Scene30 迫る終焉
「これで終わりだっ! クソ天使共めっ!」
男が叫び、緑の魔法陣を前方に発現させる。
「甘いわ」
魔法陣から発せられた多量の風の刃は、しかしその対象を包むプリズムの球体に悉く弾かれてゆく。
「そんな陳腐な精神力では、私の体に傷一つ傷つける事も出来ませんわ」
毒々しくも鮮やかな色彩の蔦を背から翼の様に大量に生やした天使は、その男を哀れみの眼で見つめる。
「にがよもぎ……流石、御前の七天使に次ぐ実力を持った天使だ。Aクラスを二人も殺し、残りは、俺を含めたCクラスが三人か……!」
戦慄の表情で、その天使に対峙する男の背後には、血を口から垂らし、息も絶え絶えな女と、両腕が『壊死』した様な紫に変色した男がいた。
「この化け物どもめ……! 殺しても蘇るとは……」
「ふふふ。これも、とても美しいアストラルを持つレイシア様と『ラファエル』様のおけげですわ。さて、この穢れた悪魔の子共をどう甚振ろうかしら」
呟くにがよもぎの背後には、無数の天使達。
圧倒的な戦力差に男達が絶望していた時であった。
「ふ、ぐあ! ぐ、ぎぎぎぎぎっ……!?」
突如、目の前にいたにがよもぎが苦しみだし、その体が崩れてゆく。
「何だっ!? 一体、これは……?」
それは、にがよもぎだけではなかった。
その後続の天使達も喘ぎ出し、その体の体裁が無くなってゆく。
「な、何故……? ミ、ミカエル様……!?」
天に手を翳し、にがよもぎは目を見開きながら、呟く。その体は、白の粒子となって天に還ってゆく。
「かははは! ああ、面白え、面白えっ! さあ、争えっ! 潰し合えっ! 血を見せろよぉっ!」
狂人化したアダム、アウトサイダー、天使が敵味方問わず、争う。
それを、男は満足気に笑み、見つめていた。
「あ?」
だが、その狂人達の殺戮の場に変化が訪れる。
「ぐぎゃ、ぐぎゃぎゃぎゃぎゃっ!?」
その中で、純白に輝く天使が苦しみ悶える。
その天使達は、やがてその姿が崩れ落ち、そして白の粒子となって霧散してゆく。
「ち、つまんねえ。まあ、予想していた事だがな」
男は舌打ちをし、その象徴たるドレッドノートの髪を揺らして、殺戮の場から消え失せた。
「何だ、どういう事だっ!?」
眉を捻じ曲げ、茶髪の白衣を着た男は叫ぶ。
「銀二さん、こちらからの天使の反応も消えました! ……一体、どういう事なんでしょう? 先程まで、無限に増殖した様な天使の反応が一気に消失してゆきます!」
白いボックス上のデスクトップ型パソコンを打ち込んでいる銀二の部下が振り返って銀二に向かい叫び伝える。
「ううむ、僕も分からない。これは、桐人さんか、サイモンさん辺りが、天使の増殖を阻止してくれたのか?」
「……違うわ。私が見た『夢』が教えてくれた。これは、ミカエルが配下の天使のアストラルを吸収している為に起きた現象」
考え込む銀二の横から、吐息混じりの声が告げる。
「エレンさんっ!? 未だ、体の修復が終えたばかりなんですから、立ってはいけませんよ!」
「私は、大丈夫よ。それよりも、これは不味い事になったかもね」
銀二の抗議の声を無視し、エレンは手を上空に翳す。
「不味い事っ!? エレンさん、ケツアルゥアトルは何を言っていたんですか!?」
「ち、あの劣等感丸出しのクソ天使が、『この世界』を消滅させようとしてるのよっ!」
「な、何ですとっ!?」
エレンから告げられる言葉に、銀二は目をぎょっとして、驚愕した表情を見せる。
「桐人……! あんたは、『あの子』に期待し過ぎよ……!」
エレンはか細く呟くと、その精神力を電磁に変え、一帯に展開してゆく。
「ガブリエル! 俺達は、どこに向かっているんだ!?」
「桐人の所よっ! 急がないと、間に合わなくなる!」
「ミカエルが、リチャードさんの所にっ!? 何の為にっ!?」
空間が不規則に折り畳み、拡がり、多角の世界が収束、展開を繰り返す。
その『異次元』とも言うべき、およそ人の感覚では座標を捕える事の出来ない空間を、ガブリエルは翼をはためかせて、移動する。
その後続を、京馬と静子は駆け、続いてゆく。
「あの子……ミカエルは、全ての天使と『融合』し、その統合した精神力を用いて、京馬君達の、そして私の愛する世界を消滅させる気なのよ! その中で、最も必要なのは、ルシファーの『元管理者』の様な圧倒的な精神力を持つアストラルなの!」
「まさか! あのミカエルにリチャードさんを取り込む程の精神力を持っている筈……」
「だから、ミカエルは先ず、配下の天使達を吸収し、一時的にでもそのルシファーを超える精神力を得ようとするわ! だけど、それも一瞬! その足跡を辿るよりも、最終的な位置で待ち構えなければ間に合わない!」
「なるほど、分かったわ! でも、今のリチャードさんは、ルシファー化して半狂乱状態になっているはずじゃあ……?」
「それは、サイモンに賭けるしかない! あの子の『人』としての可能性に賭けるしかないっ!」
そう、懇願する様な声でガブリエルは告げる。
「あの光は……!?」
「もうすぐ、出口よ! 二人とも、心して!」
「ああ!」
「ええ!」
空間が避ける様に開かれた光の扉を、一同は突き進む。
紫と赤。
醜悪な腸壁のような、肉塊のような。
そんな世界は、炎と、ひび割れた無の空間が覗く有様となっていた。
「ふふ、やはり私同様、長くアストラルを維持していた貴様は中々に骨がある」
「く、何故だっ! 何故貴様はそんな強大な力を有しているのにも関わらず、『無理矢理』堕天した!? 何故、ルシファーの肩を持つっ!?」
対峙する赤と黒の巨人、否、魔神と形容すべき天使と悪魔は骸が散在する内臓の世界に立つ。
だが、咲月を始めとする『人』が立つのは、天使では無く、悪魔の背後であった。
「ケルビエム……貴様は勘違いしている。私は、ルシファー様の肩を持ったつもりは無い。私は、私自身が悪魔の子と言う今の人という生物に興味を示したから、今ここに立っている。ミカエルの『堕天』を受け入れたのは、ミカエルへの……新しい管理者への服従を絶ち切り、反旗を翻す為」
「管理者への反旗……貴様は、世界の反逆者となる事を望んだと?」
「その通りだ」
告げ、アスモデウスは両腕に黒炎を纏う。
そのアスモデウスの動きに反応し、ケルビエムも炎と雷を体中に纏う。
「これが……色欲の大悪魔であり、『元熾天使』のアスモデウスの力か……! アビスの住民そのもの、さらにその上位に位置する者が、こんなにも強大な精神力を宿しているとは」
咲月の肩に背負われたフランツは、アスモデウスの放つ禍々しくも強烈な氣の前に息を呑む。
「凄い……! 何時の間に、美樹ちゃんはこんな力を……! 私と戦った時よりも何倍も強くなってる!」
「ふふ、そうでしょう? 私だって、世界を造り変える為に、ただこの時を指を咥えていたわけじゃない。色欲を満たし、数々の戦闘を潜り抜けて……障害となる者と戦う為に力を蓄えておいたんだから」
驚愕している咲月の影から、美樹が這い出て、告げる。
「わわ、美樹ちゃん!? 突然出てくるからびっくりしたよっ!?」
「しかし、嫌な天使ね……あんなに眩しいと『影』を利用した私の戦闘スタイルだと戦い難い。ここは、アスモデウスに任せた方が良さそうね」
体を跳ね、さらに驚愕する咲月を無視し、美樹は呟く。
「流石、浅羽様も認めるだけあるわね。美樹ちゃん、素敵」
「これも、ミシュリーヌや、新島、夢子のおかげだよ。みんなが『仲間』でいて良かった」
ミシュリーヌの賛辞に、美樹は照れくさそうに笑む。
「さあ、ケルビエムよ。貴様の長い生命もここで終わりだ。私と対峙すると決意した事を、後悔するがいい」
アスモデウスが、凝縮された精神力を詰め込んだ黒炎を放とうとした瞬間であった。
その場にいた一同全ての動きが止まる。
「これは……? ミカエル様、何故……?」
異変に気付き、最初に言葉を発したのは、ケルビエムであった。
「何だこれは……? 天使の反応が次々と消えてゆく……?」
その後、意を突かれた声をアスモデウスが放つ。
「これは何……? 私達、アダムの誰かが、天使を殲滅してるの?」
「違う……ミカエル様はご決断なされたのだ。『この世界』に救いはないと」
上空を見上げ、ケルビエムは咲月の問いに呟き、答える。
「どういう事だ?」
「どうもこうもない。貴様ら、『堕ちた』者と、悪魔の子の世界にミカエル様は匙を投げたのだっ! ああ、私にも聴こえる! ミカエル様の悲哀の声がっ!」
そう、恨む様に叫び、ケルビエムの体は凝縮して、一点の光球となる。
「待て! 逃げるつもりかっ! ケルビエム!」
「逃げるも何もない。私は、行かなければならないのだっ!」
告げ、ケルビエムの光球は、眩い光と共に美樹の捕縛結界から霧散する。
(サイモン、サイモン……聴こえるかい? 僕の声が)
砂塵が舞う、灼熱の世界。
サイモンが目覚めると、その世界の大空が視界の隅々まで埋め尽くしていた。
その視界と自身の背全体にかかる砂の毛布が、自身がその世界に仰向けになり、気絶していた事を告げている。
「……ああ、聴こえるぞ。『破滅』よ」
そして、サイモンは自身の内から響いてくる声に返事をする。
(ふふ、どうだい? 久々の『光』は?)
「思った以上に、感動はしないものだな」
鼻で笑い、サイモンは答える。
サングラスを取り外し、サイモンはその照り付ける陽を、手で影を作って見る。
(ひどいなぁ……折角の僕の第一の贈り物を)
「だが、お前の誠意は伝わった。感謝する」
サイモンは言い、その体を起こす。眼前には、先程の自身と同様に仰向けで横たわる青年がいた。
「桐人……力を使い果たし、眠りについたか。だが、油断は出来ん。目覚めたら、三年前以上の『服従』による大虐殺が始まるだろう」
サイモンは桐人に歩み寄り、その手を翳す。
「済まない、桐人。お前とエレンの望むものから少し遠ざけてしまうかも知れないが……」
そう言って、サイモンが桐人に『破壊』の力を向けようとした瞬間だった。
「流石、『天使の虐殺者』と呼ばれるだけある。あの『兄さん』をここまでにするなんてね」
空間が歪み、砂漠の世界は、その様相を瞬時に変える。
荒れ果てた街道、燃え盛っている建造物。そして、死臭。
サイモンは、そこが先程まで自身がいたメイザース・プロテクト内だと瞬時に理解する。
同時、自身の前に現れた中性的な顔立ちの天使を見つめ、そして納得する。
「ミカエル……そうか。次々に消えてゆく、天使の氣。これは一つに凝縮され、お前に集まっているのか」
「そうだよ。そこの『兄さん』を取り込む為にね」
「そうか。誰だか分からないが、お前はそこまで『人』に追い詰められていたのか」
「違うっ! 僕は、信じてられていた者に裏切られた! だから、こんな世界に絶望したんだっ!」
サイモンの小馬鹿にする様な笑みに、ミカエルは激情を持って答える。
「まあ、そんな事はどうでも良い。邪魔するならば、どんな事情であれ消し去ってやる」
「邪魔? サイモン、君は『兄さん』に何をしようとしていたんだい?」
「お前の呪縛から解き放とうとしていたのさ」
「……成程、確かに君の『破壊』を持ってすれば、『兄さん』の力をその体から絶ち、僕の『堕天』の効力は消え去るだろう。だが、良いのかい? そんな事をすれば、その桐人という男は『服従』も使えず、二度と『兄さん』にもなる事が出来なくなるよ?」
「構わない。それが、『リチャードさん』の意志ならば」
「そうかい。だが、僕は困るんだよ」
告げ、ミカエルは翼をはためかせ、桐人へと駆ける。
「『兄さん』の力は、僕のものだっ!」
「『断裁破壊』」
そのミカエルへ、サイモンが放つ『破壊』が盤目状に襲いかかる。
「精神力無視の破壊……だが、関係ないねっ!」
しかし、ミカエルはそのサイモンの絶対的な破壊を前に臆する事も無く突貫する。
細切れになる体。
だが、その勢いは止まる事は無い。
「何っ!?」
瞬時にミカエルは腕のみを再生させ、桐人へとその腕を触れる。
同時、眩い光を放ち、桐人の体は霧散してゆく。
「ぐ……何故だ……? ミカエル、お前にとってルシファーはその体に触れる事さえ嫌悪する程、忌むべき存在だった筈だ……!」
「それも、もう関係ない! 僕は、『この世界』の『管理者』として、その世界を跡形も無く消し去ると決意したんだ!」
夜空が極光の光に包まれ、闇が光にあっという間に浸食されてゆく。