17話 母の姿をした娘
フィクションです。
作者はとんでもなく妄想しております。
どれぐらい時間が経ったのだろうか。
もう涙も出てこない。
女は、泣きつかれ眠ってしまった。
医師が入ってきて、状態を確認する。
そして、看護師に、点滴の指示を出す。
意識が戻ってから、食事を摂っていない。
水分も栄養もすべて点滴だった。
排泄は導尿カテーテルを使っている。
体は徐々に痩せていく。
それでも、鏡を見ては、泣き続けているのだった。
看護師達は優しい言葉をかけない。
業務を淡々とこなすだけである。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ねえね」
おねえさまがおとうさまのいもうと、聖子に駆け寄る。
ほんとうなら『おばさま』と呼ばないといけないらしい。
でも、おねえさまが『ねえね』と呼んでいるから、私もそう呼ぶ。
ねえねの笑顔は優しいけど、少しさみしく感じる。
それはなんでだろう?と、思っていた。
おねえさまは自分の思ったことをちゃんと言える。
私が同じことをいうと、『わがまま』と言われることが多かった。
ねえねは私もお姉さまと同じように優しく接してくれた。
時々会うおじさまは優しい。
「麗子ちゃん」と呼んでくれ、いつもにこにこ笑顔だ。
おばさまとはなかなか会えない。
でも、会うと、おばさまの目はやさしい。
おじさまとおばさまの笑顔は私は好き。
おじさまとお話しようとすると、おかあさまの目が怖くなる。
おとうさまを見ると、何も考えていないような感じだ。
おばあさまを見ると、もっと怖い目だった。
おじいさまは、いつもの笑顔。私を見ているけど、見ていない。誰を見ているのだろう?
どうしたのだろう?
おばあさまとおかあさまがものすごく喜んでいる。
その前はものすごく怖い顔をしていたのに。
今はものすごく機嫌がいい。
家に知らない人がいっぱい来た。
「パーティーなのよ」
なんのパーティーなんだろう?
みんな笑顔だ。
何かいいことがあったんだろうか?
お父さまを見ると、目を泳がせている。
誰にも目を合わさず、誰とも話さず。
いつものことだけど、今日はおじさまとおばさまは来ていない。ねえねもきていない。
おねえさまは、少し怖い顔をして、おかあさまを見ていた。
何があったのか、知っているのかな?
新しいお洋服が届く。
それをおかあさまに着せられ、なぜか写真を撮られる。
気に入ったお洋服があったのに、おかあさまはなぜか、返してしまった。
どうして?
小学生になった。
おじさまのところに、赤ちゃんが産まれたらしい。
わたしは早く会いに行きたかったが、おかあさまは怖い顔をしている。
おばあさまも怖い顔をしていた。
おとうさまはおねえさまだけを可愛がる。
同じ娘なのにどうしてだろう?
赤ちゃんには会えなかった。
でも、写真は見せてもらえた。
まるまるでぷくぷく。
かわいい。
私も小さいときはこういうふうだったのだろうか?
そう聞きたいけど、だれも私を見てくれない。
赤ちゃんを抱っこしているおじさまは、目が垂れてしまっている。
うれしいんだなというのが、私にもよくわかった。
そしておばさまの目がとても優しい。
その時、心の奥に何かがチクっと刺さったような気がした。
わたしはおかあさまにそんな目で見られたことがない。
その写真を見て、おばあさまはこうおっしゃった。
「こうたいしとあろうものが、だらしない顔をしてなさけない」
とても怖い目だった。
そして、おばさまと赤ちゃんを睨みつけていた。
「ほんと、躾が行き来届いてるわねぇ」
おばあさまが、私とおねえさまを見て、そう嬉しそうに言う。
「あなたがね、小さい時、『おかあさま』と呼んでいたのよ。なのに、コレときたら、『パパ』ですって。ほんと、育ちがわかるわね。躾がまったくされてなかったのね、あの嫁は」
私は首を傾げた。
私がおかあさまの事をおかあさまと呼ぶのは、おねえさまがそう呼んでいたのもあるけど、おかあさま自身が『おかあさまはね』と自分のことを『おかあさま』と言っていたからだ。
おかあさま以外の呼び方を、私は知らない。
幼稚園に言った時、お友達が『ママ』と呼んでいるのを聞いた。その子の母親らしき人が、笑顔で駆け寄り抱きしめる。にこやかな笑顔を見て、おかあさまと違うと、思った。私はおかあさまではなくて、あの優しいママがいい。
従妹がおとうさまのことをパパと呼んでいるのは、おじさまが自分のことを『パパですよ』と言ってるからじゃないの?
おじさまがそう呼んで欲しいと思っているんだよね?
それは、ダメなことなの?
許されないの?
おばあさまはおかあさまとおばさまの悪口を言っている。
ものすごく楽しそう。
お祖母さまとお父さまがお話をしている。
そういうときは、お母さまに「あっちの部屋にいってなさい」と言われ、使用人に他の部屋に連れて行かれる。
その時に、聞こえてきた。
「ママはどう思う? 僕はね……」
お父さまがお祖母さまの事を『ママ』と呼んでいた。
2歳になったばかりの従妹が『パパ』と呼ぶのは許されず、自分が『ママ』と呼ばれることは許される。
お祖母さまは怖い。
お姉さまが一度言った。
「お祖母さまに逆らったら、ダメよ」
その理由は教えてもらえなかった。
でも、そうしないといけないというのは、なんとなくわかった。
私はさっきのお父さまが言ったことを忘れることにした。
家の中のものが壊される。
お気に入りだったカップも割られた。
今日、『ご公務』で、おばさまに嫌な思いをさせられたらしい。
甲高い声で、何か、叫んでる。
お姉さまがそっと自分の部屋に連れて行ってくれた。
「お腹すいた」
夕飯の時間にはまだ早い。
「ご飯が食べられなくなるから、我慢しようね」
お姉さまはそう言って私をたしなめる。
でも、私は知っている。
お祖母さまからこっそりお菓子を頂いていることに。
そのお菓子を私はまだ食べたことがない。
「がまんできない」
そのお菓子が出てくればいいなと思いながら言うと、また言われた。
「それはわがままですよ」
使用人だが、それはお母さまの使用人。
私の使用人は逆らえない。
「しかたないわね。お母さまには絶対に内緒よ?」
お姉さまが引き出しの奥から小さな箱を出してきた。
「あなた達もわかってるでしょうね? これはお祖母さまから私が頂いたお菓子なの。私たちが食べるのは何の問題もないの。報告しなくていいわ」
かなり強めの口調で、いつもと違う低い声で、お母さまの使用人に言う。
お母さまより上なのはお祖母さまだ。
私はこの時だけ、お祖母さまに感謝した。
お姉さまから頂いたお菓子は、今までに食べたことのないお菓子だった。
見た目も可愛らしく、食べるのがもったいない。
でも、お姉さまは迷わず口に入れる。
「食べないの? 美味しいわよ」
「うん」
手で掴みそのまま口に入れた。
美味しい。
この家で出てくるような味じゃない。
「美味しいね」
笑顔でそう言うと、お姉さまはややしてから笑顔で頷いてくれた。
「お母さまには内緒だからね」
それからしばらくすると、お姉さまが問題というのを起こした。
同級生に飛び蹴りをしたという。
お姉さまはもともと体を動かすことが好きだ。お祖母さまは笑いながら、「お転婆さんねぇ」と言っていた。
ここで『躾』は関係ないのだろうかと思ったけれど、元気に自由に振る舞っている姉を見ると、なんだか羨ましくなってくる。
週刊誌にお姉さまがしたことが書かれたらしい。
でも、すぐに『もみ消した』とお祖母さまが言っていた。
ものすごく悪い顔をしていた。
お母さまは「こちらがそう望んでいるのに、なぜそれがわからないのでしょうね」と言っている。
よくよく話を聞いていると、お金を払ったと言われているが、治療費にもならなかったらしい。こういうのを『口止め料』というらしい。覚えておこう。
その子は引っ越しして、学校からいなくなった。
私はその子に何を言われたのか気になったけれど、お姉さまが怖い顔をしているから、聞けない。
ある日、お姉さまが独り言を言っていた。
「私は絶対に許さない」
もう学校からいなくなった子の事をまだ許していないらしい。
私は早く忘れたほうがいいと思う。
私は子どもの時にスケートをした。
ものすごく楽しかった。
それから何度かスケートに連れて行ってもらった。
本格的に習えるようになったのは、小学二年生になってからだった。
テレビで放送されているのを見ると、いつか私も……と思うようになった。
しかし、自分の実力は、自分でわかる。
他の子も練習を重ねている、私も朝晩、時間が許す限り練習したが、自分が望むような結果は出ていない。
頑張っていても、他の子たちとも練習量が全然違うらしい。
実力に差が出てきて当然だ。
なのに、大会が開けば入賞という、不思議な結果がついてくる。
試合にはお母さまとお姉さまが応援しに会場に来てくれる。
お姉さまはともかく、お母さまは誰の目を意識してるんだろう?
カメラマンもいっぱいいて、写真をいっぱい撮られる。
それが週刊誌にも出た。
もう嫌だ。
何もかも投げ出したい、と思った。
週刊誌を見て、お父さまは、複雑そうな顔をした。
お母さまはいつもの甲高い声で、何か言っている。
今回ばかりは、その声が心地よく感じた。
こういう時、誰にお願いするのが効果的なんだろう?
弟が生まれた。
病院から退院してくる時のお母さまの顔が怖い。
ものすごく勝ち誇った顔をしている。
ああ、伯父さまのところには女の子しかいないから……。
どうやら、お父さまが産まれて以来のことらしい。
お母さまの声がいつもより、一オクターブ高い。
その声で、赤ちゃんの耳は大丈夫なんだろうか?
お父さまも喜んでいるようだけど、なんだろう?
お母さまほどではないみたい。
病院から退院する時の写真を見た。
お母さまが必死でお父さまを見ているけれど、お父さまはお母さまを見ていない。
弟も見ていない。
どういうことなのだろう?
お祖母さまが恐ろしいほど喜んでいる。
伯父さまと伯母さまもお祝いをしてくれた。
お母さまのあの顔を見た後で、伯父さまと伯母さまの顔をみると、普通に喜んでいるように思える。
温かい言葉をかけてもらった。
私はお姉さまになった。
従妹と弟の初対面、従妹は少し不思議そうに弟を見て、振り返り伯母さまを見た。
伯母さまはにこやかだ。
従妹は笑顔になって、弟を見た。
かわいいと思ってくれているらしい。
私はそう思えないのに……。
この子は生まれてくるところを間違えたんじゃない?
そう思った。
お姉さまは弟の世話をする。
私はその横で見ているだけだった。
お母さまは物を与えるだけ。
愛情はない。
どこでだったか、何かで読んだ。
『愛情がなければ赤ちゃんは育たない』
急に家の中が慌ただしくなった。
お母さまが甲高い声で何か叫んでる。
誰かが怒られている。
何が起こったのだろう?
お父さまはソファに座ってただじっと組んだ指を見ている。
お姉さまの顔を見ると、複雑そうな顔をしていた。
だけど、少し、ホッとしているようにも思えた。
それからまもなく、弟が亡くなったということを知った。
8ヶ月と2日だった。
弟が寝ていたベビーベッドを見ると、寝ていただろう形跡だけがあった。
何やら占い師と相談して、誕生日を決めていた。
何が何でもその日に生むと、帝王切開を選んだ。
体重は私やお姉さまが産まれたときよりも軽かったらしい。
その結果が、これなのかもしれない。
本来の運命を捻じ曲げられてしまった弟。
もう少し、優しく接すればよかった。
後悔したけれど、涙はでてこなかった。
お姉さまは一度だけ泣いていた。
それから一週間。
弟の死はだれも知らない。
その日の内に、私はお母さまから口止めされた。
これは絶対に話してはならないことなんだと、あの目を見て、思った。
毎日の生活は変わらない。
ただ、ベビーベッドは空のまま。
それから三日後、学校から帰ってきたら、ベビーベッドに赤ちゃんがいた。
弟と何となく似ている。
頭が混乱した。
お母さまは恐ろしい笑顔をして、お父さまを見ていた。
どういうこと?
この子は?
弟と似てる。
この子は??
どこからきたの?
誰にも聞けない。
お姉さまはその新しく連れてこられた子を抱っこした。
「弟よ」
あの子の死は、隠されたのね。
この子は、あの子の代わり。
もう少し、優しくしよう。
私は『お姉さま』なのだから。
この子は、私達の『弟』。
それからしばらくして、従妹の事が週刊誌に載った。
どうやら、学校に行っていないらしい。
中等部にいると初等部のことは、わからない。
なぜかお母さまの機嫌がいい。
「税金泥棒って、言われたらしいわ。それにあの程度で乱暴だなんて、横暴よね」
お姉さまが後で教えてくれた。
「お母さまの知り合いの息子さんが同級生にいたんだって。言わせたらしいし、暴れさせたらしいわ」
驚いた。
お姉さまも楽しんでいる?
『税金泥棒』
まだ、その頃の私は、その意味がよくわからなかった。
私よりまだ小さい従妹はその意味がわかったということなのだろうか?
それからしばらく学校を休んだという話を聞いた。
お母さまがカレンダーに印を付けては、にたにたと笑っている。
ややしてから、母親同伴で登校と週刊誌に写真付きで載った。
おばさまが従妹と一緒に登校し、同じ教室に入って授業の様子を見ているらしい。
どうやらその事をお母さまは気に入らないらしい。
甲高い声で何か叫びながら、モノに当たり散らしている。
クラスメイトが言っていた。
「お母さまが一緒にいてくださると、心強いでしょうね」
私もそう思った。
自分に置き換えて考えてみると、それはきっとありえないだろう。
それを聞いたら、間違いなくその子は転校させられるだろう。
それからとんでもない記事がでた。
給食に薬を混ぜる。
そういう発想を思いつくのはお祖母さまとお母さまだろう。
あの伯父さまや伯母さまが考えるはずがない。
当然、伯父さまや伯母さまの使用人も。
お祖母さまは同じ孫である従妹のことが大嫌いなのかもしれない。
着袴の儀というのが、あるらしい。
私やお姉さまはしていないけれど、皇位継承権があるからということで、行うらしい。
どこから連れてこられたか私は知らないけれど、それでも皇位継承権って、あるんだろうか?
ああ、これは口にしてはいけないんだった。
あの子は私の弟。
そう、弟。
過去の映像があるらしく、見せてもらった。
伯父さまの時は、写真だけだった。
それも白黒。
今とあまり変わっていないと言ったら、失礼になるだろうかな。
その次は、お父さまだった。
誰に似たのか、お目々がぱっちり。
なんだか、可愛らしい。
動きになんだか落ち着きがない。
そして、次はねえねだった。
女官たちは無表情で、淡々と着付けている。
女の子は将棋盤の上に乗らなくていいのね。
でも、髪がぼさぼさ。女官は整えないのかしら?
いきなりはっきりとしたカラーになり、従妹が映し出された。
髪を整える女官の口元には笑みが。
日付を確認すると、まだ五歳になっていない。
キョロキョロとしているが、お近くに伯母さまはいらっしゃるのだろうか?
写真撮影中なのだろう。その表情は伯父さまによく似ていた。
その後に出てきた伯父さまと伯母さまはスーツ姿だった。
伯母さま、すごくかっこいい。
「お着物よ」
お姉さまは高校を卒業したので、制服がない。
「あなた達の分も作ったわよ」
お姉さまは水色で、私は薄いピンクの着物だった。
私は水色がよかった。
どうやら、着物になったのは、従妹の着袴の儀の時の伯母さまに対抗したらしい。
家族総出で、弟の着袴の儀を祝う。
もちろん、テレビカメラもきて、テレビで放送される。
お母さまの機嫌はとても良かった。
イライラする。
何にイライラしているのか、わからない。
お母さまは、「ウチが蔑ろにされている」と怒り狂っている。
学校が工事しているのは、従妹のためだという。
クラスメイトが「考えすぎよ」「施設の老朽化っていうのが一番の理由よね」と言っていた。
『私のこと、誰だと思ってるの?』
最近、お姉さまが口にする。
そうか、私もそうすればいいのね。
クラスメイトは流石にマズイかな。
違う子にしよう。
従妹を褒めた子を選ぼう。
学校で誰がどういう事を言っているのか、チェックするようになった。
伯母さまを褒めている子がいた。
従妹を褒めてる子もいた。
ターゲットには不自由しないかも。
誰もいない廊下でその子の腕を掴み、誰もいない教室に入った。
「ちょっと、お小遣いが足りないの」
その子は逆らってきた。
こういう時に、コレを使うのよね?
「私のこと、誰だと思ってるの?」
そういう事を繰り返していると、お母さまが学校に呼び出された。
私はお母さまには怒られなかった。
悪いのは学校だという。
自分もここを卒業しているのに、お母さまは不思議だ。
従妹が特別扱いされるように、私達も特別扱いされて当然だと言う。
お姉さまの時の学校の対応も思い出し、さらに怒り狂っている。
学校が面白くない。
とりあえず、内部進学で、大学に進級することができた。
そう言えば、なぜ、お姉さまは他の大学に行ったんだろう?
お父さまが他の大学に行きたかったと言っていたらしいけれど……。
羨ましい。
お姉さまが行っている大学を受験してみよう。
進路指導の先生の眉間のシワを見て、思う。
「国語の先生になりたい」
そう、言ってみた。
そうしたら、文学部に教育学科ができた。
ない学科を言ってみたのに。
受けた大学は全部落ちた。
私はそこに進学しないといけなくなった。
逃げられなくなった。
弟が小学校に入学する。
お母さまは私の進路に特に興味を持っていない。
ただ、弟の教育の熱意だけはすごい。
こればっかりは、弟に同情する。
従妹と同じ幼稚園や初等部に入れないわけではなかったはずなのに、あえて違うところを選んだ。
弟には東大に行かせたいらしい。
ただ、国公立なので、今までのようなゴリ押しは無理だろう。
どうなるんだろう?
トンボを見つけては追いかけている弟を見ると、違う道でもいいんじゃないかと思う。
お父さまは弟と楽しそうに話をしているけれど、学校の話になると、お母さまに言い負かされている。
使用人も次々に辞めていく。
もう名前を覚えるのも面倒になった。
従妹の評判が入ってくる。
勉強が恐ろしくできるらしい。
それを聞いて、私は納得した。
伯母さまのような人が母親なのだ。
ウチとは全然違う。
母は私に興味がない。
ただ、公務で連れ歩く時だけ、口うるさく言われる。
学校の成績を見ても、文句を言うのは学校にだった。
今、母の全力は弟の注がれている。
関心がそちらに行っている間は、私には被害はない。
大学に何をしにいってるんだろう?
試験の点数がとんでもなく悪い。
勉強を今までちゃんとしてなかったから、仕方ないのかな。
今日、言われた。
「このままですと、留年が確定します」
留年。
その言葉を聞いて、現実を思い知る。
私はこれ以上、ここにいられない。
皇室始まって以来の新しい歴史を作ってしまうことになる?
留年した皇族はいない?
お父さまですら、ギリギリで卒業した?
じゃあ、大学院に行ったお母さまは?
大学を辞めると決意した。
お姉さまが行った大学を受けることにする。
それをお父さまに話をすると、怒られた。
お母さまの瞬間的に爆発するというほどではないが、お父様の導火線は短いと思う。
それに私は似たらしい。
私も日頃の鬱憤をぶつけた。
最終的に、お母さまが辞めることを許してくれた。
「あの学校は私達が望んでいることをしてくれないのです」
そういい捨てた。
そして私はお姉さまが出た大学を受験することにした。
AO入試というものがある。
私はそれを受けた。
合格通知を受け取った。
私は四月からお姉さまがお相手の方と出会った大学に通うことになる。
楽しみだ。
新しい大学生活。
ただ、英語は嫌い。
思うように喋れない。
どうやったら英語が普通に喋れるようになるんだろう?
大学ではダンス部に入った。
ずっと自分を抑え込んでいた。
やっと自由になれる。
サークル活動をしていたら、週刊誌に書かれた。
それを見たお母さまが激怒する。
「はしたない格好をして!」
私は唖然とした。
そのことも週刊誌に書かれた。
だれが週刊誌に話しているの?
確かに怒られたけど、もう少し事実を書いてほしい。
私がネット検索した時に偶然見つけた画像。
お母さまがテニスをしている時の写真だった。
かがんだらアンダースコートが丸見え。
それを記者に見せつけるようにしていない?
肩を出すのと、アンダースコート丸見えだったら、どっちがはしたないんだろう?
もちろん、足は生足。
肌の露出で考えると、お母さまの方が露出している。
私がしたファッションは普通に他の子もしている。
スコートをたくし上げてまで、アンダースコートを見せているお母さまの神経を疑う。
その事を忘れて、私のことを叱りつける。
週刊誌は不公平だ。
私は週刊誌に書かれていることを信じない。
いつから表の顔と裏の顔を使い分けるようになったのか。
きっかけは何だったか、よく覚えていない。
『ご公務』というものを始めてから、いや、それを始める前、カメラで映されるようになってからだろうか。
歩くときは手を前で揃えて、なるべく足音を立てないように、歩く。
喋る時は、ゆっくりと言葉を選び、笑顔を作る。
にこりと笑うだけで、周りが笑顔になった。
「きれい」「かわいい」という声も飛んでくるようになった。
周りを見ても、姉よりも私のほうが可愛いと思う。
従妹よりも絶対に私のほうが可愛い。
いつしか、『プリンセス』と呼ばれるようになっていた。
写真は姉よりも私のほうがいつも多い。
姉に勝った、と思った。
最近なぜかお祖母さまが私に優しい。
前はお姉さまの方をものすごく可愛がっていたのに。
お姉さまがお付き合いしている人がいるからかしら?
お姉さまの機嫌が悪い。
まだ、結婚することを許されていない。
昨日もお母さまと怒鳴り合いの喧嘩をしていた。
お父さまも怒っている。
週刊誌にも色々書かれた。
結婚相手の家族のことが全部書かれている。
どこまで事実なのかわからないけれど、家族を亡くしているというのは、事実だろう。
問題はその理由だけれど。
好きな人と一緒になるのに、こんなに難しいとは思わなかった。
私は聞かれても答えないようにしよう。
マスコミは信じない。
ただ、使われる写真が気に入らない事が多いから、どう写ればいいか、その研究をしよう。
そのお手本はお祖母さまね。
いつ見ても写真はきれいだもの。
今度、お会いする時に聞いてみよう。
お姉さまの結婚がやっと決まった。
長かった。
出発する日も決まった。
なのに、お姉さまは怒鳴り散らしている。
どうしてこのタイミングで、お母さまのお父さま、私にとってもう一人のお祖父さまが亡くなったんだろう?
そういえば、お父さまとお母さまが結婚する時も、前の天皇が亡くなったって言ってたよね。
世間で言うところの『喪中』っていうことよね。
親子で同じこと、するのね。
そう思っていたら、お祖父さまの亡くなった日がズレた。
お母さまはそこまでするの?
それとも、お父さま?
お父さまはお姉さまを手放したくないようだった。
お祖母さまは、こっそりとお姉さまに援助したらしい。
お祖母さまはお姉さまの味方なのね。
やっぱり初孫はかわいいのね。
なんだか少しモヤモヤする。
先にここから出られて、羨ましい。
お姉さまが出発する日。
すでに打ち合わせ済みだった、挨拶の時にハグをする。
感動的に見えるかしら?
「ちゃんとお金、送ってね」
それがお姉さまが私に言った、言葉だった。
その言葉は私にだけ聞き取れた。
お姉さまはお父さまやお母さまの言われていることをさらりと流し、弟を見た。
「元気でね」
弟はただうなずくだけだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「お姉さま」
耳に聞こえた声は、ダミ声と言ってもいいぐらいの声だった。
記憶にある母親の声ではない。
いろいろと夢を見ていた気がする。
夢を見ては目が覚め、また眠る。
どれだけそれを繰り返したのだろうか。
体を起こし、床頭台の上にあった手鏡を手に取る。
これが現実らしい。
どう見ても母親の姿。
中身は、次女の私。
鏡を伏せて床頭台に置く。
ドアが開き、看護師が入ってきた。
「お目覚めのようですね。お加減はいかがですか?」
なんと答えたらいいんだろう?
体に痛みはない。
頭もしっかり動いている。
「たぶん、大丈夫です」
聞き取りづらいであろうこの声でも、看護師はしっかりと耳を傾けてくれた。
「大丈夫なんですね。長らく食事を摂っていないので、おかゆになりますが、食欲はありますか?」
食欲。
お腹は空いているのだろうか。
「わかりません」
看護師はうなずく。
「わからない……ですね。何かありましたら、この呼び出しボタンを押してください」
そういうと、床頭台にストローが刺さった蓋付きのコップが置かれる。
「お水はこちらにおいておきます」
「ありがとうございます」
看護師は全身をさっと見ると、小さく頷き、出てゆく。
次女は手を伸ばし、コップを取った。
水は半分ほどしか入っていなかったが、これ以上入っていたら持てなかったかもしれない。
ストローを口に含み、水を一口飲んでみる。
喉を通り、食道を通り、胃に落ちてゆく。
それがわかり、不思議な気持ちになる。
ふと、自分の手を見る。
そして、髪に手をやった。
お風呂に入りたい。
そう思いながら、もう一度手鏡を手にする。
じっくりと見ると、今まで化粧で隠し続けていたシミ、シワがくっきりと現れていた。
首もしわしわだった。
食事が十分にとれておらず、痩せていったのだが、次女にはそれがわからない。
髪の根元からは白髪が伸びている。
そう言えばと、思い出す。
一本の白髪に大騒ぎしたのは、いつだったか。
神経質なほど気を使い、白髪を隠してきた。
その夫は白髪を染めることは拒否した。
その理由は、毛根が痛むという、よくわからない理由だった。
弟の着袴の儀の前に、いきなり白髪から黒髪になっていた。
そこからはそれをキープし続けている。
生え際から白髪は五センチぐらい伸びているような気がする。
「少なくとも五ヶ月ぐらいは経ったのね?」
そういえば、夫婦喧嘩で倒れた……とワイドショーでやっていた。
いつもの会話を一般人が住む家でやってしまったのだから、警察に通報もされるだろう。
瞬間的に真っ赤になり、理解できないほど怒り出すのだ。
普通の人であれば、とっくに離婚されていただろう。
特に、お父さまには、ここ以外にも家族がいた。
「ふぅ……」
ため息の声ですら、ダミ声だ。
よそにやすらぎを求めるのは仕方ない。
「どうせなら離婚して……」
そこまで言ってから、気付いた。
ああ、お父さまを自由にしてあげられるかも。
今の私の姿は、母親だ。
お父様にとっては妻。
その妻が離婚を申し出れば、それは認められるかもしれない。
週刊誌で見た限りでは、その国にいる女性との付き合いは結婚前かららしい。
そして、一年に一・二度は、その国にプライベートで行っていた。そして、すでに孫までいるという。
お姉さまが産んだ子はもういない。
「それがいいかもしれない……」
次女は決意した。
呼び出しベルに手を伸ばし、ベルを押した。
「はい、今からいきます。ちょっとお待ち下さいね」
ブツッと切れた。
自分の声だと会話にはならないだろう。
それから一分もしない内に、看護師がノックして入ってきた。
「どうしましたか? あ、水、足りませんね。冷たいほうがいいですか? お白湯がいいですか?」
「白湯で」
看護師はうなずく。
「他に、何か?」
次女は頷いた。
「夫と離婚するにはどうすればいいですか?」
看護師は一瞬固まる。
「夫と離婚……と聞き取れたのですが、お間違いではないですか?」
次女は大きく何度もうなずく。
「その手続をどうすればできるか……ですね?」
またもや次女は大きくうなずく。
「こちらは病院なので、その手続はできかねますが、然るべきところにお話してもよろしいですか?」
次女はハッとして、顔を上げる。
「よろしくお願いします」
一瞬、脳裏に浮かんだのは、最近のすめらぎと皇妃だった。
いつも心配そうに自分を見ていた。
でも挨拶をすると、いつものにこやかな笑顔になる。
もう一度、その笑顔を見たいと思った。
「わかりました。ちょっと連絡しますので、お待ち下さい」
看護師のその言葉を聞き、次女はゆっくりと頭を下げた。
「ありがとうございます」
自然とその言葉が出た。
看護師はにこりと微笑み、退室していく。
入れ替わりに別の看護師が、白湯を持ってきてくれた。
さっきと同じ蓋付き容器の半分だった。
「これぐらいの量で大丈夫でしたか?」
次女はうなずく。
「では、こちら置いておきますね」
床頭台ではなく、ベッドサイドテーブルに置いてくれた。
それなら、手を伸ばし、テーブルを引き寄せるだけでいい。
「ありがとうございます」
「いいえ。また、何かありましたらベルを押してくださいね」
そう言って、手が届きやすいところに呼び出ボタンを置き、ベッドの昇降用の手元スイッチをベッドサイドに掛ける。
看護師は退室していった。
次女はベッドの手元スイッチを手にし、上体を起こした。
と、同時に膝の裏が少し持ち上がった。
自動的に楽な体勢になるようになるようだった。
体を少し起こし、視野が広がった。
部屋の中には、記憶にある花瓶がある。
それは、いつだったか、公務で地方に行った時、花が活けてあった花瓶と同じだった。
白くそして、七色の光を纏う花瓶。
やさしい色だった。
それを見ていると、何故か皇女を思い出す。
活けてある花は、木香薔薇だった。
「白?」
いつも見ている木香薔薇は黄色だった。
かすかに爽やかな甘い香りがしている。
それを見て、急に思い出したのだった。
あの家にあった庭木や花はどうなっているのだろうか。
気に入らない木があれば、「すぐに入れ替えて頂戴」と怒鳴っていた。
会見では、穏やかに静かにゆっくりと聞き取りづらい声の大きさで話していたが、使用人の前では真逆だった。
私はどこで間違えたのだろう?
ぼんやりと白い木香薔薇を見ながら、次女は考え続けた。




