閑話 夫人の娘 次女 ~後編~
フィクションです。
作者は妄想しております。
カタッ。
小さな物音がした。
なんだろう?
というか、人の気配がしてる?
誰の?
ただ、危険な感じはしない。
何か、懐かしい。
ふと、温かいものが、髪に触れる。
記憶にある、温かさ。
なんども、なんども、髪を撫でる。
お母さまの手。
寝たふりをしていることがバレないようにしないと……。
眠ってしまいそうになりながらも、母の手の温かさを感じ続ける。
すっと手が離れた。
「お部屋に戻られますか?」
「ええ」
女官と久しぶりに聞く母の声。
そっとドアが閉められた。
もう、感情を押さえなくても大丈夫よね?
そう思った瞬間、涙がどっと溢れてきた。
声を出さないようにしないと……。
まだ、近くにいるかも知れない。
泣いていることを母に知られたくはなかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
予想はしていた。
目が開かない。
泣きすぎた。
顔を洗いたいけれど……。
そう思いながら、ベッドで体を起こした。
横にはワゴンがある。
ただ、いつもと違うものが置かれていた。
おしぼり?
保温ケースに入っているおしぼりだった。
手を伸ばし、おしぼりを手にした。
少し熱い。
それでも気にせず、おしぼりを広げて顔に当てた。
これが用意されているってことは、ひどい泣き顔を見られたのかしら?
女官はびっくりしただろうなと思っていたら、笑いが込み上げてきた。
また、涙が出てくる。
おしぼりを目に当てる。
「なんか、久しぶりに笑った気がする」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「お母さまと会える……かしら?」
スープを運んできてくれた女官に尋ねた。
女官はしばらく首を傾げて考え込んでいたが、ややしてから、頷いた。
「お伺いしてみます」
「よろしくお願いいたします」
頭を下げると、女官は一礼して、退室していく。
今日のスープは、なんだろう?
香りを嗅いでみて、すぐに分かった。
「ごぼう!?」
一口食べると、間違いなくごぼうだった。
「美味しい」
少ない量だと思っていても、スープカップが空になる頃には、十分お腹いっぱいになっている。
不思議だなぁと思いながら、カップをワゴンに戻した。
「失礼するぞ」
いきなり聞き覚えのない声がし、宙に浮いたままの女性が、皇女をひょいと片手抱きしたまま、現れた。
「失礼いたします」
皇女は申し訳なさそうに、言った。
「どうじゃ?」
その女性は空に話しかける。
「ふむ。やはり、呪いだな」
この世のものとは思えない美貌の男性が現れる。
それも、宙に浮いたまま。
「私が治します」
皇女がその二人の顔を交互に見る。
「ふむ。ここは靴のままではダメなところか」
男性がそう言うと、女性に片手抱っこされていた皇女の体が宙に浮いた。
そして、ゆっくりと足は床に近づくが、靴をはいたままなので、床から数センチ浮いたままだ。
「イタチのたちの悪い呪いだな。ある程度、お前の父親が防いでいたが、近くにいたから巻き添えをくらったような感じか?」
「少し言葉に気をつけろ。父親はそんなつもりはなかったぞ」
女性が男性をたしなめた。
「少し、触れますね」
皇女の両手の指先が耳の下に触れる。
温かいと感じていると、急に何か違和感を感じた。
「ふむ。私が引き取ろう」
男性が何かを引き寄せるように、右腕を動かした。
ぐい~んと、何かひっぱられるような感じがし、次に皇女の指の温かさを感じていると、急に女性に顔を覗き込まれた。
「なんか、いろいろとやってしまったようじゃな……」
皇女は首を傾げていたが、男性が説明しなくてもいいことを言ってしまう。
「俗に言う、美容整形というものだな。顔よりも性格を治すべきだろう」
「ツクヨミさま?」
皇女が振り返り、冷たい声で言う。
「いや、ひどいのはこれではなくて、姉の方だ」
「ツクヨミさま?」
「言葉が過ぎたか?」
「はい。女性にいう言葉ではありません」
「正直にいいすぎじゃ」
女性が呆れて言うが、その女性の顔も、絶世の美女だった。
「もう、抜けたな」
皇女は女性に頷く。
「耳に違和感が少しあるかもしれませんが、徐々に慣れます」
「は……い……」
状況が理解できない。
「もし、顔を変えて別の生き方を願うなら、力を貸そう」
男性はそう言うと、すっと消える。
皇女は小さくため息を付き、絶世の美女を見る。
「戻ります」
「わかった」
女性は頷く、そして言った。
「ゆっくり考えよ。自分の頭で。自分の言葉で。あきらめるでないぞ」
そして、ニッコリと笑う。
「失礼しました」
皇女が言い終わらない内に、二人の姿が消えた。
「え? どういうこと? 一体何が起こ……?」
「え?」
声を出してみる。
いつもと微妙に聞こえ方が違う。
祝詞を唱えてみた。
「あ、違う」
「え?」
思わず両手で耳を覆ってみた。
「え……?」
「聞こえてる?」
ストレスだと思っていた。
父の病気、祖父母のお世話。そして、姉が投げ出した公務。
忙しすぎた。
その結果、患った病気の後遺症で耳が聞こえづらくなった。
黙っていたが、何かの折に、それを公表した。
姉の態度はひどかった。
「恥ずかしいわね。同情をひきたいの?」
ポカーンとしていたら、更に続けて姉は言った。
「なに? その馬鹿面。口はちゃんと閉じなさいよ。たとえ歯が邪魔でもね」
そう言いながら、笑っていたのだった。
「皇女さまと、比べるだなんて……」
ふっと笑いが込み上げてくる。
「比べる以前の問題だったのよね。それを認めたくなかったからと言って……」
ずる賢いのではなく、プライドが高いただの小心者だ。
「タヌキ?」
よくタヌキ親父という言い方をするが、姉はタヌキだったのかもしれない。
「小賢しく、ずる賢い。キツネとも言えるけど、どっちもどっちね」
今まで皇族だったからと、出来なかったこともある。
勉強をしなおそう。
そして、やりたかったことを仕事にしよう。
ただ、できれば、田舎がいい。
気持ちが固まったころ、ドアがノックされた。
「はい、どうぞ」
ドアが開き、「失礼いたします」と入ってきたのは、いつもスープを持ってきてくれる女官だった。
母と別居してからの女官だったから、名前は知らない。
じっと顔を見ていると、女官が少し首を傾げた。
「すみません。お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
女官は少し驚いたようだった。
「鈴木湖夏と申します」
「こなつ、さん? どんな漢字を書くのかしら?」
「湖に夏と書いて、こなつです」
「夏生まれでいらっしゃるの?」
少し苦笑する女官。
「実は10月生まれなので夏ではないのですが、生まれた日がとっても暑くて夏のようだったということで、『湖夏』となったようでございます」
「そうなのね」
「はい」
「母はあなたのことをなんて呼んでいるのかしら?」
「下の名前をさん付けで呼んでいただいております。鈴木があと3人ほど職員にもおりますので」
大きく頷き、納得する。
「では、私もそう呼んでもよろしいかしら?」
表情を伺うように見ると、少し口元が微笑んでいるように見える。
「問題ございません」
「湖夏さん、母に、会えるかしら?」
女官は大きく頷いた。
「今、大丈夫かしら?」
女官はクローゼットの扉を開ける。
「お着替えはこちらに用意してございます」
「ありがとうございます」
「お手伝いいたしましょうか?」
「いいえ、大丈夫です。ありがとうございます」
「かしこまりました。何かありましたら、廊下におりますので声をかけてくださいませ」
そう言うと、女官は一礼して退室していく。
ベッドから降り、両手を上にあげて、体を伸ばす。
思ったよりも、体は動く。
いつもならスポーツウエアかトレーナーやパーカーだ。
ここに用意してあるのは、年齢相応の服装といえるものだった。
パジャマを脱ぎ、シンプルなワンピースを着る。
そしてジャケットも忘れない。
たとえ母でも、今の身分は、私は平民。
そう、平民。
母は皇族の生まれでなくても、皇族。
鏡を見て、髪もまとめる。
化粧も少しだけ、した。
靴をどうしようかと思っていたら、フラットシューズが用意されていた。
室内用のスリッパを脱ぎ、フラットシューズを履く。
そして、鏡で全身をチェックする。
「よし、おかしなところはないわね」
そうして、ドアを開けて廊下の様子を伺う。
女官が立っていると思ったのに、そこに立っていたのは、母だった。
「体調はいかがですか?」
「問題ありません。ご心配いただき、ありがとうございます」
不思議と言葉がすっと出てきた。
「よかったわ」
本当に安堵しているとわかる声だった。
「廊下で立ち話もね……。お部屋に移動しましょう」
そう言って案内された部屋は、居間だった。
母のプライベートな部屋だというのは、わかる。
丸テーブルに椅子が4脚。
すでにランチョンマットが敷かれていて、座席は指定されたようなものだった。
向かい合わせではなく、隣同士。
「どうぞ」
母が椅子を引いてくれた。
「ありがとうございます」
不思議と、体は動く。
母は隣に座り、顔を上げると、先程の女官とは別の人が立っていた。
「お願いしますね」
「かしこまりました」
一礼すると、ワゴンを押してきた。
「失礼いたします」
ワゴンをテーブルの脇に止めると、紅茶とプリンが目の前に置かれた。
紅茶の色から察するに、アッサムティーだろうか。
テーブルの中央には、ミルクピッチャーとシュガーポット。
女官は一礼すると、下がっていった。
母と二人だけになる。
「このプリン、最近いただくことが多いの」
そういって、母はプリンを勧めてきた。
カップに入ったプリンだった。
スプーンで一口食べてみる。
いろいろプリンを食べる機会があったが、これは不思議な感じがした。
「美味しい」
美味しさと感じる温かさ。
「でしょう? このプリンは先程スサノヲさまがこちらに届けてくださったのよ」
思わず首を傾げる。
「スサノヲさまが、プリンを……ですか?」
「ええ。アマテラスさまもお気に入りだそうよ」
そう言って、母はプリンを食べる。
「それで、お話って、なあに?」
思わずプリンをお皿に戻し、スプーンもお皿の上に置く。
そして、姿勢を正した。
「ありがとうございました」
そう言って、頭を下げる。
「お礼なら、皇太子殿下に言ってちょうだい。あなた達姉妹を本当に助けたのは、あの方なのですよ」
「え?」
「ほんとにね。皇太子殿下はお礼を言われても、きょとんとなさってるでしょうけどね」
「そういえば、耳を治していただきました」
「ええ、話を聞きました。あの人にかけられた呪を一部引き受けていたということのようでしたよ」
「引き受けた?」
「ツクヨミさまがおっしゃるには、『私の元気を分けてあげたい』という言葉に反応した呪いがあったそうです」
驚きしかなかった。
「相手を想っての結果でしたから、神々がお力を貸してくださったようです」
皇女を抱きかかえて現れたアマテラス、失言して皇女に怒られていたツクヨミ。
そう言えば、皇女の態度は、いつもと変わらなかった。
「皇女……皇太子殿下は、すごい方でしたのね」
姉なら決して言わないであろう言葉だった。
「ええ」
柔らかな笑みの母。
幼い私達に向けてくれていた笑みだった。
「あなた達は、少し、洗脳されていたようです」
紅茶のカップに手を伸ばしながら、母は言った。
「ツクヨミさまのお力で、洗脳を解くのに三ヶ月かかるとも言われました。例の飛行機の件は、もう落ち着いてますけどね」
「洗脳……」
「酷かったのは姉の方だったようですね」
「そうなんですね」
言い方や表情が異常だと思ったことはあったが、洗脳だとは思わなかった。
「お姉さまはあの国へ行ったのですね」
「勉強し直すみたいね。自分のやりたいことをやればいいと思うわ」
突き放して言っているわけではない。
「あなたは、決まったの?」
ゆっくりとうなずく。
「はい。看護を勉強したいと思います」
「看護?」
「勉強して、障害者福祉に……役立てたい」
母は大きく頷いた。
「あなたの好きにしなさい。何か、必要なものはある?」
しばらく考えて、答えた。
「ツクヨミ様にお願いしたいことがあります」
母は首を傾げただけだった。
「ピアスの穴を塞ぐのと、整形した顔をもとに戻すのって、できるんでしょうか……」
母は目をパチクリとさせていた。
「顔を変えたら、免許証やパスポート、困るんじゃないの?」
「それぐらいなら、問題ない」
ツクヨミが現れた。
「それでいいのか?」
しっかりとうなずく。
「わかった。公的書類は……免許証か。あとパスポートの写真。その前に、整形をなかったことにするということだな」
そう言うとツクヨミは、手を伸ばしてきた。
触れるのかと思ったが、そのギリギリのところで止まる。
「終わったぞ。免許証とパスポートの写真は変更しておいた。あと何かあれば、その時に声をかけてくれ」
それだけいうと、ツクヨミは姿を消す。
「え?」
痛みはなかった。
母の顔を見ると、更に驚いた顔をしている。
「私の顔、変わったの?」
「さっきとは違うわね」
母は目線で女官に合図をした。
女官がしばらくすると手鏡を持って現れた。
「自分で確認すればいいわ」
母はじっと顔を見てくる。
私は手鏡を受け取り、自分の顔を見る。
幼い頃の面影はある。
決して美人とは言えない顔。
コンタクトではなく、メガネだからか、なんとなく二時間サスペンスドラマで家政婦を演じていた女優に似ている気がする。
「何もしないほうが、よかったのね……」
母は黙ったまま頷いた。
「あなたの素直な自然な笑顔。それだけで十分だったのよ」
「……ありがとうございます」
本心から、言えた。
やっと、言えた。
顔を上げると、なぜか母の顔が滲んで見える。
「もう、あなたは自由なのよ。人前で泣いてもいいの。怒ってもいいのよ」
「はい」
ポタリと涙が落ちた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
勉強は苦手ではない。
ただ、体を動かすことのほうが、得意なだけ。
父の仕事のお手伝いをしようと思ったが、用意された大学には、自分が進みたいと思う学科がなかった。
だけど、今は自由だ。
ちょっと経歴で落とされるかもしれないけど、そう思いながらも社会人入学できる大学を探した。
東京から離れてもいい。
むしろ離れたい。
色々調べた結果、結局関東エリアから離れることはなかった。
「進路が決まるまで、ここにいたらいいわ」
母の言葉に甘えさせてもらおう。
ネットから出願し、第一志望は1ヶ月後に受験。
合格発表は1月中旬。
第二志望も決めた。
受験日まで、頑張ろう。
第一志望の合格発表があった日、皇族から一般人になった笠居惺子の額から、ツクヨミとスサノヲの印が消えた。




