19話 『僕』
フィクションです。
『大丈夫?』
頭の中に声が響く。
僕を心配してくれてる。
『なんとか、大丈夫』
そう頭の中で答えながら、改札口を出た。
僕はお金を持っていない。
拾った財布から、少しお金を借りた。
その財布は、頭の中で相談すると『本人に届ける』と言われた。すぐにその財布が目の前から消えた。
『お金が減ってることに気づかない?』
『それは大丈夫。メモを入れておいた』
『なんて?』
『拾得物を届ける代わりに一割と手数料をいただきました、と』
中に入っていたのは現金十万円。
僕がもらったのは、1万円と小銭全部。
『急ごう』
急かされ、病院を目指して歩く。
帽子を被っているから、僕が誰なのか、すぐにはわからないだろう。
僕の代わりに神社に報告をしに行ったお祖母さまのお気に入りの『僕』は、いかずちを落とされ、存在を消されたらしい。なのにいまだ『意識不明の重体』のまま。
一番元気な『僕』が『俺じゃなくてよかった~』と言っていた。
その横で、『俺達が存在する意味、無くね?』と言っていたのは、最近、お母さまがお気に入りだった『僕』だ。
『指示に従うだけ』、そう言ったのは高校の卒業の時に記者会見というのをした『僕』。
『次は誰が行くんだろうな?』と言っていたのは、よくお父さまやお母さまと一緒に出かけていた『僕』だった。
『僕』は一体、何人いるんだろう?
何人いたんだろう?
まだ外に出ていない『僕』もいる。
顔も少しずつ違うし、身長も体型も違う。
でも、みんな『僕』。
不思議だね。
ある日、頭の中が急にスッキリとした。
その日から、頭の中から声がするようになった。
その声の主は名前を教えてくれない。
僕は知らないほうがいいらしい。
でも、その頭の声は、僕がするべきことを教えてくれた。
『僕』は一人しか存在しないほうがいいらしい。
そして、本当の『僕』は赤ちゃんの時に亡くなったと。
『病院に入れる? 大丈夫そう?』
病院の建物が見えてくる。
頭の中の人が言うには、ここに、僕のお母さまがいるらしい。
僕が持っているボディーバッグの中には果物ナイフが二本入っている。
お母さまの分とお父さまの分。
優しかったお姉さまはもう一人のお姉さまに殺された。
そのお姉さまは生きながら体が腐っていくという呪い返しにあったらしい。
それで、日食が起こった日に、亡くなった。
呪っていたのはお母さま。きっとあの優しい伯母さまや従姉のお姉さまを苦しめようとしていたのだろう。
いつだったか、お母さまは、『僕』たちの頭に何かを入れた。そして、自分の思うままに動かそうとしていた。
そんな人が、まだ生き残っている。
拾った週刊誌に書いてあったのは、母親の呪いで妹が姉を刺したということだった。その内容が面白おかしく書いてあった。
僕が大好きだった従姉のお姉さまを守ったお姉さま。
結婚した時は『もう日本に帰って来るな』と言われていたお姉さま。
僕には優しかった。
いつも怒っているお母さまから守ってくれたのは、お姉さまだった。
お姉さまがお母さまだったらよかったのに。
『入口から普通に入って』
言われた通りに、自動ドアの前に立つ。
ドアが開いた。
『奥に見えるエレベーターに』
顔を上げると、エレベーターが見えた。
ロビーには思ったより人がいた。
ベビーカーを押している人もいた。
杖をついているおばあさんの横には、介護士らしき人。
目立たぬようにロビーを進む
そして、エレベーターのボタンを押した。
『6階』
閉めるボタンを押し、6を押す。
『看護師に見つからない?』
『少し、騒ぎを起こそう。問題ない。すぐ右に曲がってまっすぐ進め』
小さくうなずき、上を見て、ランプの色が変わっていくのを見る。
チンと音がし、6階に着いた。
言われるまますぐに右に曲がる。
どこかで、ピーピーピーピーと音がしている、その後、走る足音が複数。
ナースステーションでは何かを言っている。
「先生を呼んで!」
何が起こっているんだろうと思いながら、まっすぐに進む。
『右に曲がれ』
丁字路みたいな廊下を右に曲がる。
病室が並んでいるが、全部面会謝絶となっている。
『ここだ』
部屋番号は書いていない。
そっとドアを開け、サッと中にはいりドアをそっと閉める。
ベッドには誰かが寝ているようだ。
誰が寝ているんだろう? 本当にお母さま?
そう思いながら、ベッドに近づく。
黒髪だった髪の根本が白い。
そっと顔を覗き込んでみる。
首筋はシワシワ。
顔にもくっきりとシワが刻まれているが、間違いなく、お母さまだった。
果物ナイフをバッグから取り出し、両手でしっかりと握りしめる。
そして、全身の力を込めて振り下ろした。
カッと目が開き、ゆっくりとその目は僕を見る。
「ひぃくん……」
聞き取りにくい声だったけれど、ちゃんと僕のことを呼んだのがわかった。
「え?」
僕の事を『ひぃくん』と呼ぶのは、下のお姉さまだけ。
上のお姉さまはそう呼ばない。
お母さまもそう呼ばない。
お母さまの姿なのに、どうして?
『ああ、魂が……次女だ』
「え?」
「早く、逃げ……なさい。ここは、いいから、早く、逃げて」
記憶にある優しい姉の眼差しだった。
「お姉さま、ごめんなさい」
そう言うと、病室を出る。
『そのまま左へ進め』
言われるまま、足を進める。
非常階段の扉が見えた。
『これで三階まで降りる』
言われるまま三階まで降り、ドアを開け、さらに病院の中を進んで、ロビーに出た。
そして、何事もなかったかのように、外に出る。
心臓がバクバクしている。
『走るな。普通に歩け』
気持ちゆっくり目に歩き、病院から離れた。
『次は?』
『ちょっと待て……』
『何? どうしたの?』
『ああ、すめらぎの結界の中なのか……』
僕はお腹が空いたから、以前『僕』が入ったという牛丼屋に入ってみた。
注文の仕方は『僕』が得意げにみんなに教えてくれていた。
入口にある機械で、自分が食べたいものを選んで……お金を払う。
それで、その番号が出たら受け取りに行けばいい。
空席は半分ほど。
どこに座ってもいいらしい。
僕は店全体が見渡せるところに、座った。
待ってる人がいなかったのか、すぐに持ってる番号がカウンターの上に表示された。
食券を持って、受け取り口に行く。
「ありがとうございます、いただきます」
「あいよ」
にこにこしたおばちゃんだ。
席に戻って、手を合わせてから食べる。
思わず声に出しそうだった。
周りの人は、ほぼ一人で入っているみたいだ。
もくもくと食べている。
返却口に戻して、「ごちそうさま~」と言うと、奥から「ありがとうございました~」と聞こえてくる。
そういうやり取り、初めて見た。
一口一口、大事に食べる。
僕の好きな味だ。
そろそろお腹いっぱいになってきた。
丼の中にはあと一口分残っている。
『お米一粒、残さず食べましょうね』
幼い時、毎日行っていたところで、そう言われた。
お箸がうまく使えないけど、スプーンがあって、助かった。
最後に、お茶を飲む。
いつもなら、ここで歯磨きをさせられているところだけど、歯ブラシもコップもない。
『動けそうか?』
『うん。さっき、どうしたの?』
『よくわからないんだが、今まですめらぎの結界が張っていたところの結界がなくなった』
『それ、罠ってこと?』
『だから、気配を探っていた。お目当てのモノは、そこから出てくるようだ』
『出てくる?』
『ああ、見た感じでは持っているのはカバン一つ、どこかの駅の前で降ろされておるな』
『周り、誰もいないの?』
『ああ、いない』
『もしかしたら、切符の買い方がわかってないのかもしれない』
『今からそこの駅に……行ける?』
『結構距離があるぞ』
『大丈夫。どの電車に乗ればいい?』
『そうだな……◯✕線だな』
僕はトレーを持って立ち上がり、返却口に返す。
もちろん言うのを忘れない。
「ごちそうさまでした。おいしかったです」
「ありがとうございました。また、おいでね」
「はい、ありがとうございます」
なんか、いい人だな。
そう思いながら、店を出る。
帰りに、ここに寄れたらいいな。
そう思いながら、僕は駅を目指した。
そして、別の財布を拾った時に、お礼として交通系ICカードというものをもらっていた。
それを使う。
ピッとカードを当てるだけで、改札口に入れるって、すごいね。
一応、残金を確認する。
まだまだ、大丈夫。
行く先を確認し、そのホームを目指す。
どうやら逆向きは人が多いけど、こっちの方は人が少ないみたい。
ホームに電車が入ってきた。
目的の駅に止まることは確認済み。
ドアが開いたから、乗り込んだ。
片手で数えるぐらいしか、人が乗っていなかった。
僕は、景色が見たかったから、ドアのそばに立って外を眺める。
ガタンゴトン。
ガタンゴトン。
電車って、いいね。
外を見ながら、そう思う。
気持ちよさそうに寝ている人もいる。
この揺れでは僕も寝てしまいそうだ。
『少し、眠ればいい。近づいたら、起こしてやる』
『うん、ありがとう』
すぐ近くの席に座った。
目を閉じて揺れに身を任せていると、いつの間にか、眠ってしまっていた。
あぁ、従姉のお姉さまに会いたいな……。
そう思っていたからか、幼い時の夢を見た。
伯父さまは、トンボの話を楽しそうに聞いてくれた。
そして、教えてくれた。
『トンボは後ろに下がらず、前に進んで飛ぶでしょう? だから勝利を呼び込むとされ、昔から縁起がいい虫なんだよ』と。他にも『しょせつ』あるらしい。
そんなこと、家族の誰も教えてくれなかったよ。
また、トンボ、捕りに来たいな……。
『そろそろだ。起きなさい』
『う……ん』
目をこすり、ゆっくりと目を開ける。
『ここ、どこ?』
『どこに行こうとしていたのか、寝て忘れてしまったのか?』
『あ、大丈夫。お父さま、探してるんだよね』
『大丈夫か? 心配になってきた。もうすぐ、駅に着く。まだその近辺にいるようだ』
『電車に乗らなかったの』
『そのようだな。乗っていたらすれ違っていたか、面倒なことになっていたな』
『そっか。よかった』
椅子から立ち上がり、またドアのそばに立つ。
家らしき建物は、ポツン、ポツンと見える。
山もあり、誰の手も入っていない草むらもある。
蛇がいるかも知れないけど、どんな虫がいるんだろう?
「まもなく~〇〇~〇〇~〇〇駅に到着しまぁ~す」
独特のアナウンスだなぁと思いながら、ホームを見る。
電車に乗る人はいないみたい。
振り返って車両の中を見ると、僕だけだった。
『みんな、途中で降りていった』
『そっか』
「ドアは開閉ボタンを押してください~」
『このボタンを押したら、ドアが開くようだ』
ドアのそばにボタンがあった。
『開』と書いてある。
押したら、ドアが開いた。
自分でドアが開けれるなんて、すごい。
思わず、ぴょんと電車から飛んでしまった。
周りを慌ててみたけれど、誰もいない。
ここで降りたのは僕だけのようだ。
とりあえず、白線の内側に入る。
『もっと、電車から離れたほうがいい』
そう言われたから、後ろに2歩3歩と下がった。
電車が発車していく。
思わず車掌さんに手を振ってしまった。
車掌さん、笑顔で振り返してくれた。
改札もカードでピッとするだけだった。
こんなに人がいないところでも、カードでピッとできるんだ。
人が誰もいない。さみしい駅だ。
金額はまだ残ってるのかな。
数字は4つ並んでいた。
『お父さま、どこにいるか、わかる?』
『ああ、わかる』
『周りに誰もいない?』
『恐ろしいほど、誰もいない。あぁ、帰りの電車の時間を確認しておいたほうがいい』
言われたから、駅の時刻表と、時計を見る。
『一時間に二本。次は、三〇分後』
『そうなんだね。僕、今、二時っていうのだけ、わかったよ。小さい針を読むんだよね』
『そうだね。今は二時二十四分』
『すごいね、時計も読めるんだね』
『さ、早く駅からでて、右へ進め』
『うん』
駅の待合室を出ると、階段が四段あった。
それを両足を揃えてぴょんぴょんぴょんと、降りる。
「右だよね」
お箸を持つ方の手、と思いながら、右に曲がる。
駅の前の道なのに、狭い。
僕の家の前の道の半分ぐらいだ。
そう思いながら、歩いていったら、少し離れたところに丸い看板があった。
それは、バス停だった。
屋根がついてて、雨が降っても濡れない。
その下にベンチがあって、お父さまはそこに座っていた。
僕はゆっくりお父さまに近づく。
座っていたら、ちょっと難しいな……。
どうやったら立ってくれるかな?
あ、ナイフ、出しておかなきゃ……。
ボディバッグから、ナイフを取り出す。
いつでも使えるように右手で握り込み、後ろに隠す。
足音で、誰かが来たと気づいたのかな。
顔を上げて、こっちを見た。
僕はもう少し近づく。
お父さまの顔が驚きに変わる。
「◯✕」
何か言っているけど、よく聞き取れない。
お母さまの声は耳に痛いけど、お父さまの声は、時々聞き取りづらい。
伯父さまの声はどんな大きさでも聞き取りやすいのに。
一歩ずつ近づく。
お父さまはゆっくりと立ち上がった。
まだ信じられないものを見たような顔をしてみる。
「生きていた……」
僕は首を傾げた。
どの『僕』の事を言っているんだろう?
そういえば、伯父さまは、僕を見ると『トンボの◯✕くんだね』という。
必ず、頭にトンボと付く。
それは『僕』だけらしい。他の『僕』は言われた事がないという。
伯父さまは、わかってるんだね。
それに比べて、眼の前にいるこの人は……。
どうして、泣いているんだろう?
どの『僕』なのか、わかってるんだろうか?
何か口がもごもごと動いている。
でも、何を言っているのか、僕には聞き取れない。
あと一歩で手を伸ばせば、手が届く。
最後の一歩。
よし。
『どこを狙えばいい?』
『心臓はちょっとあばら骨があるから、難しいな。右脇腹のやや上側を狙えばいい』
『お母さまと同じところだね』
『そう。勢いも大事』
後ろに一歩下がり、前に倒れ込むように右手のナイフの柄の先を左手で包み込み、右脇腹やや上あたりを狙う。
すんなりと、ナイフは入った。
「さようなら。僕は存在したら、ダメだったんだよ?」
お父さまはゆっくりと、ベンチに座る。
「早く、行き、なさい」
左手で払うような動きをする。
「うん。さようなら」
僕はそういうと、駅に戻る。
振り返ってお父さまを確認することは、しなかった。
『まだ時間はある。今のうちにトイレを済ませておいたほうがいい』
『うん、そうする。手も洗いたいしね』
トイレを済ませ、手も顔も洗ってちょっとスッキリする。
ハンカチがびしょびしょになった。
いつもだったら、使用人がすぐに新しいタオルを出してくれていた。
『使用人がいないって、不便だね』
『いないことに、慣れなさい』
喉が乾いたから、自動販売機というもので飲み物を買う。
一度炭酸というものを飲んだら、こんな飲み物があるのかとびっくりした。
でも、大人になったし、そういうものを飲んでみたい。
『微炭酸というのがあるぞ。レモン味らしい』
『大人の味だね』
『飲みやすいと思う』
『うん』
ペットボトルを持ち、カードを当てて、改札口を通る。
来た方向に向かう電車に乗るのも同じホームだった。
よく見ると線路は二本しかない。
『そこのベンチに座っていればいい』
『うん』
力を入れて、ペットボトルの蓋を開ける。
硬かった。
ナイフで刺すよりも、力が必要だった。
一口飲んでみた。
シュワッとする。
でも、前に飲んだ炭酸飲料というものよりも、飲みやすい。
レモン味で、さっぱりすっきり。
『大人になったよ』
『よかったな』
少し呆れたような声だったけど、気のせいだね。
一度に飲みきれなかったので、また蓋をする。
そして、ボディバッグの中に入れた。
『これからどうする?』
『さっきの牛丼をもう一回食べる』
『それぐらいの時間になるか』
『お父さま、誰かに見つけてもらえる?』
『たぶん、大丈夫だろう。この電車が発車して、二時間後ぐらいにバス停にバスが来る。その時に見つけてもらえる』
『そっか。よかった。こういうのって、見つからないほうが迷惑なんだよね?』
『早く見つかるほうがいいが、こちらがここを完全に離れるまでは、見つかって欲しくないね』
『そうだね』
眼の前の景色をじ~っと見る。
こういうのをのどかな景色っていうんだろうか。
『そういえば、海を見たいな』
『海か?』
『そう。最近、よく聞く音楽あるでしょう?』
『あるな』
『あれ、浜辺の歌っていうんだって』
『それで、海か?』
『うん』
『牛丼を食べてから、考えればよい』
『そうするよ』
頭の中で話していたら、電車が来た。
ホームに止まるけど、全部のドアが開かない。
ドアの横にある開のボタンを押し、電車に乗った。
『そろそろ着く。起きなさい』
ぐっすりと眠っていたようだった。
いつの間にか、周りに人がいっぱいいる。
アナウンスを聞いていると、次で降りれば、乗った駅に戻る。
人の流れに乗って、電車を降り、人の波に逆らわず、改札を出た。
まだ、数字は4つ並んでいた。
人が多くなってきてるからか、お昼前に入ったお店はあんまり席が空いていなかった。
それでも、お昼と同じものを注文する。
同じおばさんじゃなかったけれど、違うおばさんがにこにこしていた。
『にこにこしてるって、いいね』
頭の中で、ため息を吐かれたような気がした。
お昼食べたのと同じ味。
すごいね。
ウチでご飯を食べる時、必ずと言っていいぐらい、お母さまがコックさんを呼びつける。
それで、文句を言う。
僕は早く食べたかった。
湯気が出ているハンバーグがどんどん冷めていく。
お父さまがいる時は、「先に食べなさい」と、先にご飯を食べさせてくれた。
誰かが言っていたような気がする。
『そんなに文句を言うなら、自分で作ればいい』
どこで聞いたのか、誰が言っていたのか覚えていないけど、僕はその通りだと思う。
眼の前の牛丼を食べながら、温かいだけですごく美味しく感じると思った。
お味噌汁も美味しい。
食べ終えた食器を返却口に戻し、「ごちそうさまでした」と奥に声を掛ける。
「ありがとうございました」と返ってくる。
奥を見ると、おばさんと目があった。
ちゃんと顔を見てくれる。
なんか、いいな……と思いながら、店を出る。
もう、日は暮れていた。
ヘッドライトを点けた車が通り過ぎる。
信号を渡ろうと待っていると、クラクションの音が聞こえてきた。
みんながそっちの方を見た。
「やばい、あのスピードで突っ込んでくるぞ? 逃げろ。この場から離れろ!」
スーツを来た人が後ずさる。
それが合図になったかのように、周りにいた人が後ろに下がり、交差点から離れる。
「あ、白い杖の人」
何が起こったのか、わかっていない。
白杖を両手で持ち、上に掲げている。
『あれ、なんの合図?』
『助けてくれっていう合図だと思うが……。あの人は、耳も悪いようだ』
よく見ると、耳に何か入っている。
「突っ込んでくるぞ、早く逃げろ!」
こういう時、ちゃんと体は動いてくれる。
足はその人に向かった。
なんか、右側からライトが眩しい。
この人の手を引っ張って逃げる時間はもうない。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
そう思いながら、その人を思いっきり突き飛ばした。
そこから記憶はもうない。
あぁ、あの交通のカード、返しそびれたな。
残ったお金も、返さないと……。
牛丼、美味しかったな。
次、いつ、食べられるかな。
『わかった、返しておいてやろう』
『ありがとう』
僕の記憶はここで終わった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
突き飛ばされた白杖を持った人は、植え込みがクッション代わりになり、手と頬に擦り傷を負った。
しかし、突き飛ばしたまだ幼く見えた青年は、周りの人が思わず目を背けてしまうほど、ひどい状態だった。
「救急車!」
誰かが叫び、周りの人が数人119番するが、周りを見て、「他の人もしていますので、この電話は切ります」といい、一人、二人と、通話をやめた。
最後まで状況を電話で知らせていたのは、偶然その場に居合わせた、朋美だった。
もう、命はない。
朋美にはそれが見えていた。
今日、一日で失われた三つ目の命。
神々からいびつと言われたその魂は、上にあがって行くこともなく、その場で霧散したのだった。
あれだけ影武者がいたのに、そんな魂の消え方はしていなかった。
運転手は通行人に助け出されていた。
しかし、通行人が思わず鼻を手で覆う。
「お前、酒を飲んでるだろ!」
横にいた通行人が怒鳴り声をあげた。
救急車のサイレンの音と、作業車のサイレンの音が近づいてくる。
その音に混ざってパトカーも来たようだった。
何人かが、それらの緊急車両を誘導する。
車の通行も、一部の歩行者によって、止められていた。
救急隊員が現場を確認し、首を横に振った。
救命措置ができる状態ではないのだろう。
朋美は、スマホを手に持ったままだった。
「通報された方ですね」
「はい」
「お話を聞かせていただけますか?」
救急隊員の横には警察官がいた。
「私、スマホで撮ってました」
違う場所から、手が上がる。
警察官がその人に駆け寄っていく。
朋美は、眼の前の救急隊員と警察官に、見たままのことを話した。
「朋ちゃん!」
晶子が駆け寄ってきた。
惨状を見て、目を閉じる。
そして、朋美の肩に手を置いた。
朋美は晶子の無言の励ましを感じ、小さく頷いた。
そして、左手の甲で涙を拭う。
「目撃者はかなりいたと思います」
事故の様子を話し始めた。
少し離れたところでは、白状を持った人を、救急隊員が容態をチェックしている。
「ごめんなさいって、聞こえたの」
その人は、救急隊員に言った。
「突き飛ばした……ことにかもしれませんね」
かなりの力で突き飛ばしていたようだった。
「私を助けてくれた人は……?」
「まだ、助け出せてません。時間がかかりそうです。先に病院に」
その人は、救急隊員の手を借りて、救急車に乗り込む。
救急隊員が後ろのドアを閉める。
その隊員が助手席に乗ると、救急車は発進した。
車の周りには警察官によってブルーシートが張られた。
運転手はパトカーの中で事情を聴取されているようだ。
アルコール呼気検査の結果、かなりの数値が出たようだ。
その場で現行犯逮捕されていた。
気づくと朋美の横に父の脩平が立っていた。
「大丈夫か?」
朋美はうなずく。
他にも録画していた人が近くにいて、その録画を朋美と晶子は見せてもらったついでに、そのファイルももらった。
普通なら、間に合わない距離だった。
ただ、それを、その助けようとした行為を助けていたのが、あの半分になっていた第六のカケラだったのだ。
突き飛ばされた人が聞いた『ごめんなさい』というのは、突き飛ばすことに対してだろう。
それしかその人を救う方法はなかった。
こうやって冷静にビデオを見ると、飲酒運転の車は、その人を狙っていたように見える。
「晶子さん……」
「私もそう思う」
そう言うと、脩平を見た。
同じビデオを見てもらい、脩平に意見を求めた。
「同じ、意見になると思う」
晶子は頷き、朋美を見る。
「確認、しましょう」
朋美はふと、首を傾げた。
「なんか、見られてません?」
脩平は目を右に左に動かした。
「この気配は、何?」
晶子は自分の腕をさすっている。
その時、す~っと風が吹いた。
「やっぱ、このお守り、効果あるわ~」
そう言っていたのは、女子高生だった。
手に持っていたのは、皇女が狙われたあの事件で配布したツクヨミの護符だった。
「消えた」
朋美の言葉に、脩平と晶子がうなずく。
「どういう、ことなの?」
それから、レッカー車が来て、事故車が前面をブルーシートで包まれて、運ばれていく。
青年の体は、警察車両に乗せられた。
その警察車両は、サイレンもなく、交差点を離れた。
その後を、警察官たちが、洗い流していた。
事故後、四時間で現場の通行止めは解除された。
近くの花屋から、花を買ってくる人が数人いた。
そして、その花が事故現場に手向けられた。
その中に、何故か青年が最後に飲んだペットボトル飲料も供えられていた。
事故現場にその魂はとどまるというが、青年の魂はとどまっていない。
あの霧散した魂はどうなったのか。
朋美は、事故現場に手を合わせた。
白杖を両手で持ち上に掲げるポーズ、がSOSのサインでした。
訂正しました。




