(Epilogue) 情緒纏綿の想いとの決別 Case:美樹
腸壁の様な肉の壁が身動ぎする。脈動する。
その間に埋め込まれた臓器や紫色の骸。
およそ、おどろおどろしい光景の中、乱れる男女。
艶かしい喘ぎ声を漏らし、艶美な表情で少女は乱れる。
その少女の様子に更に男は興奮し、その腰を支える手に力が加わる。
「ふ、ぐ、ああ……!」
だが、果てた男が漏らしたのは、快感による吐息ではなく、苦悶の吐息。
「あぁ、もう……終わり? これじゃあ、一握りの足しにしかならないよぉ……」
そのまま倒れ伏せた男に、物欲しそうな笑みで少女は言う。
「くく、これでお前が『イキ』殺したのは何人目だ? もう、立派な『悪魔』だな。美樹」
「悪魔に言われたくないよ」
「私が宿った人間で、完璧に『認めた』のはお前で二人目だ。光栄に思え。この元熾天使であり、『色欲』の大悪魔のアスモデウスからお墨付きをもらったのだぞ?」
ふう、とため息を吐き、美樹は自身の奥底から響く悪魔の声に嘆息する。
「おう、美樹! 今日も絶好調だな!」
「新島、『この空間』に入る時は、転移場所はあの『肉門』の向こうにしてって言わなかったっけ?」
突如、空間を割き、現れた大男を睨みつけて美樹は告げる。
「ああー、俺、最近、この技知ってよお。まだ、上手く使えねえんだよ」
ぽりぽりと新島は頭を掻いて、ぼやきながら言う。
「で、何? 浅羽様からの伝言?」
「おう、良く分かったな!? そうそう、浅羽の兄貴が、『玉座』に来いってよ!」
「了解。じゃあ、仕度するから、みんなと部屋で待ってて」
「おう、おう! へへ、今回も俺ら、活躍したかんなー! 褒美かな?」
嬉しそうに、笑い声を挙げ、新島は空間から姿を消す。
「全く……」
そう、ため息を漏らした美樹は、しかしその口元は緩んでいた。
「嬉しそうだな、美樹」
その美樹の『精神』の変化に、アスモデウスは気付いて言う。
「ええ、そうね。着実に、『目標』に近付いているんですもの」
「いや、それだけではないな」
美樹が告げた言葉に、だがアスモデウスは否定する。
「お前は、鬱屈した以前の自分の周囲、それが消え去り、先程の男や、ミシュリーヌとかいう小娘などの新しい『解放』の周囲の仲間に安堵し、そして感謝している」
「そうかもね」
アスモデウスの言葉に、美樹は曖昧な肯定をし、肉壁の世界を塗り変える。
「急に呼び出して済まないな。諸君」
豪華絢爛のレッドカーペット、黄金のタイル、ダイヤのシャンデリア。
この世で言う、『最上級』に当てはまるその内装の中、玉座に座る、燃え盛る炎を模した様な赤のコートを身に纏い、黒の鎧を身に包んだ男は口を開く。
「新島、美樹、ミシュリーヌ、夢子……君達を呼びだしたのは、他でもない。今回の任務の褒美と、昇進についてだ」
そして、男はそこに並ぶ四人の男女を見やる。
「君達はアダムと天使との戦いにおいて、多大な貢献をした。よって、現部隊を、『第四』部隊から昇進し、王下直属第三部隊『禍』とする」
そう男が告げた時、四人の各々の表情が変化する。
口を吊り上げて笑む者、片眉を歪ませて納得がいっていない者、首を横に曲げてほとんど内容を理解していない者、ただただ目を閉じて無関心な者。
「そして、その『禍』のリーダーを葛野葉美樹、君に任せようと思う」
「俺じゃないのかよっ!?」
浅羽の発表に、新島は衝撃を受けた様な表情で訴えかける。
「お前は、夢子のサポートがあったにも係わらず、京馬君の拘束を達成出来ず、あの『炎帝の魔術師』にも敗れ去っただろうが。強大な力を持っているくせに、それを全く使えこなせない上に思慮に欠ける木偶の坊を、一部隊のリーダーにさせる馬鹿がどこにいる?」
「な……う、うぐぐ……!」
浅羽の答えにぐうの音も出ない新島は、恨めしそうに美樹へ振り返り、見つめる。
「ですが、私もこの昇進に異議を唱えます。何故、私がリーダーに? 申し上げにくいのですが、その判断ですと、夢子やミシュリーヌの方が適任と考えますが」
その新島の視線を無視する様に、美樹は浅羽へ問う。
「ふん。私が何も知らないとでも? 仲間には秘密にする様にしていたであろうが、しっかりと私は情報を得たぞ。君は、あの天使長を二体相手に対等以上に渡り合えたのだろう?」
にやりと、口元を歪ませる浅羽の答えを聞き、美樹は新島へ振り返って、気まずそうな新島の顔を睨みつける。
「あ、あいや、すまん! 浅羽の兄貴、誘導尋問が上手くてさ……!」
両手を合わせ、許しを請う新島へ美樹は嘆息し、そして口を開く。
「もう、新島には秘密は話さない」
観念する様にため息を吐き、美樹は告げる。
「くく、その秘めたる力でこの俺を出し抜こうとしていたのか? 何にせよ、その愚かな行為は失敗に終わったであろうな。逆に新島に感謝すべきだぞ?」
サングラス越しに美樹を蔑んだ瞳で浅羽は見つめる。
「……で、組織の人員が大幅に増加し、新たに出来た『上級部隊』の一つに私達の部隊を昇進させて、そちらこそ何を企んでいるのでしょうか? 浅羽様。いえ、今は浅羽『閣下』とお呼びすればよろしいでしょうか」
やや皮肉がかった美樹の問いに、浅羽は可笑しそうな顔で答える。
「何と言ってもなあ……『昇進』は『昇進』だ。君が願ってもいないものだったのだろう? 喜ぶがいい。それとも、それ以上にその『力』の隠匿が重要だったのか?」
くく、と小馬鹿にする様に笑う浅羽へ、美樹は嫌悪感を剥きだした表情を向ける。
「この俺の前であっても、そんな表情をするのは君ぐらいだよ。まるで、何時でもこの俺を殺せると思っている様な、愚かな表情だ。だが、それでも俺は『貴様』を殺しはせん」
「何時でも、私を殺せるから?」
「その通りだ。く、ははっ! さあ、利害の一致が同じ内は共に戦おうではないか?」
目を細め、眉を吊り上げる美樹の視線を、まるで蛇に睨みつける小動物を見ている様に、愚かしそうに浅羽は見つめる。
「これでも、私は貴様を気に入っているのだ。その意志の強さ……私の喉元に、どこまで喰いつけるかな?」
「『傲慢』だね」
「それが、俺だ。貴様が『色欲』で何百もの軍勢を従えようとも、俺は全てを殺し切ってやる」
互いが互いの瞳を睨みつけ、一寸の静寂が場を包む。
「……ふむ。そうだったな。昇格と『褒美』だったな」
その静寂の中、浅羽はふと思い出した様に言う。
「そんな、危険極まりないリーダーを擁する君達へ、プレゼントだ」
浅羽が告げると空間が歪みだし、次元が湾曲し、一同の下に一石の巨石が出現する。
「モノリス……!?」
驚愕し、思わず声を出す美樹。
しかし、それは美樹のみならず、その場にいた全員も同様であった。
「俺が保有する『トバルカインの遺産』、その中のモノリスの一つだ。強襲部隊である『禍』の任務に適した能力の一柱を君達へと贈るよ」
妖しく鈍い輝きを放つ黒の巨石を見つめる美樹達を愉快そうに見つめ、浅羽は告げる。
可愛らしいぬいぐるみが至る所に点在する。
64型液晶テレビを支えるテレビ台の下には高価そうなDVDレコーダーがある。
部屋の中央には、少し大きめであるが、水玉とピンクの花柄があるテーブルクロスのおかげで愛嬌のあるちゃぶ台がある。
カーペットの下には、投げ捨てられた様に無造作に置かれるリモコン。
年頃の少女のありきたりな部屋。
だが、その部屋の隅にある本棚には、そんな少女の部屋には不釣り合いな年季の入った本が立ち並ぶ。
それは、綻んで破れ目のある様相であるに係わらず、未知を包括する圧倒的な存在感を放つ。
「全く、新島のせいで、私の計画の一つが遠退いたよ」
その体格には、やや大きいであろうベッドに、少女はうつ伏せで不貞腐れる。
「だが、あの浅羽の事だ。新島が口を割らなくとも、いずれは気付いたであろう。これで、奴とも『対等』という事だな、美樹」
精神の中で響く悪魔の声に、美樹は微笑する。
「そうね。分かっているよ、そんな事。私の『誘惑の奴隷』で収集した『兵隊』は王下直属部隊にも配置されているし、何時でもけしかける事が出来る」
「後は、『時期』を待つだけだな」
「『時期』、ね……」
アスモデウスの言葉に、美樹は表情を曇らせる。
「くく、『時期』を待たずとも、あの小娘を殺したいのか?」
「違うっ! だけど、咲月ちゃんへの、この気持ちは……」
頭を振り、美樹は激しく否定する。
「『嫉妬』だろう?」
だが、アスモデウスの続く言葉に美樹は口を閉ざす。
「くく、はははっ! その淫行でまみれた心と体で、だが、お前は自身の純真な恋に縋るのか」
「それ以上言ったら……あなたに、死を懇願するような酷い苦痛を与えるよ」
「ああ、済まない。だが、私は、そんなお前こそが素晴らしいと思っている。その想いを振り切る様に、狂った様に男共を貪り喰い、その山で艶やかな笑みを見せるお前を……」
その後の言葉は、アスモデウスの躊躇いで、途切れる。
ベッドから覗いた自身の顔を睨みつけていた美樹は、その自身に宿る悪魔のいつもとは異なる様子に、首を傾げる。
「アスモデウス?」
「い、いや、何でもない。今後は私も言葉に気をつけねばならんな」
口籠るアスモデウスの様子に、不自然さを感じながらも、美樹は呟く。
「京ちゃん……無事に生きていて良かった。でも、もうあの時の様に触れる事が出来ない。私は、私の世界の為に、『想い』の為に」
うずくまり、美樹はその瞼を静かに瞑る。