雨が
『海神祭』も終わり石垣島にも夏が来ようとしていた。
その晩は呼び出されて『居酒屋 瑚南』の手伝いをしに来ている。
店に来た後に降り出した雨は激しさを増していった。
「お待たせしました。生になります」
「注文いいかな?」
「はい、ありがとう御座います」
注文を受けてカウンターの中にいる大将の尚斗にオーダーを通す。
尚斗は元嫁の夏実の弟で夏実と知り合う前からの付き合いだった。
「しかし、雨が酷くなって来たなぁ」
「岡谷さんはチャリだよね。大丈夫なん?」
「まぁ、夕立みたいなもんだから帰る頃には上がるだろ」
そんな予想と裏腹に雨の勢いは止まらずゴロゴロと雷までなり始めた。
それと同じくして美緒からメールが届き始めた。
『何時ごろ終わるの?』
『11時過ぎ』
仕事中なので簡単に返信をする。
『もう少し早く帰って来れないの?』
『仕事中だ』
携帯を徐に後ろのポケットに突っ込んだ。
「本当に困った奴だなぁ」
「あれ? 噂の美緒ちゃん?」
「あのな、尚斗。仕事、仕事」
予約のお客さんが落ち着く頃になると外は滝の様な雨で客足も鈍くなっている。
おまけに稲光が駆け抜け雷鳴が轟き始めた。
「そろそろ、梅雨明けだな」
「そうだね、夏本番だ」
そんな話を尚斗としていると閃光と共に腹の底まで響き渡るような炸裂音に似た雷鳴が轟き、『瑚南』がある美崎町が暗闇に飲み込まれた。
「おいおい、近いんじゃないか?」
「雷が完璧に落ちたね」
慌てずに店に置いてあるロウソクを小皿に立ててテーブルやカウンターに運ぶ、しばらくしても電気が点く気配が無かった。
予約のお客さんは地元の人で慣れたもので何一つ文句を言わなかった。
まぁ、文句を言われても雷が落ちたのならどうしようも無いのだが。
尚斗が沖縄電力に電話をするが問い合わせが殺到しているのか中々繋がらなかった。
「駄目なのか?」
「あ、うん。全然、繋がらない」
「これじゃ、商売上がったりだな。尚斗、悪いが後は大丈夫だよな」
「あっ、心配なんじゃん。やっぱり」
「お先!」
尚斗の人を冷やかす様な笑顔がロウソクの炎で揺れている、そんな尚斗を無視して店を飛び出した。
滝の様な雨が情け容赦なく俺と自転車に叩きつける。
稲光の青白い紫色の様な閃光が走り、内地では考えられない様な空を劈く様な雷鳴が轟く。
叩きつける様な雨音と雷鳴以外の音は全て掻き消されてしまっている。
マンションに何とかたどり着く頃には、『瑚南』のオリジナルTシャツのままナイトダイビングをしてきたのかと思うくらいずぶ濡れになり体中から雨水が滴り落ちていた。
とりあえず、ドアの外でTシャツの裾を絞るがその程度ではどうにもならなかった。
ドアを開けようとした瞬間、凄まじい閃光と雷鳴が走り思わず首を引っ込めてしまった。
「今のは凄いな……」
とりあえず自転車をラックに引っ掛けてライトを外して美緒の部屋をノックするが返事が無かった。
「開けるぞ」
そう言いながらドアを開けて部屋の中をライトで照らすが美緒の姿がなかった。
「あいつ、どこに行ったんだ?」
居間に掛けてあるバスタオルで頭を拭いていると俺の部屋から声がした。
「ぱ、パパなの?」
ベッドをライトで照らすがベッドにも居ない。
するとパソコンデスク代わりにしている押入れの下段からタオルケットに包まった何かがゴソゴソと這い出してきた。
「ふふふ、美緒。お前何をしているんだ?」
「だって、雷怖いんだもん。小さい頃はいつもお家で1人で留守番してたから……」
小さな子どもの美緒が真っ暗な部屋で独りぼっちで雷に怯える姿が頭の中に浮かんできた。
心の深いところが締め付けられる様な痛みを感じる。
「しょうがない奴だな。着替えてくるから待ってろ」
俺が言い終わるか終わらないかのタイミングで閃光が走り雷が鳴った。
「嫌ぁ! 怖いよ!」
びしょ濡れの俺に美緒が飛びついてきた。
「濡れるだろ。離れるんだ」
首を大きく横に振りながら小さな女の子の様に小さく体を震わせて泣いていた。
「大丈夫だから、なぁ。着替えるだけだから」
美緒の体を引き剥がして手を繋ぐ、そして着替えを暗闇の中で何とか用意して風呂場に向った。
「ここに座って待ってるんだ。直ぐに着替えてくるから」
何も言わずに震えながら美緒が小さく頷いた。
流石に雨水のシャワーでは気持ちが悪く、軽くシャワーで体を流して着替えを済ませる。
美緒を連れて部屋に戻る。
連れてと言うより風呂場から出てきた瞬間にTシャツの裾を掴まれて美緒は絶対に離そうとしなかった。
「しかし、暑いな……」
停電でクーラーも動かず、仕方なく窓を少し開けると涼しい風が吹き込んできた。
真っ暗なベッドの上で壁に寄りかかっている、美緒は俺の足をマクラ代わりに泣き疲れた子どもの様に寝息を立てている。
雨音と遠ざかる雷の音だけが聞こえる世界。
美緒の前髪を指ではらうと暗がりの中に、ぼんやりと真帆に良く似た顔が浮かび上がる。
「一卵性母娘だなまるで」
心の奥で消し炭が燻る様にチリチリと何かが締め付けた。