2話 大宮司は平常心を保つ
完全なフィクションです。
ザッ、ザッ、ザッ、ザッ……
玉砂利を歩く音が静かな境内に妙に大きく響いていた。
先頭の大宮司は少し首を傾げる。
いつもと境内の空気が違うからだ。
いつも清めてはいたが、今は隅から隅までかなり丁寧に清められた後のようだった。
(清めの雨のおかげか?)
お役目だからと自分を納得させながら、参拝の案内をしている。
本当は、案内している人に境内を穢されたくはなかった。
ザッ、ザッ……、ザザッ、ザッザザッ……
(あぁ、足音でも穢されてしまっているではないか!)
予行演習代わりのビデオでの説明は何のためだったのかと、怒りを抑えるのに必死だった。
(あの方をご案内する時は、あんなも強く温かみを感じたというのに……。今は何も感じぬ。大神が歓迎している気も読めぬ)
嘆かわしいと思いながらも、それを顔に出すことは許されない。
ことさら無の表情を保ち、先頭を歩き続ける。
青空に社殿の屋根が、手前の鳥居がくっきりはっきりと見え、階段も見えてきた。
参拝が始まる直前、降り続いた雨が急に上がった。
その直後、風が境内を駆け抜けた。
雲が消え、青空が広がっている。
急に天候が変わり、日が差してきたことで、『エンペラーウェザーだ』と一部のモノがはしゃいでいた。
(エンペラーウェザー? ふざけるなっ! コレは大神が強めに浄化をしただけだ。本当のエンペラーウェザーはこんなモノじゃない!)
思わず足に力が入り、リズムを乱すところであった。
(落ち着け……。落ち着け……)
眼の前の石段を上っていく。
(あぁ……鳥居をくぐらせたくない。穢を中に入れたくはない。階段から転げ落ちてくれないだろうか)
『その願い、叶えよう』
大宮司は驚き、次の段に足をかけたまま動きが止まる。
そしてゆっくりと上を見た。
眼の前には鳥居。
(大神のお聲ではない? 初めて聞いたお聲だ……)
急に不安定な体勢のまま固まった大宮司に、周りは怪訝そうな顔をするが、声は出さない。
大宮司はおもむろに振り返り、空を仰いだ。
太陽とは違う位置に強い白い光が見える。
思わず、目を手で覆った。
『耳を塞げ! その場にしゃがめ! 目を強く閉じよ!』
無意識に体が動いた。
手に持っていた笏を脇にはさみ、手で耳を押さえてその場にしゃがみ込んだ。そして、ぎゅっと強く目を閉じる。
ザッと玉砂利を踏みしめる音があちこちでし、声が聞こえた全員がその場にしゃがみ込む。
周りの禰宜や権禰宜たちが急にしゃがみ込み、案内されている人物は階段の手前で突っ立っていた。
今の状況に理解が追いつかず、手に持っているシルクハットの中に手を入れ、くるくると回し始め首を傾げた。
その横にはSPが一人。片耳を押さえ、キョロキョロと周囲を伺うが、ほとんどの人が地面にしゃがみ込んでいる。
「裁きを受けよ。穢は消え去れ」
その言葉とともに、強い白い光が天から落ちてきて一人突っ立っていた案内された人物を包む。
ビリビリビリと空気が振動を伝えてくる。
だが、思ったより緩やかな振動だった。
空気を裂くような爆音が響いた。
『神のいかずちだ。次のすめらぎは女性がよい。平安が続くであろう。さもなくば、またいかずちを落とすことになろう。心せよ』
木の葉一枚揺れることもない。
時間が止まったかのようだった。
やがて葉が擦れる音がし、風が戻ってきた。
そして大宮司に「正気にもどれ」と言わんばかりに1枚の葉が額にあたる。
次の瞬間、もう一度、強い風が吹いた。
『わらわの願いを叶えよ』
全員がその場に伏せる。
それはずっと社の奥からいつも感じていた力、記憶にある聲だった。
「殿下!」
「殿下!?」
「救急車を!」
「誰か、早く!」
大宮司はゆっくりと目を開け、体を起こした。
白装束達はしゃがみ込んでいる。
その中で、黒い人の形が二つ。
その横には、見覚えのあるシルクハット。
ありえないぐらい目を見開いたまま、恐ろしいものを見た表情で『殿下』と呼ばれた人は、倒れていた。
一見、怪我をしているようには見えない。
「雷が、雷が落ちたわ!」
遠くから、女性の声がした。
大宮司は腹に力を入れ、声を出した。
「ここから早く、取りされ!」
何を?と誰も尋ねなかった。
周りにいた者は黒い人影を取り囲み、持ち上げ、参道の中央を避けて社殿から見えない下手に運んだ。
お付きの者の中にいた医者らしき人が走ってきて、素早く首に手を当て脈を確認する。
しかし、その目は驚愕に見開かれた。
口元に耳を寄せる。
目は胸をしっかり見ていた。
呼吸も脈もない状態だった。
「早く! 救急車を!」
胸元からペンのようなものを取り出し、見開かれた目に当てている。
瞳孔は開き切り、光に反応していない。
「早く! 早く! 救急車を!!」
心臓マッサージを始めるが、本気で助かるとは思っていない。
額の汗が顎をつたいポタリと落ちる。
その表情には焦りしかなかった。
考えていたのは命を取り戻すことではなく、これから自分はどうなるのかということだった。
一緒に運ばれたSPはややしてから意識を取り戻した。
ゆっくりと立ち上がり、心肺蘇生を行われている警護対象をみた。
『わかっているでしょうね? 命をかけて守らねば、あなたのご家族の命はないと思ってね』
三日月型に笑う赤い薄い唇を思い出した。
「あぁ。終わった…」
そう呟くとSPは意識を失い、再びその場に倒れたのだった。
(可哀想だが、もう鼓動は戻ることはない。魂はもうここにはない。それに神のいかずちは……心の臓を貫いていた)
大宮司は心臓マッサージをされている若者を無感情な目で見る。
血で穢されることがなかったことに心底ホッとした。
ハッとし、社の方をみる。
数人、社の方をじっと見ていた。
知らず知らずのうちに、社に向かい、思い思いに頭を垂れる。
大宮司は冷静に行動をしている禰宜達を見て、内心、苦笑した。
(我々の願いが神に届いたのだ……。というより、神が穢をはらっただけ……。そう、穢を……)
皆、口に出さずとも目がそう語っていた。
近くに待機していたらしい救急車が警察車両に先導されながら、大学病院へ向かう。
そばにいたSPも別の救急車で運ばれたが、それから先は誰も把握できていない。
若者の死は隠され、『意識不明の重体』とだけ報道された。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「どうだ? 派手だっただろう?」
「だれも怪我はしなかったようだね」
「ありがとう」
三貴神の従者達は同時に呟く。
「会話が噛み合っていない……」
ツクヨミは従者達に頷き、アマテラスを見た。
宙をじっと見つめている。
「おぉ。声が届いてくる」
アマテラスはパッと顔を輝かせた。
「代理人か?」
アマテラスは頷き、目を閉じる。
「今の代理人とは話ができておるのだな」
「すめらぎと呼ぶにふさわしい魂ですよ」
「我は早く次の世を見たいが……」
「まだまだ整えていく途中でしょう。海の護り、頼みます」
「おぉう。ところで、まだ残っているものはどうするんだ? いくらでも……いかずちは落とせるぞ?」
スサノヲはそう言いながら、右手を見せる。
ツクヨミは笑いながら、首を横に振った。
「本音を言うと、落としてしまいたいですけどね。でもね、そんなに簡単に終わらせていいと思ってます? ここは、じわじわ……ですよね。それができるのは私ですね。ふふふ」
スサノヲは少し嫌そうに顔をしかめた。
「ネチネチとやり続けるのか」
「私も頭にきてますからね、ここはアマテラスの領域なんですよ。他の神を崇めるものはすめらぎにはなりません。そもそも、私達の声が聞こえないので論外です」
スサノヲは少し振り返り、自分の従者を見た。
「姫の様子は?」
「目を見開いて、驚いておりました。ちょうどてれびとやらで、その様子が見れたようです」
「あの光景をまともに見てしまったのですか?」
従者は頷く。
「はい、ですが、私どもから見ても『とてもきれい』でしたので、問題ないかと」
「人が一人死んだのにか?」
「魂ごと消し去ったからな」
なるほどと納得するように、ツクヨミが頷く。
「おそらく、先代の第一の大姫が作った『ゴミ箱』とやらに入ったはずだ」
「ゴミを増やしてしまったのですね。大姫申し訳ありません…」
ツクヨミはそう言いながら、目を閉じる。
「普通の人には、白い光しか見えないし、光が消えた後は、倒れているので……まぁ、大丈夫でしょう」
「魂の気配がないことにも気づいておられました」
「ああ、見えておるのか。いや、見えるのが前提のすめらぎだからな」
『会話』を終えたアマテラスがツクヨミとスサノヲを見る。
「あちらで黒いモヤが発生しているそうじゃ。ツクヨミ、頼んでいいかのぅ?」
「あい、頼まれた。存分に楽しんでこよう」
そう言うと、ツクヨミは不敵な笑いを浮かべ消える。
その後を慌てて従者が追った。
「では、我も戻る。もうすぐ、うちが賑やかになるからな。説明もせねばな」
「あぁ、悪しきモノがいれば」
「わかっておる。消滅させるのみ。今が踏ん張りどきぞ、しっかりと務めを果たされよ。姉者」
アマテラスはうなずく。
スサノヲとその従者も去り、アマテラスは水晶をじっと見る。
悪しき黒いモヤに包まれた場所があちらこちらにあるのだった。
「命を下すか」
そうしようとしたが、アマテラスは目を閉じ、耳をすませる。
聞き慣れた祝詞が聞こえてきた。
唱える声に動揺があるかと思ったが、いつもと同じ、いや、少し喜びが混じっているだろうか。
「よほど腹に据えかねておったか」
思わず口元に笑みが浮かぶ。
アマテラスは祝詞が聞こえてくる方向を確認する。
分祀があるところからも祝詞が届く。
「祓えよ、祓え。清めよ、清め。浄化せよ」
祝詞が聞こえてくる方向に、それを伝える。
それに答えるように、祝詞の声は大きくなって、アマテラスを包みこんだ。
「心地よい、響きじゃ……。ん? お?」
小さな声が聞こえてくる。
大事に見守ろうと決めた姫の声だった。
すめらぎである父親のそばで一緒に祈っているのだろう。
そして、その後ろに、扉を隔てて母親が控えているのが見える。
すめらぎの力を持っていない母親だが、娘と同じように祝詞を唱えているようだった。
娘を護りたいという気持ちが強く伝わってくる。
「前世は、絶望しておったのぅ……」
アマテラスはじっと母親を見る。
「ん? もしかしてこの母親の母親もか?」
母親の魂をたどり、その母親の姿を確認する。
「あぁ……」
アマテラスは従者が素早く容易した長椅子にゆっくりと腰を下ろす。
「同じ魂なのか……」
悲しげなそのつぶやきに、従者は首を傾げる。
「どなたとでございますか?」
「強欲な夫から娘と孫娘を護ろうとし、海に沈んでいった母親じゃ」
従者はハッとして、水晶を見た。
「今と同じで、おなごではすめらぎにはなれぬと言われていた時代じゃった」
「そうでしたね。あの時は戦もあり、世が乱れておりました。そうですか。今、再び命を。やりなおしの機会を得られたのですね」
「そうじゃ」
アマテラスは水晶に別の景色を移した。
白い光をお腹に宿している母親の姿だった。
「『ご懐妊』ですね」
従者が嬉しそうな声で言う。
「よく見よ」
従者は首を傾げながらも、その白い光をみる。
「あ、あぁ……あぁ??」
「そうじゃ、これは第一の大姫にしかできぬ技じゃ」
従者は悔しそうに唇を噛むアマテラスの横顔を見、そして水晶を見た。
「白い光が抜けた後、黒いものが襲ってきたであろう? そして覆ってしまった」
「ああ、確かに! では、あの白い光は穢されることはなかったのですね?」
「ああ、姫は無事であったが、母親がかなりの障りを受けてしまった」
「祓えなかったのですか?」
「その時はな。父親も悔しかっただろうに。二人の悲しみは見てはおれぬ……」
「アマテラス様、あまり心を乱されないようお願いいたします。雨が……降り続きますよ。この前に起きた土砂災害からまだ復旧しておりませんからね。大風も呼ばないでくださいね」
珍しく従者が強い口調で言う。
「そうであったな。それにしても、すめらぎもよい伴侶を得たのぅ。やり直しの魂とはいえ……あぁ、だからあの娘が戻ってきたのだな」
「戻ってきた?」
「第一の大姫が呼び戻したのは、今度こそ負けぬように『護り』をもたせたからじゃ」
「では再び『ご懐妊』と?」
「穢を払うのに多少時間がかかったが、無事産まれたようじゃな」
「第一の大姫の『護り』はどのぐらいの効果があるのでしょう? いつまで護られるのですか?」
「効果か……ふむ」
アマテラスは水晶をじっと見る。
宿った時、産まれた時、両親の喜びに包まれている時、言葉を覚えた時、成長を見ていく。
「口元が笑っておりますが?」
「見てみよ。賢い娘じゃ。ただ……力が強すぎたようじゃな。まだこの頃の父親は儀式を受けておらん。なぜ昭和が生きておらんのじゃ?」
「それは、無茶というものでは?」
「昭和なら、この娘が見ている景色の説明ができたぞ?」
「それも背負わされたものということなのでしょう?」
「あぁ。これは本人にも、母親にも、そして父親にも……か」
アマテラスは長椅子の背にもたれかかり、宙を仰ぐ。
「巫女殿の仕事が間に合ってよかったのではありませんか?」
「ほんとじゃな。よくぞやり遂げてくれた」
「かなりの妨害があったのですよ。ほんとうにギリギリでした」
「うむ」
「今は、『アマテラスの生まれ変わり』とあちこちで声があがっております」
「わらわはまだ死んでおらぬが?」
「……そうでございますね?」
「魂を分けたこともないぞ?」
「そうでございますね」
「まぁ、言わんとすることはわかる。今のあの姫は『先代の第一の大姫から託された『護り』を持つ古のすめらぎの姫」
水晶には周りを警戒している幼い娘の姿が写っていた。
「見えるものの辛さがわかったものはどれぐらいおるのか……」
従者は黙って水晶を見る。
「怯えておりますね?」
「母親には見えておらぬからな。この頃の父親も微妙じゃ。まだ半人前にもなっておらぬからな」
「かなりの悪意が渦巻いております」
「跳ね返し方も、わかっておらぬ……。あぁ、声が聞こえる」
「声……ですか?」
「あぁ、『助けて、怖い』とずっと叫んでおる」
アマテラスは従者を見てギョッとした。
「なぜ、そなたが泣く?」
「あなた様が泣かないためです」
従者は器用に目から涙を溢れさせていた。
「その泣き方、いつ見ても器用じゃのぅ……」
「私の涙を見て、心を凪いでくださいませ」
「うむ。なら、もっと泣かせねばな」
「は?」
「眠っておって気づかなかったとはいえ、この娘がどう育ったのか……」
「は?」
「そなたは見ておらぬのであろう? ならば、わらわが教えねばな?」
「アマテラス様?」
「わらわは知らねばならぬ。第一の大姫から預かった大事なこの姫がどう育ったのかをな?」
アマテラスは従者の顔を見る。
「そなたは存分に泣くがよいぞ」
従者が声を荒げようが、泣こうが、喚こうが、笑おうが、怒ろうが、自然現象には響きません。
アマテラスは平常心を保つために、ときどき、従者に感情を爆発させてもらうのです。