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後宮下女の生存理学 〜呪いも病も、そんなの全部ただの現象です〜  作者: 和三盆


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第11話 開腹権限と外科的侵襲

スマートウォッチに残された

――「最終退避地点」の座標。


それを地図と照合しようとした、まさにその瞬間。


静寂は、暴力的な音で引き裂かれた。


ドンッ!

ドンッ!!


ノックではない。

誰かが、扉を体当たりで破壊しようとしている音だ。


「ソラ! いるか!」


扉が弾けるように開き、

飛び込んできたのはガクだった。


いつもは冷静沈着な管理官。

だが今は、肩で息をし、前髪は乱れ、

その顔には――これまで一度も見たことのない焦燥が張り付いている。


「……ガク様?」


思わず声が漏れる。


「脈拍が異常値です」


「くだらん冗談を言っている場合じゃない!」


ガクは私の手首を掴み、

半ば引きずるように部屋を飛び出した。


痛いほど、強い力。


「緊急事態だ。

 『紫雲シウン宮』の貴妃が倒れた」


――紫雲宮。


脳内データベースが即座に検索を終える。


現皇帝の最愛の妃。

次期皇后の最有力候補。

後宮ヒエラルキーの、頂点。


つまり。


彼女が死ねば、

管理責任者であるガクの首も飛ぶ。


「症状は?」


廊下を全力で走りながら問いかける。


「腹痛だ。今朝から右の脇腹を押さえて苦しみ、

 今は高熱で意識が混濁している。

 太医どもは『食あたり』だの『悪霊』だの……」


右下腹部痛。

高熱。

意識障害。


――否。


「生易しい病気ではありません」


私の思考は、すでに結論に到達していた。


虫垂炎アッペン

しかも、おそらく――


「破裂しています」


「……何だと?」


「穿孔を起こし、腹膜炎に移行している可能性が高い。

 放置すれば、数時間で死亡します」


ガクの足が、ほんの一瞬だけ鈍った。


「治す方法はあるのか」


「……あります」


言葉を選ぶ。


「ですが、それはこの時代では

 “医療”ではなく、“反逆”と呼ばれる行為です」


紫雲宮の寝室は、

香の匂いと、濃厚な死臭で満ちていた。


部屋の隅では医師たちが青ざめ、

衛兵たちは剣に手をかけ、殺気立っている。


ここで貴妃が息を引き取れば――

この部屋にいる全員が、殉死させられてもおかしくない。


私は寝台へ駆け寄った。


二十代半ばの美しい女性。

だが今は、苦痛に顔を歪め、脂汗で全身が濡れている。


腹部は異様に膨隆し、

触れれば分かるほど硬直していた。


右下腹部を圧迫。


「うあぁっ……!」


押した手を離した瞬間、

さらに強い痛みが走る。


反跳痛(ブルンベルグ徴候)。


――診断、確定。


虫垂破裂による汎発性腹膜炎。

敗血症性ショック直前。


「おい下女!

 貴妃様の御体に気安く触れるな!」


老いた医師が叫ぶ。


私は無視して、ガクを見た。


「単刀直入に言います」


声を落とし、

冷徹な事実だけを叩きつける。


「腹の中で臓器が破れています。

 薬も祈祷も無意味です。


 今すぐ腹を開き、

 破れた部位を切除し、膿を洗い出さなければ――

 生存確率はゼロ%」


室内が凍りついた。


「腹を……開く?」


医師たちが錯乱したように叫び出す。


「大逆罪だ!」

「玉体に刃物を入れるなど狂気!」

「そんなことをして生きられるはずがない!」


正しい反応だ。


この時代において、外科手術は拷問と同義。

ましてや皇帝の妃にメスを入れるなど、

一族郎党処刑されても不思議ではない。


だが。


切らなければ、死ぬ。


「……ソラ」


ガクの低い声が響く。


医師たちを一睨みで黙らせ、

彼は私だけを真っ直ぐに見た。


「できるのか」


「条件が最悪です」


私は数字を提示する。


「麻酔なし。消毒不完全。輸血不可。

 成功率は――三〇%以下」


「止めるのが合理的です」


感情を殺して続ける。


「私が失敗すれば、私は大罪人。

 あなたも連座。

 ここで見送るのが、

 あなたの生存確率を最も高く保つ選択です」


沈黙。


全員の視線が、ガクに集まる。


やがて――

彼は、腰の短刀を抜いた。


医師たちが悲鳴を上げる。


だが、

その刃を――


私に向けて、差し出した。


「確率は、ゼロではないのだな」


「……」


「何もしなければゼロ。

 だが、お前がやれば三割助かる」


ガクは、不敵に笑った。


「ならば、その三割に賭けるのが

 管理官の仕事だ」


「貴妃が死ねば、

 俺がこの場で腹を切る。

 それで文句はあるまい?」


――非合理。


他人のために、自分の命を全ベット。

生存理学的には、完全なバグだ。


それでも。


差し出された短刀は、

不思議なほど、私を落ち着かせた。


――環境は俺が整える。


そう言われた気がした。


私は短刀を受け取る。


重い。

それは鉄ではなく、一人の男の命の重さだ。


「……了解ラジャー


スイッチを切り替える。


今の私は下女ではない。

執刀医オペレーターだ。


「全員、部屋から出てください!

 感染リスクが上がります!」


声が、部屋を支配する。


「湯と酒精!

 清潔な白布!

 縫い針と絹糸を至急!」


ガクが床を踏み鳴らす。


「命令だ! 動け!」


人々が弾かれたように動き出す。


私は寝台に上がり、

高熱にうなされる貴妃の腹部に刃を当てた。


手が、僅かに震える。


――知識はある。

――手順も完璧だ。


だが、これはシミュレーションではない。


目の前には、生きた人間がいる。

背中を預けているのも、失いたくない人間だ。


深呼吸、一回。


恐怖はエラー。

迷いはノイズ。


――執刀開始オペ・スタート


私は、迷わず刃を突き立てた。


噴き出す鮮血。


それはこの世界に対する、

最も冒涜的で、

そして――最も崇高な挑戦の始まりだった。

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