3・1
八月の二十五日。
残す所夏休み一週間を切った残暑真っ只中な気だるさを覚える午後の二時。
昼夜は自宅のリビングにてクーラーから吹きつけてくる冷風を身体全体で受け止めながらソファの上でぐったりしていた。テレビから流れてくるのはいつも通りを彷彿とさせるワイドショーばかりでもっぱらその内容は全国どこにでも多発していそうな殺人事件が主だった。
Aさんを殺したBさんの動機は? その犯行に使われた手口は? そもそもこのような惨事に至る前にこれを止める事は出来なかったのか? 被害者と加害者の周囲に存在していた歪んだ人間関係が事件に影響を及ぼしたその背景は?
よくこれだけのクエスチョンマークを多様しておきながら番組が成り立つな、と昼夜は心底不思議に思うのだったがそれも無理からぬ話しなのかもしれないと、実体験を元に感じるのだった。
八月の二十三日。つまり一昨日の事である。順調に進んでいたはずの生き埋め殺人の準備が何者かによって妨害された。それを捕まえる為策を講じた昼夜達だったが策にはまって登場したのは小空卓都である。当然の如く卓都が犯人だとは思えない昼夜だったし、そして首を横に振る卓都でもある。しかしこずえの放った一言により状況は一変した。
博士が犯人だから
証拠一つ見せず言い張ったこずえの言葉に卓都が何を思ったのか、そして卓都へと向けるヤヨイの視線が通常のそれとは逸脱した物になっている事を知った昼夜が何をどう感じたのか、それは昼夜自身分からなかった。
そして最期、最終的にはまるで打ち合わせをしてあったかのようにこずえの誘いを二つ返事で承諾する卓都。その事から何も分からない昼夜ではあったが、たった一つだけ分かる事があった。
三人が何かを隠しているという事。それも昼夜一人だけに対して、という事である。だがもう一つ気になるのがそれぞれがそれぞれのメリットに基ずいて動いているというような、そんなニュアンスのある言葉をこずえが放った事である。つまりその疑念から何が導かれるかと言うとこずえは他の二人を昼夜の復讐と自分の自殺の為に上手く利用しているのではないかという事になるのだが、そしてヤヨイはヤヨイでこずえを利用し、卓都も卓都でこずえを利用しているのではないかと、そういう図式が成り立つような気がするのではないかと、昼夜はこの二日間でそう思えるようになっていた。
被害者と加害者の周囲に存在していた歪んだ人間関係が事件に影響を及ぼしたその背景は?
ワイドショーに踊っていた荒々しい行書体の字が昼夜の目の前で乱舞し、昼夜の頭に痛みが走る。
何かがおかしいのは確実で、実際そのおかしな要因が自分に対して巧妙に隠されている事も知っていた。しかしその決定的な要因を知る事が出来ない昼夜が出来る事と言えばただこうして頭を悶々とさせるだけだった。
当然こずえや卓都、ヤヨイに直接聞いてみるという手がない訳でもない。しかし実際にそれを行って何が帰ってくるのか、そんな物は想像に難くなく、それによって解答が得られるなど机上の空論もいい所である事は容易に想像がついた。というよりも昨日、八月の二十四日に作戦会議と称して再び集合した四人に対して昼夜が第一声として発したのがそういった旨の質問だった訳なのだが、当然その質問に対して帰ってきた言葉は一つとしてなく、話しあわれたのは一つのテーマだった。
「やっぱり穴掘りはリスクが高いんじゃないかしら?」
ヤヨイの口から出た言葉に誰もそんな事はないと、このまま作業を継続しようと言った者は誰ひとりとしていなかった。当然昼夜の中でも実際、四日間作業を続けてきてその労力の多大さに屋外で行っている事から、外部からの邪魔が入る可能性という実際のアクシデントもそうだし、何よりその土地が実際にどこの物なのか、公有地だったとしても一週間という長時間の間穴を掘り続けその中に人を埋めると言う作業にリスクを感じていない訳がなかったのだ。
という事で再び守隠し計画は再び白紙に戻っていた。次回の集合は三日後。八月の二十七日を設定しそれまでに案を練ってくる事と、すっかり仕切りを我がものとしたヤヨイが勢いよく言いその日は解散となった。たった一人、全くと言っていいほど疑念を晴らす事の出来なかった昼夜が一人異様な表情をしながら帰宅の途についたのは言うまでもない事だろう。
そして八月の二十五日、つまり今日、完全なオフ日の午後の事である。
「昼夜、宿題の方は終わってるの?」
ダイニングでキッチンの掃除をしている母がぐったりする昼夜に月並みな言葉を送っていた。
当然昼夜は夏休みの宿題など当に終わらせている。
これでも列記とした秀才なのである。例えこずえ達が各々何をたくらんでいるのか分からなくとも、出された宿題はキッチリとこなす。言われた事をキチンとやらないと気持ち悪くなってしまう性質が昼夜にはあった。だからなのかもしれないが、今後解決を見そうにないこずえ達に対する疑惑を抱いた状態であろうともそこにあったのは昨日、三日後の会議にまで出された宿題の事だった。
「終わってるよ」
と母に対してめんどくさそうに言いつつも、実際自分が行わなくてはいけない課題に対して的確な答えはおろかこのままでは未提出となりかねない宿題に対して憤りを覚えている時の事だった。
インターホンのチャイムが鳴り響き来客の意がリビングとダイニングに響き渡る。掃除をしていた母が応対に向かう為掃除機から手を離し、昼夜は再びワイドショーへとその思考を戻した。
何か殺人のヒントにでもなる情報が載っていないだろうかと、目を皿にしてレポーターの一言一句に聞き耳を立てるのだが昼夜の認識の中に飛び込んで来たのは客の応対にいったはずの母の声だった。
「昼夜」
玄関から聞こえてくる母の声にしばし呆然とテレビを見ていた昼夜であったが、すぐに自分が呼ばれている事に気付いたと同時に母がリビングへと戻ってきて言った。
「昼夜、あんたにお客よ」
客?
唐突な来訪を指し示すその言葉に昼夜が怪訝な表情を浮かべない訳がなかった。
今日一日誰とも約束をとらず一人自由な時間をそのまま享受しようと思っていたその矢先の事である。まだ午後の二時という事を考えれば残暑を迎えた高校生にとってその時間は午前中と称してもおかしくない時間だった。
「誰だよ客って?」
昼夜の問いに母は答えなかった。というよりあからさまに嫌な表情をしたのかもしれないと、後になって昼夜はこの時の事を振りかえるのだった。何故なら、昼夜が出向いた玄関先にいた人物が、昼夜にとっても、母にとっても初見ではなく、何より印象的な意味では余り良い印象を抱かせる人物ではなかったからだった。
「…………」
昼夜は思わず沈黙していた。何よりその人物が自分の家に訪ねてくるなんて思ってもいなかったし、まさか自分とこうして対話を持つだなんて想像も出来なかったからだ。
「初めまして、ではないよな」
玄関で一人、派手な柄シャツを来た男がぶっきらぼうに昼夜に言った。
「少し話しがしたいんだが、時間、空いてるよな?」
そこにいたのは千駄木家に入り浸る、こずえの母の愛人の姿だった。
○
「で? お話っていうのはなんの事ですか?」
男に連れられて出かけた昼夜ではあったが、一体どこに連れて行かれるのかと思いきや辿りついた先は近くにある広場だった。こずえが処女を上げると宣告し待ち合わせをした一年前の事を思い出させるその場で、昼夜は真夏の二時に呼び出されていた。話しがあるというからてっきりどこかの店にでも入ってなにか御馳走でもしてくれながらの会話になるのだと思っていたら、そんなのはただの幻想に過ぎなかったらしい。大人としての甲斐性を一切持ち合わせていない、未だに名前も知らない男に昼夜の口調が厳しくならない訳がなかった。
「そういえば自己紹介がまだだったな」
とここで男が昼夜の内心を読みとったかのようにそう言った。一人片手にコーラを持ちながらではあるが。
「俺は秦雄一。まあ普通に秦さんって呼んでくれりゃいいよ。俺もキミの事物部君って呼ばせてもらうから」
昼夜は相変わらず秦と呼ばれる男に対して猜疑の目を向け続けていた。あのこずえが話題にすら上げる事を否定した男。千駄木家に入り浸りこずえの母の愛人として認知されている男。
胡散臭さから言えば半端なものでは無かった。とういうより昼夜の認識からしてみれば千駄木家に巣食う病巣のような認識さえ彼にはあった。だからなのだろう。自己紹介をされたにもかかわらず口調は厳しいままだった。
「あなたは何なんですか?」
昼夜の端的な質問が秦へと飛んだ。しかし秦はその咎めるような質問に対して何の負い目も感じていないようにあっさりと答える。
「なにって、清子の彼氏だよ」
清子。それはこずえの母の名前だった。年齢三十を超えた男が知り合いの母親の名前を呼び捨てにし、更には彼氏だと言ってのけるその口から感じ取れるのはどこか生理的な気持ち悪さだけだった。幼いころから知っているだけに、昼夜の中で彼を認めたくないという気持ちは更に強くなった。
「いつから付き合ってるんですか?」
そんなの聞いてどうすんだよ
昼夜自身自分に対してそう突っ込みたくもなるような質問だったが、口をついて出てしまった言葉に自制が効かないのと同様に、その発言後に有するリカバリーのチャンスを昼夜は自ら放棄していた。
当然、咎めるような口調で吐き出されたその質問に秦が気を悪くし返答をしないという可能性だって大いにあったはずだった。しかし彼は特別気にした様子もなく、何てことなさそうに答えるのだった。
「いつから? さあ、四年前位からかな」
別にそれを聞いてどうこうしようという気分でもなかった昼夜ではある。実際千駄木家に男が出入りをしているという噂は丁度その四年、或いは五年前程からこの界隈で噂になっているのだ。そんなのは確認するまでもなく知っている事だった。しかし聞かざるを得なかった。何故なら、この言葉を吐く為に。
「なんか随分悪い噂が流れているみたいですけど」
昼夜は何故自分がイライラしているのか、その原因も分からないままただ言葉を羅列していた。
「なんでそういう噂が流れているか、秦さんは知ってますか?」
別に彼が自分自身、つまり昼夜に対して何かをした訳ではない事は彼自身知っていた。しかし何故か、何故か心の片隅で秦雄一という男を好きになれない自分がいる事に昼夜は気付いていた。そしてそれが、何故かこずえと関連している事にも、感覚的に気付いていた。
「悪い噂ね」
秦は広場にあるベンチに腰掛け、視線で昼夜にも着席を促したが昼夜はそれを拒否していた。
ハッキリ言って空気は最悪だったのだろう。というよりも一方的に昼夜が空気中に毒素を振りまいているような状況なのではあるが、秦はそんな空気をコーラと共に一緒に呑みこむかのように喉を滑らせ、そして喋るのだった。
「悪い噂が流れているのは確かにしってるけど、そんな事より今、物部君が俺に対して向けてる敵意の方が気になるけどね」
正論過ぎる正論にそれは昼夜が自分を子供だと認識させプライドを劣化させるには充分な言葉だった。
勝手にイライラして、勝手に当たり散らしている高校二年生の男子。そこにあるのは典型的な思春期を迎え、しかも真っ只中な青春を謳歌している、大人から見れば青臭さ全開な少年でしか無いのだろう事は昼夜自身自覚していた。
昼夜は一つ息を吐いてから、自制を灯らせるように自問自答する。
落ち着け、と。
この男が何故嫌いなのか、好きになれないのか、そこの理由が根本的に判明はしていないも少なくともそれは相手の事を好意的に思わなくてはいけない要因にはならないはずだと。
だからこのまま相手へと向けて嫌悪感を滲ませた視線をそのまま向け会話を始め何事も無かったかのように終了させればいい。それだけだ。その話したい事さえ終われば二度と会話もする事はない。
昼夜は自分にそう言い聞かせ、さっきまで口からいくらでも突いて出そうだった悪意に満ちた質問の数々を強引に喉の奥へと押し込み最初の一言へと戻るのだった。
「で? 話したい事って何ですか?」
しかし帰って来たのは昼夜にとって苛立ちを喚起させる物でしか無かった。
「物部君は俺達の事を、千駄木家の事をどう思ってるんだい?」
何が言いたいんだこの人は
昼夜の表情が更に怪訝な物へと変貌したのは言うまでもないだろう。何が言いたいのかサッパリ読む事の出来ない昼夜が返す言葉には限りがあった。
「話しっていうのはその事ですか?」
だが秦は首を横に振っていた。まるで見当違いだと言いたげなその表情に、更に昼夜の機嫌が黒雲を呼び寄せていた。
「じゃあ何だって言うんですか?」
せっかく気持ちを落ち着かせているというのに、せっかくフラットな気持ちで接してやろうと思っているのに。
まるでこっちの労力を見透かしいたずらを行う子供のような振る舞いに昼夜が疲れを覚えない訳がなかった。しかし対照的に秦はゲップをしながら簡単に言う。
「思想調査だ」
しかも唐突に訳の分からない事を。
「お前がウチの事をどう思ってるのか知りたいんだよ。ここ界隈に住む世間様が抱いているイメージと同様の感情を覚えているのかどうか、知りたくてな。それに」
物部君と称しつつ、お前とぶっきらぼうに喋るその言葉遣いに頭がどこかおかしいのではないかと昼夜は心底疑問に思っていたが、それも吹き飛ぶ。
「こずえがお前の事を好きみたいだしな」
「…………」
「そんなの知ってるって顔だな」
昼夜は秦を睨みつけながら切り返した。
「そんなのは過去の話しです」
すると秦は明らかに昼夜をイラつかせる為だけに鼻で笑うように、ワザとらしく笑顔を作るとまるで昼夜の意見などもとから聞いていないという風に喋った。
「まあ何にしろ将来のこずえのお婿さん候補な訳だ。あの女は想い込んだら一直線だからな。それこそ病的なまでに。恐らくこのままだとお前は我が家に吸収されちまう運命になる訳だ。だからその前にお前の思想調査をしておこうかなと」
よく言った物だ。
昼夜は内心でそう罵った後に、言葉を付け加えていた。
「さっきから随分的外れな事を喋ってるみたいですけど、そもそも前提が間違っていませんか? さっきから言っている我が家っていうのは、どこの家庭の事を指してるんですか? あなたはこずえの母さんと結婚しているんですか? 籍を入れてるんですか? あなたはこずえの父親なんですか?」
それに、
昼夜は再び心の中で付け足す。
そもそもこずえに将来なんてないんだよ、と。
だが昼夜のイライラした言葉が秦の掲げる暖簾に腕押し状態なのはそれこそ端から分かっている事だった。当然お盆すら過ぎた社会人にとっては夏休みでも何でもない八月の二十五日の午後二時に広場でコーラを呑んでいる人間が真っ当な答えを返してくれる等とは思ってもいなかったが。
「随分熱いねえ。物部君は青春真っ只中か。そりゃ俺みたいな人間は嫌いだろうけど、そんなに目の敵にするほどか? お前等が青い春を謳歌しているんだったら俺達大人だってそれなりに春を謳歌したっていいだろ。まあ爛れた色の春にはなりそうだけどな。っつっても今は夏か。夏真っ盛りの気温三十度を超える昼の二時か」
そう。今は夏。真夏の昼の二時である。そして気温三十度を超える炎天下である。広場に日陰等は無く遮る物がない土地に降り注ぐのは熱線と称しての直射日光である。おまけに昼夜は帽子も水分も持たずひたすら直立不動を保ちこめかみから流れる汗をふくタオルすらない。
帰りたい。
昼夜はそう思った。こんな不毛な時間を過ごすよりこずえ達から与えられた宿題をこなす方が何倍も有意義であると、本気でそう思っていた。
だからこそもういいと思った。帰りたいでは無く、昼夜の中で帰ろうと言う単語が確かに確立されフラットだった気持ちを別のベクトルへと向けてそれを発しようとした。しかしその時だった。
「もうこずえには会うな」
唐突に端たれた恐らく本題であろう秦の言葉に、昼夜は出鼻をくじかれ、機先を制されていた。そして時期を逸してしまっていた。
秦は続ける。
「ここ最近、いや、一年位前からか付き合ってるんだかなんだかは知らねえが、何をしているのかも知らねえが、そんな事はまあどうでもいいわ。とりあえず今後の事にだけついて忠告しておく。お前邪魔だ。鬱陶しいからもうこずえには会うな」
「……はあ?」
何を言い出すのかと思えば出て来た絶縁命令に昼夜は空いた口が塞がらなかった。
何故お前がそんな事をいう? 何故お前が俺に命令する? 何故お前がこずえの事について口出しをする?
理由を尋ねる必要さえないその言葉に、昼夜はもはやその怒りを沸点へと到達させ外向きに放出されようとしていた暴力的な衝動を懸命にこらえ、更にはその衝動を内側へと逆転させ結論を導かせていた。
時間の無駄だ
昼夜はそう結論づけた。だからだろう。彼は一言だけ呟くと秦に背中を見せ振り返りもせず歩くのだった。
「嫌だ」
ただそれだけで充分だった。もうこれ以上こんな奴と関わってられるかと、どうしようもない大人の見本を今後自分の反面教師として永遠に行きながら選らせてやろうと決意しながら広場を後にするのだったが、最期、昼夜の背中に掛けられた言葉が思いの他彼の心をえぐり取る事となった。
「母親から人の物を横取りしちゃいけませんって言われなかったか?」
秦の声が辺りに響いた。
「今後はその事をよく肝に銘じてこずえと会うんだな」
一体こいつは何をいってるんだ?
最期の最期まで昼夜には秦雄一という男の存在がよく分からなかった。




