第14話 西離宮の幽霊と先駆者のログ
たっぷり一〇時間の睡眠(充電)を経て、
私の脳内CPUは完全に再起動していた。
思考はクリア。
指先の感覚も問題なし。
あの凄惨な手術の感触は、
すでに過去データ(経験値)としてアーカイブ済みだ。
――ただし。
もう、元の私ではない。
私は窓際で太陽光を浴びていたタブレットを回収し、
前掛けの紐をきつく締め直した。
フェーズ移行。
医療から、探索へ。
私は部屋を出て、
いつものようにガクの執務室へ向かった。
私の顔を見るなり、
ガクは露骨に眉をひそめた。
「……またその目か」
手にしていた筆を置く。
「紫雲の一件が終わったばかりだぞ。
少しは大人しくしていろ。
次は誰の腹を切る気だ?」
「今回は切りません。
刃物の切れ味が落ちています」
事務的に返し、
タブレットの画面を彼に向けた。
表示されているのは、後宮の地図。
「この場所への立ち入り許可を申請します」
指差したのは、北西。
森の奥に孤立する一棟の建物。
「西離宮……書庫、か」
ガクの顔色が一段落ちる。
「却下だ。あそこは廃墟だぞ。
本も虫食いだらけだ。
それに――」
一瞬、声を落とした。
「今は“出る”」
「出る?」
「幽霊だ。
青白い火の玉が飛び、近づいた者は高熱で倒れる。
衛兵ですら避けている」
青白い火。
原因不明の発熱。
接近者の排除。
私は、口元だけで笑った。
「完璧ですね」
「……何がだ」
「人が近づかない。
監視もない。
これ以上の探索環境は存在しません」
論理が通りすぎていて、
ガクは反論できなかった。
深いため息。
「……分かった。俺が同行する。
だが、引き際は俺が決める」
「了解」
最高の護衛を確保。
私たちは裏道を通り、
北西の森へ足を踏み入れた。
湿った空気。
手入れされていない枝。
踏みしめるたびに鳴る枯れ葉。
やがて、蔦に覆われた石造りの建物が姿を現した。
西離宮。
スマートウォッチが、微かに振動する。
位置情報履歴――終点。
「……妙だな」
ガクが低く呟いた。
「腐臭がない。
廃屋なら、もっと空気が死んでいるはずだ」
入口の南京錠。
蝶番に、油の跡。
「……管理されてますね」
私はヘアピンを取り出し、鍵穴へ。
カチャリ。
中は冷気に満ちていた。
書架。
埃。
崩れた本。
だが――床。
一部だけ、埃が薄い。
「足跡です」
奥の書棚。
その瞬間。
ブォン……。
闇から羽音。
同時に、青白い光が浮かび上がった。
「来たか」
ガクが剣を抜き、私を庇う。
人魂。
だが――
「斬らないでください。
可燃性ガスの可能性があります」
私はライトを点灯した。
強烈な光。
そこにいたのは――
燐光を放つ巨大な蛾だった。
「……虫?」
「ヒカリガの亜種です。
幽霊の正体」
餌皿。
飼育痕。
「誰かが意図的に、人を遠ざけていた」
脅威は消えた。
残るのは――“目的”。
本棚の裏。
中空音。
「隠し部屋だな」
本棚が動き、
二畳ほどの空間が現れた。
机。椅子。
そして――
プラスチック製のツールボックス。
その上に、一冊のノート。
キャンパスノート。
私は、震えた。
――本当に、いた。
私と同じ世界から来た人間が。
表紙の文字。
『失敗記録』
日本語。
ページを開く。
『199X年10月4日
時間跳躍実験は成功した。
だが、到達点は地獄だった』
実験。
事故ではない。
『疫病、飢饉、無知という名の殺戮。
この地を拠点に、ワクチン生成を試みる』
高度すぎる知識。
生存理学の、さらに先。
そして最後のページ。
『警告する。
王に近づくな。
あの血筋には
制御不能な“バグ”が組み込まれている』
――王。
紫雲。
皇子。
私の同盟相手。
私はノートを閉じた。
幽霊はいなかった。
だが――
この後宮には、
致死性のエラーを抱えたシステムが存在している。
「帰ります、ガク様」
私はツールボックスを抱き締めた。
「一度戻り、生存戦略を全面的に更新します」
ガクは何も聞かず、頷いた。
西離宮が、背後で静かに沈黙していた。
墓標のように。
私は理解してしまった。
この世界は、
“治せばいい”段階を、すでに過ぎているのだと。




