Scene35 『想い』を記し、示す者
「さあ、『神の木』を通ず、ルシファーでさえも堕としたミカエル様の『堕天』だ!」
「『希望』っ!」
『神の木』の無尽蔵の精神力から放たれる『堕天』の氣に、京馬は『希望』の想いの力の無効化で対抗する。
(この精神力……! 不味い、京馬君! このままじゃあ、私達は『堕とされる』わっ!)
「分かっている! だが、どうすれば……」
ケルビエムと剣を交えながら、京馬は『希望』の感情への精神力の注入に集中する。
「さあ、精神力の競り合いだ! この私も全力の精神力を『堕天』に注ぎ込んでいる。つまりは、この『堕天』と貴様の『想い』……どちらかが優れば、この聖戦の勝利を手にする事が出来ると言う事だっ!」
「成程、分かりやすい。あんたみたいな正々堂々とした奴は嫌いじゃない」
「ふん、卑劣、狡猾、醜い貴様ら、悪魔の子と一緒にするでない!」
互いの剣を撃ち合いながら、京馬とケルビエムは告げる。
「だが、人は優しさや思い遣りみたいな『良い』部分もある。醜さだけではない」
「ふん、そうか? 私はミカエル様の命で、人として、貴様ら悪魔の子が形成する社会に数日潜り込んでいた。そこで見たものはそんなものの皮で覆われた穢れた部分しか無かった」
ケルビエムは口を吊り上げ、京馬を愚かそうな見下した眼で見つめる。
「優しさ? 違う、それは自身より下を慰め、優越感に浸りたい。気遣い? 違う、自身の評価を上げたい、のし上がりたい。それらも結局は醜さの遠回りであった」
「だが、純粋に他人を『想う』人もいる」
「確かにいた。しかし、それも少数だ。更に、その少数は貴様らの社会でも低い立ち位置にいる者がほとんどだ」
「だから、俺が世界を創造し、その仕組みを変える」
「ふふ、そうか。私は侮蔑したが、醜い方の貴様らの方がミカエル様の世界を機能させるのに上手く貢献しているという事も知ったよ。その点では、評価をしていた。だが、貴様の様な自身の罪を罪とせず、意志ある反逆を持つ者は別だ」
「あくまで、お前はミカエルの……世界の維持の為のみで生きていたのか?」
「それが、私の使命であり、私の確固たる意志だ」
「何が、天使だ。まるで命令通り動く機械だな」
「それが、私達の理想だ。貴様らの様な反逆が芽生える意志は必要ない。貴様らは、世界の『歯車』を正常に動かしていれば良いだけなのだ」
「どうやら、何を言っても通じないようだな」
「当たり前だ。たかが極小の時間を生きた貴様の言葉なぞ、私のアストラルの琴線に一鳴りにも響かん」
京馬に強烈な肉体的、精神的の苦痛が襲う。
ケルビエムの放つ剣撃は、その苦痛を響かせるように、京馬の内と外を抉りとる。
「ぐ……!」
「ふふ、必死に耐えてきた貴様の『想い』も、そろそろ限界に近付いてきた様だな」
「このままでは負ける……! どうする?」
京馬は自身の精神力が限界に近付きつつあるのを感じ、思慮する。
「貴様の精神力が急激に減少してゆくのが分かるぞ! そして、その存在がどんどん希薄になるのもだっ! さあ、『堕ちろ』っ!」
(京ちゃん……どうか、負けないでっ!)
剣を持つ右腕の力が入らなくなってくる。
自身を支える両足が崩れ落ちそうになる。
世界を破壊する者と対峙する為の『想い』の力の更に根源、精神力も底を尽きようとしている。
意識が落ちてしまいそうな、視界が滲んでいる京馬の頭の中に響いたのは、京馬の最も愛する、大悪魔に魅入られた一人の少女の声。
「美樹……?」
京馬は、縋る様にぽつりと呟く。
だが、その声は一人では無かった。
(負けんじゃねえぞ、京馬……! お前はこれから俺と一緒にアダムを支えるルーキーなんだからよ!)
(京馬君、大丈夫……あなたは負ける事は無い。ケツアクゥアトルに聞いたのよ? あの『混沌』の一人を倒したガブリエルの『一翼』よ? 私は信じてる。私達の理想の為にっ!)
(俺は『呪い』を絶ち切る為、あえて自身の力を切り捨てた。それが出来たのも、君の正体が分かったからだ。俺の『風魔大葬撃』をあの短期間で退けた君だ。必ずやれる筈だ!)
(天の声さんの『一翼』……純粋で『愛』に満ちた子。出来れば、私の中に『取り込みたかった』のだけど。止しておきましょう。その純愛が叶う事を、そして私とリチャードさんの世界を救う『記し』である事を)
一人、また一人、京馬の頭の中を、様々な人の『想い』が駆け巡ってゆく。
「力が……漲ってくる?」
ケルビエムの『堕天』を『希望』で制止しながら、京馬はケルビエムと剣を撃ち合う。
だが、その剣撃は頭の中の『想い』と共に、強くなってくる。
「馬……馬鹿なっ!? なんだ、この力は!?」
徐々に、自身の剣撃を弾く京馬の力の滾りをその腕で感じ取り、ケルビエムは戦慄の眼差しで京馬の瞳を見つめる。
(ふふ、驚いてる? これが、私の『概念構築』の真骨頂。どうやら、融合してからの完全同調に間に合ったみたいね)
「ガブリエル、これは一体?」
次々に沸き上がる『想い』の増幅。
京馬は無表情を表に出し、しかし奥底で驚愕の感情を出す。
(これは、私の『想い』を力にする、その能力の真価。京馬君へと向けられた『想い』を全て力へと変える事が出来るの)
「そうか。成程、人の道を示せ、記せ、か」
「ぐ、くそっ! まさか、貴様にそこまでの底力があろうとはっ……!」
最早、完全に力負けし、細剣で京馬の剛剣をいなし、かわしながら、ケルビエムは叫ぶ。
だが、その力の増幅と共に、京馬は自身の中の精神力の急激な減少を察知する。
(だけど、その精神力の消費量も尋常じゃない。短期決戦で決めるわよ!)
「ああ、分かった」
京馬は返事をし、左手を服の裾へと入れ、そこから円筒状の金属を取り出す。
「これを、飲めば良いのか?」
京馬は、その金属の中心にあるスイッチを押し、中から出てきたカプセルを呑み込む。
「させるかっ!」
その京馬へ、ケルビエムは力強い突きを繰り出す。
だが、その渾身の一撃を京馬は右腕のみで持つ剣で受ける。
「もう、ここまで差が開いたのかっ!?」
その力の差に、ケルビエムは驚愕し、後退する。
詰め、必殺の一撃を振るう京馬の剣。
「くっ!」
だが、ケルビエムは俊敏に捕え、かわし、後転する。
「『想い』を力に変える……そうか。ミカエル様でさえもガブリエルは『堕天』しきれなかった訳か……!」
ケルビエムは何かを察知した様に、更に京馬との距離を空け、そして告げる。
「ならば、私は『樹』の精神力を更に供給し、貴様を消し飛ばすっ!」
周囲をらせん状に多量のプリズムの粒子が取り囲み、次々とケルビエムへと凝縮する。
「『神の焦土』!」
その粒子から放たれたのは、太陽をも超える熱量の光球。
そこから放出する太陽風とも言える眩きは、京馬達の立つ、大剣も、黄金の空も、全てを焦土と変えてゆく。
「『過負荷駆動』、『想いの奔流の一撃』!」
その物質という物質を消滅させる閃光へ、京馬は自身の限界を超えた逆巻く想いの奔流を打ち付ける。
真っ白のキャンパスに淡く輝いた蒼の色彩が描かれる。
それは、京馬の、人の『想い』の奔流が放つ輝き・
奔流は『無』への果敢な『反逆』の様に、荒々しく揺らめく。
「さあ、私の『使命』に足掻き、対峙してみよっ!」
全ての影が吹き飛び、一人の少年の影だけが、世界に延々と延びる。
「俺は……負けるわけにはいかないんだっ! 全ての人の、『想い』を『樹』に示し、記す為っ!」
京馬は、眉をきつく締めつけ、閃光を睨みつける。
天使と完璧な融合をした後の、京馬の表情の初めての変化であった。
それは、解放された『想い』の力が周囲に渦巻いている為に起きる現象。
(京馬君、信じてるよ。折角、私は京馬君の事を好きだって自覚したんだ。決めたんだ。私は京馬君の理想の為に共に歩むよ。傷つけ、思い悩もうとも、私は何時でも京馬君の隣りにいるね。だから、絶対……負けちゃ駄目だよ?)
より強く、自身に向けられる『想い』の言葉が響いてくる。
(京ちゃん……分かっているの。京ちゃんがその『選択』をするって。それが、京ちゃんの『本質』だものね? でも、『私の望む世界』なら、二人で愛し合う事が出来る。だから、私は、惨めでも、醜くても、蔑まされようとも、京ちゃんと敵対してでも……『世界』を掴み取るの。でも、京ちゃんがいなくなったら、全てが無駄になる。だから、負けないで)
「咲月……美樹……!」
重なる『想い』の言葉と共に、逆巻く蒼の波動は徐々に白の閃光を呑み込んでゆく。
「『想い』を力に変える、か。ガブリエル、貴様はアビスの『特異』だ。そして、その『一翼』が芽吹いた悪魔の子も……」
京馬の放つ『想い』の奔流を押さえつける様に、ケルビエムは両手でさらに閃光を放つ。
「はあああぁぁぁぁぁっ!」
だが、その追撃でさえも、京馬の放つ『想い』に呑み込まれてゆく。
「少年っ!」
ケルビエムは、京馬に向けて叫ぶ。
「流石だ。貴様は、この私と対峙した者の中でも最高の相手だった。敗北を認めよう。貴様の、人の『想い』の勝ちだ」
白の世界を、蒼が呑み込んでゆく。
その様相を、ケルビエムは仰ぎ見る。
「美しい……」
それは、ケルビエムの無意識から漏れ出した言葉だった。
「美しい……美しいぞっ! 少年、京馬よ! もし貴様が世界をこの『蒼』に染め切る事が出来るのならば、私はこの貴様との聖戦を誇りとして逝くことが出来る!」
「そうか……! なら、俺は約束しよう。必ず、全てをこの『蒼』で染め切るとっ!」
「ふ、ふははっ! 光栄だっ! 世界が、『蒼』で染め切らん事を、私も願おうっ!」
そう告げ、ケルビエムは『想い』の奔流に包まれ、そして霧散してゆく。
──そして『この世界』から『管理者』は消え失せた。『俺』の『感情』と『日常』と共に。