一つの道
「雨が降るね」と僕は言った。僕等は堤防をゆっくり歩いていた。日も暮れようとしている時の雨だから暑いけれど冷たく感じる。彼は川の方をぼんやり見ているようだった。
「なんかあるの?」
「え。ああ、ただ何となく見てただけだよ。でも何かは見てるんだろうな」
「何かって何?」
「例えば流れとか、線とか、そういうものかな」
そうなのか。とその時は頷いた。歩いていると雨が少しだけ強くなってくる。引き返した方が良いのかなと思ったけれど惰性なのか足の動くままに任せていた。
「例えばさ」
その時彼はおもむろに喋り出した。
「うん」
「このままずっと歩き続けたとする。どこまで行けるかな?」
「え?」
僕にはよく分からない言葉だった。普段ははっちゃけている彼にしては珍しく真面目というか深く考えたもののように思われた。その証拠に口を開いたと同時にこちらを見つめた時の表情に何ともいえないものが浮かんでいた。真面目に答えるべきなのか、軽く答えるべきなのか迷った。
「そりゃあ…」
と言って僕は少し間を置いた。と同時に本当に歩き続けた場合を想像し始めた。雨が降り出している今、どちらかといえば戻った方が良い。そんな時に更に遠くまで行くとなるとどこか明確な目標物が見つかって満足するまでは歩みを止められないような気がする。例えば…
「多分、向こうのコンビニ位まで行っちゃいそうじゃない?」
その答えに彼は一瞬キョトンとしていた。そして了解したのか頷きながら、
「ああ、なるほど。確かに良い目標になるね」
と妙に納得していた。その答えに疑問を感じたので訊いてみた。
「あれ…?そういう事じゃないの?」
すると彼は照れくさそうに笑いだして、
「ああ。実はそこで「さあね?」って返ってくるのが普通だと思ってた」
「真面目に答えちゃいけなかった?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど。ふふふ」
赤い夕日に照らし出された笑顔が眩しく見えた。<なんか嬉しそうだな>と思った。すると彼がこんな事を言う。
「あれさ、もし君が良いっていうなら本当にコンビニまで行ってみない?3キロくらいありそうだけど」
「え…?マジで?」
オーバーなリアクションで驚いてみる。すると彼は弁解するように説明する。
「いやなんかさ、今の雰囲気がすっげえ好きなんだわ。なんつーの『青春』っていうのか、あるじゃんそういう時」
何気なくいつもの彼の口調に戻っていた。分らなくもなかったので少し頷いた。
「勿論さどうせ行った事のあるコンビニだけどさ、普通こういう風には行かないだろ?」
「まあ遠いしね」
「でも敢えてそう行ってみる。今だからできる事じゃないかって思うんだよ」
「今だから?まあ確かに…」
ここで僕は彼の気持ちがわかったような気がした。考えてみると受験まで半年で、勉強が優先でこの頃はあまり出掛けられていない。何となく余裕がなくなっているのも確かだ。そしてこの下校路の遠回りも考えてみるともうそろそろしなくなってしまうのだ。そう思い至った瞬間、僕の中で何かが動いた。
「よし!行こうぜ!雨降っちゃってるけど、何とかなるだろ!」
「おお!じゃあいざ、コンビニ!!」
そうしてその日、僕の帰宅は2時間程遅れた。コンビニに着いたけれどジュースを買ったくらいで何があったというわけではなかった。中途半端なところまで降り続いた雨ですっかり濡れてしまったけれど、もうそんなものは気にならなかった。ほとんど何もなかった高校時代だったけれど、その何でもない日の事がいまでも鮮明な映像として残っている。
それから5年経った頃、彼が外国で就職したという知らせが届いた。そして次の年に彼が帰省した折、僕等は二人で飲んだ。その時彼はこんな風にあの日の事を語った。
「お前には言ってなかったけどさ、まさにあん時だよ外国に行ってみたいなってぼんやり思ってたの」
「ほぉ…そうだったのか」
遠くに行って久しぶりに会ってもあの時の照れくさそうな笑顔で彼は語った。
「遠くに行くって事はあんまり関係ないんだけどさ、やりたい事をそのままやっちゃって良いんだって思ったんだ」
「いいな、そういうの」
「まああの日雨に濡れて次の日俺だけ風邪をひいたから何とも言えないものがあるんだがな」
「ちがいない」
僕はあの日のようにからから笑っていた。




