表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

【短編】ホラー短編シリーズ

伝説の池 ――ボートに乗ったカップルが別れるという――

作者: 烏川 ハル

   

「先生、腕でも組みましょうか? 一応カップルに見えるように……」

「そこまでやる必要ないだろう、香澄(かすみ)くん」

 助手の言葉を、私は苦笑いで否定する。若い女性に仕事でそんな真似をさせるのは忍びない、と思ったのだ。

 しかし視界の片隅に入る彼女の姿は、若干しゅんとしているようにも見えた。

 ちょっとした提案を却下されただけにしては、大袈裟な態度だ。それだけ彼女の感受性が強いという(あかし)だろうか。


 晴れ渡った青空の下、とある公園へと向かう途中だった。

 私は黒のスーツに紺色のネクタイ。助手の香澄(かすみ)くんは、白いブラウスと赤いスカートの組み合わせだ。彼女に言わせると、巫女服をイメージした色合いらしい。

 二人とも、いつも通りの格好と言えるだろう。これが私たちの仕事着だった。


 道路の両側に木々が増えて、緑が濃くなってきた辺りで、目的地の公園が見えてくる。

 入り口には、小さな丸太を模したような柵があり、その先は石畳らしき洒落たイメージの通路になっていた。

 何も知らなければ、明るい歓迎ムードを感じるかもしれないが……。

「先生、なんだかどんよりした空気ですね」

「ほう、香澄(かすみ)くんにもわかるかい?」

 と、彼女と言葉を交わしたように。

 頭上の晴天が嘘みたいな、禍々(まがまが)しい気配。それが公園の奥の、池がある方角から漂ってくるのを、私たちはしっかり感じ取っていた。

   

――――――――――――

   

 この公園には「池でボートに乗ったカップルが別れる」という伝説がある。

 私から見れば「伝説」という表現は大袈裟で、せいぜい「噂」と呼ぶ程度ではないかと思う。長く言い伝えられてこそ「伝説」、つまり「伝説」にはそれなりの歴史が必要という考え方だ。

 しかし都市伝説という言葉もあるし、その意味では一応これも「伝説」なのかもしれない。

 また、香澄(かすみ)くんなどは「『カップル』という言い方が微妙に古臭いですね」と言っていたから、そんな言い方が使われる時点で十分に昔からの「伝説」だと感じているらしい。

 実際には、ここ数年の間に流れ始めた噂に過ぎないのだが。


 ただし、この公園に限らず「カップルが別れる」系の都市伝説は日本のあちこちにあり、それこそ「伝説」と読んでも構わないほど昔から噂されてきた。

 有名なのは、東京の吉祥寺にある井の頭公園、名古屋の東山公園、京都嵐山の渡月橋付近、大阪の天保山にある海遊館あたりだろうか。特に井の頭公園、東山公園、渡月橋付近などは、ただ単に「カップルが別れる」だけでなく「ボートに乗るとカップルが別れる」というところまで共通らしい。

 例えば井の頭公園の件では、池で祀られている弁財天。元々は水の神様であると同時に、性別としては女性神なので、女性特有の嫉妬心からカップルに破局をもたらす……みたいな説も取り沙汰されているという。

 その真偽はともかくとして、少なくとも今回の公園には、祀られている神様などいない。だから「弁財天の嫉妬」説は当てはまらないわけで……。

   

――――――――――――

   

 池の東端にある茶色の建物。それが貸しボートの管理小屋だった。

「すいません。あの……」

「はい、今行きます!」

 受付の窓口を覗き込むように声をかけると、奥から管理人が現れる。

 初老の男性だ。まだ肌寒い季節ではないのに、薄灰色のセーターを羽織り、頭には茶色のニット帽を被っていた。管理小屋は開けっ放しの建物だから、ずっと池のほとりにいるのは案外、寒いのかもしれない。

 彼は身を乗り出すようにして、横の看板を指し示した。

「料金は、こちらに書いてあります通りで……」


 どうやらボートを借りにきた客だと誤解されたらしい。

 慌てて「いえ、私たちはこういう者です」と名刺を差し出し、仕事で来た旨を告げる。

「管理会社の(かた)から依頼されまして……」

「ああ、はい! その件でしたら、上から聞いております」

 初老の管理人は、朗らかな声で返してくれた。

 私たちの仕事は胡散臭い職業と思われがちで、ぞんざいに扱われる場合も多い。だからこうして真摯に対応してもらえると、それだけで少し心が安らぐ。

「ちょうど今日は客もいませんから、全てのボートが調査可能ですよ! どうぞお好きなボートに乗って、存分に調べてください」


「はい、ではお言葉に甘えて……」

「行きましょう、先生!」

 私より先に、助手の香澄(かすみ)くんが歩き出した。

 ずらりとボートが並ぶ木製の桟橋へ向かって、なんとも軽い足取りだ。まるで恋人とのデートに心弾(こころはず)む女性みたいだが、これは彼女なりに「カップルらしく見えるように」と演技しているのだろうか。

 そこまでする必要はないと、つい先ほども言ったばかりなのに。

 失笑しそうになるのを心の中だけに(とど)めて、彼女を後ろから追いかける。

 そんな私の背中に届く、管理人の声。(なか)ば独り言のような口調だった。

「だけど、どうせ何も出てきやしませんぜ。十年以上も昔から働いてますが、その間にボートの事故なんて、一度も起きてませんからね」

 苦笑じみた響きだったが……。

 ちらりと振り返って一瞥すると、気のせいだろうか。

 彼の表情は単純な苦笑いではなく、むしろ嘲笑が混じっているようにも見えた。

   

――――――――――――

   

「先生、このボートですね」

 香澄(かすみ)くんは桟橋の上で立ち止まり、ボートの一つを指差していた。

 もうデート演技は()めたのか、少し険しい顔つきになっている。


 内側が白、外側が水色に塗られた手漕ぎボートだ。オールは木製そのままの茶色で、先端の(ひら)たい部分だけは材質が違うらしく、白くなっていた。

 そんなボートたちの中で、側面に「17」と書かれた一艘(いっそう)。妖気とも邪気とも呼べるような独特の空気が、そこから立ち(のぼ)っていたのだ。

 目に見えるわけでもないし、鼻をつく匂いがするわけでもないが、わかる者にはわかる。本能的に忌避したくなる気配だった。


「うむ、間違いないな。これが噂の元凶だろう」

 彼女以上に真剣な表情で、私は頷いてみせる。

 数年前からこの公園で「伝説」とされてきた「池でボートに乗ったカップルが別れる」という話。その原因として、最近「ボートで死んだ女の子が幽霊となって(たた)っている」という噂が流れ始めているという。

 しかも、その噂がボートの管理会社まで届いた。管理会社としては、カップル破局の話だけならば笑い飛ばせる範囲内だったが、死亡事故が起きたとかその幽霊が出たとか噂されるのは、さすがにイメージダウンに繋がると問題視。

 私のところへ、調査依頼の話が持ち込まれたわけだ。


「先生、どうやって調べます?」

「とりあえずは……。それこそカップルのデートみたいに、実際にボートを漕いでみるのが一番かな?」

 私の提案に香澄(かすみ)くんも頷き、二人でボートに乗り込む。

 若い彼女の方が体力あるだろうけれど、一応「カップルのデート」を模すのであれば、男が漕いだ方が良さそうだ。

 だから私がそちら側に座り、オールに手をかける。

「頑張ってくださいね、先生」

「うむ。快適な乗り心地は保証しかねるが……」

 そんな軽口と共に、私たちのボートは水面に滑り出した。

   

――――――――――――

   

 ボートを漕ぎながら池の中を覗き込むと、茶色い水底(みなそこ)が見える。泥や土などが積もっているのだろう。所々(ところどころ)に転がっている石や小岩まで茶色く見えるのは、それらの上にも積もっているからに違いない。

 ボートの近くからは逃げてしまうのか、魚や亀といった生き物の姿はない。また、池の水は「水色」という言葉からイメージする青系統よりも、むしろ緑がかっていた。


「先生、あっちの方……」

 助手の香澄(かすみ)くんが、池の中央を指差している。

「……なんだか変な感じしませんか?」

「うむ。少し近寄って、調べてみようか」

 彼女に言われるまでもなく、私も当然、その「なんだか変な感じ」は察していた。

 とはいえ、そのような気配が漂うところへ、真っすぐ向かっていくのも(あや)うい。とりあえず、池の中央を少し遠巻きにしながら様子見(ようすみ)するつもりだったが……。


 ある程度まで近づいたところで、池の底が見えないほどの深さになる。

 確か一般的には、水深5メートル未満の浅いものを「池」、それ以上の深さがあるのを「湖」と呼ぶはず。しかし厳密な定義ではないだろうし、もしかするとこの池の場合、中央付近は5メートル以上あるのかもしれない。

 あるいは水質の関係で、見え方が実際以上の深さになっているだけだろうか。


 いずれにせよ、ちょうど私がそんなことを考え始めたタイミングで、突然ボートが微妙に向きを変える。

 まるで中央に吸い寄せられるみたいに、異常に左へ曲がり始めたのだ。

 しかし「吸い寄せられる」と感じたのは、実際にボートを漕いでいる私だけ。ただ乗っているだけの香澄(かすみ)くんにしてみれば、私が乱暴な漕ぎ方をした結果だと思ったらしい。

「先生、もう少し丁寧に……」

 彼女は水飛沫からガードするみたいに、顔の前に手をかざしていた。

 確かに、私がオールで水を()くたびに、パシャパシャと水が跳ねている。それだけ激しいオール捌きという(あかし)だろう。

 ただし、それは右手で扱っているオールだけで、反対側はスムーズに漕げている。片側だけおかしいから、ボートは私が意図するよりも大きく転進していくのだ。


「いや、香澄(かすみ)くん、これは私じゃないぞ。ほら、さっきまでは普通に漕いでいただろう? だけど今は、何者かがオールに力を加えて、その結果として……」

 見えない何者かの力によって、私が動かす以上に激しく、オールが動かされている。

 いわば、一種のポルターガイスト現象だ。幽霊が出るという噂の通りではないか。

 私は弁明しようとするが、その言葉を香澄(かすみ)くんは遮った。

「先生、私……。心の中に今、黒いドヨドヨが広がっていきます」


 なるほど、こうしてカップルたちが喧嘩になるわけか。

 私が納得する間に、彼女はさらに続けていた。

「これって、あれですね。幽霊に取り憑かれちゃいましたね、私」

   

――――――――――――

   

 ボートで死んだ女の子の幽霊。その手口は、私たちの今回の経験から想像するに、以下のようなものだったのだろう。

 異性である男性には入り込みにくいから、まずはポルターガイスト現象を引き起こして、男性の不手際を演出。喧嘩の火種を作り出す。

 続いて、同性である女性の方には、直接その体に入り込んで、心の中に黒っぽい感情を広がらせる。最初のポルターガイスト現象により、既に喧嘩の火種が生まれている以上、そこから悪感情を大きくするのは簡単だったに違いない。

 しかし……。


 私も香澄(かすみ)くんも、これまでボートに乗った客たちとは明らかに違う。

 カップルではないどころか、私たち二人は、いわゆる霊能力者の(はし)くれなのだ。

 特に香澄(かすみ)くんの場合、まだ霊的現象を視認したり感知したりという能力(ちから)は低く、だから私のところで助手を(つと)めているくらいだが、それでも霊能力者として際立(きわだ)っている点があった。

 それは、憑依体質。香澄(かすみ)くんは、極めて霊に取り憑かれやすい人間であり、取り憑かれることにも慣れていたのだ。


 そんな香澄(かすみ)くんに取り憑いても、一方的に彼女の心理を操るのは難しい。むしろ精神的に繋がったことにより、幽霊の(がわ)の心情まで香澄(かすみ)くんに筒抜けになってしまう。


「先生、これ……。先生の知り合いの警部さん、ええっと、三上(みかみ)警部でしたっけ? あの(かた)に知らせるべき案件ですね」

「ふむ。警察沙汰にするような事件かい?」

「はい、先生。この女の子、噂の通りここで亡くなって、でも成仏できなくて……」

 と、香澄(かすみ)くんの口を通して、ボートの幽霊の正体が語られ始めた。

   

――――――――――――

   

 どうやら彼女は、家出少女だったらしい。

 公園内で適当に野宿するつもりで、うろうろと歩いていたら、大人の男性から声をかけられた。「野宿は危険だ。それよりも、この公園には良い場所がある」という。

 もしもこれが「うちに泊めてあげる」みたいな提案ならば、少女も警戒したかもしれない。しかし、あくまでも公園内で宿泊という話だった。

 しかも相手は若い男ではなく、自分の父親よりも年上。しっかりした大人だと思って、つい心を許してしまう。


 その結果。

 彼女はボートの管理小屋に連れ込まれて、乱暴されて……。

 最後には、命まで奪われてしまったのだ。


「犯人は死体をボートに乗せて、池の深いところまで運んで、そこに沈めていました。ただ彼女の場合、ボートに乗せられた時は、まだギリギリ息があって……」

 香澄(かすみ)くんの悲しそうな態度を見れば、最後まで言わせるのは忍びないと感じる。

 だから言葉を遮って、私が続けるのだった。

「なるほど、ちょうど運搬中に、このボートの上で息を引き取ったから……。それで地縛霊として、ボートに縛り付けられていたわけか」


 自分は男に(もてあそ)ばれた(すえ)に殺されたのに、自分が死んだボートの上で、カップルが楽しそうにデートしている。

 それを(ねた)んで、悪戯(いたずら)していたのであれば……。

 あの「ボートで死んだ女の子の幽霊が(たた)って、カップルを破局に導いている」という噂も、あながち間違っていなかったのだろう。

   

――――――――――――

   

 数日後。

 公園の池に警察の捜査が入り、水底(みなそこ)から6体の死体が発見される。

 ボートの幽霊と同様の被害を受けた、家出少女たち。ただし他の5人は、ボートに乗せられる前に、管理小屋で完全に殺されていたようだ。

 犯人は、まさか死体が引き上げられるとは思っていなかったのだろう。死体や一緒に見つかった遺留品から、犯人を特定するのに十分な証拠も検出されて……。

 ボート小屋の初老の管理人が、犯人として逮捕されたのだった。


 さらに後日。

 依頼された仕事としては完全に終わっていたけれど、私と香澄(かすみ)くんの二人は、改めて公園を訪れた。

 入り口の丸太を模した柵や石畳の通路など、外見的には何も変わっていないが……。

「先生……。公園の空気、すっかり変わりましたね」

「そうだね。妖気や邪気の(たぐ)いも、きれいに晴れたようだ」

 私たち霊能者には明らかな、大きな変化だった。

 事件が明るみになり、犯人も逮捕されたことで、ここに漂っていた者たちも、ようやく成仏できたのだろう。


 二人で池のほとりまで行き、そこで手を合わせて目を閉じる。

 黙祷を捧げた後、ぽつりと(つぶや)くようにして、香澄(かすみ)くんが問いかけてくる。

「あの幽霊の女の子……。嫉妬でカップルを別れさせていた、って噂でしたけど……。確かにそれもあったかもしれないけど、でもそれだけじゃなかったですよね?」

「ああ、そうだろうな。いくらカップルが破局しても成仏できず、事件が解決した今、こうして成仏できたのだからね。そちらがメインの理由だったのだろう」

 あの幽霊少女が悪戯(いたずら)していた理由。そこには「私の存在に気づいて欲しい!」という一面もあったに違いない。

 そして霊を感知できる私たちが呼ばれて、その結果として事件が解決して、無念も晴らされたのだから……。

 そう考えれば、私たちが調査に来た甲斐もあるし、私たちの仕事には大きな意味もある。悲惨な事件だったけれど、それでも私は最後に一抹の救いを感じるのだった。




(「伝説の池 ――ボートに乗ったカップルが別れるという――」完)

   

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ