21話 第六のカケラ
フィクションです。
「お世話になりました」
そう看護師に告げ、藤尾礼は白杖で点字ブロックを探り、病院を後にする。
治療費は、運転手が全額負担するということで、運転手の家族によって支払済みになっていた。
何かあれば弁護士に連絡すればいいらしい。
その連絡先を受け取ったが、何かあったとしても連絡するつもりはなかった。
何かの気配が私の周りでしている。
目が見えない分、耳が少し悪い分、別の目が開いているような感じが時々していた。
白杖を持って、点字ブロックを使って道をあるいてはいるけれど、目を閉じていたほうが、なんとなく見えているような気がする。
ただ、人はわかるけど、歩道に置かれている自転車は分かりづらい。
白杖がないと、転んで大変なことになってしまう。
とりあえず、家に、戻ろう。
何かが私の周りにいる。
初めての感覚だった。
視線は上から来ている。
建物があるのならわかるけど、公園のベンチに座っても、上の方でなにかの気配がしていた。
ただ、自分に危害が及ぶような感じはしない。
お昼ごはんを買って、家に帰ることにした。
家は、今いる公園からそんなに遠くない。
帰り道にパン屋さんがある。
その横にはお肉屋さんがあり、いつも揚げたてのコロッケのいい匂いがしていた。
パン屋のドアを開けると、カランコロンと音がする。
「あ、お婆ちゃん、今日は何がいい?」
明るい声がする。
「食パン……6枚切りがいいかな」
「わかった。他は?」
「ん~」
考えていると、急に思いついたものがあった。
「スコッチエッグカレーある?」
「ちょうど揚がったところよ。何個?」
「2個お願い」
「はい。じゃあ、食パン6枚切りと、スコッチエッグカレー2個で、630円になります」
バッグについてる紐をたどると、SUICAがある。
支払いはそれで済ませた。
「まいどありがとうございます。熱いから袋が二つになっちゃうんだけど、大丈夫かなぁ?」
少し考えて、うなずく。
「カレーパンはポケットに入れて帰るよ」
そう言うと、店主は左右のポケットに1個ずつカレーパンを入れてくれた。
「カイロ代わりだね」
「温かいね」
お店をでると、隣でコロッケを買う。
「今日も5個かい?」
「うん、あ、今日は冷めてるのでいいよ?」
「残念、揚げたてしかないよ」
「いつも、ありがとうね」
会計をSUICAで済ませ、隣のビルの入口に立つ。
自動ドアが開き、管理人が声をかけてきた。
「おかえりなさい」
「ただいま」
管理人さんがいる方に歩き、カウンターがあることを確認し、まだ温かいカレーパンを1つ置く。
「今日もアツアツだよ。やけどしないように食べてね」
「いつもありがとうね」
エレベーターの前を通り過ぎ、突き当りのドアを開ける。
そして、戸締まりをして、靴を脱ぎ、部屋の中に入る。
管理人がいるが、このマンションは私がオーナーだ。
親が残してくれた不動産で、働かなくても、生活できるだけの収入はある。
買い物はすべてSUICAを使い、残高がある一定の金額よりも少なくなると、自動的にチャージできるようにしてもらってた。現金を出さずに支払いができることが、礼にはありがたい。
不思議な気配はまだ付いてきていた。
今度は窓の外から気配を感じる。
「鳥なのかな?」
窓を開けて外を見る。
前にあるのは私と同じ年齢の桜の木だったはず。
週に三回、契約している家事代行サービスが来て、掃除や洗濯、料理の作り置きをしてくれる。
オーナー特権で、入居者の人にも紹介しているが、契約してくれた人には共益費なしということにしている。
部屋の中をきれいにしてくれる人には、本当はもっと安くしてもいいと思っているが、不動産会社がそれをよしとしてくれない。それで妥協してくれたのが共益費だった。
視線を感じる方に顔を向けるが、よくわからない。
ただ、悪意はない。
好奇心でもない。
何なんだろう?
反対側の窓も開け、風を通す。
部屋の中の空気の温度が少し下がる。
「そう言えば、黙って外泊しちゃったんだね……」
部屋の中を見渡し、呟く。
「帰ろうと思っても、帰してもらえなかったんだよ……」
何となく、仕方ないねというような気配が伝わってくる。
とりあえず、テレビを点けてみた。
『え~、昨日の◯◯の交差点での交通事故では……』
「おや?」
記憶にある交差点名。
そして、交通事故。
『亡くなった方身元はまだわかっていません。恐らく二十歳前後の青年でした。目撃者の証言では、迷うことなく、白杖を持っていた人を突き飛ばしていた……ということでした』
『突き飛ばされた方は……?』
『手と顔に擦り傷を負いましたが、命に別状ありません。検査も異常はなかったので、今朝、病院を退院されたとのことです』
『言いづらいのですが、その方は、助けてくれた青年が亡くなったということは……』
『病院ではそのようなことを一切伝えていないということです』
混乱するとはこういう事をいうのだろうか。
息が出来ない。
自分の呼吸音だけが大きく聞こえる。
息が、出来ない。
『落ち着きなさい』
急に頭の中に声が聞こえてきた。
『ゆっくりと、息を吐きなさい』
息を吐く。
息を、吐く。
『そう、ゆっくりと、息を吐いて……そう、ゆっくりと……』
不思議と気持ちが落ち着いてくる。
息を吐き切ると、すっと息が吸えた。
しばらく、ゆっくりと呼吸をし続けた。
気づくと、テレビの音は一切頭の中に入ってきていない。
聞こえていたのは自分の呼吸音と、頭の中に響いた声だけ。
『落ち着いたね?』
「はい。ありがとうございます。あなたは、誰ですか?」
気配がする方を向く。
こっちは窓。
桜の木がある方。
『今は、理由があって、鳥の姿をしています』
「そうですか……」
会話できていることに、何の違和感もない。
気持ちが落ち着いてくると、徐々にテレビの音がはっきりと聞こえてくるようになった。
『しかし、その青年は……例の夫婦をナイフで刺し殺しているんですよね?』
『そうです。映像でもそれはしっかりと残っています』
『不思議なんですけど、そのご夫婦とは面識が?』
『それは、まだわかっておりません。ただ、お二人共にナイフの指紋を消そうとしていたことは、確かなようです』
『暴れなかったんですか? それとも、もう、暴れるだけの気力もなかったとか?』
『警察からの取材ですが、すべてを受け入れたというような感じだったそうです』
『天罰ですか?』
『天罰でしたら、とっくに雷が落ちていそうですけど?』
『確かにそうですね』
テレビのリモコンでチャンネルを切り替える。
『え~では、この交通事故現場の目撃者から話を伺う事が出来ました』
『あなたはどの位置から事故を目撃したんですか?』
『え~。ここからです』
『ここは……事故現場がよく見えますね』
『はい』
『最初、どのような感じでしたか?』
『とにかく、クラクションがうるさかったんです。それで、それに気づいた人が、『逃げろ~』と』
『それで数人逃げた?』
『はい、横断歩道の信号が変わるのを待っていた人達は、一斉に、散らばりました』
『それで?』
『状況が飲み込めなかったのが、白杖を持っていた方でした。周りを不安げにキョロキョロとしながら、白杖を両手で持って持ち上げていたんです』
『白杖を上に……』
『私はその意味がその時はわかりませんでした』
『すみません、私にもわかりません……』
『ですよね。あとから教えてもらったんですけど、困ったことがある時は、白杖を両手で持ち上に掲げるということらしいんです』
『まさに、その状態だったということですね?』
『はい。周りにいた人でそのことに気づいた人はいなかったかもしれません。一人だけ残ってる、どうしようと思いました。でも、車のスピードを考えたら、どうやっても間に合わないんです』
『時速70キロでした』
『ここ、制限速度30キロですよ?』
『警察の計算結果で、70キロです』
『助けたいのに、体は動かない。でも、その青年は迷うことなく、ものすごい勢いで、その白杖を持っていた方を突き飛ばしたんです。それも、植え込みの方に』
『え? あえて、植え込みの方なんですか?』
『はい。最初の一歩は、まっすぐその人に向かうかと思ったんですけど、その次、左側に来たんです。さらにもう一歩左に来て右側に突き飛ばして、植え込みだったんです』
『ここからみるかぎり、倒れ込んでもまだ安全なのは植え込みでしょうか……』
『私はそう思います。それ以外はタイルなんです。頭を強く打ってたらどうなっていたかわかりません』
『では、その青年はその人が確実に助かるように突き飛ばした……と』
『私はそう思います。その時、不思議なんですけど、『ごめんなさい』と聞こえたような気がしたんです』
『ごめんなさい、ですか?』
『はい』
『その人が例のご夫婦を刺殺した犯人なんですが……』
『そうらしいですね。でも、その二人に対してじゃなくて、突き飛ばした人に『ごめんなさい』です』
『え~、インタビューはここまでです』
『殺人犯が、ごめんなさい、ですか』
『はい』
『もしか、したら……ですけど、前の二人のことは別で考えたほうがいいんじゃないですか?』
『といいますと?』
『この青年は、私が調べたところ、この近くのファストフード店で一日に二回も同じメニューを食べていたというんです』
『同じメニューを一日に二回ですか……』
『はい。接したスタッフによりますと、礼儀正しい、好感の持てる青年だったということです』
『それ、本当に殺人犯なんですか? 全く繋がらないような気がするんですけど……』
『そうですよね。そもそも身元不明なので……』
『顔は出てこないんですよね? 指紋でもわからないんですか?』
『指紋での前科はありません。それに顔は……』
『事故でかなり悲惨なことになっておりましたので、復元は難しいとも言われています』
『防犯カメラの映像に顔は映っていないんですか? 顔認証を使ったんですよね?』
『防犯カメラの映像で、顔は映っていないんです』
『どのカメラもですか?』
『はい。顔が映ってると思ったら、ぼやけているんです』
『え?』
『ですから、どのカメラにも顔ははっきりと映っていません。映っていたとしても、顔にはぼかしが入っています』
『それ、防犯カメラの性能……とか?』
『いいえ、ごく普通の防犯カメラです』
『もしかして、神々が何かお力を貸した……とか?』
『どうなんですか? さっきから黙って話を聞いている仮の宿の占い師さん』
『そうですね……』
しばらく沈黙があった。
『ツクヨミ様からは、何もしていない、とだけ聞いています』
『何もしていない……ということは?』
『その青年の動きに、何の関与もしていないということです』
『ではスサノヲ様が動かれたとか?』
仮の宿の占い師が笑い出す。
『あの方が動かれると、皆さん、困りますよ? 電子機器は使えなくなるでしょうし、下手すれば感電死です』
『え……っと?』
『参拝でいかずちを落とされたのはスサノヲ様です。アマテラス様が穢をいやがったので、穢を払ったということです。あの時、意識不明となっていましたが、即死でしたよ』
『え?』
『どなたもそのことに触れないので、一応、お話いたしました。あれがもうがまんできない神々の怒りの始まりだったんです』
し~んとなるスタジオ。
『国民の怒りがあの二人に向かっていたと思いますが、すめらぎには……この光景が見えていたんだと思います』
『あの二人が、殺されるということ……ですか?』
『ええ。避けようとしたのですが、もうどうしようもないということをツクヨミ様に言われたと』
仮の宿の占い師は、小さく息を吐いた。
『運命は変えられぬということです』
はっきりとした声で、仮の宿の占い師は言い切った。
『ですが、あの青年の運命はどうなるのです?』
『そうですね……。すめらぎからお話するのをお許しいただけましたので、お話いたしましょう』
『よろしくお願いいたします』
『あの青年は、あのご夫婦の二番目の息子さんですよ』
『え?』
『は?』
『ええ??』
『え~~~????』
落ち着くのを待って、仮の宿の占い師は続けた。
『ご夫婦が退院する時に抱っこしていた男の子は生後8ヶ月で命を落としております。それから二週間もしないうちに……ですね、スペアとして体外受精と代理母で作られた子どもたちがいたのですよ。そのうち、よく似た子どもを連れてきた……ということですね』
『もしかして、トンボの?』
『はい。幼少の頃、トンボを追いかけ回していた子どもが大きくなったのが、彼です』
『では、参拝の時は……』
『体外受精で、代理母がいっぱいいたら、子どももいっぱい生まれますよね。あの影武者たちの映像、覚えていますよね?』
『ええ、あれはショッキングな内容でした』
『それをしたのが、先程の青年です』
『え?』
『それって、罪を更に重ねたということですか?』
『ん~。罪を重ねたというよりは、罪を取り払ったという感覚だったと思います』
『でも、看護師も数人亡くなっていますよね?』
『そのように見せかけていただけで、蘇生は間に合ってますよ』
『え? どういうことですか?』
『仮死状態になる薬だったようです。睡眠剤とは少し違う薬ですね。すぐに助け出されて、手当受けてますよ。あの青年が命を奪ったのは、影武者達です』
『そういえば、あの火事で、火事が原因で怪我した人も亡くなった人もいませんでしたね』
『ええ。あの雨は、アマテラス様が火事を消すためだけに降らせた雨。そして、清めの雨でした。水龍を使われたのですからね』
『水龍ですか?』
『ええ。見えてる人には、わかっていたはずです。あの建物全体を水龍が巻き付いてたことに……』
『そ、そうなんですね』
『はい。ですから、あの青年は……恐らくですが、存在してはいけないものを消し去ろうとしたのではないかと思うのです』
『存在してはいけないもの……』
『離脱させられたといっても、すめらぎのかつての弟君であられた方です。判断が遅くなったのは、すめらぎの情があったからでしょう。ですが、すめらぎの情の意味があの男は全くわかっていなかった。だからあのような結果になったのだと思います』
『では、あのご夫妻は、ナイフを持っていたのが誰かということが、わかっていたと?』
『わかっていたから、指紋を消そうとしたのです。彼を自由にするために』
し~んとなるスタジオ。
『だからといって、彼が犯した罪が亡くなるということはありません』
『もしかして、その……トンボの青年は、死のうとしていた……?』
『それは、わかりません。ただ、自分の存在も許されないものだと思っていたとは思います』
『だから、突き飛ばせた……のですか?』
『そのあたりは、深く考えていなかったのではないでしょうか? あの人が危ない。助けるには突き飛ばすしかない。痛い思いをさせてごめんなさい……ということではないでしょうか?』
『なるほど、何も考えずに、助けようとして突き飛ばされ……なんですね』
『はい』
『じゃあ、その魂は成仏できたんですか?』
すぐに仮の宿の占い師は答えない。
『魂はどうなったのですか?』
返事は大きなため息だった。
『成仏……以前の問題でした。これ以上、そのことにはお答えできません。ツクヨミ様に言われております』
『……そうですか。では、その話はここまでですね』
『ええ。その答えは……すめらぎ一家が今朝出された動画でわかりますよ。一度、ご覧になってください』
『わかりました。それでは一旦ここでCMです』
「あの青年の魂はどうなったのですか? 成仏できたのですか? それとも地獄に落ちたのですか?」
『成仏も、地獄もどっちでもない』
「では、彷徨っているのですか?」
『いや、消えた。役目を終えたから、消えた。それだけだ』
「消えた……。でも、私には知る権利があると思います。私は彼に命を助けてもらったのです」
『いつか、教えよう。ただ、それは、今ではない。もう少し待ってほしい』
「もう少しとはどれぐらいでしょう?」
『そなたのまわりを見張る者がいなくなるまで』
「え?」
『見張られておる。それがなくなるまで、待て。私はこうやって近くにいるから』
「わかりました」
『いつものように生活すれば、問題ない』
「はい」
『あ、少しだけ、耳を触らせてもらった。音が聞こえやすくなっているはず』
「あ……不思議でした。今、補聴器をしていないのに、テレビの音がはっきりと。喋ってる声の違いもわかりました」
『その生活に、少し慣れればよい』
「ありがとうございます」
礼は目を閉じた。
自分の体の輪郭がぼんやりと見える。
不思議なことに、黒い部分がない。
「もしかして、悪いところも?」
『ああ、取り払った。少しは歩きやすくなっただろう?』
「ほんとうに、ありがとうございます。もしかして、私は……何かしないといけないのでしょうか?」
『いずれ、話す。ああ、寿命を縮めるとか、犯罪を犯すとか……ということではないから、安心してほしい。人探しをしてほしいだけだ』
「わかりました」
目を開けると、相変わらず、ぼんやりとした世界。
テレビがカラフルに光っているのはわかる。
テレビの音を少し小さくした。
そして、買ってきた熱々のコロッケを食べることにした。
一つずつ、小袋に入っているので、食べやすい。
「おいしい……」
ソースがなくても、十分美味しいコロッケだった。




