第10話 生体ログと睡眠負債
リュウの失脚から、三日が経過した。
私の生活環境は、
目に見えて改善されている。
食事には毎食、肉か魚が付く。
部屋の炭は煙の少ない最高級品に変わり、
新しい布団まで支給された。
「ガク様の右腕」
「掃除人」
「得体の知れない理を使う魔女」
呼び名は様々だが、
一つだけ確かなことがある。
――誰も、私を侮らなくなった。
それは、不用意な干渉(=攻撃)が減ったということ。
つまり、私の生存確率は安定期に入った。
そして今、
私の手元には新たなリソースがある。
窓辺の机に、二つの機器を並べた。
師匠のタブレット(メイン機)と、
リュウから回収したスマートウォッチ(サブ機)。
『データ同期中……98%』
『転送完了(Complete)』
私は小さく息を吐き、
スマートウォッチを手に取った。
軽い。
樹脂製のバンドは洗浄・消毒済み。
センサーに傷はなく、バッテリー残量も十分。
問題は――中身だ。
タブレットに表示されたログを、指でスクロールする。
歩数、心拍数、睡眠時間。
二年分のデータ。
前半一年は欠損が多い。
後半一年は、リュウのもの。
平均睡眠時間、四時間。
心拍数、常時高値。
ストレスレベル、レッドゾーン常駐。
――彼もまた、無理をしていた。
神を演じるプレッシャーか、
現代機器という過剰な力の反動か。
データは、嘘をつかない。
「……非効率な」
私はそう呟き、
自分の左手首にウォッチを巻いた。
これで、私のバイタル管理も可能になる。
だが、この機器には――もう一つ、使い道がある。
私は身支度を整え、部屋を出た。
向かう先は、雇用主の執務室。
*
執務室の空気は、澱んでいた。
窓は閉め切られ、
机の上には未処理の書類が山積み。
その奥で、ガクがこめかみを押さえ、
虚ろな目で書類を睨んでいる。
目の下の隈が、限界を物語っていた。
「……ソラか。何の用だ」
「定期メンテナンスです」
私は無言で左腕を突き出す。
「なんだ、その腕輪は。戦利品自慢か?」
「測定です。腕を」
有無を言わせず、ガクの手首に巻き付ける。
「おい、待――」
「動かないでください。測定エラーが出ます」
数秒後、
タブレットに赤い警告が並んだ。
心拍数、九〇超。
自律神経、交感神経優位。
睡眠負債、危険域。
「……ひどい数値です」
「俺が倒れると予言しているのか?」
「計算です。
このまま稼働を続ければ、七二時間以内に
システムダウン、または致命的判断ミス。
確率、八五%」
ガクは深く溜め息をつき、椅子に体を預けた。
「……代わりがいない」
「一時停止は可能です」
私は乾燥ハーブを湯飲みに入れ、湯を注ぐ。
「三十分、目を閉じてください」
「半端だな」
「最適です。
一五~三〇分の仮眠が、最も効率がいい」
ガクは渋々口をつけた。
「……変な味だ」
「鎮静作用があるだけです」
やがて、
彼の呼吸は深く、規則正しくなった。
限界だったのだ。
私はカーテンを少し閉め、席に戻る。
静かな時間。
眠る権力者と、書類の山と、掃除人。
――悪くない。
私は再びタブレットを操作した。
『内部ストレージ/System/Log』
深層フォルダ。
そこに、一つだけ異質なファイルがあった。
『Location_History.kml』
位置情報履歴。
タイムスタンプは、数十年前。
この時代ではない。
地図に重ねる。
赤い軌跡は、
遥か西から始まり、海を越え、
そして――後宮で途切れていた。
始点に表示された文字。
『研究所 第四支部 最終退避地点』
心臓が跳ねる。
研究所。
支部。
退避。
現代の言葉だ。
この腕輪の最初の持ち主は、
意図してこの世界に来た。
死んだのか。
消えたのか。
それとも――まだいるのか。
「……ん」
ガクが寝返りを打つ。
私は画面を消した。
どうやら、この後宮には
私の想定を超える「遺物」が眠っている。
三十分後、起こさなければならない。
だが、それまでは――。
私は椅子に座り直し、静かに考えた。
謎が増えた。
つまり、まだ生き延びる理由がある。
時計の針が、
確実に未来へ進んでいくのを見つめながら。




