第7話 開戦事由と管理者権限
「深追いするな。引くぞ」
ガクの低い声が、私の思考プロセスを強制的に割り込んだ。
目の前の男――青嵐宮の祭司、リュウは、私たちに向けて優雅に手を振っただけだった。
だが、その余裕こそが、圧倒的な「装備差」を物語っている。
彼の腕にあるスマートウォッチは稼働している。
対して、私のタブレットはバッテリー切れ(シャットダウン)。
現代兵器を持った相手に、石槍で挑むようなものだ。
「……了解」
私は生存確率を再計算し、即時撤退を選択した。
背中を向ける私に対し、信者たちの不穏なざわめきが聞こえる。
だが、ガクが放つ殺気が壁となり、それを押し留めた。
執務室に戻るなり、ガクは部屋の人払いを命じた。
重厚な扉が閉められ、二人きりになる。
「説明しろ」
ガクが私の前に座り、組んだ足を苛立たしげに揺らした。
「あの男は誰だ? お前の同類か?」
「同類ではありません」
私は即答した。
「出身元は同じかもしれませんが、運用目的が異なります」
「言葉遊びはいらん。
奴のあの腕輪は何だ? 星の声が聞こえるというのは本当か?」
「嘘です。あれはただの計測機器です」
私は、電源の落ちた黒いタブレットを机の上に置いた。
そして、淡々と解説を開始する。
「あの腕輪には、緑色の光を使って血管の収縮を読み取る機能があります。
心拍数、血中酸素濃度、ストレスレベル。
それらを数値化して表示しているだけです」
「心拍……つまり、脈か」
「はい。
人は嘘をつくとき、脈が速くなります。
恐怖を感じれば汗をかき、皮膚の伝導率が変わる」
私は一呼吸置いた。
「彼はあの腕輪を通して、信者の『動揺』を可視化しているんです」
ガクの瞳が、鋭い光を帯びた。
「なるほど。
目の前の相手が、何を言えば動揺するか。
それを見ながら言葉を選んでいるのか」
そして、吐き捨てるように言う。
「まさに『読心術』の手品だな」
理解が早い。
ガクは宮廷政治の只中で生きている人間だ。
情報の裏を読むことにかけては、プロフェッショナルと言える。
「奴の名はリュウ。半年ほど前にふらりと現れた」
ガクが忌々しげに吐き捨てる。
「占いが百発百中で当たると評判になり、
今や多くの側室や女官が傾倒している。
最近では、王の体調管理にまで口を出しているそうだ」
――王の体調管理。
私は眉をひそめた。
「危険です」
「何?」
「彼がその気になれば、医療データを改ざんできます。
健康な人間を病人と診断し、毒を薬と偽って投与することも可能です。
逆もまた然り」
バイタルデータという「客観的な数値」を独占している者が、医師の上に立てばどうなるか。
診断結果を自由に操作できる。
つまり、この後宮内の「生殺与奪の権」を握るに等しい。
「王が死ねば、国が荒れる。
私の生存環境も悪化します」
「……お前、国の心配など微塵もしておらんな」
ガクは呆れたように鼻を鳴らしたが、すぐに真顔に戻った。
「だが、意見は一致した。
奴は邪魔だ」
ガクは立ち上がり、窓の外――青嵐宮の方角を睨む。
「太医局の古狸どもとは訳が違う。
奴は人心を掌握している。
下手に手出しをすれば、信者たちが暴動を起こしかねん」
そして、低く続けた。
「……潰すには、化けの皮を剥ぐしかない」
情報戦だ。
奇跡の正体を暴き、
「神の使い」を「詐欺師」に引きずり下ろす。
「勝てるか、ソラ」
問われた。
私はタブレットを撫でた。
冷たい黒い板。
「条件次第です」
私は三本の指を立てる。
「一、この端末をフル充電するまでの時間が欲しい。
最低でも丸二日はかかります」
今の微弱な太陽光では、急速充電は不可能だ。
「二、奴に近づく権利(アクセス権)。
遠くからでは、データ通信を傍受できません」
「……そして三つ目は?」
「勝ったら、彼からあの腕輪を奪取します。
あれがあれば、より詳細な生存管理が可能です」
ガクは大きく目を見開き、
そして喉を鳴らして笑った。
「はっ!
欲の深いことだ。
てっきり平和主義者かと思っていたが、
お前も十分『強欲』な獣だな」
否定はしない。
良い道具を欲するのは、生存本能として正しい。
「いいだろう。二日だ。
俺が何とか時間を稼いでやる。その代わり――」
ガクが私の顎を持ち上げ、至近距離で睨みつけた。
爬虫類のような、冷たく、妖しい瞳。
「必ず奴を処理しろ。
失敗すれば、お前もろともこの後宮ごと焼き払うことになる」
「……了解」
その時。
扉の外から、パタパタと軽い足音が近づいてきた。
先ほどの太医カクアンのような、下品な足音ではない。
もっと、整然とした――訓練された女官の足取り。
「ガク様。失礼いたします」
扉越しに、澄んだ声がした。
聞き覚えはないが、妙に耳に残る声だ。
「誰だ。取り込み中だ」
「青嵐宮のリュウ様より、
ガク様へ『お届け物』がございます」
私とガクは視線を合わせた。
先手は、向こうから来た。
「……入れ」
扉が開く。
入ってきたのは、顔立ちの整った若い女官だった。
目は虚ろで、口元には不自然な笑みを浮かべている。
――典型的な、洗脳状態。
女官は恭しく、桐の箱を机の上に置いた。
「リュウ様からです。
『運命はすでに定まっていますが、
慈悲をもって警告といたします』と」
女官は深く一礼し、去っていった。
残されたのは、桐の箱一つ。
中から、
カチ、カチ、カチ……
と、規則的な音が聞こえる。
「爆発物か?」
「この時代に、時限信管はありません」
私は慎重に、箱の蓋を開けた。
中に入っていたのは、
古びた機械仕掛けの置時計だった。
精巧な細工。
だが、針は奇妙な位置で止まっている。
否。
止まっているのではない。
秒針だけが動いているが、
文字盤に数字がない。
代わりに、紙切れが一枚、針に突き刺されていた。
『パスワードガ チガイマス』
こちらの文字ではない。
カタカナだ。
ガクは意味が分からず、怪訝な顔をしている。
「……何と書いてある?」
「暗号です。
『私はお前のすべてを知っている』という意味です」
私は嘘をついた。
本当の意味を説明しても、混乱を招くだけだ。
リュウからのメッセージは明確だった。
彼は、私がペアリングを試みたログを見た。
そして、「YAKUSHI(薬師)」というデバイス名から、
私が何者であるか察した。
その上で、煽ってきている。
――管理者権限は、私にある、と。
私は拳を握りしめた。
生存理学において、最も忌むべき感情が湧き上がってくる。
怒りだ。
私の知識(領域)を侵犯し、嘲笑う者。
システムに不必要なバグ。
「ガク様。訂正があります」
「なんだ」
「二日は不要です。
明日、決着をつけます」
私は箱を閉じた。
「あの方には、私の『更新プログラム(アップデート)』を
受け入れていただきます。強制的に」
私の静かな殺意を感じ取ったのか、
ガクは今日一番の笑みを浮かべた。
「いい顔だ、ソラ。
それでこそ、俺が拾った価値がある」
開戦だ。
私は部屋に戻り、窓辺に充電器を広げた。
傾いた夕日が、
私の最後の武器に、命を吹き込んでいく。




