俺が生まれた
美緒を連れて付属病院の目の前にある東京大学の中を散策していた。
美緒は何も言わずに俺の後を歩いている。
御殿下グランドの脇を通り安田講堂の前までやってくると、講堂の前の銀杏並木は葉が落ちたままで春遠からじと春を待っていた。
「美緒に見せたいものがあるんだ」
「なあにパパ?」
本皮のベルトポーチから財布を取り出して挟んであった古い一枚の白黒写真を美緒に手渡した。
「うわ、白黒の写真だ。あれ? この人ってパパのママじゃないの? それじゃこの赤ちゃんはもしかしてパパ?」
「そうだよ、俺が3ヶ月の頃の写真だから丁度今頃かな」
「あれれ? この写真に写っている建物ってここじゃん!」
「昔はこの近所に住んでいたんだ。親父の仕事先が本郷通り沿いにあってね」
「それじゃ、ココってパパの地元なんじゃん」
「俺が生まれたのもあの病院なんだよ。生まれてからしばらくして埼玉に引っ越したけどね」
「えっ、嘘? 本当に?」
「ああ、だから真帆も美波もそして美颯も何も心配しなくて大丈夫だよ」
「でも」
「そう、確かな事は何も判らない。でも俺は信じているんだ。真帆をそして美波と美颯を皆の笑顔を」
「パパ……」
美緒が今にも泣き出しそうな顔になった。
「ネーネーになるんだろ? ネーネーが泣き面でどうするんだ」
「そうだよね、美緒はお姉ちゃんになるんだもんね」
それから俺と美緒は何も言わずに歩いて気がつくと三四郎池の畔に来ていた。
「パパのママ達もこうやって歩いたのかなぁ」
「そうだな、良く散歩はしたって聞いた事があるな」
「ふ~ん」
「あのな、美緒」
「なあにパパ? 改まって」
「真帆の出産が終わったら話があるんだ」
「う、うん。凄く大切な事だもんね」
美緒は感が良い子なので直ぐに何の事か判ったようだった。
しばらくブラブラしてから直ぐ近くにある近江屋洋菓子店でケーキを買って真帆の病室に戻って来た。
「隆君、あのね。凄いんだよ! 帝王切開しなくて良いって先生が」
ドアを開けると開口一番そんな嬉しそうな真帆の声が聞こえてきた。
「良かったじゃないか」
真帆の頭を撫でてやると本当に嬉しそうに目を細めた。
「パパって凄いんだね。ママ」
「そうでしょ、隆君と居ると凄く安心できるの」
「俺はヒヤヒヤもんだけどな」
「本当に?」
「うふふ、ママ、パパって本当はね」
「美緒、余計なことを言うなよ」
「えへへ、それじゃ内緒」
「ああ、ずるい。美緒ばっかり」
「ママと2人っきりの時に教えてあげる」
「ケーキを買って来たぞ。昭和の香りがするケーキだぞ」
「ああ、懐かしい。サバランが良いな」
真帆は生クリームがたっぷりのっかったサバランに手を伸ばしかけた。
「真帆。サバランは駄目だ。お酒が入っているからな」
「ぶう~」
「はい、ママは苺のショートね。美緒はモンブランが良いな」
「ええ! ママはモンブランも食べたい」
「妊婦さんの食べ過ぎはいけません」
「ぶう~ 隆君も美緒もイジワル」
部屋には不安な空気など微塵もなく真帆と美緒の笑い声で満ちていた。