結構、結構、
「出てけ! 人の娘を犯罪者扱いする様な奴等に話す事は何もない! とっとと失せろ!」
ここ数日、同じような怒鳴り声が岡谷の病室から聞こえていた。
「ですから犯人の特長とか、ナイフの様な物で刺されたんですよね。凶器も現場付近を隈なく捜索したんですが見つからないんですよ」
「何度も同じ事を言わすなよ。俺は絡まれてタコ殴りにされて意識が朦朧としたまま自分が何をしたのかよく覚えてないんだ。そうしたら後ろからいきなりドスンだよ、顔や特徴が判るわけないだろ。奴等の仲間なんじゃないのか?」
「それが彼等もほとんど黙秘状態でね。『縄張り争いをしていた』の一点張りなんですよ。ですからあなたの同居人のお嬢さんにですね」
「あいつは多感な思春期真っ只中だぞ、それに高校受験を控えた大切な時期なんだ。何かあった時にはどう責任を取るんだ? あいつは救急車を呼んだだけだ!」
「それでは何故そんな大事な時期に石垣島から東京に?」
「しつこいな、あんた達も。喧嘩して美緒が飛び出したんだよ。俺の他に行く所は祖父母の居る東京しか無いだろ」
「では彼女の母親の居場所は?」
「俺が知るか! てめえらで調べろ、それがあんた達の仕事だろうが!」
怒号の嵐で取りつく島もなく、刑事達は苦虫を噛み潰したような顔をしてオズオズと病室を退散していった。
「痛たたた……クソたれが!」
「おやおや、毎日お盛んな事じゃのう」
「あのな、爺さん」
隆史がベッドに腰掛けて腰の傷を押えて痛みを堪えていると、薄い水色の作務布の様な病院着をきた長い白髪を後ろで一つに縛っている老人がドアから顔を出している。
「今日もユンタクしに来たのか? 爺さん。ナースセンターの前で話そう」
「よかよか、ここで。しんどいじゃろうが」
「爺さんは良くても俺が良くないんだ。早くこんな所お暇しないと精神衛生上良くない」
「おやおや、あの可愛らしい嬢ちゃん。今日は来ないのかの?」
「もう、来ないよ。毎日毎日飽きもせずに追い返されるのが判りきっているのに何で毎日来るかな」
「ワシも追い返すかの?」
「爺さんは追い返さないよ。せっかく話し相手が出来たんだから」
「ほぉほぉ、そうかの」
美緒は加納さんが送って帰ってくれた翌日からも毎日の様に病院に顔を出していた。
そして来るたびに今にも泣きそうな顔をしながら帰っていった。
「あのお嬢ちゃんは、あんたの娘さんかの?」
「どうだろうな十中八九間違いなく俺の娘だろうね」
「調べればよかろう。今じゃ便利な物が出来とる、昔は血液検査くらいしか調べようがなかったがの」
「DNA検査か?」
「ワシには横文字や難しい言葉は判らん」
「本当の親子かなんて関係ないんだよ。美緒が俺の事を父親だと思ってくれるのならそれで良いんだ。夫婦だって元は赤の他人だろ、紙切れ一枚では割り切れないモノだってあるんだ。認知とか養子縁組なんて関係ない。美緒の気持ちが一番なんだ」
「ほほほ。男よのう、お主は。立派! 立派!」
「立派なんてそんな大層なもんじゃない、立派な男ならこんな事になる前に落とし前をつけているよ。ただの臆病者なだけさ」
それから数日後、傷口の抜糸が済むと経過を自分で判断して強引に自主退院した。
「岡谷さん、勝手な事をされては困ります。退院には主治医の許可が」
「俺の体は俺が一番知っている。入院費や術代はここに請求して、どうせ俺はしがない貧乏人だから犯罪被害給付制度の手続きをして犯罪被害給付金で支払う事になるけどさ」
追いかけてくる看護師に自分の名刺を押し付ける。
「そんなお金の事ではなく体の事が……」
「貧乏暇なし、働かざる者喰うべからず。仕事をしないと今度は病院じゃなくってケツに火がついて、火葬場に直行になるんだよ」
ナースセンターで看護師達と一悶着起こしエレベーターを待っているとあの爺さんが声を掛けてきた。
「もう、退院するのかの?」
「ああ、長居は無用。爺さんも早く元気になって石垣島に遊びに来いよ」
「そうじゃの。あのお嬢ちゃんには会っていかんのかの?」
「会わないでおくよ。もし、美緒に会ったら宜しく伝えてくれるかな。それじゃ元気で」
「結構、結構。元気で。まだまだ若いのう」
その日の午後、美緒が隆史の病室を訪ねると看護師がベッドを綺麗にしていた。
「こんにちは、パパは検査か何か?」
「えっ? 聞いてないんですか?」
美緒が質問したのに看護師が不思議そうな顔をして質問を返してきた。
「何もパパからは聞いてないけど」
「無理矢理、自主退院されたんですけど」
「じ、自主退院って…… でも、怪我は?」
「抜糸は済みましたけど。まだ完全には」
「そんな……それでパパはどこに?」
看護師は換えていたシーツを持ったまま力なく首を横に振った。
美緒が慌てて病室を出ようとして誰かにぶつかりそうになり、咄嗟に頭を下げた。
「ゴメンなさい。慌ててて」
「おやおや、隆史さんの嬢ちゃんじゃないかの?」
美緒が驚いて顔を上げると長い白髪を後ろで一つに纏めた病院着を着た小柄なお爺さんが立っていた。
「お爺さん、パパを知っているの?」
「はいはい、毎日楽しくお話をさせて頂きましたからの」
「それじゃ今、パパがどこにいるか知っているの?」
「おやおや、慌てない、慌てない。そんなに急いで狭い日本どこへ行く?」
「でも」
「心配じゃろうが安心なさい、あの人は大丈夫じゃよ。少し座ってお話をしようかの」
気が動転して慌てふためいていた美緒は、お爺さんのゆっくりとしたとても安心感のある喋り口調で落ち着きを取り戻してきていた。
今、じたばたしても仕方がなく。
ナースセンターの前まで歩き座って話をすることにした。
「隆史さんは、恐らく石垣島じゃ。わしに退院したら遊びに来いと言っとったからの。その島が彼の帰るべき場所じゃないのかの?」
「島に戻ったんだ。でもなんでこんな無茶をして」
「そうじゃの。嬢ちゃんの事を気遣ってではないかな」
「美緒の事を?」
「もしかしたらじゃが、嬢ちゃんは病院に来る事を誰かに止められているのではないのかの? 例えばお母さんかの?」
「な、なんでそんな事を」
初めて出会い話をしている老人に見透かれているようで美緒は驚きを隠せなかった。
「あいあい、そんなに驚かなくても隆史さんの所に来ている嬢ちゃんを見れば判るがの。いつも何かから隠れるように落ち着きがなかったからの」
「ママが会いに来ちゃいけないって」
「おやまぁ、それは難儀な事じゃの」
「でも、心配でどうしても会いたくて」
「それが嬢ちゃんの本心かの?」
「えっ、美緒の本心?」
「そう、心の中から止め処なく溢れてくる気持ちではないのかな」
「そうかも」
いきなり確信を突かれた様な気がして美緒は驚いてしまい、考え込むように下を向いてしまう。
「これから嬢ちゃんはどうなさるのかの? 隆史さんと石垣島で一緒に?」
「今はママと一緒。学校もママの急用でってお休み中」
「ワシが知りたいのは嬢ちゃんの本当の気持ちなのじゃがの?」
「でも私は……ママと」
「ふぅ~。もう少し大人かと思っていたのはワシの思い過ごしじゃたかの」
美緒は力なさげにお爺さんから目を逸らして俯いてしまう。
2人の間に静かな時間が流れ、爺さんが何かを思い出すように口を開いた。
「確か沖縄では数えで13歳にお祝いをする風習があったはずじゃが」
「13歳のお祝い?」
「そうそう、確か13祝いと言って13祝いが済んだ女子は一人前とみなされ、今の成人式の様に親戚縁者を皆呼んで盛大に迎えて娘の成長を祈願するそうじゃがの。美緒さんじゃったかの、美緒さんは確か」
「15歳です」
「沖縄じゃ立派な大人の仲間入りじゃの」
「親が居ないと何も出来ない年齢で……でも、自分の考えは自分の意思で伝えられる歳だって」
美緒がお爺さんを見ると隆史と似た優しい瞳で包み込むように見つめてくれていた。
「それが判っていれば」
「教えてもらったの。加納さんって言う人に、ママとパパの昔の上司だった人に」
「立派な人じゃの。人の上に立てる人というのは、そして美緒さんのお父さんも立派なかたじゃの」
「パパが? そうかないつもだらしなくって面倒臭がりで」
「いつでも相手の事を考えて走り出してしまう。違うかの?」
「うん、おせっかいで。誰にでも優しくって……でも本当のパパか判らないの」
「そこまで判って居るのなら十分じゃないかの?」
「でも……」
「まだ、不安かの? なんで隆史さんは病院に来るなと追い返したのかの?」
「警察の人が来るからでしょ」
「違うと思うがの、自分の弱さを見せない為と我が子を守る為じゃないかの。警察には嬢ちゃんが何も知らないと押し通せば済むことじゃろう」
「自分の弱さを見せない為と私を守る為?」
「普通の人間ならあんな事はようせんが。あの怪我で毎日ナースセンターまで聞こえてきそうな怒鳴り声を張り上げて刑事達を威嚇して追い返しておった。どれだけ傷が痛む事かワシには判らんが、刑事が帰った後でベッドの上でのた打ち回っているのをワシは何度も見たがの」
美緒の目から涙が溢れ出しそうになる。
「泣くのはまだ早かろう。隆史さんはこんな事を言っておったの。本当の親子かなんて関係ないのじゃと。嬢ちゃんが隆史さんの事を父親だと思ってくれるんならそれで良いんじゃと。認知とか養子縁組なんて関係なく。嬢ちゃんの気持ちが一番なんだと言っておったわい」
「それじゃ、パパの気持ちはどこに有るの? それが一番知りたい」
「それは嬢ちゃんのここにもう既に届いているんじゃないかの?」
お爺さんが自分の左胸を指差した。
「ここ?」
美緒も自分の左胸に手を置いた。
「そう、嬢ちゃんの心の中に確かにの」
美緒の瞳から涙が溢れだし。
決壊したダムの様に石垣島で隆史と一緒に過ごした時間が心の中に満ちて一気に溢れ出した。
「美緒は! 美緒は! パパと一緒にいたい! 島でパパと暮らしたいの!」
病棟中に響き渡るような美緒の叫び声がこだました。
普段なら大声を出していれば注意するべき看護師達も何も言わずに優しく見守っていた。
「嬢ちゃんも立派じゃの。その覚悟を声にして伝えるべきじゃないかの。言うべき時に声にして伝えなければきっと2度と取り戻せないかも知れないからの」
お爺さんの腰にしがみ付き嗚咽を上げながら頷いて美緒は声を出して泣き続けた。




