でも、結婚しちゃうんだよ
美緒が突然俺の前に現れたウリズンの季節が再び巡ってきた。
沖縄本島より遅くれて咲く濃いピンク色の寒緋桜もとうに葉桜になり。
デイゴが咲く時期になったがヒメコバチだかの影響で花は殆ど咲く事は無かった。
それでも色とりどりのハイビスカスが咲き乱れ、少し時期が外れたがテッポウユリも市内のいたるところで花をつけていた。
そして何も変わりなく俺は美緒が現れる前の様に独りで過ごしている。
「でも、よくやるね。毎日毎日、あの2人」
「本当に子どもみたいね」
「最初が剣道VS古武道で、最近は薙刀VS古武道か。ミポはどっちが勝つと思う?」
「間合いを考えたら薙刀のオーナーかな、無手じゃ辛いかも」
「そうだよね、でも何で竹刀じゃなくて木刀なんだろう? 真剣勝負じゃあるまいし」
「それは2人とも馬鹿だからじゃない、それに竹刀じゃ殺しを入れたって感じないしね」
「こ、殺しって……ミポ、あんたなんて事を言うの?」
「ユーカ、あのね殺しと言うのは殺気って言えば良いかな本気って言う意味なんだよ。ちゃんと『炎髪、灼眼のシャナ』を見たら判るよ」
「ヲタク馬鹿!」
ユーカとミポが『ニライ・カナイ』の窓際に座り外を眺めている。
窓の向こうの芝生の庭には胴衣姿で薙刀を構える野崎オーナーと、Tシャツにスエット姿で素足で半身に構えている岡谷チーフが真剣な顔で対峙していた。
それは何気ないチーフの一言から始まった。
東京から満身創痍で帰ってきたチーフは皆を驚かせたが、それ以上の回復力で仕事に直ぐに復帰した。
本人曰く、呼吸法が違うんだよと……
そして、数日後の休憩時間に……
「なぁ、野崎。お前最近……」
「岡谷。それ以上、言ったら殺す!」
「冬も終わろうかと言うのに冬眠でもするのか? そんなに蓄えて?」
「岡谷君? それ以上言ったら殺すと言ったはずだが」
「殺す? 笑わせるな丸くなって動きの鈍くなった野崎にか? 赤子じゃあるまいし」
「私に勝てるとも? 合気道・剣道・薙刀合わせて……」
「束になって掛かっても無理だな、デブには負ける気がしない。俺はデブが嫌いなんでな」
「今すぐに、表に出ろ!」
「上等だ!」
仲が良すぎて喧嘩をするのか、本当にまるで子どもの様な間柄でそれでいて仕事ではパーフェクトなチームワークを見せる不思議な2人が……もの凄い形相で睨みあっている。
剣道VS古武道の対戦は何度やっても岡谷が余裕で勝ち越した。
「一体、いつ鍛えてんだ岡谷は?」
「別に、覚悟の違いだ。鍛えてなんか無いよ」
「そんな訳あるか! 明日からは薙刀で勝負だ」
「はいはい、どうぞ」
しかし、薙刀VS古武道は互角だった。
互角というか古武道の岡谷は間合いがつかめず、薙刀の野崎は剣道と違い寸止めする事が難しく戸惑っていた。
「岡谷、頼むから防具を付けてくれ」
「面倒臭い、仕方が無いか。その代わり本気で来いよ」
野崎が岡谷にライフジャケットのようなプロテクターを差し出して渡した。
「今日は決着付くかな」
「う、う~ん。やばいかも、どっちかが怪我するかもね」
美穂里の心配を他所に2人が対峙する。
岡谷はあまり大きくない足捌きで何とか野崎の攻撃をかわしていた。
「でも、チーフっていつ鍛えてるんだろう」
「多分ね、普段の生活でだと思う。あれだけのタッパの人なら普通は猫背になるでしょ、でも仕事中のチーフは背の高さなんて気にせずに背筋をちゃんと伸ばしている。姿勢がよければ自然に他の部分も締まって来るんだよ。それと暇さえあればテーブルとかを使って腕立てとかしているじゃん」
「ええ、でもあんなに短い時間で?」
「ユーカは何も判って無いな、もう。時間や回数なんて関係ないんだよ、ゆっくり集中して運動すれば短時間でもちゃんと鍛えられるの。例えば腹筋はどうやってするの?」
「ええ、床に寝て膝を立てて1・2、1・2って」
「それじゃ試しに床に寝て1・2、1・2じゃなくて1~2、1~2ってやってみて」
「良いよ」
由梨香が床に寝っ転がって膝を立てて腹筋を始めた。
「ユーカ、ゆっくり起き上がるのがポイントだよ」
「1~……2、1~……無理! キツイよ」
「でしょ、ユーカ。二回戦始まるよ」
ミポの声にユーカが飛び起きて窓の外に釘付けになった。
小さく細かい足捌きの岡谷の気がすっと変り剣道のすり足の様な足捌きで大きく前に出る、それを野崎
が見逃すわけも無く軽く足を引きカウンター気味に鋭く岡谷の胴を薙ぎ払った。
鈍い音がして岡谷が膝をつくとプロテクターが薙刀によって変形をしている。
岡谷の顔が痛みで歪んでいるのが見て取れた。
「大丈夫か? 岡谷?」
「クソ! 今のは完全に一本だな。それに動きづらい!」
そう言いながら岡谷がプロテクターを脱ぎ捨てる。
そして精神統一するように目を瞑り大きくゆっくりと深呼吸を始めた。
「ほら、あれだよユーカ。チーフの秘訣中の秘訣」
「ええ、ただの深呼吸じゃん」
「そうだよただの深呼吸、それも腹式深呼吸だよ。ゆっくりと息を全部吐き出してからゆっくりと鼻から新鮮な空気とパワーを吸い込むの」
「ええ、普通は吸う方が先でしょ?」
「そこが勘違いしやすい所なんだよだって呼吸って漢字は吐いてから吸うって書くでしょ。深呼吸で大切なのは吐ききる事なんだよ、腹式の深呼吸をすると心臓循環器系が良くなって体の隅々まで血液が送られるのそうする事で代謝が上がる。代謝が上がれば」
「ああ、怪我も早くよくなるし病気も?」
「そう、だからチーフがいつも元気な秘訣中の秘訣なの」
「それじゃ、ダイエットにも?」
「うん、チーフに寝る前に5回くらい横になって腹式深呼吸をしてご覧って教えてもらってから少しだけ痩せたれたもん」
「ズルイ! ミポだけ」
そんな事を美穂里と由梨香が話しているとピリピリとした緊張感が窓の中まで伝わってくる。
岡谷と野崎が微動だにしないでいつに無く真剣な表情で向き合っている。
「だ、駄目!」
今まで感じた事の無い殺気を感じて美穂里が咄嗟に叫んだ瞬間には、時既に遅く岡谷が動き出していた。
一点突破を狙い野崎に向かい走り出す。
野崎が岡谷の動きを見極める。
岡谷が薙刀の間合いに入った瞬間に鋭い払いが……
しかし、薙刀の先に岡谷の姿は無く。
岡谷の右の中段蹴りが薙刀の柄の中ほどを捉えている。
野崎が歯を食い縛り蹴りの衝撃で薙刀を落としそうになるのを耐えている。
すると、岡谷が蹴りを打ち込んだ体制から体を捻り、後ろ回し蹴りを無防備な野崎の顔面目掛けて繰り出した。
岡谷の踵が野崎の顔目掛けて飛んでくる。
野崎の顔から血の気が引いた。
次の瞬間、鈍い音がして何かが地面に落ちた。
「あいたたた…… あばらが逝ってるかな」
立ち上がり窓に齧り付いて真っ白になっている由梨香の目の前には、腰を抜かして座り込む野崎の姿と野崎に薙刀を打ち込まれたわき腹を押えて蹲る岡谷の姿が見えた。
「ユーカ、引き分けだね。終わったよ」
「はぁ~ オーナーの首が吹き飛ぶかと思った」
「バーカ、チーフがそこまでする訳無いじゃん」
「でも、ミポだって」
「えへへ、本当はこんな落ちで良かったって思ってるの。だって本気も本気の殺しだったんだもん」
「あの2人にはいつもヒヤヒヤさせられるよね」
「ヒヤヒヤなら絶対零度くらい寒い手配書が有るけどチーフはどうするんだろう」
「そうだね。ケーキカット有り。ケーキはお任せ。簡単な内々のパーティーなので司会進行役を付けて欲しか……」
名蔵湾沿いにあるカフェ&レストラン『ニライ・カナイ』では婚礼パーティーの予約が一件入っていた。
由梨香と美穂里の手元には手配書があった。
「ユーカ、チーフはやる気なのかな?」
「そりゃ仕事だもん。チーフのお手製のケーキで司会はオーナーで」
「でも、結婚しちゃうんだよ。私は無理……考えただけで胸が苦しくって押し潰されそうだもん」
「ミポはチーフラブだからね」
そして、穏やかに晴れ。青い空と蒼い海が光り輝いている少し暑くなりそうな吉日に、婚礼パーティーが執り行われようとしていた。
少人数のパーティーだが少数精鋭のスタッフが総掛かりになるために店は貸切りになっていた。
新郎は元梨貴也。
結構有名な会社の御曹司で性格・容姿・家柄と三拍子揃った誰もが憧れるような白馬の王子様。
新婦は大羽真帆。
もう説明する必要は無いだろう15年前に別れた岡谷隆史の元カノで、今では有名なネイルアーティストらしい。
新郎新婦の入場から始まり、乾杯の挨拶が司会から告げられようとしていた。
「今日の良き日にご用意いたしましたシャンパンはティタンジェのプレリュード グラン クリュで御座います。お二人の新たな出発の前奏曲として、乾杯!」
細身のフルート型のグラスにシャンパンが注がれ星の囁きが微かに聞こえ、グラスが高々と掲げられた。
乾杯が終わるのを見届けて岡谷は会場を出ようとしていた。
「チーフどこに行くんですか?」
「これ以上、俺に針の筵みたいなこの場所に居ろと?」
「だけど、仕事ですよ。美緒ちゃんもドレスを着てとても綺麗なのに浮かない顔をしているし」
「残念だが今日は元々オフなんだ。ケーキを作ってセッティングして乾杯を見届けたら仕事は終了。野崎オーナーにもOKを貰っているよ」
「でも、今日のチーフは一味も二味もなんだか変ですよ。まさかフラッと居なくなったりしませんよね」
「今日はあいつが新しい道を歩き出す日でもあり、俺が一歩を踏み出さないといけない日でもあるんだ。その為に態々、石垣島の俺が働いているこの店で婚礼パーティーをしようと思ったんだろ」
「それって復讐って事ですか?」
「復讐? まさかあいつの優しさだよ『もう忘れて歩き出しなさい』と言う後押しだよ」
「なんだか私まで哀しくなってきちゃった」
「美穂里の分まで仕事をしろ。俺は海でのんびりしてくるよ。お先」
オーナーに目配せをして会場を後にした。
パパはママと目を合わせようともしなかった。
なんとも思ってない訳無いのに、ニコニコとした笑顔でパパは応対している。
あれがプロの仕事なのかなぁ、私にはそんな事できないと思う。
三段重ねのシルバーの台には綺麗なケーキが乗っかっている、多分パパが作ったんだと思う。
だって一番下の大きなチョコレートケーキにはSpecialと書いてあって、前にパパのアルバムで見たパパとママが2人で持っていたチョコレートケーキとよく似ていたから。
そしてその上には大きなプリンが真ん中に入っているケーキで、一番上はカットされた苺が綺麗に表面に貼り付けられている。
両方とも美緒の誕生日にパパが作ってくれたケーキと同じだった。
そして周りの人からは判らないだろうけれどママはママで嬉しそうな振りをしているけれど何か変なの。
娘の私だから判るんだと思う、ママの瞳の中に何かが隠れているの。
それはパパの姿が目に入った瞬間やチョコレートケーキを見た時にはっきりと判った。
そして乾杯が終わり。
皆が着席するのを見届けてパパがスタッフのユーカさんと何かを話して片手を上げて会場から出て行ちゃったの。
どうして?
どこに行くの?
パパにはどうしても伝えなきゃいけない事があるのに。
そして直ぐにケーキカットが始まろうとしていた。
加納さんに教えてもらった事と名前も知らないお爺ちゃんに貰った覚悟を胸に私は立ち上がった。
「ゴメンなさい、ママ。私、元梨貴也さんの子どもにはなれない。どんなに探しても私のパパは世界中で1人だけなの。ママは元梨貴也さんと結婚して幸せになって。私はパパの子どもになる」
「何を馬鹿な事を言っているの、美緒は。そんな事が出来る訳無いでしょ、あいつに認知もされてないし養子縁組なんてママが絶対に許さないから」
「パパが言ってくれたの。認知や養子縁組なんて関係ない、美緒の気持ちが一番なんだって。美緒が俺の事を父親だと思ってくれるだけで良いんだって。婚姻届だって役所にだす唯の紙切れじゃない。そんな紙切れ一枚では美緒の気持ちは割り切れない! 私のパパは岡谷隆史なんだもん! 本当の親子って何? 血の繋がりだけが親子じゃないでしょ世の中にはそんな親子いっぱいいるじゃない」
「でも、あいつには別れた奥さんと3人の……」
「居るよね、パパには3人の子どもが。春介兄さんには会えなかったけど秋香姉さんと茉冬姉さんに会っていっぱい話をしたもん。2人とも色々あったけれどお父さんはパパだって、3人ともパパとは血は繋がってなくて、恥ずかしくって今更お父さんって呼べないけれどお父さんなんだって」
パーティーが私の所為で中断して滅茶苦茶になっているのに『ニライ カナイ』の皆は優しく見守ってくれていた。
ユーカさんに至ってはサムズアップまでして喜んでいた。
でもミポさんは会場を見回しても姿が見えなかった。
「ねぇ、ママ。もしかしたら私にパパを選ぶチャンスをくれたんじゃないの? でもね、それは私を石垣島に送り出した時には決まっていたみたい。それとこれは確信じゃないんだけどママはこうなる事が判っていた気がするの。これは美緒の思い過ごしかな、私、パパに伝えてくるパパの子どもにして下さいって」
ママが肩を落として溜息を付いた。
「この計画は最初から失敗だった訳ね。美緒はもう十分過ぎるくらい岡谷君の子どもよ」
私は喜んで飛び跳ねているユーカさんの側に駆け寄った。
「ユーカさん、パパは?」
「たしか『海に』って言っていたからチーフは石崎に居ると思うよ」
「ありがとう」
私はパーティー会場を飛び出してパパの後を追いかけた。
ざわついていた会場が落ち着きを取り戻したが出席者やユーカ達は困惑していた。
「突然のハプニングがありましたが、式を始めましょうか」
司会進行のオーナーだけが落ち着いて、司会の合図と共に静かにBGMが流れ始めた。
「小田和正の『こころ』良い曲ですね。真帆さん」
「えっ? 貴也君?」
「この曲の選曲もケーキを作ったのも彼なのでしょ。あなたは全て気付いているはずだ」
「私はあなたと……」
「僕に岡谷さんの奥さんと同じ思いをしろと?」
「貴也君、まさか?」
「僕はあなたに言われたとおり何も手出しはしていませんよ。ただ美緒さんが毎日の様に一喜一憂して見ていたネットのサイトが気になり見てみただけです」
「でも……」
「悔しいけれど美緒ちゃんは僕の前ではあんな笑顔では笑ってくれなかった。僕では美緒ちゃんの父親にはなれない。それに親子が離れ離れなんて良くない、家族は一緒に居るのが一番の幸せなんじゃないですか?」
「あの男は本当に最後の最後まで本当に意気地なしなんだから」
「仕返しをするのなら側に居て一生仕返しをしてあげなさい」
「貴也君」
「僕が彼の立場なら明日にでもこの島を発つつもりです」
「あなたも良い人なのね」
「意地悪ですね、真帆さんは。僕の気が変らないうちに早く追いかけなさい良いですね」
「ありがとう」