第十一話 「高校生活最後の一年だ」
主人公ハルトがプロ野球選手を夢見てソフトボールから軟式~硬式野球へと取り組み、活躍してプロ野球選手となる物語。しかし、プロ野球選手として全盛期の時期に病に倒れ、プロ野球選手としては選手生命を絶たれてしまう。
だが、いつも寄り添ってくれる妻ナミがハルトを支え、苦悩を一緒に乗り越え、プロ野球選手ではなく、指導者として歩み続けて行き、プロ野球選手を育てるという新たな目標に向かって走りだす。
春休みも終わり、四月からは三年生となった。
クラス替えも無く、今まで通りナミと一緒なのだ。
部活では一年生の入部が三十八人となり、ここ数年では多い方と部長先生や監督が話していて、三回連続甲子園出場が人気になったとようだ。
特選の推薦入学部員は十一名との事だ。
部活の初めには入部した一年生は部長先生から紹介され、監督・コーチ・主将・先輩部員・マネージャースコアラーを紹介した。
一年生は緊張した様子で自己紹介していた。
その後、監督や部長先生から色々な説明があり、六月の県大会に向けての話しもあった。
本格的な練習は明日から行う事になった。
「俺達三年は夏までか?」と俺はマサトやケン達と話していた。
翌日からいつものランニングと守備練習をしていた。
俺は「守備だけは誰にも負けない」と強気でノックや連係プレイの基本をこんしていた。
打撃練習はゲージに入り、マシン相手に30~40球くらい打っていた。
今思えば、バットが振りたくて小学校のソフトボールの用具が入っている小屋に行ってバットを振ってみて、自己満足していた頃を思い出していた。
俺にバットの振り方等を最初に教えてくれたのが今下宿している大石先生だ。あれから九年が経ち、今では高校野球部の主将になり、甲子園に三回出場し、準優勝も一度経験した。
俺の野球は、大石先生無くしては語れないし、この御恩は一生忘れないと感謝していた。
俺はバットを握る度にあの頃を思い出していた。
その後、コーチから鬼ノックを受けて「ハル、行くぞ」、「ハイ」とコーチに食らいついていた。
六月に入り、テストに向けナミと一緒に勉強をしていた。
テスト期間の二日間が終わるとナミはダントツ一位だ。
俺はクラスで三十五名中の十九位で、基準点は総点数(満点)の六十パーセント以上をクリア(六十七点)していた。
監督から夏の大会に向けてのレギュラーと控え選手の発表があった。
ピッチャー・マサト、ケン、ミキト、シンヤ、トウマ。
一塁・・・ショート・ハル・・・以上。
マネージャーはコトミと一年の女子の二人となった。
スコア(記録員)も今まで通りだが、「ハルト君は高校入ってから練習試合を含めてもノーエラーなんですネ」と言われ、「えッ?そうなの」となり、二年・一年の部員はビックリしていた。
俺自身もビックリだったが、コトミが「今までの記録を見てもハルだけだよ」と言うのので、皆がビックリして引いていた。
それを聞いた監督やコーチは「ハルみたいな野手は日本中探してもそうは居ないだろうし、練習は嘘つかない典型的な例だな」とか言うもんだから皆益々引いていた。
「俺はバケもんじゃね~ぞ、どうしてくれるんだよ、この空気感」と言うと監督・コーチが大笑いして「俺、守備練習しにくいなあ」と言うと全員の笑いが止まらなかった。
夏の県大会一回戦当日、俺達は第二試合の後攻となった。先発はマサト~ミキト~ケンの予定で俺は六番ショートだ。
マサトは危なげない安定した投球で最長七回まで投げ0封。
八回はミキト、九回はケンで0封だった。
俺達の攻撃は初回から連打で三点、三回に一点、五回に一点、七回に一点
八回に四点で0対十の圧勝となった。
二日後の二回戦の第一試合の先攻で先発はミキト~シンヤ~トウマ~ケンの予定で俺は五番ショートだった。
俺達の攻撃は初回に四点、五回に二点、八回に一点、九回に二点の計九点。
先発のミキトは五回を0封、シンヤとトウマは六~八回を一点に抑え、九回はケンの三者凡退で九対一で圧勝した。
二日後の三回戦は第二試合の先攻で先発はマサト~トウマ~ミキト~ケンを予定し俺は五番ショートだ。
俺達は初回の一・二番のデットボールとフォアボールの後、三・四番の連打で二点が入り、俺のレフトスタンドに入るツーランで一挙四点を入れた。
マサトは軽快に三振や内野ゴロを打たせ、三回まで0封とした。
しかし、四回に外野へ二連打され、一点を返されたが、五・六回と
0封に抑えた。
俺達は三回にも連打で二点を入れ、五回には俺のレフト線へのツーベースもあり二点を追加、八対一となり、七・八回はトウマとミキトが九回はケンが0封に抑えて、準々決勝へと進出した。
翌日の準々決勝は第一試合の後攻でミキトが先発し、三回に二点を取られ、四回に一点を追加された。俺達は初回裏二点を入れ、四回に一点を入れ同点に追いついた。
五回からシンヤが登板し七回まで0封に抑えた。俺達は五回に一点、六回に二点を入れ三対六と逆転し、七回に俺のツーランホームランが出て三対八と突き放し、八回をミキト、九回をケンが一点に抑え、四対八で勝った。
明日の準決勝は第一試合の先攻だ。
先発は今大会初のトウマ~ミキト、シンヤ~ケンの予定だ。
俺達は二回に一点を入れただけ五回までは一点のみ。
トウマは五回までに一点に抑え、ミキトが六回から登板し七回まで0封にし、八回はシンヤが三者凡退に抑えた。
俺達は八回に二点を入れ、やっと逆転し三対一で九回はケンが三者凡退に抑え、明日の決勝へと進んだ。
明日の決勝は十三時からの試合開始だ。
準決勝が早く終わり、学校へ到着してから監督とのミーティングがあり、「明日は勝って甲子園に四回連続出場するぞ!」となり、明日は気合が入った。
しかし、ナミが「うち来る?」となり、気分転換のゲームをしていた。
その時ナミは「甲子園行って、甲子園が終わったらこの前みたいにU△Jに行かない?二泊して廻ればまあまあ廻れるかも?」と言うのだ。
「え?二泊?ナミと二人きり?」と言うと「そうだよ、イヤなの?」となり、「全然OKだけどどこに泊まるの?」と言うとナミは「私に任せて、U△Jに隣接しているホテルを予約するから」とさりげなく言うのだが、かなりお高めのホテルなのだ。
その後もゲームをして「ハル、明日は絶対優勝だからネ」とナミが俺の野球の試合に初めて口を挟んできた。
「俺とU△Jに行きたいんだ?」と勝手に思い込みテンションは爆上がりしていた。
翌日、全校応援なので学校にはバスがいっぱい止まっていた。
俺達は軽く練習をしてから球場行きのバスに乗り込み、多少の緊張感はあるが、「甲子園行って、U△Jだ!」とテンションがまた上がって来た。
試合が開始され、俺達は後攻だ。
先発はマサトで一~三回は0封で四回に掴まり二点を取られるが、五・六回は0封した。
俺達の攻撃は二回に一点を入れ、五回にも一点を返し、二対二となった。
七回からミキトが登板し、一点を返され三対二と逆転されるが、俺達は八回に二番からの攻撃でヒットとフォアボールとエラーで満塁になり、俺の番に廻って来た。
俺は「U△Jで遊びたい」の一心で甲子園に行くと決めていたので負けるわけには行かず、ノーアウト満塁のチャンスに一呼吸し、打席に入り初球を空振りした。「力んでいるな」と思い、少しバットの握りを短くし、二球目を捉え、右中間にツーベースヒットで二点が入り三対四の逆転にした。
これが決勝点となり、八回はトウマ・九回はケンがきっちり抑え、四回連続の甲子園が決まった。
スタンドの全校生徒に整列して深々と一礼をし、その後の表彰式で俺は夏の優勝旗を初めて手にし感動していた。
俺は優勝旗を手に「U△Jに行ける、二泊だぞ!」と頭の中はそればっかりで、インタビューや取材はどうでも良かったが、建前を優先し、自分の気持ちを抑え、インタビューでは「選手皆が一丸となって頑張った結果が甲子園出場となり、最高です。我々を応援しサポートしてくれた方々に感謝します」と今までに無い程スラスラと言葉が出た。
しかし、その後は緊張感が一気に引いてドッと疲れてしまった。
学校に戻り、俺は優勝旗を校長に渡し、他の部員と共に荷物を部室に置いた。その後、俺達はシャワーを浴び、着替えてから各自の教室に入った。
担任の先生から「優勝報告会は明日の朝体育館で行う」との事だった。
その他連絡事項を聞いて今日は終了となった。
俺達は部室に戻り、ユニフォームの洗濯やヘルメット・バット等の用具の汚れを落とし、整理整頓して帰ろうとしていた。
マネージャーのコトミに「お疲れさん」と声を掛け、スコアラーや一年のマネージャーにも声を掛け、俺はナミと一緒にタクシーに乗って帰って行った。
ナミのマンションに寄り、冷たいスポドリを呑みながらゲームをした。
ナミは、三月に会ったナミの婆さんは体調がかなり悪いらしく、婆さんはもう一度俺達に会いたいと話しているらしい。
そう簡単に会いに行けないから甲子園を理由にもう一度会えたらと思っていたと話した。だから「ハル、明日は絶対優勝だからネ」とナミは俺に言ったようだ。
俺は「U△Jに行きたかったじゃないの?」と思ったが、「婆さんに会った後はU△Jだろう」と勝手に思っていた。
俺は大石先生宅に帰宅し、優勝の報告をした後に晩飯となった。
奥さんから「お父さんお母さんに連絡した?」と言われ「あッ、忘れてた」とすぐにおかんに電話をして報告した。先生と奥さんは大笑いしていた。
翌朝、学校の体育館で優勝の報告会があり、夕方から祝賀会の予定だ。
夕方の祝賀会は来賓の方々が多く、挨拶と乾杯の後、部員達はたくさんの料理を頬張り、腹パンになって帰って行った。
俺はナミがタクシーで迎えに来たので一緒にマンションに行き、ゲームを思う存分していた。
部活は甲子園に向けた練習と筋トレだが、暑さは日に日に増していた。
数日後、甲子園大会の壮行会があり、校長から「怪我の無いよう、悔いの無いよう戦って来てください」と話していた。
夏休みに入り、俺達は開会式に向けバスや新幹線で移動する事になった。
ナミはいつものように旅行に出掛け「ハル、三回戦までは絶対勝ってネ、私はその頃甲子園に行くから」と話していた。
甲子園での試合後には婆さんに会いに行った後、U△Jで遊ぶ予定だ。
開会式が始まり、暑さに耐え、時頼吹き出すミストが心地良かった。
俺達の試合は、三日目の第二試合だ。
前回もお世話になった宿舎でミーティングが行われ、甲子園でのスタメンが発表され、ピッチャーはマサト、ミキト、シンヤ、トウマ、ケン。
ショート・ハル・・・となった。
初戦が始まり、俺達は先攻で先発はミキトだ。
初回、一番が出塁と盗塁で二塁、二番がセンター前へ運び三・一塁となり、三番が犠牲フライで一点が入ると四番がライト前に運び二・一塁、俺がセンターのフェンス直撃のツーベースで二点を追加し三・二塁。六番がフォアボールでワンアウト満で七番がライト前に運び二点が追加され、八番が内野ゴロでゲッツーとなり、初回に五点が入った。
ミキトは五点リードもあり、快投を見せ五回0封に抑えた。
その後はトウマが六・七回を0封。
シンヤが八回、ケンは九回を0封で抑えた。
俺達の攻撃は六回から控え選手を代打で使ったり、守備に着かせたりで、初戦は九対0で快勝した。
ミキトとトウマの成長が感じられたと監督は話していた。
二回戦は三日後の第二試合で後攻となり、先発はマサトだ。
マサトはこの日六回までで九個の奪三振で0封に抑え、俺達の攻撃は二回に連打やフォアボールで三点。四回に四番のソロホームランで一点。
六回に相手チームのエラーと連打で二点の六点を取り、七回からトウマが登板した。
トウマも五個の三振を取り八回まで0封。
九回はケンが三者三振に取り、0対八で快勝した。
三回戦は二日後で第三試合の先攻でミキトが先発し、五回を一点に抑え、六~八回をシンヤとトウマが投げ一点に抑えた。
俺達の攻撃は初回にフォアボールとヒットで一点、二回に連打で二点、四回に三番の三塁打で一点、六回にスクイズで一点で五対二とリード。
七回裏に俺のソロホームランが出て一点で六対二となり、九回はケンがきっちり抑え、逃げ切った。
準々決勝は二日後の第一試合だ。
試合が終わると宿舎の戻り自由時間だ。
俺はナミにメールで「三回戦勝ったよ、準々決勝は二日後の第一試合だ」と送信した。寝る頃にナミから返信があり「了解だよ。機内だったから返信遅くなったの、ゴメンネ」と書いてあった。
準々決勝当日、朝から球場に入り身体を解し軽く守備練習をしていた。
試合が始まり、俺達は先攻で先発はマサトで始まった。
俺達は相手ピッチャーを攻略できず、四回まで無安打だ。
マサトは球速と制球が良く、四回まで無安打でお互い投手戦となった。
五回には二番にヒットが出たが三番でゲッツーとなり、四番はレフトフェンスギリギリを捕球され凡退となった。
マサトは五回も三人で打ち取り、その裏に俺がヒットで出塁し六・七番で一点を何とか取り、マサトは六回も投げ0封し、七回も投げるが二点を入れられてしまった。
マサトで点を取られたらしょうがないが、俺達も粘って攻撃するももう一点が入らず、八回をシンヤ、九回をケンが0封に抑えたが、俺達は九回に一点を入れられず、一対二で負けてしまった。俺達三年生の高校野球は終わった。
チームとしては負けて悔しいが、俺個人としては三年間で四回の甲子園出場に感謝と満足感でいっぱいだった。
応援してくれた皆へ整列して深々と一礼をし、もう二度と来る事が無いと甲子園の土を一握りだけ紙コップに入れ持ち帰る事にした。
試合後のインタビューでは、悔しさよりも「チーム一丸となって野球ができた事に感謝したい」と答えた。その後、バスに乗り込み宿舎に帰った。
宿舎でミーティングをして皆で昼飯を食べていた。
宿舎の方々が気を使ってくれるが、俺達は試合で負けた悔しさは徐々に無くなり、宿舎の方々に笑顔で接すると宿舎の方の表情は明るくなった。
皆で第二試合とかテレビを見たり、家族にメールしたり、電話したり、明日の帰宅の準備をしていた。
そこにナミがやって来て俺は「あれ、今日行くの?」と聞くと「今からちょっといい?」と言うので、部長先生と監督に俺とナミから事情を話し、宿舎の方々に御礼を言って荷物をまとめ宿舎を出て行った。
ナミは「お婆ちゃんが危篤なの」と言うので急いで婆さんの居る病院に行った。
婆さんは微かな意識があり、ナミと俺の事をわかってくれた感じだ。
ナミは婆さんに俺を会わせられた事にホッとしていた。
ナミの父や兄達から「わざわざ来てくれて、有難う」と言われた。
その後、すぐに婆さんの容態は悪くなり、亡くなってしまった。
俺は病院の待合室でナミを待っているとナミの母がやって来て挨拶をした。
しばらく待っていたらナミがやって来て、「ゴメンネ、お婆ちゃん亡くなったから予定がだいぶ変更するけど、大石先生の奥さんに私から話そうか?」と言うので、俺はその方が話しが早いと思い、ナミから話してもらう事にした。
俺はナミの言われるままに、案内されたホテルにタクシーで移動し、部屋で待つ事にした。待っている間に大石先生宅に電話した。
俺はシャワーを浴び、腹ペコだったのでルームサービスで軽食を頼んだ。
軽食を済ませ、テレビを見ていたらいつの間にか居眠りをしていた。
目が覚めて時計を見ると十九時を廻っていた。
二十時を過ぎた頃、ナミがやって来て「お腹空いたでしょ、食べ行こう」となり、ホテルからタクシーで晩飯を食べに出掛けた。
中華店で個室に通され、ナミが適当に注文していた。
そこで婆さんの通夜・葬儀等の話しがあり、俺にも参列して欲しいと言う事で喪服等は全てナミが用意すると話していた。
通夜は翌日の十七時からで葬儀は明後日十時からだ。
通夜と葬儀に参列し、婆さんとお別れし、ナミは涙が止まらなかった。
葬儀が終わると食事会があり、ナミと一緒に出席したが、結婚もしていないのに「ナミちゃんのツレなんだって」という事になっているようだ。
ナミは「気にしなくていいよ」と話していた。まあ、気にしないように振舞い、食事会が終わったらすぐにホテルに行った。
ナミとタクシーに乗り、昨日宿泊したホテルへ移動するとナミは「今日私もハルの部屋に泊まるから」と言い「え?いいの?」と言うとナミは「いいじゃない、イヤなの?」と言うので「そんな事無いよ!」と答えた。
バタバタで通夜と葬儀は終わり、ナミはお疲れだろうと思いきや、明日は「U△Jで思う存分遊ぼう!二泊するからネ」と念を押された。
部屋で部屋着に着替え、明日のU△Jについて二人で話していた。
二泊するのだからかなり楽しめると思っていた。
色々U△Jの話しをしていたら十九時を廻っていた。
ナミは「何か食べに行く?」と言うので着替えて外に食べに行った。
俺は初めてだが串カツ店に入った。
自分で串カツを揚げて食べるは気に入っていっぱい食べてしまった。
ナミに「気に入ったのネ、良かった」と言われた。
ホテルに戻り、俺はシャワーを浴び、その後ナミがシャワーを浴びた。
ナミは髪をドライヤーで乾かし、バスローブで身を隠し、俺の座っている横に座り、明日のU△Jの話しをしてから就寝した。
翌朝、お互いが目覚め、外の天気を確認し顔を洗い、歯を磨き、髪を溶かし、俺がソファに座るとナミが隣に来て腕を組んで来た。
「ご飯行く?」と言い、ホテルの朝飯を済ませ、待ちに待ったU△Jに出掛けた。
U△Jに入ると相変わらず人の数に驚き、アトラクションはいくつも乗れないがナミと一緒に居る喜びを感じていたし、ナミも嬉しそうに俺と腕を組んでいた。
色々と見て廻り、休んではまた見て廻るの繰り返しで、お土産もたくさん買い込み、両手いっぱいの荷物を持ち、十九時頃には宿泊先のホテルへ移動した。
ホテルの部屋に荷物を置き、ホテルのレストランで晩飯を済ませた。
メニューはナミが見て色々と注文していた。
ナミは「いっぱい頼んだけど、ハル食べれるよネ」と俺は腹減りボーイなのでたくさん食べていた。「どれも美味しかった」と二人で腹パンになった。
部屋に戻り、二人共シャワーを浴び、ソファでくつろいでいたが、俺はナミにもたれて眠ってしまった。「ハル、ベットで寝るよ!」
二日目も二人で色々と見て廻ったりアトラクションに乗ったり、休憩したり、昨日よりラブラブな感じだ。
ナミは俺と腕を組み、終始笑顔だった。
大好きな婆さんを亡くしたばかりだが、俺と一緒に居て悲しさがまぎれているならそれで良かった。
ホテルに戻り、スマホで撮った写真を見せ合い、アトラクションの話しをしていた。
その後、外に出て、晩飯(和食)へ出掛け、美味しい魚料理を食べた。
食べながら明日の事等を話していた。
明日もお土産をたくさん買い、荷物をまとめて送り、後は帰るだけだ。
ナミと話していると時間を忘れてしまう。
明日もあるのでお互いシャワーを浴び、疲れて就寝した。
翌朝、朝飯を済ませ、送る荷物をフロントに預け、タクシーで移動した。
少し大阪の街を観光をして昼過ぎの新幹線で帰る事にした。
ナミのマンションに着いたのは十七時頃で、少しナミと話してから大石先生宅に帰った。明日からは勉強一本となり、ナミと一緒に卒業を目指す。
先生宅に帰宅し、甲子園の事からナミの婆さんの事やU△Jで楽しんだ事を報告した。
先生から「私の夢も叶えてもらい嬉しかった。ハルに感謝している。有難う」と話され、奥さんからは「息子は野球をやっていたけど、それ程感心は無かった。でもハルト君の普段の頑張りと甲子園での活躍を見て、野球で何度も感動した」と話していた。
俺は野球を通じて大石先生や奥さんにお世話になり感謝しかなかった。
俺が甲子園に行く事でこんなに喜んで貰い、凄く嬉しかった。
明日から卒業までナミと一緒に勉強する事を話した。
翌日からナミのところで夏休みの宿題等をして、残り四日間の休みはあっという間に過ぎた。
学校に行くと高校野球選抜(U18)の話しが来ていて、マサトもケン達も一緒だが昨年同様丁重にお断りする事にした。
久しぶりの授業を受け、勉強の遅れを感じていた。
放課後には野球部監督から呼ばれ、新チームの事について相談があり、特に新キャプテン候補を決めるのに俺の意見を求めて来た。
色々話しを聞くと監督とコーチ陣で意見が別れているらしく、俺の意見を参考にしたいらしいと話していた。
俺は素直に一塁を守っている「シンジ」がいいと思うと話した。
監督はうなずいて、「ハル、有難う。勉強頑張れよ」と言ってくれた。
それから数日後、野球部の新キャプテンはシンジに決まったらしい。
シンジが俺のところに来て「ハルさん、俺責任重大っすよ」と話していたので、「何も肩肘張らず、シンジの普段通りでいいんだよ」と話すと「有難うございます」と帰って行った。
シンジは根っからの関西人でシンジの廻りはいつも笑いが耐えなかった。
時に厳しく、時に大笑いしメリハリがあっていいと思うのだ。
その後、野球部の練習を覗きに行ったりしたけど、シンジは皆を笑かしながらいい雰囲気で練習していた。
俺の姿を監督とコーチに見られると「ハル、ノックして欲しいのか?いつでも相手になるぞ」と言ってくるが、「今はいいッスよ、近いうちにお願いします」と俺はグランドを後にした。
九月中旬には進路の選択をして就職・進学等の面談や進路指導がある。
また、それ以降は就職試験や進学のための模擬テスト等があり、三年は戸惑う時期でもあった。
俺は「プロ野球か社会人野球」の二択しか考えていなくて、おとんやおかんからは「夢もいいけど、きちんと働けるところを探しな」と言われていた。
親の言う事はごもっともだが、チャレンジする前から諦めるのは一生後悔すると思うし、俺の夢はナミが応援してくれている。
進路指導の先生に俺の進路は「プロ野球か社会人野球」と話し、マサトもケンも同じだと話していた。
ミキトは大学へ進学希望でシンヤは社会人野球を希望していた。
俺達の想いは同じだし、「ダメでも悔い無し」と考えていた。
面接指導後のある日、プロ野球七球団から学校にアポイントの電話があったと聞いた。
野球部部長先生から「マサト、ケン、ハル応接室に来てくれ」と校内放送があり、俺達は応接室に向かった。
応接室には、部長先生と進路指導先生が居て、俺達は先生達の話しを聞いていた。
まず一つ目は夏の県大会が終わってからプロ野球の五球団から連絡を貰い、「君達三人と会いたい」という話しがあったと言うのだ。
その時、部長先生は「君達にこの事を話すと甲子園大会に影響が出ると監督にもコーチにも黙っていた」との事だ。
そして甲子園大会が終了して、「各球団の意思に変更が無ければもう一度学校に連絡をいただきたい」という事で今回の話しになったと話していた。
また、進路指導先生から「君達三人はプロ野球か社会人野球と希望を出しているがこの話しを聞いて進路に変更は無いか確認したい」と話し、俺達三人は「変更無いッス」と答えた。
それと「各球団から君達三人と面談したいとの事だが面接OKと連絡していいか」と話し、俺達は「いつでもいいッス」と答え、学校で面接する事を決め、一人の生徒に先生二人が一緒に面談する事も話していた。
俺達は緊張するので、それの方が有難かった。
授業が終わると、野球部監督・コーチに俺達三人の事を報告し、その後、俺はナミや大石先生と奥さんに電話で話し、最後に兄い、おかんに電話した。
兄いに先に話しておかないとおかんは勘違いするので面倒くさかった。
プロ野球七球団とはビックリだが、何時学校に来るかはまだわからない。
声を掛けて貰えるだけでも俺は内心満足し凄く嬉しかった。
その後、ナミとマンションで勉強するのだが、何か集中できなくて、ナミは「卒業できないとカッコ悪いぞ、プロ野球にも行けないよ」の一言で気持ちが変わり、勉強に集中できた。
大石先生宅に帰れば先生も奥さんも俺がプロ野球七球団からのオファーに凄く喜んでくれて先生は「ハル、頑張ったもんな、見てる人は見てるんだよ」と話してくれ、先生は珍しく奥さんとビールで乾杯していた。
大石先生は平日に一切お酒を呑まない人だが「嬉しかったのかな?」
大石先生は元々中学の先生で野球部顧問も勤めていた。
もっと前の話しをすると高校までサード・ショートの選手で三年にはキャプテンだったらしい。甲子園には行けなかったが、大学でも四年間野球をし、社会人野球の選手・監督を経験して、後に中学校の先生となった。
中学校で野球に携わっていたかったらしいが、先生の数も減少し、小学校の教頭になる事が決まり、その後校長となり今に至っている。
俺と初めて会った時の感想を「好奇心と負けず嫌いなところが息子と重なって見えた」と話しており、「息子の敵わなかった事をこの子に託してみよう」となり、俺を下宿させ、先生の教え子で優れた野球指導のできる野球チームや高校に誘ったと話していた。
その時は、まさかプロの目に止まるとは思わなかっただろうし、高校に入ってからの守備力とコンパクトな打法は「もしや」と感じていたと話していた。
数日後、プロ野球二球団の関係者が複数人学校に訪れた。
マサト、ケン、俺と順に呼ばれ面接を受けていた。
俺には、①プロ球団の入団意思の確認。
②ホームグランドの所在地に来れるか。
③守備は内野にこだわるか、他でも良いか。
④全ては自分の実力と成績で球団に残れるかクビになるかが決まる厳しい環境を理解して入団を自分の意思で決めれるか。の四点を聞かれた。
俺は①選ばれたらどの球団でもお世話になりたい。
②所属の所在地に行きます。
③希望は内野だが、望まれれば努力しやってみたい。
④最終的には自分の責任と意思で決めます。と話した。
翌日も俺は二球団と面接し、似たような質問内容だったが、「年俸(年間収入)の希望はどれくらいか」と聞かれた時には「すみませんが金額を言われても良くわかりません」と答えると「ああ、そうだね、ゴメンね」と話していた。
その翌日も二球団と面接し、その翌日にも一球団が来て、俺には七球団が一次面接に来た事になる。マサトは四球団、ケンは五球団が来た。
その後、俺には六球団がドラフト(会議)で指名すると学校に連絡が入ったようだ。
俺はどの球団でも指名されればプロに行く覚悟はできていた。
マサトは三球団、ケンは四球団から連絡があったと聞いた。
ドラフトは十月下旬予定だ。
このような状況でも期末テストはやって来るがドラフト後なので少しホッとしていた。
この事をナミに話すと「ハルがどの球団に行っても私は必ず会いに行くし、何ならハルの球団が決まってから大学を決めてもいいかな?」と話していた。
その事を大石先生と奥さん、兄いに話し、おかんには後で話す事にした。
理由は「就職先が決まった」では無いので、「ドラフトに掛かってから話す方が良いかも?」と兄いからのアドバイスだ。
俺はドラフトが気になって勉強に集中できずにいるとナミは「卒業できなかったら、私はハルとバイバイしようかな?」と凄い事を言うようになり、「ヤベぇ~」と俺は焦り、勉強に気持ちが向くようになり、いつもより積極的にナミに聞くようになっていた。
勉強の成果はナミの手作り小テストで結果がすぐわかり、俺にとってもナミにとってもわかりやすかった。
ドラフト当日、金曜日の十六時からで一位~育成まで二十一時位まであるらしい。学校には部長先生、監督、進路指導先生、担任先生、三年生の野球部員と有志が残ってドラフトの情報を待っていた。
ナミからピザやサンドイッチ等の差し入れがあり、皆食べながら会議室でドラフト会議の模様を見て話しをしていた。
ドラフト二位指名でマサトの名前が呼ばれ、単独指名となり、皆拍手して喜んでいた。
マサトは「まさか二位指名とは?」と驚いていたが、そこの球団は早めに指名し競合を避けたかったのではと部長先生や監督は話していた。
次に三位指名で俺の名前が四球団指名し、競合となり、関東地区YS球団が引き当て、これにナミが一番ホッとしていた。
ナミは俺のそばに来て「あの球団に行くでしょう?」と言うので、俺は「うん」とうなずいた。
次も三位指名でケンは四球団が指名し、Pリーグの人気球団が引き当てた。ケンはニッコリ笑いガッツポーズしていた。
以外にも三人は早い段階で指名され、残ってくれた皆は喜び、会議室内は大騒ぎとなった。
二十時頃、皆で会議室内を掃除し片づけてそれぞれ帰宅した。
ナミに「今日は真っすぐ大石先生宅に帰り、報告したいんだ。翌朝ナミのマンションに行くから」と言うとニッコリ笑って一緒にタクシーで帰った。
大石先生宅に入り、ドラフトの事を話すと二人は涙して喜んでくれた。
「先生、奥さん、俺就職先が決まりましたがもう少しお世話になりますので、よろしくお願いします」と言うと奥さんが「別れの時が来るのが怖い」と話していた。
その後、風呂入って寝るのだが、先生のあの喜びようは印象的だった。
翌朝、俺のスマホに部長先生からの電話で「ハルを指名した球団が指名の挨拶に伺いたいと連絡が来たが何時にする?」と言うので、「少し考えたいので、俺のケータイ番号を教えてもいいですよ」と答え、明日、俺に連絡が入る事になった。
大石先生と奥さんに話し、「先生、ここで話してもいいですか」と言うと「いいよ、使ってくれ」と言うので、球団の方を先生宅に来てもらう事にしようと思った。その後、ナミのマンションに行き、この事を話していた。
先生の話しでは最初は指名の挨拶と入団の意思確認だけだと思うと話しており、その後入団する際の契約金や給料(年俸)や住居または寮の事、入団前後の注意事項等々の話しがあるらしいと話していた。
ナミとの勉強は昼飯後に集中して行う事にして十七時までやっていた。
晩飯へタクシーで出掛け、パスタやピザの店に行った。
俺は、ピザは宅配でしか食べた事が無かったので、美味さに感動していた。
ナミは「ここの美味しいでしょう」と言うのがわかった。
ナミのマンションに戻り、ゲームをして二十一時頃先生宅に帰った。
翌日は球団からの電話があり、大石先生宅に来ていただく日程と時間を話して、部長先生や進路指導の先生、大石先生に連絡し、ナミのマンションに行った。
期末テストに向け、苦手な理数系を中心に勉強や小テストを繰り返していた。気づくと十三時だったので、昼飯は軽めに宅配で済ませた。
その後も小テスト等を繰り返し、十六時頃までやっていて、その後は二時間程ゲームをして晩飯に出掛けた。
行った先は初めての和食店で個室に通されいつものようにナミが注文していた。魚介類の煮たり焼いたり揚げたりの物や牛ヒレ、タンステーキ、寿司等が次々と運び込まれて来て二人で食べた。
俺は「凄げ~美味かった」と言うと女将さんらしき方が入って来て「お気に召していただいて有難うございます、ナミさん、お母さん元気?」と話していた。この店はナミの母親が仕事やプライベートで良く使う所らしい。
ナミとタクシーでマンションに戻り、明後日に球団の方々が来ての話しをナミも聞きたいとの事で大石先生宅に来る事になった。
ナミは同席するわけでは無いが、俺の就職先の話しを色々と聞きたかったようだ。
二回目以降は金銭面の話しになると思うと大石先生は話していたし、おとんは入院でおかんも来れないので、おかんは先生に「お任せしたい」と話していた事もあり、金銭面等は大石先生にお任せしようと思っていた。
その他の条件も大石先生の意見を聞いて交渉する事になりそうだ。
二回目の訪問日程は五日後の土曜日十時頃になる予定だ。
大石先生と俺に球団の方二人とで話し合う予定だ。
奥さんもナミも話しを聞きたいと隣の部屋で聞き耳を立てて聞くと話していた。
土曜日の当日、ナミは八時半頃先生宅に来て俺を起こすので俺はビックリして「何?」となり、ベットから起こされ、洗面所やトイレに行くのだ。
軽く朝飯を済ませ、球団の方々が来るのを待っていた。
丁度十時頃に球団の方がお見えになり、入団の再確認と説明があり、契約条件の提示があった。
大石先生は色々な情報網から俺に見合う条件等を予測していたと後で聞いた。
球団からの契約内容は契約金と年俸、成績によっての出来高払金額(但し、一軍出場○〇試合以上に限る)、住宅(球団寮または賃貸住宅)関係、球団規定規則等、その他の提示と話しがあり、大石先生が質問等を話していた。
契約金の金額と年俸は大石先生が想定していた金額より高く、好条件だったと話していた。出来高払は今後の事なので大石先生は特に話さなかった。
住宅関係は即答は控え、球団規定規則等、その他は球団の指示に従う事とした。
住宅関係については、俺自身慎重に考えたいと大石先生や奥さんやナミと話していて、仮に入団しても二軍とかになるだろうと想定して毎日の集合場所によってどこにするかを考えたいとしていた。
また、球団の寮は建屋が古く、二~三年後には移転か無くしてしまうか検討中と球団の方が話していた。
以上の事から仮契約を結ぶ事に決まり、仮契約書を先生に確認してもらい、俺は今日の日付けとサインをした。
球団の方は帰る際に段ボール箱二個を置いて行かれ帰って行った。
一個目の中身は柿と栗が入っていて、二個目には球団の親会社の商品が入っていた。
俺は、大石先生に「色々とご迷惑を掛け、すみませんでした」と言うと先生は「球団はいい条件を提示し、ハルを受け入れようとしていたし、何も言う事は無いよ」と話していた。
隣の部屋から奥さんとナミが出て来て、奥さんは目に涙をいっぱい浮かべていて、ナミは満面の笑みで「ハル、おめでとう、プロ野球選手だネ」と喜んでくれた。
ナミは何やら電話していて「大石先生、奥さん、ハルのお祝いに付き合って貰っていいですか?」と言い、昼飯に出掛けた。
タクシーに乗り、向かった先は高そうな寿司屋だった。
個室に案内され、大石先生と奥さんはビール、ナミと俺は烏龍茶で乾杯し、お刺身盛り合わせや焼き物、煮物、お寿司各種がテーブルに並び皆で食べていた。
腹パンになり、タクシーで大石先生と奥さんを自宅に送り、ナミと俺はナミのマンションに行った。
今日は勉強では無く、高校卒業後の将来像を二人で話していた。
俺が入団してから毎日通う球場(二軍練習場)の場所とナミが通学する予定の大学を地図で見てみると直線距離で約三十キロメートルで、今住んでいる所だと俺は約十五キロメートルでナミは約三十五キロメートルだ。
二人で色々考え、お互いの通う中間地点に俺が住まいを借り、ナミが大学を卒業した時に同居できる所が理想と結論付けた。
後は将来の事なのでわからない事がたくさんあると思うが、その都度一番いい方法を考えればいいと思っていた。
俺は大石先生宅に帰り、ナミと話し合った事を伝え、来年四月以降は別の所に住む事を話していた。
この事は球団の方にも俺の方から電話で話し、入団の本契約の時に話す事にした。
翌日はナミとテストに向け勉強を再開し、もう不安は無かったので勉強に集中でき、ナミの小テストもまあまあの点数だった。
子供達や子供を持つ大人にも野球を好きになって欲しくて、私なりの世界観をもって描いているものです。興味を持っていただけると幸いです。




