6話 穏やかな日々の終わり
この娘を蝕む呪いを、今ここで取り除く。
「我が身に絡みし穢れの鎖よ、今ここに解き放たれよ! この娘の体内から呪いを引き離すのだ!」
前半の仰々しい文言が不要であることは理解している。
それでも、こういう場面で口上を省けぬのが、オタクの性というものだ。
我の言葉が放たれた瞬間、今度は紫の光が身体を包み込んだ。
淡く揺らめく光は、先ほどと同じように上へと昇り、やがて静かに消えていく。
すぐさまステータスを確認する。
――状態異常の文字は、どこにもない。
「成功したではないか……!」
今まで横たわっていたのが嘘のように、勢いよく上体を起こす。
「これで自由に動ける! 町娘スタートは変わらぬが、寝たきりよりははるかにましだ!」
内心は、ようやくチュートリアルを突破した勇者の気分である。
そのテンションのまま、ベッドから降りようと、足を床に下ろす。
――が。
踏み出した瞬間、膝が笑い、身体がぐらりと傾いた。
慌ててベッドの縁に手をつく。
……解呪したからといって、即座に全快するわけではないのか。
解呪はしたものの、HPはいまだ一桁なのだ。
ここで転べば、本当に死ぬやもしれぬ。
それに、長らくデバフ状態だったせいで、この娘の体力そのものが削られているのかもしれぬ。
では、魔力はどうなのだ。
片手を掲げ、空中に向かって炎の呪文を唱えると、ぽん、と小さな火の玉が現れた。
――大きさも威力も、先ほどと変わらぬ。
……うむ。魔法関係は、まったく回復しておらぬ。
期待していたチート無双の未来が、がらがらと音を立てて遠ざかっていく。
あまりにも残念な結果に、我はそのままベッドへ突っ伏し、頭を抱えた。
時間経過で回復するのか。
それとも、これがこの娘の限界値なのか。
もし後者であれば――せっかくの転生が泣くではないか。
我はもっと強くなるはずなのだ。
転生物の定石的にも……きっと。
「これはあれだな。そのうち覚醒イベントでも起こり、我の潜在能力が開花するまで、チート無双はお預けということだな」
目の前の現実にそっと蓋をし、都合の良い未来図を糧にする。
そして我は、体力を少しでも回復させるべく、再びベッドへと身体を沈めた。
静かに目を閉じ、来るべき覚醒の日へ思いを馳せて――。
……のだが。
毒と呪いを解いたというのに、妙にすっきりしない。
なんというか――魔力というべきか、電波というべきか。
静電気のような違和感が、身体の奥にまとわりついているのだ。
気のせいかもしれぬ。
……いや、きっと気のせいだろう。
そう結論づけて、我は意識を手放した。
それから数日。
我は寝たり起きたりを繰り返しながら、少しずつ身体を動かせるほどにまで回復していた。
「かなり動けるようになってきたな」
ゆっくりと立ち上がり、肩や腕を回す。
まだぎこちなさは残っているものの、身体は確かに以前より軽くなっていた。
我が唱えた呪文は、確かに効果を発揮した。
この身体は、ゆっくりではあるが、着実に回復へと向かっている。
娘の不調が毒や呪いによるものだとは知らぬ騎士は、病以外の不調を治せる医者を探すため、毎日のように街へ出ていたらしい。
しかし、そのほとんどは空振りに終わっていたという。
それでも、あの日――。
成果もなく沈んだ顔で戻ってきた騎士は、娘の顔色がわずかに良くなっていることに気づいた瞬間、驚きに目を見開いた。
そして次の瞬間には、心の底から安堵したように笑い――まるで自分のことのように涙を流し、喜んだのである。
……あのときの顔を思い出すだけで、胸の奥がじわりと熱を帯びる。
やめろ。我まで泣いてしまうではないか。
込み上げてくる感情を誤魔化すように、我は小さく息を吐いた。
とはいえ、かなり以前から毒に侵されていたのだ。
神経や内臓は相当な損傷を受けていたであろうし、それらが元に戻るには、どうしても時間がかかる。
それ以前に、この娘はもともと体力に恵まれているようには見えぬ。
基礎体力そのものが低いのであれば、なおさらだ。
――今後は、まず筋トレからだな。
リハビリ系主人公ルート……。
思い描いていた異世界転生とはだいぶ違う気もするが、仕方あるまい。
回復魔法が使えれば話は早いのだが、ステータス画面や診断書を何度確認しても、魔法の項目に「回復」の文字は見当たらなかった。
一緒にいる騎士もまた、回復魔法は扱えぬとのことだった。
だからこそ娘を宿に寝かせ、自らは街を駆け回り、治療のできる医者を必死に探していたのだろう。
その努力には頭が上がらない。
我が回復してからも、食事をはじめ、何かと世話を焼いてくれている。
思ったより回復が早かったのは、騎士のおかげもあるに違いない。
このまま順調にいけば、もうすぐ外にも出られるはずだ。
そう思うだけで、胸の奥がそわそわと騒ぎ出す。
せっかくの異世界である。
街を歩き、どのような店があり、どのような本が並んでいるのか。
この目で確かめてみたいではないか。
そんな期待に胸を躍らせ、あれこれと妄想を膨らませていたところへ、騎士から声がかかった。
「体力がもう少し回復しましたら、早めに隣町へ向かいましょう。そこから港町へ行く乗合馬車が出ています。まずはそこを目指します」
「……港町?」
どうやら、この街をゆっくり見て回ることは叶わぬらしい。
少し残念だ。
とはいえ、港町なら港町で見どころも多そうではある。
「はい。以前にもお伝えしましたが、そこからさらに海を渡り、隣国へ向かいます。そこには、数年前に嫁いだあなたの姉上であるメル様がいらっしゃいます。そこまで行けば、もう安心でしょう」
騎士は優しく微笑みながら、いつでも出発できるよう荷物を整えている。
その手つきは慣れており、無駄がない。
隣国へ向かう理由は理解した。
姉に会いに行くのだな。
――だが。
なぜ急ぐ必要があるのか。
つい先日まで床に伏していた娘を、すぐに遠くへ連れて行こうとするのはなぜなのか。
「安心」という言葉は、裏を返せば――ここは安心できる状況ではない、ということなのか。
胸の奥に、小さな引っ掛かりが残る。
たしかに、毒と呪いを解いたにもかかわらず、時折、静電気のような不快な違和感が身体にまとわりついていた。
この娘に毒と呪いをかけた者が、いまだ命を狙っている可能性もある……のか。
――うむ。分からぬ。
娘の置かれている立場が、現時点ではまったく見えてこない。
詳細を知るには、騎士に我が転生した真実を打ち明け、理由を問いただす手もある。
だが、純粋に娘を案じ、想っているこの騎士に、「この娘はすでに死んでいる」と告げるのは、あまりにも酷だ。
我にも、少しばかりは情というものがある。
ゆえに騎士には、「高熱でうなされていたせいで記憶が曖昧になった」と説明した。
その影響で、以前とは話し方や考え方が少し変わっているかもしれぬ、とも。
騎士はたいそう心配してくれたが、
「……あの大病から回復しただけでも、奇跡のようなことです」
そう言い、我の変化については深く詮索しなかった。
――実にありがたい。よくできた騎士である。
おかげで、こちらから質問すれば、この世界について丁寧に教えてくれる。
娘自身の出自や現状についても聞きたかったが、一気に聞けば、何も覚えていないことが露呈してしまう。
さすがに怪しまれるやもしれぬ。
その辺りは、少しずつ聞き出していくとしよう。
だが、そうすれば、娘がもういないという真実も、いずれは告げねばならぬ。
その時を思うと、胸の奥がわずかに痛んだ。
――とはいえ。
我はこの騎士がまったく好みではないため、恋心に応えてやることはできぬのだ。
仕方あるまい。
それでも、もうしばらくはこの世界のことを知るため、世話になるつもりである。
騎士のもとを去るときには、せめて一つくらい抱きしめイベントでも発生させてやるか――などと、脳内で勝手に好感度イベントを構築していた、そのときだった。
突如、階下から怒鳴り声が響いた。




