Scene32 終局破棄
空間、時間、現象、摂理──あらゆる万物、法則が消失した世界。
だが、燻る青い光は、確かにそこに『在る』。
(き……ま…くん……)
その青の光の中。少年は横たわる。微かに聴こえる、優しい声色の声に手を伸ばし、その瞼を静かに開ける。
照りつける陽。
乾いた地肌。
あとは何もない。
ただただ、地平線までその荒野は拡がる。
「私の世界を……人を……! 許せない! 何が、『混沌』! 何が『蔦』よっ!」
その地平に沿う様に加速する多重の輝かしい羽を持つ天使は、焦燥の表情で、青く光る弓を構える。
「愚かだ……! 最低だ! 最悪だっ! 貴様は全知全能へ反旗を翻した! 全ての者に『物語』を与えるなど……!」
天使の放つ、大質量の超高速で射出された青い閃光の『矢』を、漆黒の天使の造形をした、だが造形に『過ぎない』物体は、その宙に浮く体を旋回し、翻し、かわしてゆく。
「逃がさない……!」
白の天使は、しかし漆黒の天使の動きに翻弄される事無く、その後を追う。
「この『混沌』を知り、そして駆逐しようとするなど……! ガブリエル、貴様は、『住民』として可笑しい! 狂っている!」
逃げ切る事が不可能だと判断した漆黒の天使は、振り返り、更に射出される矢を回避しながら、体から這い出た紫の閃光を纏わせた剣を引き抜く。
「狂っている……!? 結構よ! 私は、私の『愉悦』の為にっ!」
それを合図とする様に、ガブリエルは青く光る弓を剣に変化させ、漆黒の天使へと突貫する。
激突する白と黒の閃光。
「く……!」
「くはは……! その程度では、この『混沌』の一端ですら滅ぼすことは不可能だっ!」
だが、白の閃光は、黒の閃光の強烈な氣に圧倒され、地へと叩きつけられる。
「くそ……今の私では、『想い』が足りない! この『世界の破壊者』には敵わない!」
急降下するガブリエル。
しかし、その視線の先、漆黒の天使に『消された』世界。虚無の世界、そこには在るべき、居るべきではないものを発見する。
「あれは……?」
それは、『人』であった。
「そういう事もあるのね……!」
だが、ガブリエルは瞬時に理解する。
この『アビス』。
そこには、稀に紛れこんでしまう『枝』の世界の住民がいるという事を。
「あの子の世界に……託すしかないっ!」
ガブリエルは、その背にある翼の一翼を引き千切る。
それは、空に広くその羽を飛散させる。
瞬間、ガブリエルは地にその体を打ち付け、その衝撃により、地は長大なクレーターを穿ち、地響きを響かせる。
「私と共に数々の『道』を切り拓いた同志よ! あの子の下に!」
だが、ガブリエルはその強烈な衝撃を苦にせず、その体を起こす。
「これで、気兼ねなく私はあの混沌に全力をぶつける事が出来る! さあ、『私の造った世界』の想いよ! この手に!」
凝縮された、ガブリエルへと集う様々な『生物』の『想い』は、圧倒的な波動を放つ氣へと変化する。
「今の私では、あの『一端』を葬ることしか出来ない! だけど、あの子が導いてくれるだろう世界で、識り、そして理解し、さらに超越できるなら……!」
ガブリエルは、肥大した大剣を掴み、再び、黒の閃光へと飛び立つ。
「目を覚ました? 京馬君」
「……ガブリエル? どこだ、ここは?」
長く、否、短く──分からない。
だが、京馬は自身が先程まで眠りについていた事は理解していた。
体を起こし、辺りを見渡し、京馬は自身の顔を除く天使に問う。
「どこでしょうね? 私にも分からない。だけど、何故ここにいるのかは理解しているわ」
無。
それ以上の言葉が見つからない。
ただただ、何も無い世界。
だが、微笑む天使は、その異常の世界で穏やかな笑みを見せていた。
「ここは、死後の世界なのか?」
ぽつりと、呟く様に京馬は言う。
だが、ガブリエルは首を横に振り、そして口を開く。
「違う。ここがどこかは分からないけど、だけどそんな場所では無い」
「だったら、何故、俺はここにいる? 俺は──世界はどうなってしまったんだ?」
京馬の問いに、ガブリエルはその表情を崩さずに答える。
「世界は、消え去ったわ」
その天使の言葉に、京馬は絶句する。
驚愕の表情で一寸の硬直。その後、顔を埋めた。
「そんな……! 俺は、みんなは、美樹は……みんな、消えちゃったのか?」
しばらくして、震える声色で京馬は言う。
「だけど、安心して」
京馬から伝う雫を手で拭い去り、ガブリエルは宥める様に言う。
「『彼』は、そんな『物語』も、綺麗に破壊して見せるから」
──そう、ガブリエルが告げた途端だった。
『無』に、一欠片の『息吹』。
僅かながらの『根源』。
それは、次第に一筋の光となり、あらゆる万物を、法則を造り出す。
歴史が築かれ、生命が誕生し──時間が芽吹いてゆく。
様々な『物語』が生まれ、そして終えてゆく。
だが、この『結末』を導いた『物語』は──
「『破棄』した。全ては、一から全となり、新たな『物語』を歩む」
ありがとう。混沌よ。
ありがとう。宿命よ。
ありがとう。俺を愛した者よ。
ありがとう。俺を憎んだ者よ。
ありがとう。……ありがとう。
「俺は、『英雄』となり、世界を救うっ!」
──京馬。アダム。アウトサイダー。人。天使。
あらゆる意志──アストラルに男の声が響く。
それは、全ての意志を呼び戻し、そして、『世界』へと凝縮されてゆく。
輝かしい朝日がテーマパークを照らし出す。
乾いた血。亡骸。荒廃した建築物。
その朝日は、おぞましい光景をより明確に曝け出す。
しかし、その眩しさは全てを浄化するような美しさを秘めていた。
茫然と佇む、生き残った異能の人々。
全ての人々は、頭上の空を眺め、そして自身の『意志』に響く男の声に耳を傾けていた。
「ありがとう。サイモンさん」
全ての人の意志に響いた言葉は途絶えていた。
だが、一人。少年の『意志』には続く言葉が連なる。
(そして、京馬君。導きの君の『物語』。俺の『物語』がその箱舟にならん事を)
後に続く言葉は無い。
だが、少年は短い言葉に首を縦に振り、
「分かりました。サイモンさんの『物語』。無駄にはしません」
青空に告げる。
世界を救った『英雄』の言葉を、完全に理解しきれてはいなかった。
だが、その言葉に内包する『英雄』の『意志』を少年は確かに受け止められていた。
「サイモン……素晴らしい。人でありながら、一瞬だけど、神を『超越』した。全ての万物、法則を塗り潰す所業。それは、『神の樹』と同等の行為」
京馬の横に立つ天使は、優しく笑んで呟く。
「あなたは立派な……人の、この世界の、『英雄』よ」
後に続いた天使の言葉は、羨望の眼差しで語られる。
「自分の命と引き換えにこの世界を救う、ね。『英雄』と『死』。それが、彼の『念願』」
その天使の背後の静子が呟く。
「結末を塗り変え、そして改変させる。一度滅んだ『枝』の世界を再構築するという『神の樹』でさえも『変える』力。でも、天の声さん。これは……」
「そう、『混沌』。だけど、すなわち彼はその『混沌』に『認められた』という事になる」
頷き、ガブリエルは言う。
各々が世界の命運を賭けた戦いを終え、感傷に浸ろうとしていた時だった。
「ぐあ、は、はあ、はあ……ふざけるな……僕は、認めないぞ。こんな世界……『管理者』である僕が破棄すると決めたんだ!」
瓦礫を退け、血を額に、身につける衣に、そして純白の幾重の羽に。
だが、狂気の蒼の瞳はしっかりと京馬達を見据えて、天使ミカエルは告げる。
「まだ……生きていたのか!?」
驚愕する京馬に口を吊り上げて、ミカエルは言う。
「僕は、確かにあのサイモンによって全てを『破壊』され、兄さんとの『融合』も絶たれた。だが、『神の蔦』っ! あの存在が僕を生かせてくれた!」
「『死になさい』っ!」
静子は間髪入れず、『死』の言葉を放つ。
それは、ミカエルの存在を確実に『死』なせる一撃。
『枝』から離されたミカエルへと、それは確かに突き刺さった。
「ふ、ぐあ! くく、ここに『いる』僕は死ぬだろう……だが、すぐに知ることになるだろう。君達の足掻きも無駄になる事を」
ばたりと、地に体を打ち付け、そして白の粒子となってミカエルは霧散してゆく。