2・1
「準備オッケー? 物部君」
「まだだっつうの」
外から流入してくる大音響のセミの鳴き声を遮るように昼夜が声を大にして叫んでいた。外界から隔てられているとはいえ所詮壁一枚の事。一夏しか生きる事の出来ない線香花火のような存在であるセミの最期の大合唱を完璧に遮る事など、例え何が相手であろうとそんな事は出来る訳がなかった。
「まだって、一体いつまで時間掛かる訳?」
日野町外れの、森林地帯にある、最早誰が家主であろうと使用されないであろうログハウスの中。昼夜は窓と言う窓、ドアと言うドア、外へと繋がる全ての通路をくまなく閉じ、準備を推し進めていた。
丸太を基調に組まれた一階建てのオシャレな別荘と言った雰囲気を醸し出すログハウスの中は既に廃墟と言ってもいい程に荒れ果てていた。既に捨て置かれている家具類はものの見事に埃を被っているし、時間が時間なら幽霊や妖怪だの、超常現象の一つや二つが起きてもおかしくない様相を呈している室内は正に今の昼夜達におあつらえむきと言っても過言では無かったのかもしれない。
「あと少しだよ」
昼夜は窓と言う窓、そしてドアと言うドアを全て閉め、そしてその縁をなぞるようにガムテープで目張りをしていた。額と両脇から滲む汗の量は尋常では無く、風一つ通らない天然のサウナ建造に馬車馬のように働かされている画がそこにはあった。
一方、それを部屋の中央に陣取って床に座り込んでいるこずえが汗一つかかずに欠伸をしているのは恐らく昼夜の身間違えではないのだろう。白いワンピースに肩まで伸びた黒のつややかな髪が綺麗なグラデーションだ等とは死んでも言いたくない昼夜だった。
こずえが座る目の前には七輪が一つ。そしてその網の上に乗っているのは一つの練炭と呼ばれる自殺時によく使われる黒っぽい代物。
更にこずえが右手に持っているのは一つのチャッカマン。そして左手には睡眠薬。
これから何が行われるのかは想像に難くないだろう。そう自殺。物部昼夜による千駄木こずえを対象とした殺人、殺人教唆、いや、或いは、守隠し計画。
ログハウス中の隙間を埋めるようにガムテープを張り続ける昼夜が何を思いながらその作業に没頭しているのか、それは彼自身分からない事だったのかもしれない。だから昼夜はこの真昼間から行われているドッキリとはもう既に呼ぶ事の出来なくなった不思議な儀式を無言で行い続けながら、一心不乱にガムテープを消費し続けていた。そしてこずえはそんな昼夜を見つめ続けながら時折り何かを喋り、しばらく黙って、また喋り、みたいな事を繰り返し続けていた。不思議な空気が消費され続けどこか現実離れしたシチュエーションが昼夜の肌に馴染む事無く過ぎ去った小一時間。
全ての出入り口を封鎖した昼夜が汗だくになりながらガムテープを放り投げ、こずえの対面に座り込んでいた。
「完了だ」
埃をかぶったフローリングの床に汗が滴り落ちるのを見ながら昼夜は言った。特に何か特別な感情はなかった。これから行う事がどういう事なのか、深くも考えていなかった。そして、現実感もなかった。
「ありがと」
こずえはいつも通りの笑顔でそう言った。そして、左手に持った睡眠薬のビンを開け、数錠、水も飲まずに一気に口の中に放り込み噛み砕いた。そして右手に持ったチャッカマンで七輪に火を付ける。
数秒はおろか数分、いや、数十分の長い沈黙が場を席巻する。昼夜はジワジワと火をたぎらせる漆黒の炭に目を泳がせながらこずえを見る事だけはかたくなに拒否していた。しかしそんな固い意志を胸に、意識しないと言う矛盾を孕んだ行動に出ている昼夜を無視するかのように、こずえは昼夜を置いてけぼりにした。
トスン
という軽い音がフローリングの床に鳴り響きこずえの可愛らしい寝息がセミの大合唱に相まって聞こえて来た。昼夜とこずえの間にある七輪が熱く燃えたぎり妙な匂いが鼻をつく。
そして白い煙が昼夜の網膜に焼きつく寸前に、眠りに入ったはずのこずえが瞳を開けてはなっていた。
「物部君」
彼女はハッキリと言った。
「私と心中してくれるつもりなの?」
その言葉が不覚にも、というよりも言われた事事態が不覚で遇った事に気が付いた昼夜は出口を目指し立ち上がるのだったが更に不覚な事に今さっき出口を固めてしまったのが自分である事を思いだした昼夜は発狂寸前となった。
「ちくしょお!」
等と訳の分からない事を叫びながらパニックの余り七輪を逆さにして自らの死から逃避行を敢行した訳だがお陰で七輪に燃え盛っていた火が埃との抜群の相性によってメラメラと燃え盛り、しかも木造ログハウスがその効果を二乗にも三乗にもはね上げない訳がなかった。
とんだうっかり放火魔の登場にすっかり動転した昼夜がこずえを抱きあげガムテープによって目張りされた出口めがけタックル出来たのは火事場の馬鹿力故だったのかもしれない。
自分にこれほどの隠された怪力が備わっていた何て、と場違いにも程遠い物思いに耽りながら燃え盛り始めたログハウスをバックに晴天の空の下へと躍り出た瞬間、汗水と息せきを切りながら地面に倒れ込んだ昼夜が真っ先にした事は百十九番へと連絡する事だった。
その隣りで眠気眼をこすりながらボーっと、炎天下の中盛大に燃え盛りそうなログハウスを見つめるこずえが一言、こう言うのだった。
「なんか失敗しちゃったみたいだね」
悪かったな
昼夜はバツの悪そうな顔をしながら携帯電話を閉じるとそのまま仰向けに、いや、ログハウスから充分に距離をとってから周囲に広がる雑草地帯で横になるのだった。
こずえがトロンとした瞳を維持しながら燃え盛る火を見つめるその顔を横眼で見ながら、昼夜はこの失敗がもしかしたら意図的だったんじゃないかと、そう詮索しながら消防車の到着を待つのだった。
○
七月二十五日。一学期の終業式後の事である。昼夜とこずえが資金集めの為に設けた守隠し計画資本金召集機関を無事終えた二人は目算通り今まで溜めに溜めたバイトの給料、概算百五十万円を各々の預金口座から下ろしていた。そして既に用意してあった七輪と練炭を、更には大量に用意したガムテープを片手に二人の自宅から自転車で三十分程離れた町外れの森林地帯にある廃墟と化したログハウスで事の決行を図ったのは既に周知の事実であろう。
しかし結果的にやっとの事で実行に移された守隠し計画が首尾よく行われる事はなく、というより明らかなる人為的凡ミスによって失敗という憂うべき負い目を作ってしまったのはそれが火災へと発展を遂げてしまった事が要因として大きかったからではない。
昼夜の百十九番から十五分と経たない内にけたたましいサイレンを鳴らしながらやってきた消防車数台が圧巻と言うべく放水を情け容赦なく炎にあてがっているのを尻目に、昼夜とこずえは無事に警察へと保護され、そして案の定何故あのような事になってしまったのか、事の顛末を話される事を強要されていた。
勿論取り調べと呼んでもいだろう密室での強面お巡りさんとの話しあいに昼夜が全てを話すような事はなかった。これでもウソをつく事くらいの要領の良さは心得ているつもりだと、そう自負しながら苦しいいい訳をするのだった。
「実は七輪を使ってサンマを焼こうとしまして」
妙なウソが警察と言う、人を疑う事を生業としているプロに通じる訳がなく、やれその肝心のサンマはどうしたと、やれ室内を密封していたガムテープはなんだと、やれ炭になってしまった練炭の残りかすはなんだと、根掘り葉掘り聞かれた結果昼夜が白状した答えは限りなくウソに近く、限りなく真実に近い物となった。
「……練炭ってホントに人が死ねる物なのかどうか実験してみたくって」
これが昼夜につく事の出来る最大限のウソだった。
結果既に所有者を無くしたログハウスに加えて、火災発見からすぐに消火が行えた事から大した被害も出ずに沈火した日野町無人ログハウス出火事件は高校生二人が厳重注意を受けるにとどまり、未成年と言う名の恩恵を法律と共に心身で体感しながら署から解放されるのだった。そしてまるで不当な逮捕を受けた冤罪をテーマにした物語の主人公をまんま体現するかのような気持ちで警察署から出た時、既に陽は夕刻を迎え空がオレンジ色に暮れなずんでいた。
警察署前の広場ベンチにはこずえが笑顔で待っていた。
「ずいぶん遅かったね」
そこには死にそびれた自殺志願者の憂鬱な顔など一切ない。まるで今しかがたまで遊園地で楽しく過ごしてきた小学生のような雰囲気すらあった。
「なにか余計な事でも喋っちゃったんでしょ? あんなの適当に泣きながら謝っとけばいいんだよ」
こずえの言葉に昼夜の口からため息が漏れない訳がなかった。
「泣き落としが通用するのは女だけだろ。しかも女子高生以下の、女子と呼ばれる存在の女だけだ」
「女子という概念の存在にマンセ―だね」
「というより若さを至上とする男の価値観にバンザイだな」
等と下らない話しをしている場合ではなかったのだろうが、とりあえず自分の失敗のせいで死にそびれたこずえの機嫌を測っていた昼夜がこの会話に一通りの安心感を覚えない訳がなかった。そして今日はもう遅いから次の計画は明日からにしようと、この一年間で考えたプランの多さに胡坐をかきながら昼夜とこずえは、グダグダと下らない話しをしながら二人各自自宅へとその足を動かすのだった。また一つ誕生してしまった物部昼夜と千駄木こずえの奇妙な関係を裏付ける一つの事件を以ってして始まった守隠し計画第一弾は初日、終了として幕を閉じた。
そして翌日、第二弾である。
「遅いぞ物部君」
例の如く遅刻をした昼夜。そしてそれを咎めるこずえ。
場所は何て事ない廃ビル。日野町の山側とは反対にある住宅地を抜けた先にある商店街付近のいつつぶれてしまったんだか既に判別する事の出来ない五階建て程の小さなビルだった。
例の如く無人で荒れ果てたビルの二階内部で用意した物品は太くて丈夫そうなしめ縄に大型の、こずえサイズ位の女子なら余裕で入れられるキャリー機能を搭載したトランク。そして折り畳み機能付きの脚立に睡眠薬。
「今度こそ大丈夫だよね」
こずえの言う大丈夫が自分の死を意味している事に頷きがたい昼夜ではあったがそんな事は関係無しに彼女はハツラツとしていた。
「なるべく丈夫そうな柱か何かじゃないとダメだろうね。縄が途中で切れちゃうのもイヤだし」
生々しい会話が無人の廃ビルに反響する中昼夜は事が成された後の事後処理について苦悩していた。
というよりも睡眠薬を服用し睡眠状態に入ったこずえを担ぎながら脚立を昇り縄に首を括らせ、その後死体と化した彼女を縄からほどきトランクにしまい込む。言葉にしてみればそれは簡単な事なのかもしれないが実際それをやるのは至難の業に思えた。というより、それが至難の業と言う物も事前に想定済みで、実行出来ると判断したからこそ昼夜とこずえはこの場にいる訳なのだが、それでもいざ実践を前にしてみた時、予想以上に難解そうだと、その難問を解き明かすのが難しい事に思い当たった昼夜が苦悩をしない訳がなかった。
「発見!」
こずえが丁度良い縄を括る柱を見つけたようでそのテンションは上昇一本道だった。昼夜はついて行けないその高揚感に若干の辟易を覚えながらも彼女の言う通り脚立を使い太くて固い、千駄木こずえを殺す為に用意されたしめ縄を柱から伸びた鉄棒へと括りつけ、そして無言で降りる。
「今度こそ本当にお別れだね」
そう言った直後にこずえは二度目となる睡眠薬をバリぼりやり始め、現世への未練など一切感じさせずに夢の中へとダイブを敢行するのだった。しかし、どうやらお別れはまだ早かったらしい。
「あれ? 君達こんな所で何してんの?」
作業着に安全ヘルメットという男の人達が二人、まるでこれから解体作業をする前の最終点検をしてますよ風な感じで現れたのだ。当然昼夜が眠りに耽るこずえを背負ってその場から早急に立ち去ったのは言うまでもない。
その後も夏休みのおよそ一週間を使い数々の守隠し計画を実行に移そうとした。それはまるでどこかやけっぱちになった八百屋の店主が美人妻に信じられない程の低価格でキャベツを売りたくるような、そんな図に近かったのかもしれない。
最初の内はそれなりに理に適った、というよりこれなら少なくともこずえを殺す事が出来るであろう計画を実行に移そうとしていた訳だが尽く入る邪魔とアクシデントの多さに最期の方はもう訳が分からない殺人方法がてんこ盛りとなった、まるで自殺をテーマにした夏休みの自由研究をする高校生が二人、微笑ましくそれを楽しんでいるかのような、そんな画が成立するかのような適当さ加減が二人の間にはびこっていた。
人を一人殺す事の難しさを噛みしめる昼夜とこずえが次第に悪ふざけモードに入り、まるでレクリエーションを楽しむかのような雰囲気に毒されていたのは言うまでもない。しかしそれはあくまで本番における前の準備運動のような、メインディッシュ目がけ構想通り運ばれてくるフルコースの前菜のような、そんな意味合いが強く、決してこれから運ばれてくるであろうメインディッシュを避ける事の出来ない予定調和めいた出来事でしかなかった。
しかしそう思いながらも、昼夜はまるでそれを楽しむかのように、こう胸の中で一人ごちるのだった。
上手くいかない守隠し計画。
そして、
その事についてどこかホッとしている自分自身。
更に、
その現実に全くイヤな顔を見せない千駄木こずえ。
実際こずえがその事についてどのような感想を抱いているのかは定かでは無かった。顔では笑いながらも腹の底では別の事を考えているのなんて誰にでもある事だし、実際こずえはそれが他人よりも顕著だとも知っていた。
何を考えているのか分からない千駄木こずえ。だけどその考えている事が全てにおいて正論で、正刻を突いてくるその様は他人からしてみれば恐怖でしかない。だからこそこずえは今、このような現状に陥り華の高校生と呼ばれるべき貴重な夏休み期間を守隠しなどに勤しんでいるのだろう。
昼夜とこずえの間に沈殿する僅かな澱が徐々に堆積していく中で、それに比例するかのように失敗を繰り返す守隠し計画が僅かにも成功の色を見せる事はなく夏休みは過ぎ去って行くのだった。
夏休みも二週間程が過ぎ計画していたはずの守隠しプランも次第に底をつき始めた八月の十二日。
いつの間にやら夏休み初旬を超えて中旬に差し掛かった真夏の夕暮れ時、昼夜とこずえは互いの自宅から丁度中間地点にある公園で相対していた。こずえは錆びついたブランコに乗り、昼夜はその前にある手すりに座り、進展する事のない計画に憂いを覚えていた。
「全然ダメだね」
と言ってもこずえの表情に宿っているのは笑顔その物なので二人の間に立ちこめる雰囲気が険悪だとかそう言った様子は一切見られない。それどころか傍から見れば中睦まじげに青春している高校生カップルにも見えなくもないであろう図がそこにはあった。
「なんか想像してたのと全然違うよね。まあそんな簡単に死ねるとは思ってなかったけど、流石にこうも失敗続きだとちょっとヘコむね」
昼夜は夕日を受けて地面に影を落とすこずえを見ながら夏のBGMを背景に口を開いた。
「っつうかまあそう簡単に行かないのは当然なのかもな。よくネットに自殺サイトとかあってそこで自殺方法集ってるくらいだし。勝手に一人で自分を殺す事が今の法治国家じゃ難しくなってるのかもな」
それにである。
「ましてや俺達がやろうとしてる事って、殆ど殺人の域に近いし、しかも名目的に完全犯罪目指しますって言ってるようなもんだからな。そりゃたった少しの失敗で計画自体が全て行き倒れになるのも無理ないのかも。それに」
と昼夜は続けそうになって、それがこずえには言ってはならない絶対領域ゾーンである事を思いだし口を噤んだ。
一年前に昼夜がこずえに出した守隠し計画成功の為の条件の一つ。一人暮らし。
それが一年経った今、実行されているのかと言うとそんな訳でもなかった。というよりもあれ以来その話しは一度もしていない。
どこか複雑な匂いを感じさせる千駄木家内の家庭環境においそれと踏みいる事の出来ない昼夜がその事について我を押し通す事が出来る筈もなく、そして結果的に一人暮らしをする事が出来ないこずえを殺すには強制的な失踪を家族へと叩きつけるしか無く、それが余計に守隠し計画の成功、或いはプランの立案のハードルを上げていた。
「ていうか最近ダメダメだよね。なんか計画自体適当な感じになっちゃってるし」
それもその筈だと昼夜は思った。
そもそも殺人の計画などそう簡単に立てられる物ではないのだ。普通に二、三個プランが出来ただけでもいい方だとむしろ褒めて欲しいとさえ思っている。
「学年一の秀才物部君でも出来ない事ってあるんだね」
そのわざとらしいこずえの物言いに昼夜が何も思わない訳がなかった。
「お前が言うな」
学年一どころか全国模試でトップをとった事のあるこずえが言えばそれは確定的に嫌味となる言葉でしか無かった。
「それに学年一ってのも本当に一時だけだったけどな」
昼夜の勉学におけるピーク期は高校一年の中間考査にて終焉を迎えていた。その後下降線をたどり始めた彼の成績が(といっても学年トップ二十には入り続けている)こずえとの奇妙な関係と関連しているのではないかともっぱら周囲から噂されているのは遠からず近からず、当たっているとは言えないような事実だった。
「と言うより学力なんて結局教えてもらった事をそのままテストに反映させるだけの事だからな。今俺達が求められているのは紛れもなく学力なんかじゃなくて知力の方だ」
「知力ねえ」
こずえは首を傾げながら言う。
「学力って知力を高める為に必要な一つの要素だと思うけどな」
「確かにそれはそうかもしれないけど」
昼夜はこずえの影に視線を落としながら言った。
「俺の学校での成績がすべからく知力に反映されてるかっつったらそれは別問題だ。考えて完全犯罪が出来るようだったら世の中とっくに犯罪者だらけだろうよ」
「でもさ」
ここでこずえは何となく、と言った感じで口を開いた。
「案外世の中って完全犯罪がはびこってるんじゃないのかな、って私思うんだけど、物部君は思わない?」
昼夜はこずえの意図している事を理解出来なかった。一体何が言いたいのか分からないのはいつもの事だったが、今、何となくこずえが暗に何かを揶揄しているような雰囲気がそこにはあった。
「だって結局完全犯罪って、よく言う不可能犯罪、例えば密室殺人とか、そう言うのとはそもそも質が違うじゃん。まあ、そもそも不可能犯罪なんて言葉自体が論理的に矛盾してるから引き合いに出すのもおかしいんだろうけどさ、でも完全犯罪だよ? 完全な犯罪って事はそれが世に出る事もなく、誰にも知られる事なく行われる訳でしょ? だから今全国で行われて、警察の関与にあっちゃってる犯罪とは別に知られざる犯罪があると思うんだけど、それが俗に言う完全犯罪なんだとしたら、物凄い一杯の完全犯罪がそこら辺にはびこってると思わない?」
完全犯罪という言葉が持つ、大それた事をしでかさなければいけないかのような印象もその言葉に則ってしまえば事実上容易な案件へと昇華を遂げる。
「簡単に言えば昔物部君がコンビニでお菓子万引きしたのだって完全犯罪なんだよ。結局アレだって誰にも気づかれてない訳でしょ? だとしたら完全犯罪なんて世の中に蔓延してるんだよ。いや、むしろそれが世の中を形成しているといっても過言ではないね。要するに誰にもばれない事が前提な訳だからね。それに、誰にもバレ無ければいいって言う感情は誰もが持ってる訳だし、犯罪とまではいかないまでもそれがまかり通って成り立ってるのが世の中な訳でしょ? だからさ」
こずえはまるでそれが真理であるかのように、声高に叫んでいた。
「完全犯罪なんて実は大した事じゃないんだよ。誰にだって出来るしょうもない感情を利用したチンケな事でしかないんだもん」
「人一人殺すのにチンケなんて単語は当てはまらないだろ」
「だから、守隠しだって」
こずえは言う。
「私は死ぬんじゃない。いなくなるの。誰からも忘れられて、存在すらも消失するの。確かに物理的には殺されるけど、概念的にはいなくなるの。この世からね。だから守隠し。この話し何回もしてるじゃん」
「いや、でもさ」
そうは分かっていても、完全犯罪という言葉に存在している敷居の高い門扉を取っ払おうと考えようにも、やはり昼夜の中で生まれるのは現実問題だった。いや、というよりももっと改まった疑問だった。
「お前、本当に死ぬのか?」
だがしかし、その答えにこずえは何のためらいもなく即答するのだった。
「だから」
こずえは真っ直ぐ、まるでその言葉を他の何かとはき違えて理解しているのではないかと思わせるほどに真っ直ぐいうのだった。
「死ぬんじゃないの」
それは彼女にとっての死が、昼夜にとっての死とは違う、つまり価値観の相違による答えを叩きつけられたかのような、そんな言葉だった。
「いなくなって、救われるんだって。だから守隠し。ほんと何回も言わせないでよ」
価値観の違い。という言葉はよく聞く言葉ではあるが、人が本当に、本質的に自分とは違う価値感を持った人間と出会った事などあるのだろうかと、この時程強く昼夜は疑問に思った事がなかった。今まで考えていた、こずえが自殺を図る原因、つまりそれがいじめから来ていると言う昼夜の予想は確かに少なくとも外れでもなかった。しかしそれは同時に当たりでもなかった。
いじめという苦しみから逃れる為にこずえがとった行動はあくまで抗議という形で教師、家族達へと実行されておりそこにあるのは後ろ向きな逃避ではなかった。そして事実、教師や家族は何一つそのいじめに対して何ら救済策を行いはしなかったものの、こずえに対するいじめが一年の二学期半ばから減少し始めているのも昼夜は知っていた。集団でシカトをされ、教科書が引き裂かれ、体操着が便器の中に捨てられていると言った事例が少なくなる中で、それでもどうしてこずえが死を望むのか、何となく理解、いや、理解など出来る訳がない。昼夜は決して理解出来る事のない本物の人間の知覚を、認識する事が出来たと、それこそ錯覚なのかもしれない認識を持つ事が出来た。
こずえにとって死とは、死でないのだ。というよりも本質的に人間が持つ死と言う概念に対して負のイメージを抱いていないのである。自殺する人間は皆死に救いなんか求めていない。
今送られている地獄のような現実から逃れたいだけで、ただそれだけの理由で死を、二者択一でしかない選択を強要されるのだ。しかしこずえは違った。
生きているのが苦しいから死ぬのではない。
生きているよりも死んだ方がマシだから死ぬのではない。
生きているより死んだ方が自分にとってベストだから、死を、いやこずえにしてみたらそれは救済なのだろう。死ぬことこそが自分にとって救済であると、本気でそう思っているからこそ、
人間の価値観がみな違い他者にとっての救済が死に値しない事を知っていても尚、自分にとってそれが救済だと理解しているからこそ、こずえは死を、守隠しというオブラートに包んで昼夜に託したのだろう。
そしてその瞬間に昼夜の中で自分にあてがわれた復讐と言う名の単語が色を褪せて行く。
更に、正体不明の前後不覚に陥りまるで言葉を失ってしまった腹話術師の人形のように口をパクつかせた。
「どしたの?」
こずえが口をポカンと開ける昼夜に何を思ったのか、定かでは無かった。しかし次に放った一言が昼夜のプレッシャーを砕く為に言ったのは前後不覚に陥っている昼夜にもわかった事だった。
「まああんま気負わない方がいい考えも浮かぶって。それによく探してみたら案外身近で完全犯罪が継続されている最中かもしれないんだから。そういうの目ざとく見っけて観察すればいい案も浮かぶのかもね」
しかし昼夜は気付けなかった。このこずえが放った言葉にどのような意味が含まれているのか、こずえが完全犯罪のくだりから一体暗に、何の意味を込めて昼夜と話していたのか、その真意を理解する事はおろか兆候すら気付く事無く、彼はそのまま千駄木こずえと言う理解する事の出来ない彼女の認識に次元の違いを覚えるのだった。




