隠していた訳じゃ
凛子さん、もといルイさんは冬休みが終わるまで石垣島に滞在して東京に帰って行ったんだ。
泉美やなっちゃんと朋ちゃんとも遊んでくれて3人は大満足していたんだよ。
パパは3が日だけお休みで仕事が始まっても時間があれば私やルイさんを連れまわってくれたの、凄く嬉しいんだけどパパの体も心配なんだ。
だって本気で遊んでくれるんだよ、そこがまた嬉しくって楽しいんだけどね。
でも少しだけ無理をし過ぎたみたい。
背中と腰が痛いってシップ薬を張って腰にはサラシを巻いて仕事に行ってるの。
なんでも、ぎっくり腰が癖になってるんだってだからサラシで固定しているって言うけどお医者さんに見てもらうでもなく仕事を休むでもなく。
美緒の前では何事も無いように振舞っているんだけど、そこがまた心配で。
その心配が現実の物になっちゃうの。
冬休みが終わって数日が過ぎた朝、玄関から物音がしたのが始まりだったの。
「パパなの? こんなに朝早く、今日は日曜日だよ。パパもお休みでしょ」
そう言いながら部屋のドアを開けて玄関を見た瞬間に私の眠気も吹き飛んで眠気と一緒に平常心まで遥か彼方に飛んで行ってしまったの。
私の目に飛び込んできたのは、肩で浅い呼吸を繰り返して荒い息遣いで、全身から脂汗を噴出し歯を食い縛りながら玄関から外に出ようとしているパパの姿だったの。
「パパ、どうしたの?」
「大丈夫だ、病院に行ってくる」
「大丈夫な訳無いでしょ、何処が痛いの? 直ぐに横になって」
「駄目だ、横になったら動けなくなる」
「う、動けなくなるほど辛いんでしょ。お願いだから言う事を聞いて」
涙が溢れ出すとパパの体が玄関で崩れ落ちてドアに寄りかかって呻き声を上げたの。
私がしっかりしないとパパが死んじゃう、震えながら携帯で……
何処に? 救急車?
そうだ夏実さんなら。
「もしもし、夏実さん? パパが倒れて大変なの」
「ゴメン、朝は苦手なの。もう少しゆっくり喋ってくれない美緒ちゃん。岡谷君がどうしたの?」
「玄関で倒れて、どうしたら良いのか判らなくて」
「はぁ? 今年もなの? 本当に馬鹿なんだから救急車でも呼んで病院にぶち込みなさい2~3日で治るから。保険証とサンダル、それに着替えを少し準備して持たせなさい。判った」
「うん、判った。ありがとう」
夏実さんと話しててなんだか気が抜けちゃった。
今年もってどう言う事なんだろう、とりあえず夏実さんに言われた物をパパが買い物に使ってる『Rag Pantry』の青いキャンパスバッグに詰める。
そして玄関に行き救急車を呼ぼうとしたらパパが苦痛に歪んだ顔をしながら立ち上がったの。
「動かないで! お願いだから、パパに何かあったら私はどうすれば良いの」
「病院まで我慢すれば良い事だろう」
肩で荒い息をしている人の言う事じゃなかった。
なんて無茶苦茶な人なんだろう。
「そんなんじゃ、運転なんて無理でしょう。そうだ」
パパの袖を掴んで表に出ないようにして私は野崎さんに電話を掛けた。
野崎さんならパパの事を何とかしてくれると思ったから。
すると案の定直ぐに駆けつけてくれたんだ、これで少し安心できると思ったら……
「今年もか? 飽きないよな、動けるのか? 肩を貸すか?」
「え、野崎さん。まさか……」
「こうなったこいつに何を言っても無駄だよ。トコトンまでやって本当に動けなくならなければこの馬鹿は誰にも助けを求めないんだ。本当に1回死んでみると良いんだ、心配ばっかり掛けやがって」
パパが首を振ると野崎さんはドアを押えてパパが表に出るのを見ていた。
傍から見るともの凄く冷たく感じるけれどそれは野崎さんだから言えることなんだと思う。
野崎さんの話では去年のちょうど今頃にパパは救急車で病院に搬送されている。
頭すら動かせなくなり迷った挙句に夏実さんに連絡を取り救急車を呼んでもらったらしい。
それまでの数時間痛みに耐えながらどうしようか考えていたって教えてもらったの。
パパはちょっとの痛みではふざけてる様に痛がるけれど、本当の痛みにはトコトン耐えてしまう人なんだって判ったの。
でも、度を越すとそれは本当に命に係わる事になりかねない、それでも限界を感じた時には自分から病院に行くって言ってたから去年と今年は本当に急激に動けなくなったんだと思うの。
怖くなかったのかな……
独りぼっちで動けなくなるんだよ。
私なら耐えられないと思う急激に動けなくなって痛みに耐えながら天井を見つめて、もし意識が無くなって発見が遅れればそれで人生が終わってしまうかもしれないんだよ。
そんな事を考えてるとパパの言葉が浮かんできたの。
『こんな糞みたいな俺の命ならいくらでも差し出してやる』
言われた時に私はパパの事を馬鹿だと思ったけど、そうじゃなくって本当にパパがそう思っているとしたらパパは私の為なら人生すら投げ出してしまうかもしれない。
それじゃ、パパの人生って何なの本当に糞みたいなものなの?
ただ時間を費やすだけの、今は違うよね美緒が居て……
パパの夢は……
家族で……
時間がそこまで迫ってきている、それなのに自分には何も出来ないでいる。
目の前のパパは激痛に耐えながら階段を誰の力も借りずに下りていく、今までもそうして生きてきたんだよね独りぼっちで誰にも何にも頼らずに……
涙が溢れ出す。泣くのを我慢できない、泣いたらきっとこの人は自分の事より私の事を心配する。
「ばーか、何を泣いてるんだ? 俺が死ぬとでも? 俺は死神に愛されてるんだって言っただろ」
ほらね、私は声を出す事すら出来ないでいる。
『死神に……』は夏休みに私が溺れてパパが助けてくれて、その後でパパに発作が起きてその時に言われた言葉だった。
パパは未だ泣き止まない私を見て、深く呼吸を繰り返すと痛い筈の体を伸ばして真っ直ぐに立って見せたの。
そして、ゆっくりだけどさっきとは比べ物になら無いくらいのスピードで階段を降り始めたの。
「自分の体は自分が一番判っているんだ。去年の二の舞は踏まないつもりだ」
「岡谷は本当に馬鹿だな。こうして私がここに居る時点で去年の二の舞と同じだろうが」
「去年は搬送されたんだ、今年は自分で病院に行くんだ」
「で、入院するんだろうが」
「未だ判らないだろうが」
「で、一度横になって起き上がってみろ」
「それは出来ない相談だな」
「はぁ~それだけ冗談が言えれば今年はましだな」
「だろう」
「馬鹿につける薬でも医者に処方してもらえ。それと時間が無いんだから急げよ」
いつの間にか涙も収まっていた、パパは何とか野崎さんの可愛らしい軽自動車に乗り込んで病院に行き緊急入院になってしまった。
何でも去年は原因が特定できなくって再度同じ症状という事で絶対安静のお医者さんのお墨付きだった。
「もう、あのね美緒ちゃん。岡谷が一番大事に思っているのは誰なの? そんな大事な娘を置いて居なくなると思ってるの? 地獄の底からでも美緒ちゃんが呼べば這い上がって来るわよ」
私が不安な顔をしていると野崎さんが慰めるように優しく言ってくれた。
パパが退院するまで由梨香さんと美穂里さんがマンションに泊りに来てくれたの、何でもパパに頼まれたんだって。
野崎さん車の中でゴソゴソしていると思っていたらメールしてたんだね2人に。
本当に手際が良いって言うか裏できちんとフォローしている、自分の事になると途端にニブチンになっちゃうのに少しぐらいは自分に向ければ良いのに。
お陰であまり動揺しなくて済んだのかもしれない、普通に学校に行って帰りにちょっと遠いけれど病院に寄ってパパの様子を見て。
パパは検査ばかりで流石にうんざりしてたけど私が顔を出すといつも優しいく迎えてくれたんだよ。
それでね、パパには内緒なんだけれどユーカさんとミポさんと3人で色々な事をお喋りしたの。
ファッションの事、恋バナや島の事、でもパパの事が一番多かったかな共通の話題主だもんね。
本当にぶっちゃけトークでね、本当にこれが腹を割るって事なんだろうなって感じだったんだ。
「あのね、美緒ちゃん」
「何? ユーカさん、改まって?」
「その、チーフが想っている人の事を知ってる?」
「パパが? 何となくそんな人が居るって感じだけかな」
「隠してた訳じゃないんだけど、ちょっと前までブログに時々アップされてたの。昔の恋バナとして」
「ええ、ミポさんそんなの見たこと無いよ」
「多分、チーフが削除したかロックを掛けたかだと思うんだよね」
「そうなんだ、肝心な事は私には教えられないってことなんだね」
「違うと思うけどなぁ、美緒ちゃんの心の中にだって人には言えない事や知られたくない事だって在るんじゃないの? それに美緒ちゃんはチーフの本当の子どもかもしれないんでしょ、余計に知られたくない事なんじゃないのかなぁ」
ミポさんにそう言われてみると何となくだけど納得する事が出来た。
私にだってママに知られたくない事はある、でも知られたら困るような事は何も無いって公言してたのに……
2~3日の入院って言ってたのに5日目にやっとパパが退院してきたの、検査が長引いたってパパは『石垣には藪医者しか居ない!』なんて言ってけれど。
翌日から直ぐに仕事に復帰しちゃうんだよ、どんだけ不死身なんだろうって思っちゃうくらいなんだから。
それでも、パパは自分自身でセーブしてるって。
病院の見解は過労だろうって言われたみたい、疲れが溜まって弱い所がいっぺんに悲鳴を上げたんじゃないかって。
パパが言うにはパパのママが腎臓系が弱いんだって、昔、腎盂腎炎になって倒れた事があるって言ってたの。
でね、パパはパパのママの体質を受け継いでいるからって教えてくれたの。
注意はしていたんだけどって……
それは私にも責任があるんだよね……
パパの負担になってるんじゃ……
多分、パパなら『ばーか』って言うはずだよね、笑いながらだから言わない。
私にもパパに言えない事だってあるんだから。
パパの入院騒動やらがあってバタバタしていたんだけど、私は内緒で高校の願書を提出してしまったの。
それがママにばれて……
あっという間に1月も終わってパパも私も普段の生活に戻ったかの様に見えたんだけど、毎日毎晩電話が掛かってきて。
「うるさいな、判ってるよそんな事は言われなくても。やれば良いんだろが」
「あなたに出来るのかしら?」
「なめんな!」
毎回同じ様に捨て台詞を言って携帯を切った。
時間が無い事、自分の未熟ゆえの不甲斐なさを思い知らされイライラしていた。
何か策を練るのにも決定打がなく、ただ時間だけが過ぎていく。
1つだけ打開策があるけれどそれは到底無理な策だった。
パパの心の中に居る人が判れば……
時間は待ってくれずに灰色の世界に戻る日が目の前に迫っていた。
そして一か八かの賭けに出た。
「パパ、もう直ぐ2月8日だね」
「2月8日がどうかしたのか? 何の日だったかな? 確か郵便マークか針供養の日だったけな」
「もっと、大切な日だろ。覚えてないの?」
「美緒、はっきり言え何が言いたいんだ?」
そうだねパパは超ど級のニブチンだもんね、ストレートに言わないと判らないんだよね。
「ママの事をどう思ってるの? 2月8日はママの誕生日でしょ、忘れちゃったの?」
「真帆の事? そんな事は美緒に話す必要は無いだろう。10年以上昔のことだぞ、今更の話だな」
「それじゃ、何で私をココに置いてくれたの? ママの娘だったからじゃないの?」
「無理矢理押しかけてきたのは誰なんだ?」
「そ、それじゃ押しかけてくれば誰でも良かったんだ! そうだよね無理矢理ならルイさんとあんなキスしちゃうんだもんね」
「今はルイは関係ないだろう、いい加減にしろ。最近の美緒は普通じゃないぞ」
誰の所為でこんな思いをしてると思っているの?
私は……でも……
「どうせ、私は普通じゃないよ。父親の顔すら知らないんだ、どうせ私生児だよ。石垣なんかに来なければ良かった」
「子どもの言いそうなことだな。だったら東京にでも何処にでも帰れば良いだろう。美緒には帰る場所があるのだから」
パパに改めて言われて気持ちが冷めていく、東京での私の事を何も知らないでそんな事を平気で言う人間が目の前にいる。
どれだけ辛い思いをして生きてきたか何も知らないくせに子ども扱いして。
「そうだね、あんたに言われるまでも無い。夢の時間は終わりだからな、親子ごっこも終わりだ。あんたがぶっ倒れて野垂れ死にしようが知った事じゃねぇ!」
「好きにしろ君がどうしようが君の自由だ。どれだけ独りの方が気楽か」
「パパなんか大嫌いだ! 死んじゃえ!」
パパに君と言われて必死に繋ぎとめようとしていたものが切れてしまった。
もうここに居る事は出来ないそして2度と帰って来ることも無いだろう。
私は坂道を転がり始めた計画という名のレールが敷かれたトロッコに飛び乗ってしまったのだから。