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落書き

 公衆トイレの入り口に、少し大きなネズミの死骸があった。カラスか野良猫にやられたのか、お腹の部分が半分だけ欠けている。襲われた時は、まだかろうじて生きていたのだろう、必死の思いで辿り着いたその先は、公衆トイレの入り口。弱肉強食の世界。弱い者は強い者に殺されてしまう時代で、動物も人間社会も昔からそれは変わらない。


 私は、しばらくネズミの死骸を見つめていた。定年間近にリストラされた私は、そのネズミと自分自身を重ね合わせて見ていた。 口には出さなかったが、正直な気持ち、まず気持ち悪い、かわいそう、悔しいという感情が心の中でしばらく繰り返していた。


 私は壁の落書きに目がいった。


 【時計台を探してみて! わかるかな?】


 私は何となく、その落書きの指示に従った。時計台はすぐ近くにあり、柱には、また落書きがあった。


 【この公園で一番大きな屋根付きの家の真ん中だよ! わかるかな?】


 屋根付きの家? 休憩所の事かな……目の前には休憩所があり、真ん中の柱に落書きがあった。


 【この公園には桜の木以外に一本だけ梅の木があるよ! わかるかな?】


 私は辺り一面を見渡した。鮮やかな桃色と春の暖かいそよ風が何とも言えない高揚感に浸される。その中で一本だけ白い花びらをつけた木があった。


 あれかな? 梅の木。私は駆け足でその木に向かった。梅の木の前には白い石があり、今度は少し長めの意味深な落書きが書いてあった。


 【結局、自分が動かなければ始まらない。少しずつでいいから進んでいこう。いずれは大きく動くから。わかるかな?】


 なぞなぞか……?


 私はすぐにひらめいた。


 ブランコ?


 ブランコがある所に行ってみると、鉄柱に落書きがあった。


 【この公園で一番落書きが多い所で、〝弱者〟が必死に辿り着いた入り口だよ! わかるかな?】


 あの公衆トイレの事かな?


 私は、あのネズミの死骸があったトイレにまた戻った。 さっきの状態と変わらずネズミの死骸がある。


 壁の落書きは【時計台を探してみて! わかるかな?】


 トイレの中に落書きがあるのかな。私はトイレの中に入った。入った瞬間、何やら異様な空間を感じた。落書きは見当たらないな。 そう思いながら、外に出ようとすると、男の子が入り口の前に突っ立っていて少し険しい表情をしていた。


 私はネズミの死骸に一瞬だけ目を向け、こう言った。


 「もう死んでいたんだ。多分、カラスか野良猫に()られたのだと思う……」


 「違うよ」


 男の子はネズミを見つめながら首を左右に振った。


 「違う?」


 「トイレの中に入ったからだよ」


 私は意味が分からなかった。


 「天井を見上げてみて」


 男の子にそう言われて見てみると落書きがあった。


 【おめでとう! ゴールだよ! 死の入り口にようこそ!】


 死の入り口?


「私は死ぬのか?」


 男の子に冗談半分でそう尋ねると無表情で黙っていた。私は、とりあえずトイレの外に出ようとすると男の子はこう言った。


「このままでは死んでしまうよ。助かりたかったら僕の言うことを聞いて」


 私は仕方なく、男の子の〝子供の遊び〟に少し付き合う事にした。


 「それは困るな、何をすればいいんだい?」


 「そのネズミを助けてあげて……」


 「それは無理だよ。もう死んでるよ……」


 「そのネズミを入り口の外に出せば助かるよ」


 私は心の中でこう思った。このネズミを触るのか……仕方がないな……。私は恐る恐るゆっくりとネズミをトイレの外に出した。しばらくすると、死んでいたはずのネズミがピクピクと動きはじめた。お腹の傷もなくなり、元気に走り去っていった。 私は何が何だか訳の分からない状況に自分の目を疑った。そして、いつの間にか男の子の姿は消えていた。


 私はトイレの外に出ようとしたが出られない。見えない壁があるのか、とにかく外の景色は見えるのに出られない。


 私はこのまま死んでしまうのか?

 

 不安になり、助けを呼ぼうとするとスーツを着た若い男性が慌ててトイレに入ってきた。若い男性は深い溜め息をつきながら、便器の前に立った。


 とりあえず、済んでから話し掛けよう……。


 私はそう思いながら少し安心し、終えるのを待った。


 「…………」


 長いな……よっぽど我慢していたのか?


 それにしても長すぎる。もう五分は軽く過ぎているぞ。大丈夫なのか……。


 約十分ぐらいが過ぎた所で私はたまらなくなり話し掛けた。


 「あの……止まる気配がなさそうですが、大丈夫ですか?」


 若い男性は焦っていたが、無言だった。私の姿が見えていないみたいだ。そう不思議に思っていると、さっきとは違う男の子がトイレに入ってきた。その若い男性にニヤニヤしながら何かを話していた。男の子は一瞬だけ私の方を見て、去って行った。


 次に老人がヨロヨロと歩きながら、トイレに入ってきた。


 「おじいさん、私の姿が見えますか?」


 とっさにそう言うと私の方を見つめ、すぐに目を反らして便器に向かった。じいさんは私の姿が見えているみたいだ。良かった……。若い男性は、そのじいさんに話し掛けている。


「もうかれこれ二十分ぐらい尿が止まらないんだ。どうしよう……」


 じいさんは無言だった。若い男性は少し大きな声で「じいさんっ!」と叫んだ。


 じいさんは耳が遠いのか、話し掛けても無駄だな…。私はそう落胆し、老人は去って行った。 私の微かな望みは消えてしまった……。私のこの状況も不思議だが、この若い男性も不思議だ。彼は、なぜ尿が止まらないのだ?


 「現実を受け入れていないからだよ」


 また違う男の子が現れた。


 「君は一体何者なんだ?」


 私は少し興奮した。


 「僕は天使の卵だよ」


 「天使の卵?」


 「ここのトイレにくる人間を観察して勉強するんだ。人間は〝用〟をたす時が一番無防備で本当の姿が表れるからね……」


 男の子は溜め息をつきながら、さらに話しを続けた。


 「人間はトイレを綺麗に使わない。公衆の所なら尚更だ。落書きをしたり、ゴミや吸殻を平気で捨てたり、一番お世話になっている場所なのに悲しくなるよ……」


 男の子が言うことに私は一人の人間として恥ずかしくなった。


 「私は昨日リストラされ、勤めていた時はこの公園の公衆トイレをよく使っていました。これからは恩返しのつもりで、この公衆トイレを綺麗に管理しますので、どうか彼を助けて上げて下さい」


 男の子は、しばらく無言のまま天井を見上げ、そしてゆっくりと口を開いた。

 

 「この落書きも人間の仕業なんだよ。だから、僕はこのトイレを本当に〝死の入り口〟にしたんだ」


 私は今になって、この状況が恐ろしくなってきた。

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