第9話 管理者権限の委譲
ピーーーッ! ピーーーッ!
無機質で甲高い電子音が、
静寂であるべき王の寝室を完全に支配していた。
それは信仰を揺るがす音であり、
リュウにとっては――
死へのカウントダウンだった。
顔面蒼白の彼は、必死に右手で左手首を押さえつける。
音を、物理的に塞ごうとして。
無駄だ。
高性能なスピーカーは、人の掌ごときでは黙らない。
隙間から漏れる音が、彼の「神性」を一秒ごとに削り取っていく。
「なんだ、この音は……!」
寝台の上で、王が耳を塞ぎながら叫んだ。
「リュウよ。これは……星の声なのか?」
その瞳に、もはや崇拝はない。
あるのは、理解できないものに向ける純粋な恐怖だけだ。
「ち、違います陛下!」
リュウが叫ぶ。
声が、はっきりと裏返っていた。
「こ、これは邪気が……!
この娘が持ち込んだ悪しき気が、私の聖なる腕輪を……!」
彼は私を睨みつける。
目が訴えていた。
――止めろ。
――今すぐ、この音を。
私はタブレットを持ったまま、
ゆっくりと首を横に振った。
交渉の余地はない。
相手は私の生存を脅かし、
排除しようとした個体だ。
慈悲というパラメータは、最初から実装されていない。
「ガク様」
私は音に負けないよう、少しだけ声を張る。
「これが『紅の呪い』と同じく、
種も仕掛けもある手品です」
ガクが、愉快そうに口角を上げて前に出た。
「聞いたか、銀狐。
随分と騒々しい神様だな」
「違う! 私は……!」
リュウが後ずさる。
だが、背後は窓。逃げ場はない。
私は、タブレットの画面に指を滑らせた。
「……黙らせましょうか?」
リュウの視線が、
私の指先に釘付けになる。
彼の運命が、
この黒い板一枚に握られていると――
彼自身が理解した瞬間だった。
タップ。
ブツッ。
音が、唐突に途切れた。
あれほど部屋を支配していた轟音が消え、
耳鳴りすら感じるほどの静寂が落ちる。
全員の肩が、びくりと跳ねた。
リュウは荒い息を吐きながら、
沈黙した腕輪を呆然と見つめている。
それはもう神託の道具ではない。
ただの樹脂と金属の塊だ。
「支配権はこちらにあります」
その一言で、
誰が主導権を握っているのかが可視化された。
「……陛下」
私は王に向き直り、淡々と報告する。
「彼は光と音の出る玩具で、
陛下の不安を煽っていただけです。
香も幻覚剤に過ぎません」
王は、自分の掌を見つめ、
それからリュウを見た。
そこにいたのは、
神の使いではない。
脂汗をかき、震える、
ただの若造だった。
「……騙したのか」
王の声が、低く震えた。
次の瞬間、ガクが動いた。
――膝。
鈍い音と共に、
リュウが床に崩れ落ちる。
「往生際が悪い」
床に押さえつけながら、ガクが吐き捨てる。
「これ以上、王の御前を汚すな」
制圧完了。
ガクがこちらを見る。
短い合図。
――「やれ」。
私は頷き、しゃがみ込んだ。
「王になるより、
明日確実にパンが食べられる方が重要です」
腕輪を外す。
日焼け跡が残った手首。
人間の証拠だ。
戦利品を懐にしまい、私は立ち上がる。
生存環境、更新完了。
「衛兵! この男を地下牢へ!」
引きずられていくリュウを、
私はもう見なかった。
処理済みのバグに、
これ以上リソースは割かない。
廊下に出ると、
空気が少しだけ澄んで感じられた。
隣を歩くガクが、懐から小さな布袋を取り出し、
無造作に私へ放り投げる。
「褒美だ。牛一頭には足りんかもしれんが、
当面は食うに困らん」
受け取った袋は、ずしりと重い。
中を確かめる必要はなかった。
――金貨だ。
「……ありがとうございます。ですが、
最大の褒美はこれです」
私は懐に手を入れ、
奪い取ったスマートウォッチを軽く叩いた。
「変わった奴だ」
ガクが、機嫌よさそうに笑う。
「だが、いい仕事だった。
カクアンに続いてリュウまで消えた。
これで後宮の風通しも、少しは良くなるだろう」
「換気は健康維持の基本ですから」
「ハッ、違いない」
私たちは並んで歩いた。
かつてのような、
監視者と捕虜という関係ではない。
利害を共有し、
背中を預けても死なない――
そんな距離感。
ふと、懐の中で
タブレットと時計が、微かに触れ合う音がした。
孤独だった私の電子機器に、
初めて加わった“仲間(周辺機器)”の存在音。
システムは、正常に稼働している。
次のエラーが発生するまでは、
平穏な生存が保証されたと言っていい。
私は、
あの男が消えた空を見上げ、
小さく息を吐いた。
――生存確認。
今日も、私は生きています。




