3・3
アパート探しは思いの外簡単に終了した。
日野町中心部にある駅から対照的に遠く離れた山間部と町が奇妙に融合する、いわゆる郊外と言われる地域に存在する、通常の立地条件から言えば最悪と言っていいだろう1Kのアパートを敷金礼金も含め即決で契約する事に成功していた。アパートの裏はもろに山であり、ベランダから見える風景が自然そのものと言った完璧に人からの視線をシャットダウンできる環境も即決にもとずく一つの特典要素となっていた。
六畳一間のフローリングに玄関ドアから一直線に続くその距離はおよそ4メートル程で充分にチューブトレーニング用のゴムが1往復出来る環境でもあった。
しかし残念な事に天井にはそう都合よくこずえが首を吊る為に必要な突起になるような物はなく、その辺りは装置も含めて試行錯誤をしなくてはならないなと、そう言いながらも中々好条件な要素をふんだんに孕んだそんなアパートがこずえの最期の時を迎えるにあたって必要となる最重要アイテムとなった。
もちろん何もかもが上手く言った訳ではない。当然未成年である昼夜達に親の同意なしに契約書にサイン等が出来る訳無かったのだが、そこはこずえの独壇場だった。
「私に任せて」
と言った翌日どこから手に入れて来たのか、或いはどうやって作成したのか、昼夜達素人目には全くと言っていいほど完璧で、なおかつ架空の人間をでっち上げた戸籍標本に住民票、そして契約書を持ち大家の前でそれを渡していた。
月島かおる 二十歳。それがこずえの偽造された戸籍の名前だった。
そしてなんらおとがめを受ける事なく自分達の殺人スペースを手に入れた昼夜達が夏休みを明けてからもそこに集い装置作りに余念がなかったのは言うまでも無かった。
九月の五日。まだまだ夏の暑さが抜けない、夕方の四時の事である。
「やっぱり無理なんじゃね―の?」
フローリングの部屋の中、青いブルーシートを床に敷いた状態で座布団が高く積まれていた。そしてその上に置かれた不安定な状態の椅子に座るこずえ。
チューブトレーニング用のゴムはドアノブから離れ、ドアポストへと戻っている。
そう。簡単に言えば失敗だった。部屋を借りてから数日。ヤヨイの指示の下装置を作成し幾度も実験をしているのだったが未だに成功は一回もなかった。
不安定な状態で足場を形成しているはずの座布団と椅子が予想に反してゴムの引力に耐えられたのは一重にこずえの重さがそこにあったからだといえるだろう。ヤヨイの計算上ではゴムの引力に負け倒壊を起こすそのタワーが、人間一人がそこに座るだけでびくともしない程に強固な塔となっていた。
「つーか普通に考えてそうだよな。人が一人そこに座るんだから、それに伴って塔を崩す力も強めなきゃいけねーしな。っていうかヤヨイ、どうすんだよ? このままじゃこのプラン失敗だぞ」
「うるさいわね」
ヤヨイは卓都の冷静な状況分析をぴしゃりと遮った。
「そんな今分かりきったような事を知った風な口で言わないでちょうだい。ただでさえ考えなきゃいけない事が山ほどあるっていうのにあなたの軽口に付き合ってるヒマなんかないの」
ヤヨイの言葉に卓都は肩をすくめて見る。まさに「はいはい」と言った感じの風景であった。
「なあこずえ」
とここで卓都が見上げる。こずえは未だ座布団の上に置かれた椅子に座ったままだ。
「実際そこに座ってみてどうだよ? 装置が動いた時椅子が倒れそうな雰囲気はあるか?」
だがこずえは首を横に振る。
「うーん、多少はグラつくんだけど、やっぱりゴム一本じゃ力が弱いのか倒れる感じはしないかな」
確かにその通りなのだろう。昼夜もうずたかく積まれた座布団を見ながら素直にそう思った。しかしゴムを何本も束ねたからと言ってその収縮力が倍に跳ね上がるのかと言うと、それ程単純な物だとは思えなかった。しかし、
「わかった」
とヤヨイは何かひらめいたかのように思いつくと玄関へと向かって靴をはきだした。そしてノブに手をかける。
「ちょっと買い物に行ってくるからあなた達待ってなさい。確実に成功するアイテムを買ってくるから」
そう言ってヤヨイは外へと出て行ってしまった。どことなく彼女がこの装置作りをどこか楽しんでいるように思えるのは昼夜が自分だけだろうかと、そんな風に思うのも束の間だった。
「オレもついてこっかな」
とおもむろに動いた卓都を制止する間もなく、玄関を抜けて彼はいなくなっていた。そして部屋に取り残された昼夜とこずえ。そういえば久々に二人きりになったと昼夜が実感したその時だった。不意にあの時の事が思い出される。
もうこずえには会うな
秦雄一が放った言葉。もうあれから一週間以上が経過しているが、この事を昼夜はこずえに行っていなかった。本来だったらこずえ相手になんでこんな気不味さを覚えなくてはいけないのだと、理不尽な憤りを昼夜は覚えるのだったがしかし今回は違った。気不味さと言う名の正体不明の空気感に昼夜は恐れを覚え、どのような言葉を手繰り寄せていいのか分からずあくせくしていた。しかしこずえは、昼夜に対してなんら気不味さを覚えていないのだろう。
ヒラリと椅子から飛び降りたこずえが、脆くも呆気なく崩れ去る塔を背後に口を開いていた。
「あらら」
それは何とも皮肉な事象でもあり、言葉でもあった。
「私が乗ってなきゃこんな簡単に崩れるのにね。私ってそんなに重たかったかな?」
なんと返せばいいのか分からない昼夜が何を血迷ったか、発した言葉は案外に残酷な物だった。
「……命の重さがだろ?」
なんで俺はこんな事を言ってるんだと、自分自身でその頬を貼り倒したい衝動に駆られていたが、それもこずえの笑顔によってかき消される。
「ははは、確かにそうかもね。珍しく上手い事言うね物部君」
珍しいは余計だっつうの。
小声でそう言った昼夜の言葉がこずえに届いたかどうかは昼夜自身分からなかった。しかしそんなちょっとしたやりとりの後に訪れたのは無言の間であり、昼夜からは破る事の出来そうもない、なにを話していいのだかサッパリ分からずただひたすら閉口し自分がうろたえている事を見抜かれないようにするだけの、そんな時間だった。
九月の頭という事もあってかベランダから聞こえてくるセミの鳴き声は相変わらず豪勢だしクーラー一つ入れてない室内の気温は未だに夏真っ盛りを連想させるかのような暑さだった。
額からじんわりと汗が滲み空気が淀むその室内で二人、昼夜とこずえは無言で過ごした。
ふと、というより今更昼夜は疑問に思う。あの男は、秦雄一とは一体何なのだろうと。あの男が何故こずえに構うのか、なぜもう会うな等と宣言する事が出来るのか、こずえとは一体どんな関係なのか、気になった。気になってしょうがなかった。しかし一年前の夏。こずえはその話題を却下している。いや、却下というよりも拒絶と言った方がいいだろう。
あのこずえが自ら他人の事で拒絶反応を示すなど、今まで見た事がなかった。それだけに、昼夜は今、こずえが何を考えているのか気になった。しかし気になったからと言ってそのまま疑問を口に出せる訳もない。結果昼夜に出来る事と言えばただ悶々とするだけだったのだが、こずえがそんな昼夜の頭の中を見透かしたように言ってきた。
「悩み事かな? 物部君」
こずえはそう言い切った後ベランダの窓を開けた。生温い風が昼夜の頬を叩き外から聞こえてくるセミの大合唱がより荘厳な物となった。
「外の空気でも吸いなよ。それなりに気分が晴れるかもしれないよ」
気分等晴れる訳がなかった。というよりも暑いと、窓を開けたと言うのに体感温度が一切変わる事のない気温に絶望感すら覚えた。
「とりあえず窓閉めろよ。うるさくてかなわない」
昼夜の暗い一言にこずえは心外だなあ、と窓を閉める様子もなく言う。
「物部君。うるさいってのはちょっと失礼なんじゃないかな。それは今こうして大合唱をしているセミの一生を知っての言葉なのかな?」
「知らん」
昼夜は言う。
そんな物は断じて知らんと、そしてどうでもいいと。だがその言葉にこずえは首を横に振るのだった。
「それはよくないね、物部君」
なにがどう良くないのか昼夜には分からなかった。しかしこずえはそれがさも真理であるかのように言い放つ。
「セミって言うのは幼虫時代を土の中で何年もかけて生活して成虫へと変態を遂げるんだよ? しかも成虫になって、自由に空を飛び回れるようになっても生きてられるのはほんの一週間位。これって全然割に合ってないと思わない? 暗い穴倉の中で成虫になる為に何年間も我慢してきたのに、結局空を自由に飛び回れるのはたったの一週間だよ? そりゃ余りの理不尽さに所構わず叫びたくなるの分からなくもないよね」
こずえの理屈は何となく理解出来た昼夜ではあったが、だから何なのだと、結局の所なにが言いたいのかサッパリ分からなかった。
「だからうるさいなんて言っちゃダメ」
こずえはまるで小さな子を叱る保育士のように昼夜へと言い放つ。
「セミたちの、これからたった数日で訪れる死への怒りと恐怖の叫びをうるさいだなんて言ったら罰が当たるよ。セミたちの魂の大合唱を、叫びを軽んじちゃ絶対だめだよ」
「……セミたちは、叫んでるのか?」
昼夜の問いに、こずえは頷く。
「そうだよ。死にたくない! って、なんでそんな直ぐに俺達が死ななくちゃいけなんだ! って叫んでるんだよ。だからこんなにもうるさいんだよ。魂の叫び何だから」
死にたくないと、例えそれがセミたちの声の代弁だったとしても、その単語がこずえの口からスルリと出て来た事に昼夜は驚いていた。そして今まで考えていた疑問とは別の、率直な質問事項が昼夜の口をついて出ていた。
「お前は叫ばないのかよ?」
それは少し臭い言葉だったのかもしれない。まるでドラマの中に出てくる主人公が吐きそうなそのセリフに昼夜自身気付きながらも、しかし留まる事をしらない口の運動に停止をかける事はできなかった。
「死にたくないって、叫ばずにいられるのかよ?」
死。
死とは本来生物であるならば忌避すべき事柄である。こずえの理屈で言えばセミだって死を恐れ、悲しみ泣いているのだ。どんな生物だって死は怖いし、本能的に避けたいいつかは訪れてしまう絶望的な事実だった。それは人間だって同じで、いや、人間だからこそ、考えられるからこそ死にまつわる恐怖はより絶対的な物となるのだ。だが確かに自ら死を選ぶ者が世の中には存在している。しかしこれは明らかに現状よりも安楽を求めた結果生まれた事実であって、決してその先にあるのが幸福だなんて思ってはいない。自殺をする者はみなこう思うのだ。
堪えられない。今よりはマシだと。
しかし、こずえは違った。
「叫ばないよ」
こずえは改めて、一年前に行った問答を繰り返すように言う。
「だって私は死ぬんじゃないもん。守隠しにあうんだもん」
こずえにとって死は救いであり、ある種のいきついた幸福でもあった。
「まあ物理的には死ぬって事になるのかもしれないけど、世の中物理的にだけで事が動いている訳じゃないでしょ? だから私的には今回の事は、私自身の精神的な面に置いて死ぬことにはなってないの。物部君達に救われるの。そして物部君の一部になるの」
「……一部?」
最期の一部分だけは初耳のフレーズだった。昼夜は要領を得ないその最期の言葉に首を傾げ、こずえはニコニコ言うだけだった。
「まあいよいよ大詰めって感じだもんね」
大詰め。その言葉が何を意味しているのか、改めて問いただしてみる必要もないのは明白だった。今昼夜がいるこの部屋が何のために借りられ、敷かれたブルーシートが何を予防する為に広げられ、そしてたった二人っきりで一年前と全く同じ会話をしてる事を昼夜は噛み締めながら、こずえは享受しながら、彼女は言うのだった。
「もう少し頑張ってもらわなくちゃいけないかもしれないけど、最期までよろしくね」
最期までという漢字を、昼夜は何故か最期と表記するのではななく最後をと表わし脳内で補完した事によって何かが生まれた訳では無かった。
しかし結果的に得られた事といえばこずえの絶対に理解する事の出来ない価値観に、より一層の深い溝を生み何一つ自分の主導の下話しが行えなかったというその事実だけが昼夜の中で確たる物として残っていた。
結局その日、昼夜はこずえに秦雄一の事は聞けなかった。
○
殺人装置の不具合は割合簡単と解消された。これはこずえの意見による物だが誰もその知恵の提供による矛盾に反対の意見を出す者はいなかった。それ程に問題の解消は単純で、まるで小学生が解く謎々にも近い性質の答えだったからだ。
「それじゃダメだよヤヨイちゃん」
こずえはヤヨイが購入してきた大量のチューブトレーニング用のゴムを受け取ると、それを十センチ間隔でハサミでぶつ切りにした。当然ヤヨイがさく裂弾を破裂させたかのように激怒するのだったがそれを制しこずえは説明を始めた。
収縮力が足りなく、人間が一人乗った不安定な高さのある座布団をゴムの力によって倒壊させる為にはどうしたらいいか、答えは簡単だった。
当然大量にゴムを買い込んだヤヨイの選択に間違いは無かったのだが、その大量に買い込んだゴムの使い方が間違っていたのだ。
ヤヨイは買い込んだゴムをそのまま束にするようにして重ね、ドアポストからドアノブまでの往路をより強固な物としようとしたらしいが、それでは意味がないと、こずえはそう言い放っていた。
「確かにゴムは束ねるとより強い収縮力を生むかもしれないけど、でもその束ね方にだってそれ相応の束ね方って物があるんだよ」
そう。ゴムを並列に束ね同じ往路に重ねたとしてもそこにあるのは決して交わる事のないエネルギーである。例え重ね合わされていようと並列は並列でしかなく、力が混じり合う事はない。
だからこずえは三メートルのゴムを十センチ間隔で切ったのだ。そしてその切り刻んだゴムを再びゴム同士で結びあい、連結させる。結果生まれたのは、
「ゴムの収縮率はそのゴムが持つ本来の性質の限界値に基ずいて割り出されるんだよ」
その言葉に、この場にいた三人がハッとしたのは一重に皆が仮にも小学生時代四教の四天王と呼ばれていたからに他ならないだろう。
「ゴムを利用してより強い力を出したいのならゴムの限界値を変えてあげればいい。それとその小さな限界値を連続してつなげれば、ほら」
十センチ間隔で切られたゴムを全て繋ぎ合わせドアポストからドアノブまで、座布団を挟んで往路させたこずえがそのままセッティングした座布団の椅子に上に座って合図を出した。
そして導かれるようにその相図を受け取ったヤヨイがノブを動かす。結果得られたのは紛れもない正解だった。
座布団が崩れそれと同時に椅子も床へと叩きつけられる。こずえはそのまま軽快にブルーシートの上に着地したがこれが本番だったら彼女はそのまま天井からつるされた縄に閉め上げられ死への階段を駆け上がっていた所だった。
「ね?」
簡単な事でしょ?
こずえの軽く言ったその言葉に誰もが言葉を失っていたのは当然の事だった。
彼女はなにを思ってこのような発言をしているのだろうと、昼夜はその時心の奥底から思った。
装置がうまく作動せず、三人が頭を抱えている横で既に答えを知っていたこずえがその口から放った解答に、どのような意味が結果をもたらすのか、昼夜には分からなかった。
自分で自分の死を提案しその途上にある問題を自分の知恵を以って解決するこずえのマッチポンプみたいな性質、能力に、昼夜は、いや、昼夜達は理解を示す事が出来なかった。もっとも、こずえにとって本来これは昼夜に対しての復讐でもある訳だからそもそも、今後こずえが死を迎えた事によって訪れる精神的苦痛を昼夜に享受させる事が目的なのだ。だから理解できないと言う訳でもないが、というより、認識は出来ても理解は出来ないという感情図が昼夜の中には確かにあった。
その後昼夜達は特に何の問題もなく首吊り用の縄とそれを天井からつるすフックを買い部屋に取り付けた。そして最後に卓都たっての希望でもあるビデオカメラを購入し、部屋全体を一望できる場所へと設置し準備は終了だった。
そう。これで整ってしまった準備に昼夜自身、どこか焦りのような物を覚えていたが、しかしそれを口には出せずにいた。九月の七日。月曜日。夕方の六時の事である。
「ついに完成だね」
奇妙な内装を施した異質な部屋の中、こずえは感嘆の意を述べるかのようにそう言った。その隣りでヤヨイと卓都は頷き、昼夜は無表情を維持していた。
「まあちょっとばかし監視用のカメラがただのファミリー用でちゃっちい感じではあるけど、別にこれでも事は足りるでしょ」
部屋の中央壁際に、三脚をもって設置されたビデオハンディカムカメラが殺人装置を中心に据える形でセッティングされていた。そしてうずたかく積まれた座布団の上に置かれた椅子に、更にその上に首を吊る為に用意された絞首台。ゴムは最後の最後に設置される為まだ付けられてはいないが、ベランダの窓を全てカーテンで覆ったその仕上げっぷりにある種の達成感があったのは確かだったのかもしれない。
「じゃあ後はドアを開ける係の人間を決めるっていう事だけど、これは別に何でもいいわよね? 私の方から適当にピザのデリバリーにでも連絡しとくから。こずえはチャイムが鳴ったら大声でドアを開けて下さいって叫んでちょうだい。この距離ならインターホンなんかいらないしね。それと事前にこずえの声で「お金は下の集合ポストに入れてあるんでピザは玄関の前に置いといて下さい」っていうセリフもレコーダーに録音しておいた方がいいわね。結局こずえの声で中に入ろうとした配達員もチェーンロックのせいで中には入れない訳だから不審に思うだろうし、一度ドアノブを捻られた時点で装置は作動しちゃっているからね。こずえも声を出す事は出来ない。
だからレコーダーはこずえが手に持ってるのよ。それで、まあ苦しんでいる所申し訳ないけど配達員が不審がら無いように適当な所でレコーダーのスイッチを押して追い返して頂戴。それで全て事は終了」
最後の仕事。
昼夜はチラッとこずえを見たが、こずえはその事実に意味する言葉をなんら把握していないかのように笑顔で頷いていた。
「責任重大だね」
全ての責任をたった一人で被っている少女の発言が昼夜には直視出来ない現実である事に変わりは無かった。しかしヤヨイは特に気にした様子もなく続ける。
「で? 実施日はいつにする? 出来れば早めに決行しちゃった方がいいとは思うんだけど」
それは確かにその通りだった。既に準備が整い後は決行を待つのみと言う状況の中で、ダラダラと日時を決めあぐねる等愚の骨頂としかいいようがない。殺人に必要なのは即決即断である。そして、それを理解しているこずえがその基本的原則事項を破らない訳が無かったのだが、しかし、
「ちょっと、待って……くれないか」
何故か昼夜が口を挟んでいた。当然他の三人が不思議そうな顔をしたのは言うまでも無い。
「どしたの物部君?」
「いや……」
ストレートに質問された昼夜が口ごもったのは他ならなかった。たった一つだけ、一言だけ言いたかったのだ。気になって仕方がなかったのだ。
お前ホントに死ぬ気かよ?
しかしそんなやりとりなどこの一年間で何度も行ってきたことであり、結果得られた物はこずえの絶対的に理解出来ない価値観と自分との間にある決定的な溝だけだった。だから昼夜は口ごもった。しかし何だかんだと言って、一年間協力してきたつもりではいたけど、やはりいざ決行を前にすると足が震える。だから口ごもりながら、出来る事と言えばせめてもの引き延ばしくらいのものだった。
「千駄木は……いつが希望なんだ?」
「え?」
「殺害……いや、守隠し計画実行日だよ」
昼夜が言い正した言葉には何の意味も無い。ただ生理的に殺害という言葉を使いたく無かっただけの話しである。だがそんな昼夜の思いとは裏腹に、こずえはあっさりと言うのだった。
「別に、ヤヨイちゃんの言う通り早めにやった方がいいと思うけど、出来れば明日とか、少なくとも明後日にはやりたいかな」
まるで近場のスーパーへと買い物へ行き母の日の為に料理の下準備をする女子高生のような言い方でこずえは自らの死亡日時を決めようとしていた。昼夜がそれに唖然と言うより、慌てない訳がなかった。だから彼は簡単に言えば慌てていたのだろう。まだ見ぬ先に、なんてフレーズがどこかにあったからこそ先に進んでいた昼夜が、突然明日明後日等という直近過ぎる予定日の到来に現実を直視する事が出来る訳がなかった。だから昼夜は強引に、もはや力技と言っていいだろう手法で、その現実を捻じ曲げた。
「四日後、にしないか」
何故お前がそれを決める? と、この場にいる人間の全てがそう思った事だろう。それはもちろんこずえを含めた全てである。しかしその率直な疑問を、おこがましいと言ってもいいだろう昼夜の希望を、誰ひとり咎める事はしなかった。何より、こずえが笑顔で受容した。
「別にそれでもいいよ」
ほんの二つ返事であった。昼夜が苦心して紡ぎ出した言葉に、こずえは尽く簡単に、単純に答えて行く。そしてそんな簡単に答えるこずえを見ながら昼夜は心の奥底から湧いてくる絶望感を胸に状況の整理を、決心の整理を付けようとしていた。
「じゃあ、四日後の九月八日、金曜日にしよう」
昼夜の勝手とも言っていい決断に他の三人が頷いた。こずえを除いた他の二人にしこりのある表情が宿っていたのは当然の事だった。しかし昼夜はそれを決心の内に決め込んで、この四日間で解消しようとしていた。
深澤ヤヨイがこの計画に参加した真の目的
小空卓都がまるでこずえと裏で繋がっているかのようなその言動
そして
千駄木こずえと秦雄一の関係と、四日後に訪れる死
それら全てを解決とまではいかなくとも自分の中で不安を解消できるまでになんとか気持ちを落ち着かせる為に苦心し、能動的に動いてやろうと言う、今更遅すぎる昼夜の決意がそこにはあった。
しかし、九月四日から八日までの四日間。
それは余りにも短すぎる死刑執行までの猶予時間でしかなかった。




