2つの小さな命がこの世に生を受けた
翌日は午後から仕事の打ち合わせと言うより顔見せの予定が入っている。
仕入先の業者数社の営業と会う約束が野崎オーナーによりセッティングされていた。
俺は午前中に美緒を真帆の所に連れて行き、その足で都内の待ち合わせ場所を転々としていた。
「次で最後かしんどいな流石に、営業スマイルを続けるのも」
かなり疲れていたがこれをこなさなければ出張扱いにしてもらった野崎オーナーに顔向けが出来ない。
最後の営業先と会う頃には日はすっかり傾き、辺りは暗くなってきている。
「ここだな」
気分を入れ替えて雑居ビルのエレベーターに向かい4階に上がり食品会社の事務所を訪ねた。
「始めまして、石垣島の『ニライ・カナイ』の岡谷ですが」
「これは、これは遠い所から大変でしたなぁ。営業の田村です、よろしゅう」
そして案内されたのが近くの小ぢんまりとした居酒屋だった。
「まぁまぁ、とりあえず一杯」
「申し訳御座いません。車で来ているものですから」
「えっ、そうなんですか? こりゃまた沖縄の人言うから車だとは思わんで、すいませんでした」
島で使っていた言い訳が東京でも通じるとは思わなかったが、ここで酒を口にする訳には絶対行かないと思い強引な裏技に出る。
「いえ、元々は東京の生まれで。23まで東京や神奈川で仕事をしておりましたので」
「へぇ~、何でまた沖縄に」
他愛ない会話をしていると懐の携帯がマナーモードで着信を告げていた。
携帯を見ると美緒からで、席をはずして店の外にでて携帯を取った。
「どうしたんだ?」
「ママ、急に陣痛が始まったみたいなの」
「まだ、間隔は長いんだろ」
「うん、でも……」
「美緒が付いていてやってくれ、なるべく早く向うから」
「まだ、仕事なの? 早く来てね」
「判った、頼んだぞ」
席に戻ると営業の田村が手薬煉引いて待っていた。
美緒が隆史に連絡して2時間が過ぎようとしている。
少しずつではあるが陣痛の間隔が短くなってきていて美緒は不安でしょうがなかった。
「もう、パパの馬鹿! なんでこんな時に仕事なんかしているのよ」
「美緒がそんなにイライラしないの。誰のお陰で美緒の交通費まで出してもらっているって思っているの?」
「それは野崎さんが」
「でしょ、大丈夫よ。まだ時間がかかるから」
「ママは不安じゃないの?」
「それは不安が無いといえば嘘になるけど。でも美緒の時に比べたら全然だよ」
「そうだね、ママは独りで美緒を産んだんだもんね」
「ママのママが付いていてくれたけれどね」
「パパ、早く来て」
美緒の電話から2時間が過ぎ俺はイライラし始めていた。
「いい加減にしてくれ用事があると言うのに何なんだ、あの営業は」
仕方なくオーナーに助け舟を出してもらおうとトイレから電話すると問答無用で怒鳴り飛ばされた。
「この、大馬鹿が! 直ぐに病院に行きなさい。何でもっと上手く立ち回れないの」
「仕方が無いだろ。営業が苦手なのは野崎が一番知っているくせに」
「はぁ~ そんな事は百も承知よ、しょうがないわね。相手先には私が連絡するから直ぐに病院に向いなさい」
電話を切り席に戻ると急に相手の態度が180度変っていた。
「すいませんでした。大切な約束があるとは知らず。ここは私が持ちますので」
「それでは、私はこれで失礼します」
恐るべし野崎。
あえて何を言われたかは知らないほうが言い気がして店を飛び出し駅に向った。
一旦、真帆のマンションに戻り軽くシャワーを浴びて着替えをしてから荷物を持って病院にタクシーで向った。
病院に着くと真帆はまだ部屋で孤軍奮闘していた。
「遅くなってゴメンな」
「隆君、来てくれたんだ」
「大丈夫か? 痛い所は無いか?」
「今は腰が辛いかな」
「判った」
真帆の腰を擦ってやると真帆は深く息を吐いた。
「はぁ~ 少し楽になったよ」
「美緒はどうしたんだ?」
「飲み物を買いに行くって」
「スポーツ飲料でよければ買ってきたぞ」
「飲みたい」
ペットボトルの蓋を開けてストロー付きの蓋に付け替えて真帆に渡すと、真帆が美味しそうに喉を鳴らしながら飲んでいる。
そこに美緒が戻って来た。
「あ、パパ。遅いよ、もう」
「ありがとうな、美緒」
「本当にしょうがないんだから」
「これで美緒も安心したでしょ」
「うん、パパの顔を見たらなんだか眠くなってきちゃった」
俺がやっと病院に現れて緊張が解け、美緒が伸びをして大きな口を開けて欠伸をした。
「椅子しか無いけれど、少し休みなさい」
「そうするね、何かあったら起こしてね」
「ああ、判った」
親父の知り合いの教授はかなり顔が利く人だったらしく、真帆の部屋は家族の出入りもかなり自由に出来るように取り計らってもらっていた。
親父にお礼をと言ったが自分がきちんとするからお前は嫁さんをしっかり見ておけと言われてしまった。
美緒は部屋にある椅子に腰掛けて直ぐに眠ってしまった、よほど疲れたのだろう。
「大変だったんだな、美緒も」
「色々としてくれたからね」
「そうか……」
「ん? どうしたの? 隆君」
「いや、真帆は独りで美緒を産んだんだなって思って」
「そんな哀しそうな顔をしないで、私は独りで産んだ事をなんとも思ってないよ」
「そうだな、美緒を産んでくれてありがとう」
「もう、照れるじゃん」
「今のうちに髪の毛でも纏めておこうか」
「えっ、隆君がしてくれるの?」
「嫌か?」
「そんな事ある訳無いじゃん。ただ少し以外だったから」
真帆が少し不思議そうな顔をして俺の顔を覗き込んだ。
「時々、美緒の髪の毛を纏めた事があるんだよ」
「えへへ、嬉しいな。お願いね」
体を起こしてベッドに腰掛けた真帆の髪の毛をブラシで優しく漉いていく。
「一つに纏めるか?」
「出来れば二つが良いな」
「了解」
ブラシを使って軽くウエーブのかかった髪の毛を2つに分けてヘアーゴムで纏めていく。
「痛くないか?」
「大丈夫、痛くないよ。上手だね」
「何でも俺に出来る事なら言ってくれ」
「本当に何でも?」
「もちろん」
「それじゃ、おまじないをして。きっと大丈夫だって」
そう言って真帆は目を閉じ、優しく真帆の唇に軽くキスをした。
「ありがとう。これで百人力だ」
「ナンクルナイサー、大丈夫だよ」
2つの小さな命がこの世に生を受けた瞬間に立ち会えた事は一生忘れないだろう。
日付が変り新しい一日が始まった時に美波と美颯が誕生した。
とても元気な赤ちゃんだった。
真帆は回復室で2時間ほど休んでから入院棟の部屋に明け方戻って来た。
「はじめまして、美波、美颯。これから宜しくね」
「うふふ、隆君はもうパパの顔になってる」
「もう、パパばっかりずるいよ。美緒にもみせて。可愛いね」
「美緒まで、まだお猿さんみたいでしょ」
「でも、美緒の妹だもん、可愛くない訳無いじゃん。あれ? パパ」
美緒が振り返って隆史を見ると、美緒が眠っていた椅子に座り込んで崩れる様に眠ってしまっていた。
「もう、パパはだらしが無いんだから」
「隆君、お疲れ様」
「変なの。ママが頑張ったのに」
「あのね、美緒。隆君には内緒よ、そこの台の下を開けてみて」
「う、うん」
美緒がベッド脇の台の下を開けるとそこには、綺麗に纏められたファイルと出産育児書が何冊も入れられていた。
その内の1冊を取り出してページを捲ろうとすると沢山のカラフルな付箋が付けられていて、付箋が付いているページには赤ペンで印が付けられていた。
「うわぁ、何これ」
「隆君が色々な事を調べてくれたの」
「パパが?」
「そう、双子だと判った時。それに逆子かもしれないって言われた時。そして出産時に必要な物なんか殆ど隆君の頭の中にインプットされているの」
「す、凄い。いつの間に?」
「石垣に居る時も心配で殆ど寝ていないんだと思うの。美緒は気付いてないけど病院に来る前にちゃんとシャワーを浴びてから来てくれたんだよ」
「え、何で? そんな面倒な事をしないで直接来れば良いじゃん」
「あのね、妊婦さんの中にはタバコの匂いやお酒の匂いに敏感になる人もいるの。凄く気を使ってくれているんだよ。それにね、付き切りで居てくれたの。ママが寝ている時も体を擦っていてくれた。分娩室でもうちわで扇いでくれたり、乾いた唇にリップを塗ってくれたり。大変だったのはママだけじゃないんだよ」
「そうなんだ、パパ優しいね」
「それにこの病院も」
「ここも?」
「そう、双子で逆子だって判った時に隆君は色んな事を調べて教えてくれたの。そして病院も隆君が隆君のお父様に頼み込んで紹介してもらったの。施設が整った大きな病院が良いからって、ここならママの実家からも近いしね」
「…………」
美緒は言葉が出せなかった隆史がどれだけ心配して準備していたのか。
それを知れば知るほど心の奥を締め付ける物があった。