閑話 夫人
フィクションです。
16.5話の後の話になります。
娘二人は、すめらぎの執務室から、夫人の住まいに運ばれた。
夫人は客間にベッドを二つ並べるよう、指示を出していた。
寝かせたという報告を受けると、夫人は少し疲れたように、三人掛けのソファに座った。
皇妃はそっとその横に座る。
皇妃は、黙ったまま夫人にしばらく付き添っていた。
自分を責めているのが痛いほどわかったからだった。
(あの時、そっと寄り添ってくださっていた……)
そう思いながら、皇妃は手をのばし夫人の手に触れる。
緊張で冷たくなっていた。
何度も何度もさすりながら、夫人の気持ちが落ち着くのを待つ。
「アマテラス様のお姿を……初めて……拝見いたしました」
皇妃は一言も聞き逃さないように頷きながら、夫人の顔を見た。
「なんとなくですけれど、皇太子殿下に似ていらっしゃいません?」
皇妃は一瞬考えた。
似ているとするならば、伸ばしている黒髪ぐらいではないだろうか?
「そういうふうに娘を見たことがありませんので……」
夫人は何かに気づいたように、皇妃の顔を見た。
「アマテラス様に愛されし娘……でいらしたわね」
皇妃はややしてから頷く。
「びっくりいたしました。神々にあんなに堂々と自分の考えをおっしゃるお姿に」
皇妃は苦笑する。
「アマテラス様に……感謝していると言われたのです」
それには皇妃は大きく何度も、何度も頷く。
「私も感謝しております」
そう言って、夫人の手をさする。
少し、緊張が解けてきたのか、少し体温が戻ってきていた。
「すめらぎから説明を受けましたが、神々も納得されているとのことです。あとは……」
「娘達次第……なのですね」
皇妃は頷く。
「少しでも態度が軟化されるとよろしいですね」
夫人はゆっくりと頷き、皇妃を見た。
「三ヶ月は目覚めないそうです。ツクヨミ様とスサノヲ様、そしてその三ヶ月間だけはアマテラス様の加護があるようなので、眠ってはいますが、時間が止まってると考えていただければいいと思います」
「三ヶ月……ですか?」
「はい。その頃には、この件は落ち着くだろうということのようですね」
なるほどと、夫人は頷く。
「こういう時に、どういう人があの子達のそばにいてくれようとするのか……見極めもあるということですね」
力なく、夫人は呟いた。
皇妃は、夫人の手を握った。
姉のようでもあり、母のようにも感じる女性だった。
皇妃には、娘たちの気持ちが全く理解できないのだった。
すめらぎが教えてくれた。
娘達の気持ちが弱っていた時に入り込んだのは、キツネだったらしい。
そして、父親を陥れていった。
学業は優秀だったが、周りを全く見ていない長女。
簡単に操れただろう。
プライドだけは高かった。
皇族として生まれたことに誇りを持ち、平民だった母親を見下ろしていた。
『少し自由すぎる御兄弟なのですよ』
すめらぎが一度、少し悲しそうに呟いた。
兄とも頼っていたその人物が亡くなった時だった。
その兄も病に倒れていた。
直感的に無関係ではないと、思った。
だけど、証拠がない。
当時、退職した職員がいたらしいが、退職して一週間もしないうちに交通事故で亡くなるという不幸に見舞われていた。
お葬式に元職場からは誰も参列することはなかったらしい。
そもそも、家族だけでひっそりと見送ったということのようだった。
どうやら元職員がその資料を持ち出したらしいという噂が広がっていたと、後で聞いた。
湯水のように税金を使って贅沢をし、さらに使途不明金まであったのだ。
後でわかったことだが、その使途不明金の一部が夫人の娘たちに『お小遣い』として渡されていたのだった。
長女はそのことに気づいたかもしれない。
それが父親の苦悩に繋がっていることにも、気づいてしまったかもしれない。
皇妃は、キツネから陰湿な仕打ちを受けていた時、他の女性皇族からも助けられていた。
どういう陰湿なやり方をしてくるか、見抜いているご夫人方がいらっしゃったのだった。
ただ、時々、想像よりもはるか斜め上から仕掛けられ、精神的なダメージを受けることもあった。
その時も夫人方は小さな動きで、周りに気づかれることなく、皇妃の気持ちによりそってくれていたのだった。
「少し横になってお休みになられたほうが……」
皇妃はそう言って夫人を見た。
「そばにおります。安心してくださいませ」
夫人は皇妃の顔見て、やがて視線を落とし、目を閉じる。
自分を包み込むような温かいものを感じたからだった。
夫人はゆっくりと頷いた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「何を企んでおられるのですか?」
兄が変装して、こっそりと自分を訪ねてきた。
療養目的で、今は夫と別居している。
娘二人は夫と一緒に暮らすことを選んだ。
「我慢してくれないだろうか」
いきなり切り出された。
「これ以上の我慢ですか?」
無意識に胃のあたりに手を置いてしまう。
「お前は何を願う?」
鋭い目つきだった。
兄は決して人相がいいとは言えない。
睨みつけられたらそれなりの迫力がある。
ただ、今は睨みつけているのではなく、私の気持ちを、本音を読み取ろうとしているようだった。
「継承は直系長子に」
簡潔に答えた。
「そうか。わかった。私から言えることはこれだけだ。『とにかく、耐えろ』」
そう言うと、兄はすっと部屋から出て行った。
「耐える。耐えるということは、信じていればいいということなのですね?」
兄が去っていった方を見る。
そして次に思ったことは、これは悟られてはいけない。
勘付かれてはいけない。
もしかしたら夫も交えて、一世一代の大芝居を打とうとしているのだろうか?
どれだけの人の目を誤魔化さないといけないんだろう?
もしかして、国民全員?
いいえ、違う。
すぐ近くに敵はいる。
その仲間もいる。
娘たちは大丈夫。
兄の口ぶりでは、おそらく攻撃の対象にはならないのだろう。
「私には来るかもしれないのね。だから『耐えろ?』」
胃に鈍い痛み。
「私にはどういう政略をとられるのかわかりませんけど、私ができることは皇太子妃をお守りすることですわ。皇女様も」
ベッドの上で、神に祈る。
この場合の神は、天照大神だ。
「皇女様を照らしてくださいませ」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
夫と別居してから数年経って、ようやく体調が回復した。
兄はまだ政界にいる。
いろいろな思惑が錯綜している。
キツネの狙いが最初からだいぶんズレてきているようだ。
イタチの狙いもキツネと同じだったようだが、いつの間にか暴走している。
兄の態度は変わらない。
そう思っていたら、夫が危篤状態になった。
しかし、病室には入れなかった。
長女の強い拒否があったからだ。
斂葬の儀に参列することは許されなかった。
そもそも、弔問すら許されなかったのだ。
娘に門前払いをされるとは、思わなかった。
持っていた玄関の鍵はとっくに変えられていた。
今までは本家より独立の生計を営んでいたが、当主が薨去したことにより、本来ならば妃が当主を継承することになるのだが、長年の別居と、娘二人も同居していなかったので、娘二人は本家に合流することとなった。
「私の立場は……宙ぶらりんね」
自嘲気味に笑う。
いつものように自室で過ごしていると、人の気配を感じ振り返った。
そこには庭師が立っていた。
そして、少し離れたところに女官。
女官は一礼すると、姿を消した。
「どういう趣向ですの? 庭師の姿なんて……。似合ってないわ……」
思わず、笑ってしまう。
作業用なのか、キャップを被っているが、本当に似合っていない。
「一応、説明だけしておこうと思ってな」
そういうと、手近なソファに腰掛け、私にも椅子に座ることを勧めてきた。
私はテーブルを挟んでソファに座る。
「あいつがお酒に溺れたのは、あいつらに嵌められたからだ」
この場合の『あいつら』というのは、キツネのことだろう。
「どういうことですか?」
兄は大きくため息を吐いた。
「平たく言えば、人身売買や売春、それも児童買春か?」
今、兄が話した言葉は日本語なんだろうか?
「あの次男も一緒にな」
長男とは似ても似つかぬ、軽薄で薄っぺらい次男?
「だから、脅された」
「犯罪に手を染めたのですか?」
「その場にいただけでも、言い訳はできない」
血の気が引いていくのがわかった。
「だから?」
「そうだ。あいつの弟はそれを探ろうとして、殺された。探ろうとしたのはそれだけではなかったのだがな。殺したのはイタチたちだ。その場にあの次男もいたというから、驚きだな」
驚きだなと言いながら、口調は淡々としている。
「本当に性根から腐った連中だ。まともに相手して勝てる相手ではない」
全くそのとおりだと思った。
「お前の娘たちは、あいつの思考に染まってしまっている。そのほうが確実に生きのびれたのだが、別の意味では失敗した」
苦々しそうに、兄は呟いた。
「私がそばにいることができなかったからですか?」
兄はしばらく考えると、首を横に振った。
「いないほうが正解だろう。キツネから目をつけられることはなかったからな」
やはり、そこに行き着くのか。
「衝突することが前提になるが、公務復帰してもそろそろいい頃だ。体調と相談して、前向きに考えてほしい」
「わかりましたが、娘達とは……」
「お前には本当に申し訳ないと思うが、現状維持。あるいは、絶縁覚悟で」
息をするのを忘れそうになった。
「そこまで……ですか」
「申し訳ない」
「お兄様が謝る必要はありませんわ。私は私の思うように動いていいのですね?」
次の瞬間、ニヤッと兄が笑う。
何かを企んでいる笑顔だ。
「対立しても、無視すればよい。お前があいつらに謝る必要などないのだからな」
言っている言葉とは違い、兄の目は優しかった。
私が知っている兄の表情だった。
それからしばらくして、公務復帰宣言をした。
案の定、娘、特に長女が突っかかってきた。
兄の言った通りだった。
無視して、公務を続ける。
しばらくすると、娘達は何も言ってこなくなっていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
数年後、夫の父も亡くなり、夫の母も亡くなった。
本家には娘二人が残る。
しかし、アマテラス様の目覚めにより、いろいろと変わっていった。
時期天皇になるだろうと言われていた皇太弟家の長男がいなずまによって散らされた。
「神の怒りって、本当にあるのね……」
それをテレビでぼんやりと見ていた。
とんでもないことが起こったのだが、少しホッとしたところもある。
成年の儀の場にいたが、祝おうという気にはなれなかった。
出自がわからないというのもあったが、よく見ると微妙に慎重も、顔も、声も違う。
一体、長男は何人いるのだろう?と疑問に思っていた。
すめらぎがお祝いの言葉を述べる。
皇妃もお祝いの言葉を。
腸が煮えくり返るとは、このことかしら?
そんな言葉をかけてもらう値打ちがこの青年にあるのだろうか?
目眩がする。
急遽、体調不良で内宴は欠席することに。
こんな茶番、いつまで続くの?
そう思っていたら、神々の怒りが爆発。
意識不明の重体となっていたが、亡くなったということは、連絡が入った。
しかし、彼には影武者がいる。
いや、影武者の一人が亡くなっただけ。
ただ、神々の怒りがどういうふうに現れるかわからないということで、長男の影武者達は、人前には現れなかった。
しばらくして、すめらぎが神々に振り回されていると言う話を耳に挟んだ。
楽しそうと思ったことは、すめらぎには内緒だ。
そして、キツネの誕生日会見。
国民から、「税金を返せ」と暴動が起きるかと思ったけれど、それは起こらなかった。
キツネやイタチの企みに加担した人、企業、関係者全員にツクヨミの印、スサノヲの印、人によっては両方が額に出ていたからだった。
その中で、兄には何も出ていなかった。
あれだけ口元を歪ませながら『継承は男系男子』と言い続けていたのに。
うまく、キツネやイタチたちを誤魔化せていたということだろう。
ただ、途中まで本気で男系男子にしようとしていたのではないかとも、思ったことは一度や二度ではない。
しかし、アマテラスの直接の言葉により、皇女が立太子することになった。
と、同時に、娘二人は皇籍を離れた。
私は兄が強引に用意した親王妃家という新たな宮家の当主となった。
今まで娘に、長女に奪われ続けていた皇族費も支給されることとなった。
皇族を離れた娘に対して、兄は一言だけ、言った。
「もう二度と助けることはない」
そして、私に向かって一言。
「本当に申し訳なかった。よく耐えてくれた」
頭を下げた兄だった。
話を聞いていると、皇室・皇族というものがよくわかっていないままに昭和天皇と約束してしまっていたらしい。
『継承は、直系長子に』
そして、昭和天皇により、何かをされた。
その時はわからなかったが、キツネやイタチの洗脳にかからないように、守ってくれていたようだ。
『その時』が来るまで、慎重に動くために。
決して、気取られぬように。
友人の考えに同調し、『男系男子』を心の底から望んでいるように見せかけるために。
時には自分すら欺く必要があった。
危うい時もあった。
しかし、昭和天皇が心の奥底にその約束を隠してくれていた。
そして、その時が来た。
それは、すめらぎからの言葉だった。
「娘を立太子させたい」
条件は揃っていた。
その条件とは、
昭和天皇の直系の孫がすめらぎであること。
そして、そのすめらぎに長子がいること。
すめらぎが長子の立太子を望むこと。
この3つだった。
『この国は、すめらぎだけではダメなのだ。すめらぎを支える皇太子がいてこそ、保てるのだ』
兄は昭和天皇との約束を丁寧に説明してくれた。
「約束を守る代わりに、私の命も守ってくれていたのだよ。洗脳にかかったふりをするのは、きつかった……」
「すめらぎの力って、すごいのですね」
そう呟いた私に、兄はゆっくりと頷いた。
「私は、守らなければいけない約束を二つ、守れた」
「二つですか? 一つは昭和天皇だとわかりましたが、もう一つは……」
「あいつからお前のことを頼まれていた。あのバカな娘からも守ってくれと」
そう言って、兄は久しぶりに笑った。
肩の荷を二つおろし、スッキリした笑顔だった。
皇女が立太子し、皇太子になった。
兄が鬼籍に入った。
アマテラスの奇跡を眼の前で見た1ヶ月後、朝、起きてこなかった。
穏やかな表情で、眠るように息を引き取ったと連絡を受けた。
死の前触れなどなかったが、役目を果たせたということなのだろう。
遺言は二つ。
一つは、死亡したことを1年は伏せること。
そしてもう一つは、『あちらで友人と飲み交わす酒だけは切らさないでくれ』だった。
もう、病になることもない。
夫の好きだったお酒を取り寄せた。
そして、二人が好きだったおつまみを少しだけ用意する。
「それでも、呑み過ぎたら、ダメなんですよ?」
兄と夫が二人で映っている写真を前に、呟く。
娘たちは今まで援助してくれていた伯父が生きていると思っている。
「本当に、愚かな娘たち……」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
夫人は二人の娘の寝顔を見る。
幼い時は、眠ったふりをしているのを知っていたが、優しく何度も何度も頭を撫でた。そうしているうちに、娘は眠ってしまうのだ。
寝息を聞いていると、ぐっすりと二人とも眠っているのがわかる。
ツクヨミ様に眠らされて、2ヶ月たった。
食事が採れていないのに、やつれず、顔色も変わらない。
「神々の力って、不思議ね」
あの時、飛行機に乗っていた乗客、乗組員は、全員警察に拘束された。
とんでもない荷物はスサノヲにより取り除かれていたが、積んでいた形跡はしっかりと残っていた。
全員、ツクヨミとスサノヲの印が額にあり、罪を告白してもそれは消えることがなかった。
各庁からの問い合わせに、すめらぎはこう答えたらしい。
「私にもわかりません」
夫人はそれを聞いて、笑ってしまったのだった。
本当の功労者は皇太子だろう。
『アマテラスに愛されし娘』と上皇は優しい目で言っていた。
夫人はそれを訂正したいと思った。
『神々に愛されし娘』と。
今後、同じような事が起これば、それは本当に神々の気分次第ではないだろうか。
眼の前の娘達の額にも同じ印があるらしい。
「改心してくれると、いいんだけれど……」
皇族としてのプライドが高いのは、まだいい。
ただ、それで傲慢になるのは全然違う。
娘二人は、いつの間にか、人前で顎を上げ、斜めに人を見るようになっていた。
キツネやイタチの心の声と同じだろう。
私が一番なのよ。
この私が、あなたに言ってあげてるのよ。
私がここにいることを光栄に思いなさい。
そういう考えで、国民と接しているのだ。
どこが庶民的なのだろう?
夫人は思わずため息を吐く。
二人は、特に長女は『女王』という身位をよく口にしていた。
『女王』
これは単純に英語で言うところの、『クイーン』というわけではない。
『Her Imperial Highness the Princess』
これは、あの弟夫婦のところの娘、内親王と同じ敬称だ。
キングに対してのクイーン?
「まさか、すめらぎと結婚するということを本気で考えていたというの?」
夫人はめまいがした。
ふらついた体をすぐにそばにいた女官が支える。
「大丈夫よ? あまりの愚かさにめまいがしただけだから」
真顔で女官は頷いた。
「お部屋に戻られますか?」
「ええ、そうするわ」
部屋を出る時に、夫人は振り返って二人の娘を見た。
あと1ヶ月はこの状態らしい。
ドアがパタンと閉まると、女官は思い出したように夫人に言った。
「皇太子殿下から、手作りの焼き菓子が届いたようです」
「まぁ」
顔を思い浮かべるだけで、笑顔になれる。
そして、気持ちも軽くなる。
女官は夫人の表情が少し明るくなったことに、安堵した。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ツクヨミ様からの連絡です」
夫人は驚いて顔を上げて、無表情な女官を見た。
無意識に姿勢をただす。
「『長女が今日目覚めるだろう』とのことでした」
夫人は頷く。
「食事はすぐに取れるような状態かしら……」
女官は少し首を傾げた。
「ポタージュスープなら大丈夫とのことです」
「ポタージュ……」
夫人は女官を見る。
「皇太子殿下の手料理を召し上がられたようです。今、ツクヨミさまの中で『ぽたーじゅすうぷ』がお気に入りのようですよ」
女官が少し笑みを見せた。
夫人は少し考える。
「そういえば、昨日……とうもろこしを頂いたわね。それで作ってもらえるように……お願いできるかしら?」
女官は頷く。
「いえ、私が作るわ」
そう言って、夫人は立ち上がった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「どうでしたか?」
女官は感じたままのことを、答える。
「そう……」
いつまでもこのままの状態を続けるわけにはいかない。
娘の思考の助けになればと、枕元に常に充電済みのスマホを置いている。
今、ネットにある情報に嘘偽りはない。
ただ、兄の死だけは、隠されている。
すめらぎと皇太子に話はしているが、すでにご存知の様子だった。
「まだまだ時間はかかりそうね」
夫人はため息を吐きながら、呟いた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「いかがでした?」
女官が同じ顔をした女官に尋ねる。
「本心だったな」
女官の姿がツクヨミに変わる。
「そうですか。その様に手続きをお願いしてもいいかしら?」
夫人は本物の女官を見た。
「もう手続きはできております」
何度か瞬きをした夫人は、声を出して笑う。
「皆さんの総意だったのかしら?」
女官はそれには答えられず、ツクヨミを見た。
「国内にとどまれば、命を失う」
はっきりとツクヨミは言う。
「ただ、もたもたしていると、たとえ国外に行くと言っていても、命を失う」
夫人はじっとツクヨミを見る。
「わかりました」
覚悟はしていた。
本来なら、三ヶ月前に終わっていたかもしれないのだ。
「娘と話をして、勧めていただけますか?」
夫人は女官に言い、少し首を傾げた。
「そうね、渡航費と当面の生活費は、私費から出しましょう。それをお餞別にいたしますわ」
ツクヨミはうなずいた。
「あの国までは安全に届けよう」
「よろしくお願いいたします」
夫人はツクヨミに頭を下げる。
「ああ、言い忘れていた。姫から伝言を頼まれていた。『今日、夕食一緒にいかがですか? スサノヲ様から新鮮なお魚をいただきました』ということだ」
「ぜひ、ご一緒させてください。楽しみにしております」
夫人は笑顔でツクヨミに言う。
「あい、わかった。そう伝える」
そう言うと、ツクヨミは姿を消した。
「お支度を」
女官が詰め寄ってきた。
「そうね、優しい色合いの服がいいわ」
いつも無表情の女官が笑顔になる。
「何か手土産になるようなもの……」
そういって夫人は窓の外を見た。
小さな温室がある。
そこには、皇太子の名前がついているバラが栽培されていたのだった。
その隣に皇妃の名のバラもある。
「これは、すめらぎが拗ねるかもしれないわね」
夫人は楽しそうに笑った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
長女は、夫がかつて友好親善に貢献した国へ旅立った。
数日遅れて、次女は、自分が本当にやりたいことを口にすることが出来た。
そのため、大学を受験し、無事合格し、ここを出ていった。
顔も整形前に戻っているので、元皇族だと気づく人は少ないだろう。
皇太子殿下から、次女の額から印が消えたということを聞いた。
心の底から改心したということなのだろう。
ここから荷物を持って旅立った朝。
「伯父様にもよろしくお伝え下さい。心より感謝しておりますと」
「ええ。伝えておくわ」
平静を装い、笑顔で答える。
職員が娘を駅まで送ると申し出てくれた。
娘は驚いていたが、素直にお願いしますと言っていた。
その車を見送る。
手を振っていると、窓を開け、顔を出して手を振り返してくれた。
「あぁ、危ないわ。あんなに注意したのに……」
流石に、門を出る前には頭を引っ込めたが。
「応援してるわ」
いつも、不満げな顔をしていたのに、自分のやりたいことを見つけてからは表情が変わった。
口角が下がることなく、顎を突き出すこともない。
本人曰く、「皇女殿下の笑顔を真似している」ということらしい。
「姫の笑顔にはまだまだ届かんが、いい顔をするようになったな」
不意にアマテラスが現れた。
「あの子はもう大丈夫じゃ」
「ありがとうございます」
アマテラス様に頭を下げていると、「では、行こうか」と手を取られた。
「え? どちらへ?」
「姫のところに決まっておる。スサノヲがマグロを捕ってきてしまったのじゃ。脂がたっぷりじゃ。楽しみじゃ」
次の瞬間、私は人生で初めて、瞬間移動というものを体験した。
一行付け加えました。




