私立のエスカレーター中学だぜ? クラスだって三年間一緒だ。そんな俺が急にはしゃいだ格好で登校してくるんだからな。そりゃ失敗もするわ。んで余計に周りからどつかれる。お陰でメンタルとフィジカルの防御力が異常に高くなっちまったわけだが、とにもかくにもイメチェンだ。んで今の俺がこれな訳で、根なし草のプータロー生活がスタートしたって訳だ」
プータローって……
昼夜はハッとなる。
「お前、高校行ってないのか?」
その言葉に卓都は得意気に頷いていた。全く以ってバカのする奴の面だと、本気でそう思い昼夜はため息とともに言葉を紡ぐ。
「それにお前、根なし草ってどういう事だよ? まさか家もない訳じゃないだろうな?」
「いや」
すると卓都は普通に応えた。
「別に家は普通にあるさ。オヤジとお袋にじいちゃんばあちゃん姉きの二世帯住宅だ」
相変わらずのアットホームだな……
昼夜は古き良きの日本の家族をイメージし、ホッと胸を撫で下ろしながら言葉を手繰り寄せていた。
「じゃあ今は、なんか仕事とかしてるのか? 高校行ってないんだからバイトとかくらい――」
「お前相変わらずイヤな奴だよな」
唐突に卓都が言い放った。それはまるで今まで溜めこんでいたけど言う事の出来なかった積年の文句を言うが如く、変わり果てた自分だからこそ言える事に気が付きそしてそれに快感を覚えているかのような、そんなサッパリとした言い方だった。
「自分の頭の中が優秀だからってそれを基準に物事考えやがって。今じゃあれだろ? けっこういいとこの学校にでも行ってんだろ? そこでも成績優秀で品行方正な優良生徒やってる訳だ。でなにか?高校を行く事をやめた中卒の人間はみなすべからく勤労に励まなきゃいけないっつーのかよ? んだよその価値観。相変わらず四角四面だな。それに相変わらず自分の物差しを押し付けてくるよな。その優秀な物差しをよ」
随分と卑屈になってしまったかつのて級友に昼夜は正直めんどくささしか覚えていなかった。こんな状況でどうすれば世間話に、積もり積もった様々な話しに花を咲かせればいいのだと、本気でそう思っていた。いっその事単刀直入に用件だけ伝えて解散してやりたい気分にもなったが、しかしそれはそれで上手くいかない気がしていた。目の前に現れた博士のなれの果てに絶望しながらも、何とか言葉を紡ぐしかなかった。
「そんな事いったら、お前だって同じじゃんか」
昼夜はコーヒーに映り込んだ曇り顔の自分を見ながら呟いた。
「卓都だって、それなりに自分の物差し持ち歩いてたんじゃないのかよ。別に俺達それほど仲良かった訳でもないけど、お前の方が俺なんかよりよっぽどしっかり――」
「昼夜、お前ほんとバカな所あるよな」
卓都は煙草を灰皿で消しながら言った。
「俺が言ってるのはお前を基準に物事を考えるなって事だ。それに考えてもみろっつーの。俺が自分の物差しをしっかり持ってる? バカじゃねえの? 自分の価値観しっかり持ってるやつが辞書なんか片手に行動するかよ。自分の発言に自信がねーからマニュアルもって歩いてんだ。そんくらい頭いいんだから気付けばか」
「気付けばかって……」
なにか色々と文章が矛盾している気もするが……
「頭がいいのだったらお前も同じだろ。前言われてただろほら、四教の四天王って。確か卓都は……」
「理科だろ?」
「そう理科だよ。元々俺とお前にそんな差なんか――」
「あるに決まってるだろ」
卓都は断言した。
「つーか小学校の理科なんてただの暗記科目じゃねーか。よくそんなんで俺も理科の王なんて名乗れたもんだよな。結局俺の頭は理系じゃ無かったし、中学入ってそれが露呈して散々な目にあったんだ。それに比べてお前はどうだよ。今じゃどこだ? なんかよく知らねえけど噂では進学校に行ってそこでも成績優秀? ふざけんじゃねえよ。そんなヤツの価値観で俺の事なんて推し量るんじゃねえ。不愉快だっつーの」
正直な所昼夜はなんと返していいのか分からなかった。罵倒されている筈なのにどこか褒められているような感覚が彼を襲いつつも、それでも自分以上に凄い人間がいる事を知っているが故か、素直にそれを喜ぶ事も出来ずにいた。
「別に、俺は凄く何か……」
昼夜は自分で言っておきながらその言葉に恥ずかしさを覚えていた。だからこそ、ここでは出すべきでない言葉をまるで責任転嫁として使うかのように放出していた。
「千駄木に比べたら……」
その言葉に卓都は「ああ……」と頷きもう一本煙草を取り出しライターをカチカチ鳴らしていた。
「あいつは別次元だろ」
卓都は煙草をくわえながら続ける。
「つーかあいつは異常だ。何もかも全て吸収しちまうし他人から見て欲しくない隠してる部分まで見透かして来やがる。んでもってそれを恥ずかしい事だなんて思わせずに千駄木自身の、普通だったら人から見られたくないような所を平気で自分からさらけ出してくる。あいつは優秀とかそう言った括りじゃ言い表せないだろ。まだあれが小学生だったから良かったけど、もし中学高校となったら確実にハブられるぞ。異次元過ぎて、凄過ぎて、本物過ぎて誰からも理解されない、格好のいじめの標的だ」
確かにその通りだった。昼夜はコーヒーに映った自分の顔を見ながら、思う。
それが現実なのだと。そしてそれを苦にこずえは死を迎える事を、自らを守る事になるのだと穿った結論を導き出していたのだ。
自分の身は自分で守るしかない。きっとこずえはそう思ったに違いない。友人にも頼れず、家族にも頼れず、教師にも頼れない。そして幼馴染は見て見ぬふりをした。
一人で戦って、一人で負けて、一人で悩んで、そして行きついたのだろう。
自分の身を守るという事が本質的に一体どういう事なのか、それが人間の生死に関わってきてしまう位に彼女は追い詰められ、死を、命の概念すらその頭の中で持論を組み立て上げ、本質的な人間の死と生と、今後の未来に、見切りをつけて計算したのだろう。結果生まれたのが守る。
守って隠されて、存在しない人間になる。それがこずえを救うただ一つの結論だと、彼女自身が気付いたのだろう。
守隠しって知ってる?
こずえがどれほどの覚悟をもって昼夜にその言葉を言ったのか、昼夜がそんな事分かる訳などなかった。ただその言葉を昼夜に吐いた事事態が昼夜に対する復讐で、そして唯一救いを求める相手だったのだろう。
昼夜はその事に自分自身気付きながら、処女上げるや、セックスをしてあげる等と平気なを顔しながら言い、本当にその貞操を自分にささげようとしたあの夜の事を思いだし間違ったベクトルのもと彼女の気持ちに応えなくてはいけないと自責の念に駆られるのだった。
「そういえば確か千駄木って今どこの学校に――」
「卓都」
昼夜はコーヒーを一気飲みしてから目を真っ直ぐ卓都へと向けて言い放った。
「ちょっと頼まれてほしい事があるんだ」
守隠し計画。こずえを守る唯一の手段。
その為に必要な手段、アイテムを調達しなければいけなかった。そして、今、目の前にいる卓都程そのアイテム調達に適している人間はいなかった。
「というかこれは卓都にしか頼めない事だから、断らないでほしい」
昼夜はそう言いながら深々と頭を下げた。久々に卓都に会い脳裏に過ぎった不安が依頼に対する見返りだった。今目の前にいる卓都を昼夜はこれっぽっちも信用する事は出来なかった。
以前とは余りにも違うその風貌、考え方、境遇に時の流れを感じつつも、それでも頼むしかなかった。何故なら
「お前の家にある睡眠薬を俺に譲ってくれないか?」
そう。卓都の実家は医者だった。小さな診療所を営む町医者。心療内科として幅広く地域住民の健康相談窓口になっている善良なる医者の家系、それが小空心療内科なのだ。
「睡眠薬って……なんでだよ。眠れないのか?」
卓都の質問に昼夜は頷く。
「最近どうにも寝付きが悪いと言うか、まあ色々悩み事があってさ。だから」
「悩み事?」
「単純な事だよ」
昼夜はあらかじめ用意しておいた安易な、それでいてシンプルな答えを紡いだ。
「高校入学から三カ月だけどまだクラスに馴染めてない。それだけだ」
ウソでしかなかった。しかしこのウソが卓都にとって有効なのは充分昼夜は承知していた。
「へえ」
卓都がそう言うとウエイタ―が先ほど頼んだイチゴパフェを持ってきた。特盛りと行ってもいいそのボリュームは、働いてもいないニートが注文するには不釣り合いな巨大さだったが医者の子というだけでそのパフェの巨大さを納得させてしまう力がそこには確かにあった。
「で? 自分で医者にかかって薬をもらうとか、市販の睡眠薬を購入するとか、そういう風にはまた考えない訳?」
昼夜はその言葉に無言で頷いた。これだけで卓都には伝わるはずである。昼夜は自分自身が小学校の時とそれほど変わっているとは思っていなかった。
「世間体って奴ね。お前の八方美人っぷりも相変わらずだな」
そう。昼夜にはかつて、小学生時代から周囲の視線を多分に気にするクセみたいな物があった。それは周りから仲間はずれにされたくないや、一人だけ浮いた発言や行動などをして白い目で見られたくないと言う、どこか強迫観念にもにた感情だった。それがあったが故に昼夜はこずえのいじめを見て見ぬふりをしてきた訳ではあるが、今回に限ってはそれが上手く活用出来たのだった。
「まあ別にいいけど」
意外な事に卓都はあっさりと了承をしてくれた。昼夜はその潔さっプリに思わず拍手をしてやりたくなった位だが、やはり、そう簡単にはいかなかった。
「ただし条件がある」
その瞬間、当然のように昼夜の中でイヤな予感が塊りとなって脳髄目がけて体当たりをしてきたのは言うまでもないだろう。
昼夜は条件によると、前もって何の機先にもならない制止をかけておいたが、果たしてそれが本当に意味のある事だったのか定かではなかった。何故ならそれは思いの外意外で、ある意味衝撃的だったからだ。
「お前深澤ヤヨイって覚えてる?」
深澤……
昼夜は一瞬思案顔をした。そして一瞬も何も、そこまで思案する必要もない人物の心当たりに思わず口をポカンと開けていた。
「もしかして、あの深澤? 四教の……社会の」
「そう。その深澤だ」
昼夜は思いだしていた。あの艶やかな黒さを誇るおかっぱの、色が白くてそばかすだらけの少女の事を。目が切れ長で鋭く、小学生時代は勉強しかできないクソが付くほどの真面目な少女。持て囃されていた四教の中でも唯一日の目を見なかった女の子。
「……で?」
昼夜は思わず問い返していた。何故いきなり彼女が出て来たのか、全く以って理解出来なかったからだ。しかし次に卓都の口から出た端的なその言葉に、理解力の高い昼夜が即座に彼の出した条件を理解できない訳がなかった。
一カ月ほど前にたまたま見かけて見違えるほどに綺麗になっていた。
地元を離れた私立中学へと入学しそのまま高校の寮へ寄生している。
電話番号を知らないからコンタクトをとりたくとも出来ない。
友人が多いお前なら深澤の番号を知っているヤツに聞けるだろう。
つまり……
「深澤と俺の仲を取り持て」
そういう事らしかった。
そして、条件がクリアされなければ睡眠薬もないとの事だった。
昼夜としては市販では売ってない強いタイプの睡眠薬が欲しいのが事実だった。しかし実際に受診した所で本当に不眠症でも無い自分にそのような薬が処方される訳もない事は分かっていた。
だからこそ、昼夜はその条件を厄介事と認識しながらも呑むしかなかった。




