表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
守隠し  作者: スタンドライト
実行
21/30

3・5

 九月七日。陽が傾き始め空がオレンジ色に染まった夕刻の事である。六限目の授業と最後のホームルームを終えた生徒達が教室からぞろぞろと帰宅の途へと付く中、二人の生徒だけがその場に居残り目を見合わせていた。

「話しがあるんだけど」

窓から射し込む橙色の光が逆光となり二人のシルエットを黒く浮かび上がらせる中、声を掛けられたもう一人の生徒は嬉しそうに首を縦に動かしていた。

「出来れば腰を据えてゆっくりと話したいね」


 昼夜とこずえは下校途中、近くでは穴場として知られる個人経営の喫茶店へと入り互いにアイスコーヒーを注文していた。茶色を基調とした色彩に当てはめられた、落ち着いた雰囲気を醸し出す喫茶店の中、少数しかいない客の中で有名進学校の制服を着た二人の様は少し周囲から浮いているようでもあった。

ガラス張りになった壁から外を覗けばそこにあるのは公園に面した交通量の少ない一本道の道路で、アスファルトと緑が不思議と見事な色合いを作りだしていた。

叩けば良い具合に埃が出て来そうな座面クッションのついた椅子に座りながら、昼夜は言葉を選び、口を開いていた。

「残す所あと一日だな」

徐如にセミの鳴き声が小さくなっていく夏の終盤。喫茶店の中に夏の風物詩を連想させる音は一切なかった。掛かっているのは弦楽器を用いた、聞き流す用に作られたBGMのみ。

特別その音が心地いいと、昼夜がそう思った訳では無かった。しかし微かに聞こえてくる適音の旋律に昼夜自身、話しやすい環境を与えられているなとは思っていた。

「そうだね」

こずえがストローから口を離し頷く。どことなく周囲に存在する音の環境を一切排した、切り離された存在感を放つ一言のようだった。

「残す所あと一日だね。これで私の人生も違う段階にシフトするんだね」

「違う段階にって」

昼夜は自分が放つべき言葉を持っていないという事を知っていた。だからこずえが話す言葉尻を捉えて会話を展開させるしか出来なかった。

「お前にとって守隠しは死じゃないから、これからもまだ人生が続くって事か?」

「そうだよ」

こずえは得意気にいった。

「私の中の価値観として存在している人生って言う物が、ちょっと変化するだけ。だから楽しみ。これからなにが待ち受けているのか、私自身がどうなっちゃうのかさ」

「…………」

相変わらずの理解し難い言動に昼夜は言葉を失うしかなかった。

一般的に捉えられている死を前に、その概念を新たな人生の転換と捉える一人の女子高生を前に、昼夜はそもそもな疑問をぶつける。

「っていうか、お前、死後の世界とか信じてるんだっけ?」

死んだらその後待っているのは無でしか無い。昼夜はそう思っていた。肉体が無くなり精神が失われ目の前に存在するのは暗闇だけ。昼夜はそう思っていた。

「お前の言う人生の転換って言うのもそれがありきだと思ってるからそういう発言が出来るんだろ?」

昼夜の質問は場当たり的で、的を得ていなかった。しかし、それを知ってて尚、こずえは会話を継続させるのだった。

「ちなみに物部君はどう思ってるの?」

笑顔のままに、彼女は続ける。

「死後の世界肯定派? それとも否定派? 地獄や天国があるとは思わない? それとも六道輪廻を信じてるの? 或いは待っているのは無だけだと思っている派?」

生命体の死後に派閥が存在するなど思ってもいなかったが昼夜自身、何の宗教にも入っていないことから特に死後と言う物に対して特筆的な価値観は持っていなかった。故に死後、物部昼夜が物部昼夜として存在できる訳もないと、彼はそう思っていた。

「……無だと思っている派かな」

くだらない質問にくだらない回答だと思った。そしてこの話しの矛先を振ったのは自からであった事を思い出しながら昼夜は口を噤んでいた。

だが対照的にこずえは嬉々として答える。

「どうして?」

「どうしてって」

昼夜は目の前にあるアイスコーヒーを見ながら言った。

「真っ暗だと思うからだよ」

それは昼夜にとって、ウソ偽りの無い本心だった。

「人間が生きてる由来って、感じる事と考える事だと俺は思ってる。それで感じる事と考える事が人間の身体のどこで行われているかって言うと脳味噌だ。だから、ヒトは死んだら脳味噌だって死ぬだろ? そしたら何も感じる事は出来ないし、考える事も出来ない。だから死んだ先の世界にあるのは真っ暗な、暗闇だと思ってる」

だからなのだろうか?

昼夜はふと思う。人間が、いや、自分自身が死と言う物を根本的に恐れているのは、暗闇を恐れると言う人間が持つ本来の性質が存在しているからこそそこに忌避感を覚えているのだろうかと、そう思った。

しかしこずえはどうやら違うらしい。

「私は死後の世界が真っ暗だなんて思わないな」

それは反論というより、ただの一意見に過ぎないと言った感じのニュアンスを含んだ言葉だった。

「だって真っ暗だって言ってみれば人間の認識の一つの要素でしょ? 真っ暗と感じて、それを暗闇と認識するからそこに真っ暗が成立するんだから、もし死後の世界がなにもない無なんだとしたら待っているのは暗闇なんかじゃないと思うな」

じゃあ、と。

昼夜はグラスから滴り落ちる水滴を指で撫でながら言う。

じゃあなにが待ってるんだよと。

死の世界に存在するのが暗闇でないのだとしたら、そこに存在するのは何なんだと。

「だから、無、なんでしょ」

こずえは何の気なしに言った。そしてアイスコーヒーを一気に飲み干すと脇にあったメニュー表を眺めながら言った。

「無っていうのは漠然と黒を想像しちゃうけど、ホントは違うと思う。そもそもこの世に無なんて概念は既に存在して無いから、私達が無を想像する事なんて不可能なんだと思う」

「なんだよそれ」

昼夜はたまらず口を挟んでいた。

「死の先には暗闇すら存在していないなんて、それじゃあ一体なにが待ってるんだよ? 死んだあと、俺達はどうなるんだよ」

「だから無だって。っていうかこれはあくまで無だった場合の話しだけど、その場合はなにも待ってないんじゃないかな。つまり、なんにもない、これが死後、無が私達を待っていた場合の答えなんじゃないの?」

「意味が分からん」

昼夜はそう言いながら、ふと考えた。こずえの言う、なんにもない、状態が一体どういう事を指すのか。

今現在、昼夜を取り巻く環境は様々な物で溢れかえっている。目の前のアイスコーヒーに心地いい音楽、外を眺めれば灰色のアスファルトに公園を埋める木の梢。更に目には見えない部分でも酸素と窒素が浮遊し微生物たちが生存している。そして目の前には無を語る千駄木こずえ。

これら全ての物が存在しなくなった場合、なんにも無くなってしまった場合、そこに存在する物は何なのだろうかと、そもそも矛盾を孕んだ疑問を抱きながら昼夜はこずえの事を見つめ、返すのだった。

「で? 千駄木はそんな何にもない世界こそが至高だから死にたいと? まあ千駄木的には死ぬんじゃなくて守隠されるっていうニュアンスなのかもしれないけど、そういう事か?」

「いや違うけど」

こずえはあっさりと言い放った。

「別に死後の世界が無だと決まってる訳じゃないから、いちがいにそうだとは言いきれないよね。っていうかよく分かんないし、死んだあとどうなるのかなんて」

わからないと、さらりとそう言ってのけたこずえの言葉に昼夜は思わず目を見開いていた。

「分からないってお前、守隠しはお前の人生の転換になるポイントだったんじゃないのかよ? そう思ってるからこそその決断が出来たんじゃないのかよ?」

「そうだけど」

こずえは昼夜の言葉にあっさりと頷いて、付けくわえた。

「なにが起きか分からないから、転換点なんだよ。歴史上死んだ人間が一度も生き返ったなんて事実は一度もないでしょ? だから死の先になにが待っているのかなんて誰も分からない。もしかしたら本当に天国や地獄があるのかもしれないし、生まれ変わりのチャンスだってあるかもしれない。或いは未だに誰もが想像した事のない未知の世界が待っている可能性だってある。

人間は皆死って言う物を一括りにして人生の中で最終的に迎える仕方の無い物として割り切っているけど、私はそうは思わない。

科学的にその先になにが待っているのか立証できない以上それは人生の終了だと言いきる事は出来ないし、転換点であるべきだと思う。何も一括りに死を忌避すべき物や逃れられない物として一概的に当てはめて考える必要もないと思うの。

人間は皆それぞれ思考し、直感する事が出来るんだから私にとっての死と物部君にとっての死が違うのは当然だし、それを死と認識するか、傍から見て不幸な事だと分類するか、それこそ無意味だと思う訳」

「それって」

昼夜はこずえの口から発せられた微かに香る異次元の匂いを感じ取り、話すのだった。

「ただの言葉遊びにも思えなくもないんだけど、それにしたって……」

一瞬彼はその言葉を言おうかどうか躊躇った。しかしこの場での、この話題についての躊躇いが後に後悔を生むのではないかという事を直感的に悟った昼夜は吐き出すように言うのだった。

「お前、自分以外の人間の事をどう思ってるんだ?」

昼夜はこずえの話しを聞きながら感じていた。こずえの中で認識されている対人物という種類の存在が、まるで記号的だと言う事に。人と人は違うと、よくつかわれる常套句のような物は幾つも存在するが、こずえの放つ言葉の端々に感じられたのはそれすらも超越した人間を、まるで他の種族の生物と同義にしてみているかのような、そんな雰囲気だった。

「一か月前、占いの時もチラッと言ったとは思うんだけど」

こずえは昼夜の言葉を受け取り、そして租借した上で話し始めた。

「人と人との関係って、言葉から成り立っていると私は思ってる。もちろん長い年月をかけて出来あがった関係、或いは血を分けた関係なんかも確かに存在するけど、でも基本的には人と人との関係は言葉ありきだと私は思ってる。

これは言葉っていう物理的な道具だけを指し示している訳じゃないよ? 口が聞けない人や、耳が聞こえない人、例えそういう人達がいたとしたって同じ、だって思考は人間に与えられた特権で、人間は思考をする度に言葉を使用しないとそれをする事が出来ないから。人と人を繋いでるのは言葉だし、人間は確実に言葉に支配されているとも思う」

しはい

その言葉に昼夜は何故か嫌な気持ちを覚える。普段使っている言葉にそれほどの強い思いを感じた事など彼にはなかった。

「……なんでそう思うんだよ?」

昼夜の率直な質問に、こずえは答えた。

「言葉が真実を語る事は不可能だから」

言っている事の意味が分からない昼夜は首を傾げるしか無かった。こずえは淀みなく喋る。

「言葉っていうのは、言ってみれば飾りなんだよね。人間が元来持っている思考能力や思い、それこそ原始的な愛情みたいな、そういった感情を相手に伝える為の、カスタマイズ可能な情報伝達ツール。こんな冷めた言い方してるけど実際人って誰かを強く想ったり、何かを強く願ったりとか、そういう能力は持ち合わせていると思うんだ。だけどそれを相手に伝えるのってやっぱり言葉ありきじゃん? 中にはそれを行動で示す人もいるんだけど、まあそういう人達は別格。言葉の薄っぺらさを無意識に理解している人達なんだよね。

えっと、つまり私が何を言いたいかと言うと、世の中に言葉程都合のいい物は存在しないし、それでそんな言葉を媒介として繋がっている人間社会って、何もかもが信じられない欺瞞に満ち溢れた世界だと思ってる訳。

でもそれは大人達が互いに理解し合ってる暗黙の了解みたいなルールで、みんなウソを前提に人との関係を紡ぎ合ってる。

だから私は思うの。言葉は娯楽の為にあるって。後世に歴史を伝える為にあるとか、重要な情報を相手に伝える為にあるとか、そんなんじゃないと思う。

私は思うの。そもそも言葉の起源ってなんだろうって。いや、多分そんなのはもう解明されちゃってるのかもしれないけど私の中では違う。

私はね、こう思うの。言葉が誕生した理由って、誰かに大切な思いとか、重大な情報を伝える為に出来たんじゃなくて、その場に存在した楽しい気持ちを共有したいから出来たんじゃないかって。

よく言うんじゃん。言わなきゃ分からないとか、伝える為には口を開かないととか、でもそんなの昔は違ったんだと思う。本当の昔、きっと有史以前の人達は思いを行動に乗っけていたんだと思う。

だから言葉に意味なんかなかった。言葉は楽しい感情をその場で共有し合うだけの為にある物。

でも時代が進むにつれて言葉に託された役割は増えて行った。そしてその内人と人との関係が言葉ありきになった時、そこに互いの真意性は消え去った。何故なら言葉自体が信頼する事のできるツールではなく、そもそもそういう用途で作られた物ではなかったから」

「…………」

こずえの言葉と言う物の解釈は昼夜にとって興味深い物だったと同時に、改めて千駄木こずえと言う存在を彼の中で異質な物として認知させるには充分な物だった。

言葉ありきの人間関係が陥っているその欺瞞と虚偽性に満ち溢れた現実に、こずえは諦めを感じていたのだろうか? 或いは達観していたのだろうか? 結局の所こずえの言葉を鵜呑みにするならば今現在、話されていた彼女の言葉すら真偽を確かめるすべはなく受け取る側の人間がどう解釈するかによって真実がいくらでも捻じ曲げられてしまう、そんな内容の言葉だった。

「要するに真実なんて無いんだよね。人間関係においてさ」

発信する側と受け取る側。一人で自己完結のする事が出来ない人間の心理についてその本質を見抜いてしまったかのようなこずえの言葉に、昼夜はその内容をなぞる事しか出来なかった。

「つまり……言葉を使用してる時点で、千駄木にとって人間関係ッて言う物は本質的に偽りをたてまえに紡がれている物って言う事か?」

その言葉にこずえは頷く。

「そ。あくまで、言葉ありきの場合はね」

なんとも身も蓋もない話しだった。言葉という道具が持つ真偽性に対して、言葉を使ってそれを展開させているのだからそもそもこの話し事態に矛盾が孕んでいない訳が無かった。

こういうテーマを客観的に解決に導く場合どうすればいいのだろうと、ふと昼夜が思い導かれたのが数式だった。自然界における物理的法則や要因を数値化した物を使用すればこの問題にも一つの普遍的な、人間の心理が介入する事のない答えが導けるのではないだろうかとふと思い、そしてそういえばこずえが小学生時代算数の王と呼ばれていた事を思いだし真の理系と分類する事の出来る頭を持つ人間の凄さを垣間見た気がした。

『つーか元々オレの頭は理系なんかじゃねーし』

ふと一年前の卓都の言葉が頭を過ぎり、昼夜は話しを本題へと戻すのだった。

「で? 人間関係の真偽牲と死を人生の最終局面と認識していないからこそ千駄木は守隠しに対してなんの物怖じも感じていない訳だ」

「まあそんな感じかな」

こずえのあっさりとした返事に、昼夜は次に続ける言葉を見失っていた。

で?

昼夜の中にいるもう一人の自分が囁く。

それで、お前はそれを聞いてどうするつもりなんだ?

昨日、一昨日と卓都達に言われた言葉を思い出すもそれを言う資格が自分に無い事を昼夜は充分承知していた。

傍観者の物部昼夜。

被害者の千駄木こずえ。

一年を掛けた今になってこそ、こずえのいじめはなりを潜めつつあったがしかし確実に根付いているクラスの異物というレッテルは張りつけられたままだった。意図的な孤立に周囲で流布される流言飛語、少しでもおかしな行動をとればそれは嘲笑の的にされ挨拶をしても誰も返す事はない。

孤独と孤立がこずえの周囲を埋める中、それは形成されていったのかもしれない。人間関係における猜疑心。こずえはもう言葉を建て前とした関係にすら疑問を持つ段階を超え、自らの中で答えを見つけそれを解答としているのかもしれない。

再び、昼夜は昨日話した卓都の言葉を思い出す。

『こずえって頭の中で勝手に自分の答えを見つけてそれを絶対の物としてるじゃん。それって他人から見たらバカみたいだと一見思われるんだけどさ、実際こずえのは違うんだよ。何故ならあいつは絶対にその考えを他人に押し付けないから。他人と考えを共有しようとしないから、そもそもあいつは別次元にいるんだよ。普通人間って奴は自分の考えがあるとするとそれを他人に披露したり、それが正論だって押し通したりしたくなるものだろ。そこには確実に他者に対する関心があるからそういう気持ちが生まれるんだと思うけど、でもこずえは違う。あいつは他人なんか関係ないんだ。自分の世界の中で答えを出して、終わってる。導いた答えをそのまま全て自分の物にして離さないんだ。この場合話さないっていうのとも掛かってるんだけど、まあ上手くはねーか。いやまあそれはどうでもいいんだけどよ、だからさ、あいつが出してる人間としての本物臭もそこらへんに起因しているような気がするんだよな。どことなく、他者を気にしない能力的に高い奴って、孤高とか、天才とか、そういう印象うけるだろ? こずえもそれと同じな訳だ』

他人に考えを押し付けない、考えを共有しようとすらしない。

何故なら、こずえの中で言葉とは楽しみを共有する物であって自分の考えや信条を共有する為の物ではないから。

それらの事を無駄だと思っているから。

だからこそ彼女は守隠しを選んだのかもしれない。そして、そこまでの境地に至った経過にクラスでのいじめが関係しているとするのならばそこにあるのは大きな間違いだとも昼夜は思った。

しかしそれを正す事が出来る訳などないと、昼夜は思う。

『私、物部君の事が好きだったんだ』

一年前にされた唐突な、既に過去系とされてしまった告白。そこにあるのは紛れもない好きだった者に呆れ果て傍観者としてのレッテルを張られた復讐心だった。

責任、そして劣等感という二つの単語が昼夜の中で蠢き、口を閉ざす。

こずえのいじめを見て見ぬふりをして来たという自分に対する負の責任感と、こずえに対して覚えている人間の質による劣等感。

二つの感情が昼夜の邪魔をして暴れ回っていた。

なにも気にする事じゃないだろと、普通の人だったらそう説いて来そうな二つの事象が昼夜には重い枷のようになって足首に絡まり身動きをとれなくさせていた。だから彼の放つ言葉が本質とずれていたのも当然の事なのかもしれなかった。

「そういえば言うの忘れてたけど、ここのパフェ最高に上手いんだぜ。奢ってやるから食べろよ」

「ホント? 随分気前良いね」

等とどうでもいい事ばかりが彼の口から零れ出て、こずえもそれを受容するかのように相槌を打ちながらパフェを頼み、そして他愛もない会話を開始させるのだった。

学校での出来事、今マイブームとなっている物、普段考えている事や思った事、なんの取りとめもない会話がダラダラと続き、昼夜はそれを聞き役に徹しながら笑顔で頷いていた。

明日、千駄木は死ぬ

その事実だけが昼夜の中で重くのしかかりこめかみから汗を滲ませていた。三杯目となるアイスコーヒーを呑み終え時刻が夕方の六時を超えても話しが尽きる事はなかった。

次第に会話の流れは共通の思い出話へとシフトしあの時の同級生はどうしてるんだろうとか、あの時あんな事やこんな事があったね等と普通の幼馴染と会話を楽しんでいるかのような錯覚に見舞われ、そういえば千駄木は幼馴染だったと、改めて実感をさせられながら時間は刻一刻と過ぎて行った。

いつの間にか暮れなずんでいた陽が地平へと沈みこみ辺りには夜の帳が下りていた。店内を見渡すと客は昼夜達以外はおらず、先ほどまでかかっていた心地の良い音楽も切れている。

昼夜が時計を確認すると時刻は八時を回っており、この喫茶店の営業時間をゆうに超えていた事に気が付く。

「もうこんな時間?」

こずえが腕時計を見ながら呟き昼夜も驚く。そして最終の客となった昼夜達にウエイタ―が最後通告を行ってきた。

「ラストオーダーになりますが」

その言葉に昼夜とこずえは互いに、示し合わせたかのように首を横に振っていた。

長さを感じさせない時間の流れに昼夜は現実感を失っていた。

「いこっか」

こずえがそう言いながら席を立つ中、昼夜もそれにならって立ち上がっていた。レシートを手にとり、ここは俺が払うから、と下らない自尊心で自分を満たす昼夜。自分の情けなさと二度と訪れる事のないこずえとの時間に鼻がツンとする感覚を覚えながら彼は会計を済ませる為レジへと向かった。

レジで会計を済ませるといよいよ帰るしかない選択肢が強制的に選択されようとしていた。

九月八日まであと数時間。そして千駄木こずえが死ぬまであと十数時間。

喫茶店から出た昼夜を待っていたこずえが笑顔で言ってきた。

「今日はありがと」

まるで普通の女子高生を連想させる彼女の言葉が、昼夜には真新しく、そして直視出来なかった。

「最後に物部君と話せて良かったよ。凄く楽しかった」

「…………」

どういう反応を返せばいいのか分からない昼夜が視線をアスファルトへと向けていると不意に、こずえが近づいてきた。そして顔を近づけ頬にキスをする。

「…………」

「約束覚えてる?」

こずえは若干照れくさそうにしながら言った。

「私が守隠されたら、私の身体を好きにして言いよって話し」

昼夜はその言葉に一年前の事を思い出す。

報酬、と称してその身体を好きにして良い権利を昼夜は得る事になるのだ。千駄木こずえが死んだその後に。

「こんなスペシャルプレゼント、滅多にないんだからね。腐敗が始まらない内にちゃんと楽しむんだよ?」

なんでそんなおぞましい事が言えるんだよ?

昼夜はこずえのペラペラと開かれるその口にそう一石を投じたかった。しかし何も言う事ができない。口を開いても出てくるのはただの呼吸音と無様な言葉の断片だけだった。

「でもまあ、朴念仁の物部君はなにも出来ないか。普通高校生のあり余った性衝動ってのは常軌を逸してる物なんだけど、そこら辺は優等生の物部君らしいね」

「……千駄木」

何か話さなくてはと思った。何でも良いからこの場で何かを言わなければ一生後悔すると昼夜はそう思った。そしてその瞬間に昨日、千駄木家へと侵入した時発見した昼夜宛の手紙を思い出す。

「俺昨日――」

「私もう帰るね」

こずえがまるで何かを振りきるように、そう言い切った。それはまるで、決心していた覚悟を揺るがせない為に放った自己防衛的な一言だった。しかし昼夜はそれに気付けなかった。

その為か唐突に放たれた帰宅の意に、即座に対応出来ていなかった。

「もう遅いし、明日ほら、当日じゃない? だから、早めに帰って、早めに寝るよ」

セミの鳴き声が消え去った静寂の夜の中、冷たくなり始めた夜風に体を冷やしながら昼夜は言葉を紡げずにいた。

帰るなよ、

或いは、

死なないでくれ、

たったそれだけの言葉が昼夜には言えなかった。背筋が凍りつく位冷たくなっているクセに掌は汗でびっしょりだった。等間隔に置かれた街灯の元照らされたこずえの顔はどこか儚げで今にも消えてしまいそうだった。

行くな。

昼夜はそう何度も思った。

もう何もかも全て忘れて、投げ出してしまえと、

そう言いたかった。

しかし言葉はなに一つ口から出て来なかった。

長い沈黙が二人の間に時間として降り立ち奇妙な間がいつまでも続く。そんな中、こずえは何かを待っているかのように昼夜の目を見つめ、そして言うのだった。

「じゃあ最後に」

こずえははつらつとした顔で言った。

「物部君、何か私に言いたい事があったら受け付けるよ。積年の思いを晴らす最後のチャンスかもしれないんだから、遠慮しないで良いよ」

こずえの言葉に一体どのような意図が隠されているのか、昼夜には全く理解出来なかった。そしてヤヨイと卓都が言ったアドバイスがぐるぐると頭の中を回り続ける中、時間だけが無情に過ぎ去って行く。

「時間切れ」

こずえが月明かりの街灯の光の下、可愛らしく言った。

「あなたの発言権は今をもって締め切られました」

わざと機械的な声を出して言うこずえの言葉に昼夜は現実感を得られないまま、今更になって声を出していた。

「準備は……万端なのか?」

違うだろ

昼夜は自分の放った言葉に軽蔑を覚えていた。何故この場面で、この局面でそんな事を言ってるんだよと、自分自身の薄っぺらさに嫌気を覚えた。

「だいじょうぶだよ」

しかしこずえはあっけらかんと言う。

「一通り準備は出来てるし、注文とかはヤヨイちゃんがやってくれたから、あとは私があそこに行くだけ」

「…………」

返す言葉が見つからなかった。そして再び沈黙の帳が下りようとした時だった。それを避けるかのようにこずえは言葉を紡いでいた。

「じゃあ私からも最後。物部君に言わせてちょうだい」

それは告げる、と称した方がいいだろう事実を打ち明けるかのような言葉だった。

「これから先、辛い事が沢山あると思うけど、それにくじけないで頑張ってね」

月並みな言葉だった。しかしこずえから発せられた月並みな言葉が、月並みな意味で昼夜に伝わる訳無かった。

「じゃ私帰るね」

そう言うとこずえは昼夜へと背を向けた。

帰る方向は一緒のはずなのに、敢えてここで別れを告げようとするこずえの感情に昼夜は自分の行動を制限されたような気がしてその場に留まる事しか出来なかった。

星と月が輝いて澄んだ空気が夜に充満する中、二人の十七歳はあっさりと袂を分かった。

一人は後ろを振り向かず、もう一人その者の背中を見つめながら、それでも言いたい事を言えず。しかし背中を見せながらその場をさる少女が内心で何を考えていたのかは別だった。

少女の言葉を鵜呑みにするならば、言葉は真意性にかけた道具でしかないから。人の本心を推し量るには人間が放つその一挙手一投足に気を配らなければいけないから。だから、この時、少女が本当に言葉通り、額面通りの心境を持っているのか、それは謎でしか無かった。

「本当に最後」

少女は立ち止まり、少年に振り向く事なく言うのだった。

「今までありがと」

その声がどこか震えているのではないかと、昼夜がそんな風に感じる事が出来ていたらその言葉は取り消しになったのかもしれない。

「私、とっても感謝しているから。でもサヨナラ。もう二度と会う事は無いだろうけど、私の事忘れないでちょうだい。それから」

少女は良いきった。

「楽しかったよ」

そして少女は一度も少年の事を振り向く事なく夜の闇へと消えて行った。

それを見送る少年の瞳に張っていたのは紛れもない水滴だった。

固く結ばれて開く事のなかった、少女いわく真意性に欠ける言葉の一つもかけられない自分の不甲斐なさに少年は憤りを覚えその場で座り込むしか無かった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ