第4話 呪いの正体と結合親和性
そういって案内された場所は、後宮の北側に位置する、日当たりの悪い離れだった。
建物の周囲には、すでに規制線が張られている。
衛兵たちが厳しい顔で立っているが、その表情には隠しきれない怯えがあった。
「……誰も近づこうとせん」
ガクが低い声で言った。
「『紅の呪い』だとさ。死に顔があまりにも美しく、まるで生きているかのように鮮やかだからこそ、余計に恐ろしいらしい」
紅の呪い。
その単語だけで、私の脳内検索には一つの候補がヒットしていた。
それだけで、断定はできない。
現場での確認が必要だ。
「入ります」
私はためらわずに扉に手をかけた。
衛兵が「おい、正気か」と声をかけてきたが、無視する。
死体は感染しない。生きている人間の方がよほど危険だ。
室内に入る。
むっとするような熱気が残っていた。
そして、独特の甘たるい臭い。
香ではない。
何かが燃え尽きた後の臭いだ。
部屋は狭い。六畳ほどか。
窓はすべて閉め切られ、隙間には厚手の布が詰められている。
「……密閉空間」
私は口元を手ぬぐいで覆い、部屋の中央を見た。
寝台の上に、女が横たわっている。
下級の妃だろうか。質素だが上品な寝間着。
ガクの言った通りだった。
女の顔色は、抜けるように白いが、頬と唇だけが不自然なほど鮮やかな紅色に染まっている。
苦悶の表情はない。
ただ、深い眠りに落ちているような、安らかな死に顔。
「どうだ、ソラ」
背後からガクが入ってきた。
彼もまた、布で口元を覆っている。用心深い男だ。
「呪いに見えるか?」
「いいえ」
私は死体の首筋に触れた。
死後硬直が始まっている。体温は低い。
だが、死斑の色が決定打だった。
通常の死体なら暗紫色になるはずの、重力側の斑点が、鮮明な紅色をしている。
「典型的な化学反応です」
私は視線を部屋の隅に向けた。
そこに、火の消えた火鉢が一つ置かれている。
中には、真っ白になった炭の灰が山盛りになっていた。
「あれが凶器です」
私は火鉢を指差した。
「火鉢? ただの炭だぞ。冬場ならどこの部屋でも使っている」
「使い方の問題です。見てください、窓の目張りを」
私は窓枠に詰められた布を引き抜いた。
外気が入り込み、淀んだ空気が動き出す。
「寒さを防ぐために、隙間という隙間を塞いだのでしょう。
酸素の供給が絶たれた状態で、炭を燃やし続けた。
その結果、発生した気体が彼女を殺した」
「気体……煙のことか? だが、煙たければ気づくだろう」
「煙ではありません。目に見えず、臭いもなく、刺激もない。
ですが、血液に取りつく力は酸素の二〇〇倍以上」
一酸化炭素(CO)。
サイレント・キラー。
私は死体の手を取って、ガクに見せた。
指先まで、綺麗なピンク色をしている。
「体内の酸素を運ぶ運び屋が、その毒に乗っ取られたんです。
一度結合したら、離れない。
全身が酸欠になっても、血の色だけは鮮やかな赤を保つ。
だから、顔色がよく見える」
美しく見えるのは、生命力が残っているからではない。
死の烙印が、鮮やかすぎるだけだ。
「……なるほど」
ガクは死体の顔と、火鉢を交互に見た。
理解が早い。
「『紅の呪い』の正体は、ただの空気の淀みだったというわけか」
「換気さえしていれば、防げた事故です」
私は火鉢の中の灰を、持参した火箸でつついた。
――ただの事故か?
炭の質が悪い。
不純物が多く、不完全燃焼を起こしやすい安物だ。
下級とはいえ、妃の部屋に使われるものではない。
それに、この火鉢。
部屋の広さに対して、サイズが大きすぎる。
「ガク様」
「なんだ」
「この妃は、暖房用の炭を自分で調達していましたか?」
「いや。消耗品はすべて支給制だ。位によって等級が決まっている」
「そうですか」
私は火箸を置いた。
支給担当者が、予算を浮かすために粗悪な炭を回したか。
あるいは、無知な妃に「よく温まる」と言って、大きすぎる火鉢を押し付けたか。
悪意があったのか、単なる横領の結果なのかは分からない。
だが、一つだけ確かなことがある。
「これは、システム上の不備が招いた死です。
呪いなどという不確定なものではない。
防ごうと思えば、管理できた死です」
ガクは目を細め、私をじっと見つめた。
その瞳の奥で、何かが計算されている気配がする。
「……お前には、世界がどう見えているんだ?」
「物質と、法則と、確率です」
私は正直に答えた。
「感情で世界は回っていません。
物理法則だけが、誰にでも平等に作用します」
ガクはふっと笑った。
先ほどまでの冷笑とは違う、どこか楽しげな笑みだった。
「気に入った。
紅の呪い、解決だ。
原因は『悪しき風が溜まったこと』として処理する。
見えない毒の話などしても、誰も理解できんからな」
賢明な判断だ。
民衆には分かりやすい物語が必要だ。
真実は往々にして、退屈で複雑すぎる。
「帰るぞ、ソラ。
約束通り、肉を用意させてやる。
……それと」
ガクは部屋を出る間際に、振り返って言った。
「お前の部屋の炭は、最上級のものに変えさせておく。
貴重な『掃除屋』に、あんな顔で死なれては困るからな」
それは、この男なりの不器用な評価の表れなのかもしれない。
あるいは、ただの資産管理か。
どちらでもいい。
生存環境が向上するなら、動機は問わない。
私は一礼し、死体にもう一度だけ視線を送った。
安らかな顔。
だが、その脳細胞は酸欠によって死滅し、二度と戻らない。
――知らなければ、死ぬ。
改めて、師匠の言葉を噛み締める。
知識は力ではない。
知識は、生存権だ。
そうして、私は部屋を出た。
外の空気は冷たく、しかし、肺の奥まで美味かった。




