Scene26 超越する者
中世の建造物が立ち並ぶ闇夜。
遠方、激しい戦闘音とその衝撃が木霊する。
だが、この場は静寂としていた。
「一体、何時からそこにいたっ!? 貴様の気配をまるで感じ取れなかったぞ!」
何が起きたのか分からないという異常の疑問。だが、それ以上の恐怖。
京馬を含む一団のリーダー、フランツは顔を強張らせて目の前の男に問う。
「俺のベリアルの捕縛結界……『ソドムとゴモラ』は特殊でね。古代の魔法文明の利器を幾つか所持しているのだよ。例えば、今みたいな対象への瞬間転移なんてのもそうだな」
問われた男は口を吊り上げて告げる。
「浅羽……謎の新興組織、アウトサイダーのリーダー。得体の知れない大物がまさかこのタイミングで来るとはね……!」
「本当なら、もっと違うタイミングで姿を現すつもりだったが、どうも予想外の事態になってしまった。大仰な計画とは破綻しやすいものだな」
苦虫を噛み潰した様な表情で呟くグレッグに、浅羽は苦笑して告げる。
「お前達の、目的は何だ?」
その緊迫の中、京馬は意を決する様に息を大きく吸い込んで問う。
恐怖。だが、それ以上に自身の理想への『決意』。
その障害への対峙ともとれる様に、険の表情で問う。
「まあ、分かっているとは思うが……アダムの崩壊だ」
一寸の間も置かず、浅羽ははっきりと告げる。
「さて、そろそろネタばらしでもしようか?」
顎に手を当て、浅羽は可笑しそうに笑みを深めて続ける。
「本当だったら、もっとアダムの戦況が好転するつもりだった。そこで、焦ったミカエルが現界し、そのミカエル打倒の為にアダムの猛者どもが集い、混戦となる。そこで手薄となるのが、この捕縛結界メイザース・プロテクトの発信源だ。俺達アウトサイダーはその発信源を破壊し、民間人を虐殺する予定だった」
「な、何だと……!? 何故、そのようなイカれた真似をしようとしたっ!?」
浅羽の言葉に、フランツは強張らせた顔を激情へと変え、叫ぶ。
「全ては、キザイアの能力の有効活用の為だ」
だが、浅羽はその怒号を涼しい顔で受け止め、告げる。
「あいつの固有能力はあらゆる『悪』の具現。そして、あいつはその『悪』、いや、負の感情で力を蓄えることが出来る。その虐殺で得られたあいつの力と具現はアダム、天使でさえも破滅まで追い込むほどの威力があった。俺達はそのあいつの力で両陣営を崩壊させ、甘い汁を吸おうとしたのさ」
「キザイアには、そんな圧倒的な力があったのか……!」
浅羽から告げられる事実に、フランツ、そして一同は驚愕する。
「だが、それも失敗に終わった。あいつの仲間の反逆、そして貴様らアダムの『神雷を超越する女帝』によってな……!」
浅羽は、そこで初めて表情を歪める。
「まさか、キザイアが奴に殺されるとは思わなかった。まあ、そちらの戦力の要の一つである『神雷を超越する女帝』も再起不能となったのは不幸中の幸いであるが」
浅羽から告げられる事実に、一同は一寸、安堵に包まれる。
先程話していたアウトサイダーの計画。それをアダムの最大戦力の一人であるエレンが打ち破ったという情報は、闇の中の光明の様であったからだ。
「──だが、それも手の内の一つだ。本当だったら、今、俺が行おうとしている計画で進めようとしていたんだ」
浅羽が刀を構え、一同に振るおうとする。
互いが臨戦態勢になった瞬間であった。
「ふふ、獲物が一匹、二匹……極上のエサを引っ提げてやってきましたねえ」
途端、浅羽を含んだ一同の動きが止まる。否、何かで体全体を縛りあげられる様に硬直する。
「捕えましたよ。あのルシファーには効きませんでしたが、あなた達の様な単純な悪魔の子には気持ちの良いくらいの効果を発揮しますねえ」
声が、浅羽の背後から聞こえる。
「悪魔の子達よ。私の『神の糸』の力は如何でしょうか? これが、神に愛された者の崇高な力の一端です」
満足気な様子で話す若い男の声。
「こ、こいつは……!?」
だが、その爽やかな声と正逆の緊迫とした声を、グレッグは口から発する。
「ラグエル……っ!? 馬鹿な! 報告では既に倒されたはず!」
信じられない。そんな驚愕を含んだ言葉を、コーネリアが言う。
「ふん。何が、神に愛された力だ。ふざけおって」
しかし、驚愕と戦慄の二人とは対照的に、浅羽はくだらなそうにため息をつく。
「ふふ。よくは分かりませんが、どうやらアダムの連絡網が先刻から途絶えているようですね。確かに、私は一度ルシファーとエレンによって葬り去られました」
口を吊り上げ、ラグエルは意気揚々とした表情で続ける。
「ですがっ! 私はあのレイシア様のお力でもう一度復活したのです! ああ、あの崇高で麗しいアストラル……あなた達、悪魔の子には到底及びはしないでしょう」
ラグエルが告げた途端、一同の頭の中に解読不明の言語が次々と入り込んでくる。
「ぐ、が、あ、あ、あっ!」
それは、ラグエルが一同に巻き付けた不可視の『糸』から発せられたものであった。
その人の意識では到底理解できようの無い複雑難解の情報は、一同の精神を徐々に喰らってゆく。
「ふ、ふわははははははっ! さあ、私の糸から伝わる我が父の声にひれ伏すがいいっ!」
歓喜の叫びを、ラグエルが放った瞬間であった。
「はい?」
それは瞬き一つに満たない程の一瞬であった。
ずり落ちる、ラグエルの両腕。
それは、地に落ちる前に砂の様に霧散してゆく。
その現象と共に、一同に響いていた狂気の情報は、頓挫する。
「……馬鹿馬鹿しい戯言を次から次へと──この道化が」
そう言い放った浅羽は自身の両目を隠していたサングラスを外していた。
その眼は、正に灼眼と言うに相応しい猛々しい深紅。
「な……? き、貴様、どうやって私の糸から逃れた……!?」
予想外の事態に困惑するラグエル。そのラグエルに刀を突き出す浅羽は、苛立ちながらその問いに答える。
「単純だ。貴様の精神力を超越し、糸の拘束を破ったまでのこと」
「な、何と……!? だが、今のあなたの精神力ではとても私の糸の概念構築を勝ることは──」
「超越せよ、『二倍』」
浅羽が言葉を発した途端、その場に圧迫するような重い重圧がのしかかる。
「こ、この精神力はっ!?」
「これが、俺のベリアルの固有能力。『相手を超越する精神力を得る』。とてもシンプルだろう?」
「ば、馬鹿なっ!? くそっ!」
戦慄の表情を浮かべ、ラグエルの体は変化する。
糸が合わさり、包帯の様に厚くなった束が何百、何千と空間を覆い付くす。
多数の腕、脚、そして翼。
糸によって造られたその部位達は、関節などお構いなしに生えてくる。
「目障りだ、失せろ俗物!」
脅威的であり、圧倒的な威圧を持つその異形を浅羽は臆せずに次々と切り付ける。
その場にいた誰もが捕え切れない超常的なスピードの斬撃の猛攻は、一瞬でラグエルを細切れにする。
「くそおおおぉぉぉぉっ! またしても、こんな──」
「滅せよ」
敗北の捨て台詞を吐こうとするラグエルに、浅羽は告げる。
その両目の瞳孔が開くと同時、爆炎の閃光と共にラグエルの体は霧散する。
「う、嘘だろ……? Sクラス相当の能力があるとアダムでは言われていたけど……」
「浅羽……! 間違いなく、SSクラス相当のインカネーターだ……!」
驚愕するグレッグとフランツ。コーネリアと京馬は、その圧倒的な力を前に言葉を無くす。
「とんだ邪魔が入ったな。では、続けるとしようか」
浅羽は、自身の目をまた隠すようにサングラスを取り付け、何事も無かったかの様に口を開く。
「京馬君、逃げて!」
グレッグは、雷を手に滾らせながら京馬に叫ぶ。
「で、でも!」
「いいから、早く逃げて! さっきの奴の力を見たでしょう!? あのレミエルと同等の力を持つラミエルをあの男は一瞬で倒したのよっ!? どんなに頑張っても、私達じゃあ時間稼ぎで精一杯よ!」
冷や汗を垂らし、コーネリアは怒号に近い叫び声で京馬に言う。
「く、くそぅ……!」
歯で唇を噛み締め、京馬は全速力で駆けて行った。
「どこまで持つか……」
フランツはそう呟き、自身の体に大量のイナゴを纏わりつかせる。
「ふん」
臨戦態勢に入ったグレッグ、コーネリア、フランツの三人に、鈍重な氣を纏わりつかせた浅羽が駆ける。
「くらえっ!」
グレッグが雷を放とうとした瞬間、
「まずは、一人」
その胴体は、真っ二つにされる。
あまりにも一瞬であった。
表情はそのまま、グレッグは崩れ落ちる。
「『端正王の旋律』、『拘束形態』!」
そのグレッグに目をくれる事なく、コーネリアは重々しい旋律を奏でる。
途端、異常な重圧が浅羽に圧し掛かる。
「ビュルサンか。中々に使いこなしていると見える」
が、浅羽は何事もなく呟くと、その場から消え、
「ひっ……!」
怯えた顔のコーネリアを両断。
「最後だ」
さらに、最後に残った纏わりつくイナゴによって黒ずんだシルエットのフランツに刀を振るう。
「『過負荷駆動』!」
だが、そのフランツの叫びと共に、その刀は動きが止まる。
「ほう、受け止めるか」
否、刀はフランツの黒と緑と紫の毒々しい配色の手に掴まれ、拘束されていた。
「俺は、しぶといぞ?」
そう言い放つフランツの手には刀が食い込み、血が滴り落ちる。
「くく、無様だな」
甲虫の仮面をしたフランツに、浅羽は言う。
「何がだ」
その浅羽に、フランツは感情のない様な声で問う。
「何故、アダムに執着する? 世界平和の為? 自身の身の為? 結局は貴様ら、純粋なアダムの幹部は力が足りないからその場に留まる──家畜だ」
「何が、言いたい!」
その浅羽の言葉に、フランツは憤怒の声で問う。
「だから、無様だと言ったんだ。人知を超えた力を得てしても、従おうとする貴様らは哀れだ。そして、その命令で命を捨てるのは愚かだ。救いようのない馬鹿だ」
「黙れっ!」
フランツは叫び、その腕から無数の針を伸ばし、浅羽の周囲に取り囲む様に襲いかからせる。
「これならば、あの業突く張りの道化の方がマシだな」
だが、その攻撃も、浅羽の斬撃によって一つ残さず切り落とされる。
「何も知らない貴様に、俺の『方法』を語る資格はないっ!」
フランツはそう言うと、自身を纏う鎧をさらに変化させる。
その容姿は甲虫から龍を模したような様相へと変化してゆく。
「確かに、俺は闇で足掻く無様な虫けらなのかも知れない! だが、一縷の望みの為に、足掻いて、足掻いて──自身の生を全うしようと決意したっ!」
「『二倍』」
フランツがプリズムの魔法陣を発現し、魔法名を口にしようとした瞬間だった。
その掲げた腕が切り離され、宙を舞う。
「そうか。訂正しよう。貴様は『骨のある馬鹿』だ」
そう言い放ち、浅羽がフランツの胴を薙ぎ払おうとした瞬間。
「『破滅の噛み付き(ルーイン・バイト)』」
その浅羽の持つ刀の刃が消えうせる。否、喰われたように綺麗にぽっかりとなくなっていた。
「……何の真似だ。サイモン」
「言っただろう? 俺は、未だ諦めたわけではないと」
周囲を砂が吹き荒び、浅羽と同様の黒服を着た老人が姿を現す。
「先程まで、這い寄る混沌に従順だったはずだったのだがな。よくもそんな感情が混在した状態で意識が保てるな」
浅羽は、呆れ声でサイモンを称賛する。
「今ここで桐人を暴走させる訳にはいかない……! 何としても、貴様に『真田』を殺させる訳にはいかない!」
険の表情で、サイモンは浅羽に告げる。