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幸せな結婚

私が着替えを済ませて『ニライ カナイ』の駐車場に行くとそこには有り得ない物があったの。

パパのシルバーとワインレッドのパジェロミニが止まっていた……

「えっ? パパはどこに行ったの?」

パパの車を見た瞬間、途方に暮れてしまった。

車だけがそこにありパパの姿はどこにも無かったから。

「あれ? 美緒ちゃん何してるの? なんか変な感じだけどおめでとうで良いのかな?」

「テルさん?」

「どうしたのそんな顔して? 今日はお母さんの婚礼パーティーなんだからそんな顔しちゃ駄目だよ」

私の姿を見て声を掛けてきたのは真っ白なコック姿の調理場のテルさんだった。

「パパがどこかに行ったはずなんだけど車だけここにあって」

「ああ、チーフの車? チーフから何も聞いてないの? パーティーが終わったら安く譲ってくれるって。さっき鍵を受け取ったところなんだ、支払いは後からで良いって」

車の鍵を指に引っ掛けてクルクルと回しながらテルさんが嬉しそうに車を撫でていた。

「そんな……」

私が唖然としていると突然ママの声がした。

「却下よ! あの馬鹿、最後まで私を困らせて一生仕返ししてやるんだから。車の鍵をよこしなさい。この島じゃ、車がなきゃ生活できないじゃない」

私が着ているピンクの花柄のシフォンのワンピと似たようなワンピの裾を翻しながら、ママがテルさんの指から車の鍵を掠め取った。

「うわぁ、まるでウィンナーみたい」

「テルさん、それソーセージじゃない? 一卵性双生児」

「あちゃ! あれ? 結婚パーティーは?」

テルさんがおちゃらけて、額に手を当ててから不思議そうに空を仰いだ。

「キャンセルよ! 何、あの選曲は、それにあのケーキは最悪よ! 曲を選んだ人間とケーキを作った人間を出しなさい。訴えてやるんだから」

「ええ、えっ? もしかして2人ともチーフを……うわぁ、あのおっさん凄! こんな可愛らしい女の子を2人もゲットかよ。美穂里、聞いたか? やるじゃないかあのおっさん」

テルさんが声を掛けると車の陰からミポさんが出てきた。

ミポさんの目は真っ赤に泣き腫らしていて今さっきまで泣いていたのがよく判った。

「ミポさん、どうしたの?」

「こいつチーフが可愛そうだって数日前からこんな状態で仕事にならなくって」

「パパの事、ミポさんも大好きなんだね」

「うん、ユーカも皆も大好きだよ、たぶん」

ママが腕組みをして怒った顔をして息巻いた。

「美緒行くわよ。あいつの首にチタン製の鎖でも巻いて繋いでおかないと周りに女の子ばかりなんだから気が気じゃないわ」

「うん!」

パパの車に乗ってお店の駐車場を飛び出した。

後ろを振り向くとミポさんがテルさんの両手を掴んで嬉しそうに飛び跳ねながらテルさんを振り回している。


「本当に何も変ってないのね」

ママがパパの車を運転しながら呟いた。

「ママ、何が変ってないの?」

「アクセルを踏み出すとスッと前に出る車の癖よ。怖いったらありゃしない」

「そうなの? でも癖ってなかなか変らない物でしょ」

「確かにね」

「でも、聞いている曲は変ったみたい」

カーステレオからはミス・マンディーの曲が流れている。

「そうかなぁ、アナログで未だにテープなんか聞いているんだよ」

私が小さなテープレコーダーをカーステレオに繋いで再生ボタンを押すと優しい今井美樹の歌声が流れてきた。

「美緒、何かの嫌がらせなの? こんな時に今井美樹のRubyなんて」

「違うよ、初めて聴いたカセットだもん」

「……本当に馬鹿なんだから。必死になって探せば良いじゃない!」

訳が判らずカセットテープを取り出すと色あせているけれどママの字で今井美樹の名前と曲名がローマ字でラベルに書かれていた。

「これ、ママの字だ。ママもパパと同じ様なものじゃない、馬鹿みたい」

「美緒!」

「素直になれない天邪鬼が2人。本当にどうしようもないよね」


ちょっと前までパパと暮らしていたマンションに行くと部屋の中には段ボール箱が積み上げてあって、パパの物が片付けられ……

美緒の部屋も殆どの荷物が片付けられて段ボール箱に詰め込まれて、宅配便のラベルにはママのマンションの住所が書かれていたの。

「ママ、これって引っ越しの準備じゃなの? それにママの住所を何でパパが知っているの? これって? この美緒名義の預金通帳って」

段ボールの上に置かれていた預金通帳には私の名前が書いてあって中を見ると毎月少しずつだけどお金が振り込まれている事が判った。

「これって……『湖南』のお給料じゃないの……」

「こなみ?」

「うん、夏実さんの弟さんがやっている居酒屋なの。美緒がここに来てからパパが手伝うようになったの……って、もしかてこの積み立ての為に?」

「そうかもしれないわね。あいつは変に気がまわるから。でも引っ越すのは本当みたいね。オーナーさんからこんな物を受け取ったわ」

ママが手にしていたのは白い封筒で退職願いの文字がパパの字で書かれていた。

「そんな……パパが大好きな石垣島を離れてどこに?」

「さぁね、あの馬鹿が埼玉の実家に帰るとも思えないし」

「そんなぁ」

「多分、携帯も解約して誰も知らない所で独りで暮らすつもりなんでしょ」

頭の中が真っ白になった。

パパが私に黙って居なくなり2度と会えなくなってしまうかもしれない。

「嫌だ! みおは嫌だ! パパがいいんらもん。寝癖がすごくって、いつもはだらしなくって、片付けもしないで。でも……パパのだし巻き卵が……すきなんらもん。パパが側に居るだけで安心できるんらもん……みおは……パパがいいんらもん。みおのパパは……パパだけなんらもん……」

心の底から溢れ出てくるモノと溢れ出す涙は押さえる事が出来なかった。

「もう仕方が無いわね。石垣島の海を虱潰しに探すわよ」

「えっ? ママぁ?」

「ほら、グズグズしているとあの馬鹿は糸が切れた凧みたいにフワフワとどこかに行っちゃうわよ」

「う、うん!」


私とママは車を飛ばして川平にある石崎のビーチに来ていた。

あんなに眩しく強かった太陽は西の空に傾いて、もう少しすれば夜の闇に飲み込まれようとしている。

ビーチには人影はなく岩場を見てもパパの荷物らしき物は見当たらなかった。

「ここじゃないのかなぁ」

「美緒は連れてきてもらった事があるんじゃないの?」

「うん、ここだったけど。でも……」

青味かった空が徐々に紫色に変り始め黄昏時になり辺りは静まり返り、聞こえてくるのはそよぐ風の音と優しい波の水音だけだった。

「どこに行ったのかしらあの馬鹿!」

「もう、会えないかもね。もし、これで会えなければ探しようが無いよね。ブログだって止めちゃうだろうし……パパを試すような事をしたから罰が当たったんだ」

「まだよ、荷物があるって言う事はまだ島のどこかに居るはずだわ」

美緒は真帆の言葉には答えずに力なく砂の上に座り込んで膝を抱え込んでしまった。

「あのね、ママ。ここの海で私が始めてパパの事をパパって呼んだの。ママに買ってもらった時計が壊れて。パパに借りた時計をクラスメイトに壊されて喧嘩になって相手に怪我をさせてしまったの。でも、パパは決して頭ごなしに怒らなかった。ちゃんと理由を聞いてくれたの。そしてママの事を悪く言う相手のお母さんをこてんぱんにやり込めてくれたの」

「そう、そんな事があったのね」

「うん、その時に凄く落ち込んでいる私をここに連れて来てくれたの。そしてこう言ってくれた。『嬉しかった』ってパパの時計を壊された事に腹を立てて向っていったんだろうって」

「そうだったの?」

「本当は、あの時は判らなかった。頭がカァーって熱くなって無我夢中だったんだもん、気がついたら相手が尻餅をついて手首を押えてた」

「本当に良く似ているのね。美緒はあいつと」

「えっ? パパと」

「そう、あいつもそうだった。仕事中に不真面目にしているとスタッフをよく怒鳴り飛ばしていた。だからスタッフからは凄く怖がれていたの」

「でも」

「そう、それ以上に慕われていた。海に連れて行ってくれてケーキや料理を作って飲み会を開いたりしてくれた。星も見に行ったわね、皆に優しくって相談事をしている子も居たかな」

「変ってないんだね」

「ここはそう言う場所なのかもしれないわね。でも何で急に認めたの? あいつを」

美緒が静かに深呼吸をして話し始めた。

「学校でトラぶってここに連れて来てもらった時に言われたの。時計なんて買い換えればいくらでもあるって。でも、美緒はこの広い世界でたった1人しか居ないんだって。俺の側に居る間は俺が全責任を負う。そして……全力で……守って……くれるって……」

美緒の瞳からポロポロと光る涙が溢れ声にならなくなった。

「本当に馬鹿ね」

声に出せない美緒が大きく頷いた。


「おいおい、馬鹿が2人こんな所に居るぞ」

ビーチの入り口の茂みから人影が現れ、声が聞こえた。

「えっ、パパ?」

美緒が慌てて座ったまま振り返り呆然としている。

そこにはだらしなく第一ボタンを外してヨレヨレになった白いスタンドカラーのシャツに黒いスラックス姿の隆史が立っていた。

「パパ!」

美緒が声にならない叫び声とも泣き声とも区別のつかない声を上げながら走り出し隆史に飛びつくと、隆史は力なく後ろに尻餅を着いて座り込んだ。

「痛たたた。美緒そんなにしがみ付くな」

隆史の声も届かないくらい美緒は号泣して隆史の胸に顔を埋めていた。

「なんなのその情けない顔は?」

真帆が隆史の顔を見て吐き捨てる様に言い放つ。

「喧嘩だな。殴り合いをしてきた」

「珍しいね、岡谷君が喧嘩なんて」

「まぁ、仕方が無い」

「仕方がないって。美緒が必死になって探し回っている時に、暢気に喧嘩なんかしていた訳?」

真帆が呆れた顔をして投げ捨てるように言うと隆史が目を逸らした。

「俺は探し回るような価値のある男じゃないだろ」

「馬鹿じゃないの? 本当に私は嫌だったのでも美緒が言う事を聞かないんだから仕方なくよ」

「仕方なくか」

隆史が息を一つ吐くと真帆が気まずそうに顔を顰めた。

「相手は誰なの? 少しぐらいなら話を聞いてあげるから」

「koma」

「こま?」

「ローマ字でk・o・m・a。ネットの友達だよ」

「ネットで喧嘩するとそんなにボロボロになるんだ」

「リアルで会ったのは今日が初めてだ」

「呆れた、初めて会った友達と喧嘩なんて。本当に馬鹿ね」

「真帆の言うとおりだな、でもこうしないと前に進めなかったんだ」

「ずっとその場に居れば良かったのに」

「始めはブログのコメントが最初かな。何でもミクを見ていたら面白そうだったのでって。そしてマイミクになってやり取りを始めて」

「いつ頃からなの?」

「もう、数年前だな初コメをもらったのは。そうしたら今年の初めにもしかしたら結婚するかもしれないって『おめでとう』と言ったら一つ問題があるんだと」

「問題?」

「ああ、相手に娘が1人居るって、笑い飛ばしてやったよ。俺は離婚してしまったけど3人の子持ちと結婚したぞ、お前も知っているだろと」

真帆は聞いてやるといって話が長くなりそうな予感がして、失敗したと言う顔をしていた。

美緒は美緒でそんな事にお構いなく隆史にしがみ付いて泣いていた。

「どこにでもありそうな事じゃない」

「そうだな、それからしばらくしたらメッセージが来たんだ『相手の娘が石垣島に1人で行くと言い出した』って何かあれば俺が力になると返信をしたよ」

「ねぇ、相手の人って何て名前なの?」

真帆の質問には答えずに隆史は話を続けた。

「その後も何回かやり取りをしていると美緒が俺の前にいきなり現れた。その時に点が線で繋がったんだ。そして直ぐに確認したらビンゴだった。驚いたよ、こんな事になるなんて俺も元梨も」

その名前を聞いた瞬間。

真帆の体から力が抜けてその場にヘタリこんだ。

そして美緒は慌てふためいて涙を手で拭って顔を上げた。

「あの馬鹿、手加減って言う物を知らないのかマジで殴りやがって。ほら、2人ともこんな所に居ないで元梨のトコに帰れ」

2人は何も言わずに隆史の顔を見つめていた。

「こんな甲斐性なしの所にいても仕方が無いだろ。元梨ならちゃんとお前達を養って守ってくれるだろうが」

「それが岡谷君の答えなの?」

「それじゃ、何で態々俺の仕事先で婚礼パーティーなんかしようと思ったんだ? これも計画のうちなんだろ」

「それは、その……」

真帆がバツが悪そうに俯いてしまった。

「ねぇ、パパ。それじゃ最初から判っていて美緒と暮らそうと思ったの?」

「美緒は話を聞いてなかったのか? 美緒が現れた後であいつに確認したんだ。それにあいつは何も言わなかったぞ。ただ一言だけ『美緒を頼む』と」

「でも計画って」

「ふつう変だと思わないか? 結婚しようとまで考えているなら結婚相手に娘を預けるなら判るが15年も前に別れた男の元によこすなんて」

「それじゃ、殺されそうになったのも……」

「あれはイレギュラーだったんだろ。疑心暗鬼になりかけた事もあった、それでも俺が目覚めた時の美緒の涙は本物だった」

「じゃ、何で連絡もしないで居なくなったの?」

「そんな事は関係ないだろ、今すぐに元梨の所に戻れ。真帆も美緒もその方が安心して暮らせるだろう」

「関係なくないもん。パパは本当にそれで良いの? パパの夢は……この島で家族仲良く暮らす事じゃないの? 私をパパの娘にして下さい……お願いだから……私を……パパの……本当の家族にして……」

美緒が俺の肩に掴みかかって泣きながら力任せに俺の体を揺らした。

「それは俺の夢であって俺の願いじゃない」

「パパの願い事って何?」

「真帆と美緒が幸せならそれで良いんだ。お前達が笑顔で居られるなら何でもしてやる、俺の事はどうでも良いんだ。こんなクソみたいな命ならいくらでもくれてやる」

「そこまで覚悟が出来ているのになんでパパは前に進もうとしないの? ねぇ、パパ! パパが本当に好きな人は誰なの? 探し続けた人は誰なの?」

美緒の問いに隆史は何も答えなかった。

「甲斐性なしだからでしょ。美緒、行くわよ」

「嫌だ! ママだけ帰れば良いでしょ? 私はパパと居るって決めたんだもん、もうママの言いなりにはならない。沖縄では数えで13歳になったら大人なんだもん。私の進む道は私が決める!」

「良いから急いで帰るわよ。あんな段ボール箱に囲まれた所で寝るなんて耐えられないの。それとそこのボロ雑巾の様な甲斐性なし、とっとと車の運転をしなさい。あんな運転しづらい車なんて大嫌いなんだから」

「えっ? ママそれじゃ」

「幸せな結婚が駄目になった責任は一生かかって償いをしてもらうんだから」

「はぁ? 何でこうなるかな」

隆史がうな垂れて渋々立ち上がると美緒が隆史の顔を見上げた。

「本当に2人とも素直じゃないんだから。嬉しいくせに」

美緒が2人の顔を見るとどことなく涼しげで、その顔はどこまでも青く澄み渡る石垣島の夏の空と海に良く似ていた。



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