4.5話 皇女になったツクヨミ
この話はフィクションです。
「すごいです」
皇女は、ツクヨミの周りをくるくるとまわり、鏡に写した自分の姿と確認する。
「手を出してくれる?」
ツクヨミに言われ、皇女は素直に右手を出した。
「少し、霊気を借りるわね……これで完璧よ」
少し空気が動いたような感じがし、皇女は周りをキョロキョロする。
「目を凝らしてみよ」
ツクヨミは皇女の前にスッと立つ。
鏡に写った自分の姿を見て、またツクヨミを見る。
「同じ色ですね」
皇女は驚いて、言った。
「人間にはできないけど、私だからできることね」
「でも、女官はどうするのですか?」
「大丈夫」
ツクヨミがドアを見ると、見覚えのある女性が入ってきていた。
「明音さん?」
女性は皇女に一礼する。
「黙っていて申し訳ありません」
皇女は首を横にふる。
「会食は私が行ってきます。私に毒も呪術も効かないから……楽しみね」
皇女は少し困った顔をする。
「その笑顔は少し違います」
一族の女性が無の表情で、言う。
「皇女殿下はこういう場合、少し微笑むのです」
そう言って皇女の表情の説明をする。
「やはり心配です。皇女殿下の指示もあったほうがいいと思います。皇女殿下に『目』を」
ツクヨミは小さく息を吐く。
「女性の仕草は難しい。『目』をつけてもらう。指示をしてくれると、助かる」
「はい、わかりました」
皇女は苦笑しながら、うなずいた。
ツクヨミが眉間を指先でトンと軽く叩く。
「目を閉じれば、私が見ている景色が見えよう」
素直に皇女は目を閉じ、少し驚く。
「私が、見えます……」
目を閉じているのに、自分の姿、それも、目を閉じている姿が見えるというのは奇妙なものだ。
「あ、酔いそうになるかもしれぬから、椅子に座っておけ」
「はい」
「では、皇女殿下、まいりましょう」
女官が先に立ち、皇女に姿を似せたツクヨミがその後に続く。
部屋を出る前に、少し振り返り、指先を軽く動かした。
『結界を張ったわ。これで、この部屋を覗くモノがいても、あなたの姿は見えない。入ってもこれないし、呪いも効かないから、安心してちょうだい』
『ありがとうございます』
ドアがパタンと閉まる。
空気がピシリと鳴った。
「皇女殿下、こちらでございます」
女官の前に立ち、このホテルの支配人が、会食の会場へ案内する。
『黒いものが見えてますね。大丈夫でしょうか?』
『安心せよ』
ツクヨミの目を通して、支配人を見た皇女が心配する。
『操られておるだけだ。未熟な技ぞ? 糸が見えておるであろう?』
『あ……本当……。糸ってこういうふうに見えるんですね』
『ああ、その糸を手繰れば、誰がそこにいるのかがわかるが、今は別のものがその糸を辿っている。そのうち報告がはいるであろう』
『わかりました、あ、ここで支配人に会釈をしてください』
言われるまま、支配人に会釈をし、席に着く。
皇女が着席すると、皆が着席した。
『斜め右に座っているのが、市長の高橋誠さんです』
皇女は列席者の名前を教えてくれる。
「では、乾杯いたしましょう」
『カジュアルな会食なので、着席のままで……』
ツクヨミはどうせなら、手足も繋げておけばよかったと、内心思っていた。
◇◆◇◆◇
『食前酒には何も入っておらぬ。ただの梅酒だ。だが、かなりアルコール度数は強いぞ?』
懐石料理が運ばれてきた。
『口に入れなくてもわかる。これにはいっているのは、下剤だ。あと……これは厄介だな。睡眠剤も入っているぞ? 無効にしたから問題ないが……』
『これは、何も入っていないな』
『最後は、抹茶ムースにいちごが添えられておるが……農薬が塗りたくられておるぞ?』
ホテルの部屋で、皇女は頭を抱え込んでいた。
ツクヨミの食事のマナーは問題なかった。
人の姿をして食事をすることも多く、マナーは自然に身についたという。
会食中の会話も補足を補い、どう答えるかを伝える。
ツクヨミの目を通して、テーブルに着いている人を見ているが、誰一人として黒いモヤを持つ者や、後ろに糸が着いている者はいなかった。
料理を運ぶホテルのスタッフにもそういうモノは着いていない。
ただ、運ばれてきた料理を見ると、ところどころ黒いモヤが付いているのだった。
ツクヨミの説明ではそれは、余計なモノを入れられている料理だった。
「美味しかったです」
食事を終え、ツクヨミが扮した皇女はやわらかい笑みを浮かべ、主催者である市長にお礼を言った。
「楽しい時間をありがとうございました」
「こちらこそ、ありがとうございました」
にこやかな笑顔の市長に、悪意は一つもない。
ただ、会食の席をもうけることができ、一緒に時間を過ごすことができて、喜んでいる気持ちがその場の全員から伝わってくる。
『よかった。この方々に悪意は全く感じられません』
『ええ。途中で料理がどうやらすり替えられていたようね。全員に軽い下剤が入っていて、私のだけ特別に睡眠剤入りだった……ふふふ』
『何をなさったのです?』
『薬を入れた人が口にするモノに戻しておきました』
『悪い顔されてませんよね?』
『……』
女官が少し冷たい目で皇女を見ている。
表情を取り繕うと、にっこりと笑顔に戻った。
『女は怖いな』
『ええ、本当に怖いですね。私も一応女なのですけどね?』
皇女の声は笑っていた。
『後ろに気配を感じるのですが?』
『ええ。妙な気配をまとった男がいますね』
『どうするのですか?』
『どうもしないですよ。足元にヘビをおいてみましょうか』
皇女が返事に困っていると、後ろから『ぎゃぁ~~~~~』という声が聞こえてきた。
『では、部屋に戻りますね』
ツクヨミは、廊下に結界を張った。
それも1m毎に違う結界を張る。
その様子を見て、女官はさらに無表情になるのだった。
無事部屋に戻り、ツクヨミは部屋に別の結界を張った。
「先程の結界は?」
「あなたの食事を私がいただいてしまいましたので、一族の者が預かったお弁当?」
ツクヨミは女官を見た。
「はい」
「それを持ってくる人がちゃんと通れるようにしただけだ」
それから10分ほどして、ドアがノックされた。
ツクヨミはドアを一別し、頷くと女官がドアを開ける。
そして、荷物を受け取り、ドアのロックをしっかりとした。
「届きました」
紙袋から、違う袋を取り出し、テーブルに置く。
「お茶を入れますね」
皇女の前に置かれたのは、お弁当袋だった。
「え?」
「それなら安全に、安心して食べられるだろう?」
「はい」
巾着袋からお弁当箱を取り出す。
ランチクロスを広げると、いつも使っているお弁当箱と箸箱。
お弁当の蓋を開けると、皇女は子どもような笑顔を見せる。
「ありがとうございます」
ツクヨミは頷き、女官が入れた茶を飲む。
手を合わせて、小さな声で『いただきます』と言う皇女。
「温かいですね」
女官がお弁当箱を見ながら、言う。
「あ、温度ではなく、お気持ちの話です」
ツクヨミはちらっと見てうなずく。
「さっきの料理にも料理人の気持ちがこもっていたのだが……」
「……そうでしたね……」
皇女が複雑な表情で答えた。
「ああ、さっき、言い忘れたが、食後のコーヒーに入っていたのは、喉を潰す薬だった」
それを聞いて、女官が驚いた顔をする。
「ああ、もちろん、仕掛けたモノに返しているから、大丈夫だ。明日からの公務に差し支えが出るようにしたのであろう。愚かな考えだ」
呆れたようなツクヨミの口調に、女官は小さく息を吐いた。
「皇女殿下がご無事で本当によかったです」
その夜、薬を盛ることを指示した張本人は、急激な眠気に襲われ、ソファに座りそのまま眠ってしまう。
そして、更に仕掛けた薬、下剤が効いてくるが、睡眠薬のおかげでぐっすりと眠っていた。
致死量ではないが、苺に塗られた農薬も徐々に効いてくる。
睡眠薬がきれて、ようやく目を覚ました時には、夫が鼻を押さえて眼の前に立っていた。
その目は驚愕に見開かれている。
声を出そうとするが、喉が痛くて声が出せない。
気分も悪く、手足がしびれていた。
あと、妙な感じがお尻のあたりでしていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
『皇太弟妃、緊急入院!』
各テレビ局が、朝のニュースの中でそれを伝える。
『症状ははっきりとした説明はありませんが、命に別状はないとのことです』
ホテルの部屋でテレビを見た皇女は一応女官の姿をとっているツクヨミを見た。
「自業自得だ」
皇女は小さく息を吐く。
「文明が発達したこの時代になってもやることは千年前とかわらないのだな」
「女性は毒を使うことが多いようですね。あとは……呪いも」
ツクヨミはそう答えた女官を見た。
「あの時代は男が使うことが多かった。お抱えの呪術師と薬師がいたし、毒見係もそれなりに抱え込んでいた。自分が食べる頃には完全に冷めて固くなっておったがな……」
「温め直しますか?」
朝食も、ツクヨミの一族により、ホテルまで運んでこられた母の手作りのお弁当だった。
「いえ、このままいただきます」
女官はテレビのチャンネルを変え、天気情報を確認する。
「アマテラス様のお力は、すごいですね」
皇女がいるところだけ、雲がなかった。